『月刊日本』平成196月号

   日銀マンよ、高橋是清の偉業を貶めるな!  

                    日本経済再生政策提言フォーラム会長

                        経済学博士 丹羽春喜

 不可解きわまるネガティブな評価

 いま、本稿を226日に書きはじめている。想い起こしてみると、戦前、昭和11年のまさにこの日、日銀総裁、蔵相、首相などを歴任した名財政家高橋是清氏が、あの惨烈な226事件で難に会い、生涯を閉じたのであった。しかし、非命に倒れたとはいえ、昭和6年末から、「最後のご奉公」の覚悟で蔵相に復帰し、愛弟子の深井英五日銀総裁との名コンビによる画期的なマクロ財政・金融政策によって、大不況のどん底からわが国の経済を、ものの見事に回復・興隆させた業績は、すばらしいものがあった。わが国の防衛戦力にしても、昭和5年ごろの弱体化していた状況から見れば、高橋財政期には格段に強化され、わが国が大東亜戦争であれだけ善戦しえたのは、高橋蔵相のおかげであったと言ってもよいのである。ケインズ的なフィスカル・ポリシーの理論が、ケインズの主著『雇用、利子、貨幣の一般理論』の公刊によって体系づけられたのが、ようやく1936年(昭和11年)であったから、昭和6年の暮れから始動した高橋是清、深井英五の両氏による卓抜な財政・金融政策は、「模範的なケインズ的政策」を、ケインズ理論登場に数年も先立って実際に断行し、きわめて優れた成果をあげえたものであり、世界に誇るべき偉業であった。

 ところが、昨年、この高橋財政の成果に対して、あたかもネガティブな評価を下すかのごとき論文が、高橋、深井の両氏とのゆかりが特に深いはずの日本銀行のスタッフによって、公にされた。日本銀行金融研究所の梅田雅信企画役の執筆による「1930年代における日本のデフレ脱却の背景」(日銀金融研『金融研究』20063)という論文であった。

 この梅田論文は、精緻な計量経済学的な分析手法を用いた長文の力作であった。ところが、その結論を要約した箇所では、戦前の1932年(昭和7年)までの1年あまりの期間に、わが国の経済では、物価の下落が止まって反転上昇するなど、かなり急速に「デフレ」からの脱却をはたしえたが、それは主として金輸出再禁止(フロート制への復帰)とその他の海外要因によったものにすぎず、高橋蔵相の積極的財政政策の効果によるものではなかったと強調され、そして、それ以降の高橋財政の後半期でも、「デフレ脱却」の効果は顕著なものではなかったと述べられているのである。もちろん、このような梅田論文の論旨に対しては、多くのエコノミストたちが違和感を持つであろうし、本誌の読者諸氏もそうであろう。しかも、非常に奇妙なことは、この梅田論文では、1933年(昭和8)以降の高橋財政期の後半に、高度経済成長が物価の安定をともなった「数量景気的な」状況であったと述べているにもかかわらず、むしろ、そうであったからこそ「景気の回復がデフレ脱却につながった」という図式は妥当しないと、示唆されているのである。これでは、読む者としては、何がなんだか、さっぱりわからなくなったというのが、正直なところであろう。

 エコノミストたちにしろ、その他の一般人にしろ、物価の安定を保ちながら景気を回復させ、経済を高度成長の軌道に乗せることこそが、デフレ不況を脱却させる場合の理想的なパターンだと考えているはずである。高橋財政期では、1933年ごろからは、まさに、その理想的なパターンが実現していたというのに、梅田氏は、そのことを理由に、高橋財政は有効ではなかったと論じているのであるから、不可解しごくであるように見える。

 実は、この梅田論文を注意深く読んでみると、梅田氏が、「デフレ」という用語を、ただ単に「物価の下落」というきわめて特殊に限定された意味でのみ使用しているらしいということがわかってくる。だからこそ、高橋財政期の後半に、景気の回復と高度経済成長が実現され、しかも、物価の安定も保たれるという、きわめて好もしい政策パーフォーマンスが達成されていたにもかかわらず、梅田氏は、その時期に物価の上昇が僅かであったからというまさにその理由で、高橋財政には「デフレ」を脱却させる効果が不十分であったと述べているわけである。梅田論文の「不可解さ」の原因は、ここにあったわけである。

