『ジャパンポスト』平成14年9月1日号 掲載

                             日本経済再生政策提言フオーラム
                       会長 丹羽春喜(大阪学院大学教授)
                                              丹羽経済塾
                       塾長 丹羽春喜(大阪学院大学教授)

今は新紙幣発行などで時間を空費してよい時ではない
−−財界三団体の小泉構造改革支援は狂気の沙汰だ−−

 
新紙幣に景気刺激効果は無い

8月1日、政府は、2004年度より、いま流通している紙幣(日銀券)を新しいデザインの紙幣にほぼ全面的に変換することを決めた。この政府の決定には、紙幣偽造の防止だけではなく、新紙幣の流通開始による特需で景気を刺激しようという政策意図もこめられているようである。しかし、そのような発想それ自体が、現政府の景気政策における貧困・混迷をいかんなく物語っていると言えよう。

 言うまでもなく、このような政策発想は、「デノミネーションが景気刺激に役立つだろう」とする思いつきと同じである。昨年の10月に新潟市で開かれた「市民対話集会」では、竹中平蔵経済財政担当相が、そのような景気刺激をねらってのデノミネーションという政策案を提唱したのである。私が、本誌昨年12月1日号の本欄で、その竹中氏
の提案を痛烈に批判してやまなかったことを、読者諸氏の多くは、まだ、憶えてくださっているのではないかと思う。

 要するに、デノミネーションとそれにともなう新貨幣・新紙幣の発行が実施されることになれば、企業は伝票や帳簿などを新規に印刷し直さねばならず、コンピューターや自販機、キャッシュ・ディスペンサーなどのソフトも全部やり替えねばならない。これは、大きな余分のコスト負担とならざるをえないということである。今回の政府の決定は、デノミネーションの実施ではなく、新紙幣の発行とそれへの移行ということだけであるから、伝票や帳簿などの印刷し直しなどは不要であろうが、自販機やキャッシュ・ディスペンサーなどは全面的に更新・改修する必要がある。

 そのような余分のコスト負担のために、企業が利潤を犠牲にし、人減らしや賃下げといった血の出るようなリストラ努力をいっそう推し進めざるをえなくなることは、マクロ的には不況を激化させる要因だ。現在、すでに不況で苦しみぬいている中小・零細企業のなかには、そのようなコスト増に耐え切れず、倒産や店じまいを余儀なくされるものも多いはずである。このことは、ますますもって、わが国の経済不況を深刻化させずにはおかないであろう(新証券税制による証券業界のシステム改修コスト増でも、同様だ)。

 もちろん、新紙幣への移行にともなって受注が増えるソフト開発企業、自販機業界などでは、その従業員たちに残業手当やボーナスなどが割り増されて支払われるであろうから、そのこと自体が一つの景気刺激要因となることは確かである。しかし、そのように潤う業界で支払われた残業手当やボーナスなどから誘発されるところの消費支出の増加額の大きさは、そのような業界の受注増加額に人件費率と消費性向(ともに1.0よりもずっと小さい数値である)とを乗じた額にすぎないから、受注増加額そのものよりもかなり少ない額にとどまる。ところが、この受注増加額こそが、マクロ的には上記の余分なコスト・アップ額そのものなのである。しかも、上述のように、このコスト・アップに耐えられずに倒産や店じまいを余儀なくされる企業もかなり多く生じるのであるから、結局、新紙幣特需からの景気刺激効果は、それと同時に生じるコスト・アップ効果からの景気冷却作用には及ばないと考えねばならない。しかも、いずれにしても、この新紙幣特需なるものは、2〜3兆円前後(対GDP比では、0.4〜0.6%)にすぎないし、一時的なものでしかない。

 このような新紙幣特需で日本経済が様変わりに立ち直るだろうなどと考えることは、とんでもない間違いなのである。


税収急減の意味する深刻な危険性

実は、いまは、そのようなピント外れの新紙幣特需などに期待して時間を空費しているようなときではない。現在、すでに、きわめて深刻・急迫した事態が、なによりも先ず、政府の税収の大幅な減少という形で現れてきているのである。財務省が8月1日に発表したところによると、本年6月の一般会計税収は、前年の該当値に比べて16.4%も下回っている。4月〜6月の累計では、同じく対前年同期比で23.5%もの減収になった。

