「ジャパンポスト」平成13年9月1日号掲載

マスコミは「小泉・竹中構造改革」礼賛をやめよ
大阪学院大学教授 丹羽春喜


無意味で無益な大犠牲が不可避

小泉政権の「構造改革」政策の内容を、少し、具体的に吟味してみよう。

 いちばんよく知られて最もしばしば論議されてきているのが「不良債権の処理」であり、そして、国債発行額を年額3〇兆円以下に抑えるための「財政支出の削減」であることは、言うまでもない。それに次いで、最近、報道されることが多くなったのが、「特殊法人」と「道路特定財源」の見直しということであろう。また、これに加えて、小泉総理のかねてからの持論である「郵政の民営化」という懸案も挙げておくべきかもしれない。

 「不良債権の処理」を強行すれば、倒産が多発して、不況を激化させることになるということは、すでに、すべての産業人が知るところとなっている。しかも、そのような大犠牲を払ったからといって、それによって日本経済が再生・再興されうるということにはならない。

 なぜかと言えば、大犠牲の結果として総需要が増えるなどといった必然性は、ほとんど皆無だからである。総需要が増えない限り、経済が成長軌道に乗ることは、絶対にありえない。

 同じく、「財政支出の削減」が、不可避的にGDP(国内総生産)の低下をもたらし、不況の惨害をますます深刻化させるということも、明白である。このことについては、私は、本誌8月1日号の本欄で、簡潔明瞭なシミュレーションの結果を示して、そのような財政支出削減の結果、わが国の経済と財政が決定的な窮乏状態に陥ってしまうということを数値的に論証しておいた。

 八月七日の各紙朝刊が大きく報じた来年度の国家予算案の概要は、そのような「財政支出削減→不況深刻化」という悪性のプロセスの到来が、いよいよ必至のものとなってきたことを、まざまざと物語るものであった。



「特殊法人」や「道路財源」は瑣末な問題

 このような事情があまりにも明白なものとなってきたからであろうか、最近では、大新聞各紙などのマスコミ主流は、むしろ、「特殊法人」や「道路特定財源」の見直しに重点を置いて、それらを小泉政権の構造改革政策におけるいわゆる「骨太の」主要部分であるとして位置づけ、そのような改革を実施しさえすれば、それだけで日本経済が再生・再興されうるかのごとく報道・解説を行うようになってきている。

 しかし、言うまでもなく、そのような「・・・なにがなんでも、小泉構造改革を礼賛しよう」とするわが国のマスコミ主流メディアの論調は、まったく誤っている。

 住宅金融公庫、日本道路公団、国際協力事業団、私立学校振興共済事業団、等々の特殊法人に対する国家財政からの支出総額は、現在、およそ、年額2.9兆円である。対GDP比では約0.6%にすぎない。

 このような特殊法人の幾つかを廃止・統合したり民営化したりして、来年度に約1兆円の財政支出を削減する予定のようであるが、それが実現したとしても、対GDP比で見れば0.2%の話でしかない。そのような些細なことをやってみたところで、なんにもならない。

 同様に、道路特定財源の問題にしても、現在、年額4兆円程度の道路整備特別会計のための国家財政支出のうちから若干の額を割いて一般会計の他の費目に支出することにしたところで、国家財政支出の総額を与えられたものとしたままでその配分を僅かに変えるだけのことであるから、それによって、マクロ的に目に見えるほどの影響が経済に及ぶなどということは、ほとんど考えられない。

 そもそも、需要面から見た場合、支出額が同じであれば、道路エ事への支出も、社会福祉、教育、防衛、自然環境改善、等々への支出も、経済全体への波及効果(すなわち乗数効果)は同じなのである。郵政の民営化の場合を考えてみても、同様であろう。
 もちろん、このようなことは、エコノミストにとってはごく初歩的な常識であって、大新聞やテレビなどで経済解説や論評を行っている人たちにも、よくわかっているはずのことである。

 にもかかわらず、そのようなマスコミ主流の人たちが、このような瑣末なことでしかない「特殊法人」や、道路特定財源」の見直しの問題を、まるで、それが、「日本経済再生の成否を決する大改革」であるかのごとくプレイ・アップしているのは、このうえもなく不誠実かつ非良心的であり、きわめてミス・リーディングである。