 

 ミス・リーディングなデフレ概念の曲解

 「デフレ」という経済用語は、かなり、意味があいまいである。しかし、従来からの最も一般的な慣行としては、「金融収縮や総需要の低下・低迷といったデフレーション過程にともなって発生した不況」という意味での「デフレ不況」を表す語として用いられてきたと言ってよいであろう。そして、筆者自身(丹羽)としては、そのような「デフレ不況」の現象が生じているような場合には、デフレ・ギャップの状況の計測・分析が必要であると考え、それを怠らないように努めてきた。

 実は、梅田氏のように、「デフレ」という用語を「物価の下落」という意味にのみ解して、物価の下落が止まってその上昇が始まることをもって「デフレ脱却」だとし、それを政策効果をも含む経済の成績(パーフォーマンス)の判断基準としているということは、きわめてミス・リーディングである。なぜならば、たとえば、わが国でも幾度か経験されたような、原油など原・燃料の輸入価格の高騰といった要因から生じるコスト・プッシュ型(コストから押し上げる型)の物価上昇は、不況下でも生じうるわけであり、そのような「スタグフレーション」の状態は、経済の状況をいっそう悪化させるものにほかならない。それを、物価が上昇したからといって、「デフレからの脱却」がなされたなどと、あたかも「良いこと」であるかのごとく判定するといったことは、大きな間違いであるからである。

 しかし、上記の梅田論文に見られるようなミス・リーディングなスタンスは、高橋財政期から七十数年も経過した現在のわが国で、むしろ、非常に広く見られるようになってきている。一昨年から昨年にかけての原油価格の高騰の結果としてわが国でも生じた一般物価の下げ止まりや企業物価の上昇は、明らかにコスト・プッシュ型の物価の動きであったと見るべきものであるが、日銀や内閣府などの政策当局者たちは、それを、わが国の経済が「デフレからの脱却」を達成しつつある「良い兆候」であるかのごとく示唆してきた。マスコミも、ほぼ全面的に、それに追随してきた。すなわち、現在のわが国では、政策当局やマスコミが、ディマンド・プル型(需要が引っ張る型)の物価上昇と、コスト・プッシュ型の物価上昇との区別を行なわなくなってしまっているらしいのである。もちろん、このことは、わが国の経済にとって、ずいぶん危険なことである。なぜならば、このことだけからでも、政府の経済政策が過誤をおかしがちとなり、マスコミもそれに気がつかないといった状況が、頻々として起こるといったことにならざるをえないからである。

 

 需給ギャップとデフレ・ギャップの混同は危険

 このように、政策担当の経済官庁やマスコミのエコノミストたちが、ディマンド・プル型とコスト・プッシュ型という二種類の物価上昇パターンを区別しなくなっているということは、とりもなおさず、彼ら(あるいは彼女ら)が、インフレ・ギャップとデフレ・ギャップの概念や特質の相違を理解することを、まったく怠ってしまっているということである。なぜならば、ディマンド・プル型の物価高騰はインフレ・ギャップが発生している場合にのみ生じうるのであり、デフレ・ギャップが発生している状態の下での物価上昇は、上記のように、コスト・プッシュのメカニズムによるものに限られているという重大なことが、看過されているからである。そして、彼ら(彼女ら)は、どうやら、マクロ経済学の最も基本的で初歩的な定理、すなわち、インフレ・ギャップとデフレ・ギャップがマクロ的に同時発生するなどということが、そもそも、ありえないことだという定理を、忘れてしまっているらしいのである。これは、きわめて憂慮すべき重大な事態であろう。