 実は、政府の税収が対前年同期比で減収となりはじめたのは昨年の9月からであるが、それ以降、現在まで、減収幅がどんどん拡大しながら、それが続いてきているのである。
 私は、GDPの動きが政府税収に及ぼす影響を計量経済学的に計測・分析してみたのであるが、近年のわが国では、GDPの成長率が低下すると、それに敏感に反応して政府の税収がそれよりもずっと大幅に減ってしまうことがわかった。すなわち、小泉内閣の反ケインズ主義的な緊縮財政主義の政策運営の下では不況の教化によるGDPの低迷が生じざるをえず、それは不可避的に政府の歳入の大幅な減少を招いてしまう。そのことは、よりいっそうの政府支出削減を余儀なくさせ、景況をますます悪化させる。それは、さらに大幅な政府税収の減少を惹起し、経済の不況と政府の財政破綻は、悪循環的にますます深刻化していかざるをえない。

 私は、そのような悪循環的スパイラルの予測結果を、本誌の昨年8月1日号に、「財政支出削減の危険性」と題して、数字を具体的に示して論述しておいた。それ以来1年を経過した現時点までの事態の推移を見ると、実際の政府の税収は、私の計量的シミュレーション予測よりもさらに大幅に減少してきているのである。

 しかも、今後、わが国のGOPがマイナス成長に陥ることは必至であり、政府の歳入はさらに激しく落ち込むであろう。来年度の政府歳出が削減されることは、すでに既定の方針となっているが、それがいっそう厳しいものとなる可能性も濃い。このことが、さらなる不況の激化と、よりいっそうの政府歳入の落ち込み、したがって、国および地方自治体の財政破綻をいやがうえにも深刻化させるという悪性スパイラルは、その症状をますます激しいものとしつつ続いていくことになるであろう。

 いま、政府が立案している程度のささやかな減税(それも、増税と抱き合わせである)などでは、この地すべり的な悪循環的落ち込みを食い止めることは、とうてい不可能である。国債の新規発行枠30兆円が幾分かは緩められるとしても、そのような国債の新規発行で政府が得る収入は、その大部分をこれまでに累増してきた既発の国債など政府負債の利息の支払いに当てねばならないような実情であるから、現在の政策立案パターンの枠内にとどまっているかぎり、かりに、国債が幾らか増発されることになったとしても、それによって総需要拡大・景気刺激型の積極財政政策が大規模に実施されうる可能性は皆無である。


構造改革よりも打ち出の小槌による総需要拡大を!

 ここで、はっきりと理解しておかねばならないことは、このようなコントロール不能な悪循環的落ち込みプロセスからわが国の経済と財政を脱出させるためには、「構造改革政策」などというものは、まったく役に立たないということである。

                         付表1 在庫変動額の対GDP比率
           (注)本表は名目値ベースの数値を示した。
           (典拠)『国民経済計算年報』平成13年版、54〜55頁および内閣府のホーム・ページ。
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1980年度  0.8%
1985年度  0.6%
1990年度 0.7%
1991年度 0.7%
1992年度  0.1%
1993年度 0.0%
1994年度  −0.0%
1995年度 0.5%
1996年度  0.6%
1997年度  0.6%
1998年度  −0.1%
1999年度  −0.2%
2000年度 −0.3%
2001年度 −0.4% 

 
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 わが国の経済の顕著な特徴の一つは、付表1が示すように、GDPに占める在庫変動額のシェアがゼロに近いほどに非常に小さいことである。つまり、需要の動きに応じる企業サイドからの商品供給がきわめて敏速・的確に行われ、ミス・マッチなどはほとんど無く、諸商品の需給がみごとに均衡しているということである。