重点予算の施策も惨憺たる結果に

 竹中平歳経済財政担当相は、わが国経済の潜在的成長率を引き上げるために、「供給サイド」から生産能力を高めるための「構造改革」をやるのだと、強調してやまない。

 しかし、上述のごとく、いま、小泉政権の「構造改革政策」の最も重要なものとして注目の的となっている「特殊法人」の整理・統合や「道路特定財源」の使途変更などといった施策は、竹中氏の言う「供給サイド」からの生産能力向上といった意味を、ほとんど全く持ってはいない。わずかに、来年度の財政で、一応、「重点的に」予算をつけることになっているIT(情報技術)関連セクターの振興やベンチャー・ビジネスの創業助成を目的にした施策に、やや「供給サイド」構造改革政策らしい色合いが感じられるにすぎない。

 しかも、そのような「重点的に」予算がつけられるはずの諸施策も、実際に成果をあげうるとは、とうてい思われない。
 なぜならば、本誌8月1日号に私が掲げたシミュレーションの結果で示されていたように、小泉政権の緊縮財政によって、今後、わが国のGDPは急速に低下し、国家財政収入もきわめて大幅に減少することが不可避だからである。

 当然、企業の技術・経営革新が衰え、しかも、国家財政で「重点的に」予算措置を講じるといったことも、政府歳入の減少で、まったく不可能になってしまう。すなわち、経済の進歩が止まり、むしろ、どんどん退歩していくことになるわけである。

 竹中氏は、「需要面にも配慮する」と、一応は、言ってはいるが、同時に「・・・当面の需要だけつけても経済は持続的に発展せず、財政赤字が増えるだけだ!」とも強調して(「日経」、8月1日付)、緊縮財政という基本スタンスを変えようとはしていない。 つまり、「需要面にも配慮」といった発言はリップ・サービスでしかないのである。 

そのように、「需要サイド」からの総需要確保ということの重要性をほとんど全く否認し去って、ケインズ的内需拡大政策の本格的な発動を拒否し、緊縮財政に固執しつつ、「供給サイド」構造改革政策のみを行えば足りるとする現在の小泉政権の政策姿勢の結果するところは、上記のごとく惨憺たるものとならざるをえないのである。


「供給サイド」改革への固執は根本的な誤り

 それにしても、小泉政権は、なぜ、これほどまでに「需要サイド」を軽視して、「供給サイド」構造改革のみに固執しようとしているのであろうか?
 竹中経済財政坦当相は、現在の日本経済にはデフレ・ギャップという形での「余裕生産能力」は、事実上、存在していないと強調している(「週刊東洋経済」、8月11・18日合併号)。余っているのは老朽化して使い物にならなくなった生産能力だけだとして、竹中氏は、「・・・だから、総需要を増やしても、諸商品の生産・供給は伸びはしない!」と断定し、だからこそ、「供給サイド」構造改革が必要なのだと叫んでいる。
 もちろん、竹中氏のそのような言説は、根本的に間違っている。もしも、彼が言うように、本当にわが国においては、需要が伸びても生産能力の面での隘路に阻まれて諸種の商品の生産・供給が追いつかないのならば、必然的に巨大なインフレ・ギャップが発生・拡大してきているはずであるが、実際には、そのような兆候は皆無である。

 すなわち、わが国の経済では、現実には、膨大なデフレ・ギャップという形で超巨大な生産能力の余裕があり、隘路などはなく、需要の伸びに応じて企業はきわめて敏速・的確に諸種の商品の生産・供給を増やすことができるのである。

 市場メカニズムが立派に働き、商品需給のミス・マッチなどは、ほとんど生じてはいない。マクロ的には需給は見事に均衡している。ただ、総需要が低迷しているために、そのようなマクロ的需給均衡点(いわゆる「ケインジアン・クロス点」)も低い水準に決まらざるをえず、大幅なデフレ・ギャップ(すなわち生産能力の遊休)が発生してしまっているのである。

 諸悪の根源は「需要サイド」の総需要の低迷ということにあり、「供給サイド」には問題(すなわち隘路)はない。この明白な客観的事実を否認して、小泉氏や竹中氏は、「根本的に誤った」虚説による致策運営によって、わが国を決定的な破局に陥れようとしているのである。