 上記の梅田論文では、「需給ギャップ」と名づけられた指標も推計されて、分析に用いられている。しかし、それは、鉱工業生産指数についてのトレンド線(平均的な趨勢線)の値と実際値とのあいだの各期におけるプラスまたはマイナスの乖離(かいり)を「需給ギャップ」と呼称しているだけであって、きわめてラフな代用指標の域を出ないものである。なぜラフであるかといえば、ちょっと考えればすぐにわかるように、ある時期において、鉱工業生産指数のトレンド線の値と実際値とが乖離していたからといって、需給が均衡していなかったとは必ずしも言えないし、逆に、その両者が一致して差が生じていなかったとしても、だからといって、必ずしも需給が均衡していたとはかぎらないからである。また、鉱工業についての需給状況を示すと仮定されているそのような指標を算定しえたとしても、それだけでは必ずしも全産業ないし経済全体におけるマクロ的な需給状況を反映しているとはかぎらないということも、言うまでもないところであろう。

 マクロ的に経済全体で諸商品の需給が均衡しているかどうかを見るには、GDP(ないしGNP )に占める在庫変動額の比率をチェックすればよい。近年のわが国においては、毎年のGDPに占める在庫変動額の比率は、きわめて微少であって、0.30.6パーセント程度でしかない。ということは、わが国の経済では、企業が需要の変動に応じてきわめて敏速・的確に諸商品を生産・供給しており、商品の売れ残りによる在庫増加や、その逆の供給不足による在庫の減少が、ともにネグリジブル(無視しうるほど僅か)でしかないということである。すなわち、近年のわが国の経済ではマクロ的に需給が均衡して「需給ギャップ」がほとんど生じていない「マクロ均衡」の状態が続いているわけである。

しかし、忘れてはならないことは、近年のわが国経済では、そのようにマクロ的に需給が均衡しているにもかかわらず、巨大なデフレ・ギャップが発生・累増し、居座っているということである。ここでは、読者諸氏の多くも学生時代に経済学の初級コースで学ばれたであろう周知の「45線モデル」の図解を用いて、そのことを平易に説明しておきたい。

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1図を見ていただきたい。近年のわが国の経済では、マクロ的に需給が均衡しているのであるから、その均衡点は(タテ軸で測った国内総支出GDEとヨコ軸で測った国内総生産GDPが等しくなるところの)45線上のたとえばQ 0点(ケインジアン・クロス点と呼ばれている)として示すことができる。それに照応しているGDPY0  である。しかし、このQ 0点は、完全雇用・完全操業の「フル・キャパシティー操業」状態での潜在GDPであるY()に対応したマクロ均衡点Q()よりは、ずっと低いところにある。この両均衡点の高さの差、すなわち、ヨコ軸のGDPで測った場合のY()Y0とのあいだの距離がデフレ・ギャップ(GDPギャップとも言う)である。言うまでもなく、このデフレ・ギャップは、マクロ的な生産能力の遊休ないし余裕であると解釈することができるわけである。

近年のわが国では、経済が、ほぼ、マクロ均衡点(ケインジアン・クロス点)に在るため、需給が均衡しており、「需給ギャップ」は無いと言ってもよい。しかし、第1図のY()Y0とのあいだの距離として示されているような「デフレ・ギャップ」は、第2図のごとく、わが国の経済では、1970年代の後半より現在まで、長期的かつ厖大に、発生・累増してきているのである(後述するように、戦前も発生していた)。

この第2図では、「完全雇用・完全操業」(企業資本設備と労働力人口を総合して97%の操業率に達することを事実上の完全雇用・完全操業と想定)の状態を想定した場合の潜在実質GDP(高)(中)(低)の3系列として、いわば幅を持たせて推計されているが、(中)の推計値系列で見てみても、2005年(平成17)の潜在実質GDP936兆円(1990年価格評価の実質値)と算定されている。同年の実質GDPの実際値は、潜在値の56分にすぎない520兆円(同じく1990年価格評価)にすぎなかった。つまり、同年のデフレ・ギャップは44パーセントにも達していたわけであり、400兆円以上もの潜在実質GDPが実現されえずに、空しく失われていたのである。