 この意味で、わが国の経済における市場メカニズムは現在も、まことに優れたパーフォーマンスを発揮し続けているのである。政府が「構造改革政策」などと称してそれを恣意的にいじくりまわす必要などは、まったく無いのである。
 ただし、需給が立派に均衡しているといっても、マクロ的需給均衡点ーーいわゆる「ケインジアン・クロス点」−−は、総需要の不足のゆえに、完全雇用・完全操業での潜在GDPという「天井」のレベルから見れば6割にも達しない低い水準のところにある。

すなわち、デフレ・ギャップが40%以上も生じてしまっているのが現状である。つまり、現在のわが国経済では、需給ギャップはほとんどないが、デフレ・ギャップは超巨大に発生してしまっているのである。

 私は、このデフレ・ギャップ発生状況の精密な推計結果を、本誌の昨年5月1日号や本年4月1日号にグラフで示しておいた。あのような精密な計測によるグラフでなくても、読者諸氏は、とりあえず、本稿の付表2を見ていただきたい。

          付表2 諸経済指標の増加倍率の比較(1970→2001年)
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企業の資本設備量  8.6倍
失業者数  5.7倍
実質GDP   2.5倍
鉱工業生産  2.0倍


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(典拠)内閣府、経済産業省、総務省統計局、旧経済企画庁、旧通商産業省、旧総理府統計局による諸種の公刊統計資料ならびにこれら各省庁のホーム・ページに示された公表数値によった。


なにしろ、1970年から昨年までに、企業資本設備量が8倍半、失業者数が6倍近くに増えているというのに、実費GDPは2倍半、鉱エ業生産は2倍程度の伸び(最近では、むしろ、低下)にとどまっているのである。わが国の経済において、生産能力の遊休、すなわち、デフレ・ギャップがいかに大規模に発生しているかを(政府はそれを秘匿しているが)、この表は端的に示しているのである。

 このデフレ・ギャップは、見方を変えれば、生産能力の余裕ということであり、いまや企業が低稼動率の生産設備をどんどん廃棄し、人材も手放しはじめているとはいえ、現在時点では、まだこの生産能力の余裕が巨大に存在しているのであるから、総需要さえ大幅に増やせば、わが国の経済は、たちどころに不況から脱して高度成長を再現しうるのである。財源が無いなどと言ってはならない。私が、本稿でも繰り返し提言してきたように、「国(政府)の貨幣発行特権」の大規模な間接的発動という「打出の小槌」を振りさえすればよいのである。

 しかしながら、小泉内閣がやろうとしているような「構造改革」なるものを、どんなに立派に完遂したとしても、それによって総需要が増えるということには、全然、なりはしない。そのような因果メカニズムなどは、まったく無い。

 経団連、日本商エ会議所、経済同友会の三団体は、小泉構造改革を支援する大規模な財界組総を、10月をめどに立ち上げることを決めたようである(「日本経済新聞」8月5日付)が、まさに狂気の沙汰としか、言いようがない愚行である。


デマ宣伝のごまかしで反ケインズ主義を続ければ大惨害に

 いま、わが国では、需要を増やしても、企業はそれに応じて商品を生産・供給する力が無いのだとか、公共投資など政府支出からは国民所得ないしGDPの形成はなされないはずだとか、全般的に乗数効果が全く作用しなくなっているのだとかといった、奇矯きわまる風説がおびただしく流布されており、そのようなデマ宣伝に、ほかならぬ政府ないし官庁が一役もニ役もかっているのが現状である。

 そのような奇矯な風説は真っ赤なウソばかりであるが、そういった奇怪・悪質な世論操作でごまかしながら、ケインズ的な総需要拡大政策の大規模な断行を怠り続け、上述のごとき悪循環スパイラルを放置しておけば、そして、それと並行して、企業設備の廃棄や産業空洞化が進行して、わが国が生産能力の余裕を失ってしまえば、間違いなく、わが国の経済と財政は完全に破綻し、想像を絶するような悲惨な困窮状態にわが国民は陥るだろう。それは、全人類の経済にとっても、取り返しのつかない大惨害となるであろう。〈了〉