この図を眺めて目算すれば、すぐにわかるように、1980年代以降の過去四半世紀だけでも、このように累増してきたデフレ・ギャップによってわが国の経済社会から失われた潜在実質GDPの合計額は、近年の年間実質GDP額の約10倍の5000兆円にも達するのである。これは、1930年代の10年間におよんだ大不況期の米国が、やはり巨大なデフレ・ギャップの発生によって、1929年の年間GNP額の5倍ないし10倍にも相当する合計額の潜在実質GNPを失ったと推計されていることに比肩されうるほどの、大きな損失である。すなわち、日本経済は、過去四半世紀、デフレ・ギャップの発生・累増によって、想像を絶するような大惨害をこうむってきたのである。

筆者(丹羽)が本誌の本年2月号でも指摘しておいたように、実は、1990年代に入ってから現在まで、わが国の政府当局は、日本経済においてこのように巨大に発生・累増してきたデフレ・ギャップを推計・把握することを怠り、むしろ、第2図の筆者(丹羽)による計測結果が示しているような惨烈な実情――すなわち、近年では、年々、400兆円もの潜在実質GDPが実現されえずに空しく失われているといった惨状――を、隠蔽・秘匿するようなスタンスをとってきた。そして、そのこととの不可分な成り行きとして、わが国の政府当局ならびに官庁エコノミストたちは、1図に示したような経済理論的な意味での「デフレ・ギャップ」と「需給ギャップ」の区別を明確にすることも、避けてきたのである。

この2図に示されたようなデフレ・ギャップの推計方法、ならびに、その吟味や典拠資料等は、昨年春に上梓された筆者(丹羽)の著書『新正統派ケインズ政策論の基礎』(学術出版会)に詳述してある。関心のある読者諸氏は、ぜひ、それを読んでいただきたい


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〔注〕 本図作成にあたってのデフレ・ギャップの推計・計測の方法、ならびに、

    典拠した資料等については、丹羽の著書『新正統派ケインズ政策論の基礎』

    (学術出版会、平成18年刊)に詳述されている。なお、本図でのGDP概念

    は、わが国では2000年度まで公式に用いられていた 68 SNA  > 算定方式の

    ものに、統一的に準拠している。 




戦前のデフレ・ギャップ

言うまでもなく、上記の戦前1930年代の高橋財政期を分析した梅田論文で推計されている「需給ギャップ」と称されているような指標の数値では、それが、第1図のQ 0点のようなマクロ均衡点からの当時のわが国経済の短期的・偶然的な乖離の程度を示すものでもなかったし、なおさらのこと、Y()Y0とのあいだの距離という意味でのデフレ・ギャップを示すものでもなかった。梅田氏は、同氏が推計したこのようにかなり意味のあいまいな「需給ギャップ」と呼称された指標によって、昭和10年の後半以降、日本経済は需要超過の状態となり、供給余力が乏しくなったと分析している。

しかし、いまから8年ほど以前のことになるが、筆者(丹羽)は、大阪学院大学の大学院における筆者担当ゼミナールの学生との協力作業で、1図におけるY()Y0とのあいだの距離というオーソドックスな意味での「デフレ・ギャップ」の推移を、わが国の学界で初めて、戦前の日本経済についても厳密に計測することを行なってみた。その計測結果を示したのが第3図であるが、これを見てみると、昭和10年(1935)から昭和11年(1936年)にかけての時期でも、日本経済のデフレ・ギャップ(すなわちマクロ的な生産能力の余裕)は、まだかなり大きく、16 17パーセントも有ったことがわかるのである(この推計作業の詳細は、当時、同ゼミのメンバーであった中野智弘氏が平成121に同大学大学院経済学研究科に提出した修士学位論文「大正・昭和戦間期のデフレ・ギャップと高橋財政」に論述されているが、その大要は、『自由』誌、平成1610月号所収の丹羽論文でも知ることができる)。なお、注意すべきことは、この第3図では、1940年(昭和15年)でも、まだ、ギャップがかなり残っていたように見えるが、その頃になると、それは、通常の意味(総需要の不足)でのデフレ・ギャップではなかったということである。むしろ、それは、その頃から「ABCD包囲陣」によって顕在化しはじめた原・燃料輸入の困難によって、当時のわが国の産業が生産能力の稼働率を十分に引き上げることができなくなっていたことを示しているものに、ほかならなかったのである。

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〔注〕 本図の推計・作図の方法ならびに典拠資料等の概要は、『自由』誌、

   平成1610月号所収の丹羽論文に記述されている。



いいずれにせよ、もしも、このようなデフレ・ギャップ推計の方法が、戦前においても開発されていて、上記の筆者(丹羽)たちが得た第
3図のような計測結果を高橋是清蔵相も利用することができたとするならば、同蔵相は、当時すでに風雲急を告げつつあったわが国をめぐる国際情勢のただ中にあって、昭和11年度予算での軍事費の削減をあえて強行するといったことを、行なわなかったのではなかろうか。だとすれば、226事件で同蔵相が命を失うという悲劇も起こらないですんだのではないかと、思われるのである。




 

有効需要の原理は、現在も健在

戦前、高橋是清蔵相と深井英五日銀総裁の緊密な協力によって展開されたフィスカル・ポリシーの見事な成果は、有効需要政策が効果的であること、したがってケインズ的「有効需要の原理」の妥当性を、上述のごとく、ケインズ自身による理論化がなされる数年も前に、全世界に先立って、事実上、立証したものにほかならなかった。ところが、上記の梅田論文では、この重要な意義を持つことについての言及は、まったくなされてはいない。梅田氏の問題意識が、高橋財政期当時のわが国における物価動向についての要因分析を行なうということにのみ集中・限定されていたとはいえ、このような梅田氏の姿勢は、やはり、ただごとではない異常なものであるように思われるのである。

しかしながら、戦後60年以上も経った近年(および現在)において、わが国の経済政策当局ならびに官庁エコノミストたちの公式のスタンスも、ほかならぬ、この「有効需要の原理」の働きを否認し、フィスカル・ポリシーによる有効需要政策の有効性を認めることを拒否するということになってしまっているように、思われるのである。小泉内閣の経済政策の基調が、まさに、それであったことは、ほぼ、間違いのないところであった。梅田氏も、その大勢に順応したのであろう。そして、民間や学界のエコノミストたちの多くも、この大勢への追随をこととしているのが、現状であると言ってよいであろう。

「有効需要の原理」は、近年の日本経済の具体的なパターンを例にとって説明してみると、よくわかる。すなわち、近年の日本経済における年々の「自生的」(じせいてき、autonomous)な有効最終需要支出額である「民間投資支出額+貿易収支額+政府(地方自治体をも含む)支出額」の、在庫変動額をも加えたマクロ的なトータルは約200兆円(年額)であるが、それから発生する乗数効果を通じて、年々の「家計消費支出額」約300兆円(年額)が生み出され、その両者の合計として、周知のごとく、年額約500兆円(いずれも名目値ベース)のGDE(すなわち国内総支出)= GDP(国内総生産すなわち減価償却額をも含めたグロス・タームでの国民所得額)が形成されているのである。「有効需要の原理」は、このような明確なプロセスとして、常に作動・貫徹しているわけである。このように具体的に考えてみれば、「有効需要の原理」の働きを否認するなどということは、とうてい正気の沙汰とは思われない。にもかかわらず、近年(および現在)のわが国政府の政策当局は、乗数効果がきわめて微弱になってしまっているとして、上記のように、最近の日本経済では「有効需要の原理」が妥当しえなくなったとするスタンスに、固執しているわけである。

上記の簡単な実際の金額を用いた説明で明らかなように、このところ、年々、約200兆円の「自生的有効最終需要支出」から、その2倍半の約500兆円のGDPが形成されているのであるから、乗数効果の「ケインズ乗数値」は2.5前後であるはずである。これは、けっして小さな値ではない。いずれにせよ、筆者(丹羽)が本誌の2月号で指摘しておいたように、いま、政府筋のスタッフならびにそれに追随しているエコノミストやマスコミなどが想定しているような1.3以下といった小さな乗数値では、500兆円のGDPの形成は説明しえなくなるはずである。GDPの形成を説明しえないような経済分析は、失格であろう。


付表

 

 〔典拠〕 旧経済企画庁・現内閣府編集『国民経済計算年報』の各年次版、および、

    内閣府のホーム・ページに拠った。



ここで、付表を見ていただきたい。この表は、簡単な表ではあるが、きわめて重要なことを示している。すなわち、この表は、わが国の経済について、1970年より2005年までの期間をとって、その全期間をまとめて眺めてみたり、あるいは、幾つかの期間に区切って観察したりしているのであるが、その何れにおいても、トータルとしての「自生的有効最終需要支出額」の伸び率とGDPの伸び率とが、おどろくほどピッタリと一致しているのである。したがって、この表から直感的にわかることは、たとえば、3年、あるいは、5年といった期間に、トータルとしての「自生的有効最終需要支出額」が、年額で、かりに1.5倍、あるいは、2.0倍に伸ばされたとすれば、 GDPも同じく1.5倍、あるいは、2.0倍前後に伸びることが確実だということである。

つまり、現在のわが国の経済においては、トータルとしての「自生的有効最終需要支出額」の年々の額を増やしていきさえすれば、それと比例的にGDPをもきわめて確実に増やしていくことができるということなのである。しかも、「自生的有効最終需要支出額」の中では「政府支出額」が大きなシェアを占めているのであるから、政府は、この「政府支出額」を適宜に増減させることによって、トータルとしての「自生的有効最終需要支出額」をコントロールすることができるわけである。したがって、政府はGDPの成長をもコントロールすることができるはずなのである。しかも、デフレ・ギャップという生産能力のマクロ的余裕が巨大で、インフレ・ギャップ発生の怖れが現実的には皆無である現在の日本経済においては、後述するように、政府は「国(政府)の貨幣発行特権」という「打ち出の小槌」財源をタブー視する必要が無く、国民の負担もまったく無いやり方で、それをいくらでも活用しうるのであるから、なおさらのことである。にもかかわらず、上記で指摘したように、過去四半世紀の期間に、わが国の経済から合計5000兆円もの潜在実質GDPを空しく失わせてしまったということは、わが国の政策当局の弁解の余地の無い大失態なのである。

要するに、現在の日本経済においては、「有効需要の原理」は、きわめて確実に作動し貫徹しているのである。筆者(丹羽)は、このことを、経済理論的にも、計量経済学的にも、厳密に吟味・確認する作業を行なったのであるが、そのようなアカデミックな研究・分析によって得られた結論も、ここに掲げたこの簡単な付表から上記のごとく直感的に読み取ることができることを、疑念の余地無く裏書きするものにほかならなかった(上掲、丹羽著新正統派ケインズ政策論の基礎』を参照)。すなわち、「有効需要の原理」の妥当性を否認するという当世風のスタンスは、まったく間違っているのである。

 

葬り去られつつあるサイエンス、マクロ経済学

  ━━重要国策の遂行も不可能に━━

以上、本稿で指摘してきたような、過去四半世紀(とくに1990年代以降)における、わが国の政策当局とそれに追従する官庁・業界・学界のエコノミストたちやマスコミなどに通有の、合理性をいちじるしく欠如した混迷の極致ともいうべき経済思考パターンの数々は、要するに、ケインズ的なマクロ経済学の諸定理を、すべて否認・忘却しようとしているということである。ここで、一応、「ケインズ的な」マクロ経済学と記したが、本当は、そのような限定の句を付ける必要もないのである。なぜならば、それは、現代のマクロ経済学そのものの核心を構成しているきわめて広い汎用性を持った疑念の余地の無い真理を体現している理論体系であり、複式簿記の原理で国民所得勘定(GDP勘定)の作成を行なっている社会会計学も、基本的には、このマクロ経済学の理論体系から導き出されているからである。ということは、本稿でも第1図で示したような「45線モデル」を導き出す土台となっているマクロ均衡の方程式などを中心とするマクロ経済学の理論体系それ自体と、それに基づく財政政策・金融政策の政策理論体系が、現在のわが国では、ほとんど全面的に否定され、忘れ去られてしまおうとしているということなのである。すなわち、国家政策の立案・実施のためにも必須であるはずの、れっきとした一個のサイエンスが、全面的に葬り去られようとしているのであるから、信じがたいような一大事である。本誌の読者諸氏は、「まさか!…‥」と思われるかもしれないが、これが実情なのである。

20世紀に生きた知識人の大多数が認識していたように、冷戦時代に、自由世界の基礎である私有制に基づく市場経済体制を守りぬくうえでの最強の戦力は、ケインズ主義のパラダイムであった。冷戦とは、経済思想の闘いの局面では、マルクス対ケインズの対決であったのである。ところが、米国の思想界から発信されてきた「新古典派」経済学のイデオロギーを信奉する勢力は、1970年代の後半以降になると、この世より「ケインズ主義的な」マクロ経済学とそれによる政策論のすべてを根絶しようとしているかのごとき、強烈きわまりない「反ケインズ主義」の政治的思想攻勢を、グローバルに展開してきた。近年のわが国政府の経済政策スタンスも、そのような「新古典派」イデオロギーの支配的影響を受けたものであった。とくに小泉政権では、それが顕著であった。上述のごとき、わが国の政策当局者やエコノミストたちの混迷状況も、これに由来していると見なければならない。

しかし、筆者(丹羽)が、本誌の昨年11月号と12月号で平易に解説しておいたように、実は、米国流の「新古典派」経済理論なるものは、はなはだしく非現実的な仮定や欺瞞的な理論的トリックなどによって無理やりに構築された、きわめてニヒリスティックかつ無政府主義的な、まさに文明破壊的とも言うべき危険思想なのである。われわれ日本国民として、困惑せざるをえないことは、わが政府の経済政策スタンスが、そのような「新古典派」の「反ケインズ主義」イデオロギーの支配下にあるようでは、わが国の、破綻の危機にひんしている政府財政を再建し、経済を低迷状態より脱却させて力強い興隆軌道に乗せ、自然環境の改善や社会保障の充実を推進するとともに、なによりも、防衛力の整備・拡充を断行して、他国からの侵略やあなどりを受けることのないようにするといった重要国策の遂行が、ほとんど不可能になるということである。なぜならば、このような重要国策の効果的な遂行のためには、何にもまして、経済政策当局によるマクロ経済理論の確固とした再確認と、それに基づいた大規模かつダイナミックなケインズ的政策の立案・実施ということが、必須であるからである。

言うまでもなく、そのような重要国策を遂行するにあたっては、わが国における物資やサービスのマクロ的な生産能力の余裕の有無や、その余裕の規模などを確認することが、まず必要である。すなわち、本稿の第2図として筆者自身(丹羽)の計測結果を示したようなデフレ・ギャップやインフレ・ギャップの正確で信頼度の高い測定が、常に、システマティックに行なわれて、それが政策立案に広く有効利用される必要がある。であるから、現在のように、わが政府当局がそれを怠り、むしろ、デフレ・ギャップの発生・累増の実情が政府によって隠蔽・秘匿されているような状況であって、わずかに、筆者(丹羽)のみがそのような計測作業を小規模に行なっているようなことでは、まことに心細い。政府が、いましばらくは、そのような無責任なスタンスを改めないというのであれば、それに代って、民間の有力な研究機関が、これに取り組むべく奮起していただきたいものである。

上記のような重要国策を推進するためには、相当に大規模な財政政策の実施が必要となるであろうが、第2図に示されたような厖大なデフレ・ギャップという形の巨大なマクロ的生産能力の余裕が存在しており、しかも、他方で、政府負債の膨大化によって政府財政が破綻状況にある現状では、そのような財政政策のためのマネタリーな財源調達手段としては、国債発行や増税に頼るべきではない。高橋是清蔵相と深井英五日銀総裁が行なったような新規発行国債の日銀直接引き受けといった方策よりも、さらに一歩を進めて、いまこそ、タブー観念から脱却して、わが国の現行法でも認められている「国(政府)の貨幣発行特権」(seigniorage、セイニャーリッジ権限)という政府の負担にも国民の負担にもならない「打ち出の小槌」財源を、なんらかの形で大規模に活用するべきである。

今日では、経済社会における取引の大部分は多角的な電子決済で行なわれているのであるから、財政政策がこの「打ち出の小槌」財源によって実施されるからといって、「紙幣を刷りまくる」必要などはない。エコノミストたちにはよく知られているように、現金通貨流通量は、GDPの増加額に「マーシャルのk」(マクロ・ベースの現金通貨流通速度の逆数)という0.08  0.16程度の係数を乗じた額で増えるだけのことである。この「マーシャルのk」の値それ自体も、金融政策によって、ある程度は調節しうるのである。このような「打ち出の小槌」財源を活用する政策案を、筆者(丹羽)は、繰り返し提言してきたが、本誌の昨年10月号でも、「600兆円政策案マニフェスト」として平易・簡潔に提案しておいた。

 

想起せよ、歴史の痛切な教訓を

ここで、いま一度、戦前のことを想起してみたい。わが国は、1937年(昭和12年)を期してワシントン軍縮条約の継続拒否・廃棄を行なうことを決断し、同条約の規定に基づいて1934年(昭和9年)の12月に米英等にそれを事前通告した。さらに、高橋是清蔵相が難にあった年である1936年(昭和11年)の1月には、ロンドン軍縮条約からの脱退をも同様に事前通告した。これによって、1937年(昭和12年)からは、いわゆる「無条約時代」の幕開けとなったわけであるが、わが国は、こうすることによって、両条約で6割という劣勢比率に抑え込まれていたわが海軍力の対米比率を、7割ないし8割程度にまでは高めうることが可能になるであろうと、期待したわけである。

ところが、米国は、「待ってました!」とばかりに、第1次、第2次、第3次ヴィンソン案、さらには、スターク案といった想像を絶して厖大な海軍軍備の大拡張計画を急速に実施しはじめ、わが国にとっては、深刻な危機的事態の到来となってしまったのである。

米国では、1930年代の半ばも過ぎた当時になると、すでに、ケインズ理論が多くの政策担当者たちにも、よく理解されるようになってきており、それにともなって、デフレ・ギャップの推計・計測も、かなり行なわれはじめていた(上述のごとく、わが国では、高橋是清蔵相が非命に倒れた後の1930年代の末ないし1940年代前半においても、まだ、デフレ・ギャップの概念やそれを推計・計測する手法などは、知られていなかった)。すなわち、米国政府が、「無条約時代」を迎えて、そのような超厖大な軍拡計画の策定・実施に踏み切ることができたのは、当時の米国経済におけるマクロ的な生産能力の余裕であるデフレ・ギャップがきわめて巨大であったということを、米国の当時の政策担当者たちがよく知っていたという事情に、大きく助けられていたのである。しがって、そのようなケインズ経済学の理論やデフレ・ギャップのコンセプトについての知識を、まだ、米国政府当局も持っていなかった1920年代や30年代当初の頃に軍縮条約の破棄が行なわれていたとすれば、米国といえども、あれほどまでに厖大な軍拡案を策定することは、できなかったにちがいない。この意味で、わが国によるワシントン、ロンドン両軍縮条約の破棄通告にともなう「無条約時代」の開始が、まさにケインズ的政策の開花期が始まった1937(昭和12)と一致してしまったことは、わが国にとって、まことに悪いタイミングであった。

戦後の1980年代の米国でも、「反ケインズ主義者」であったはずのレーガン大統領が、ボルカー連銀議長に足をとられながらも、実際には、事実上のケインズ的大型積極財政の断行による軍事力の強化に邁進し、軍拡競争でソ連を圧倒して、冷戦の勝利を導いている。

このような歴史的事実にてらしてみても、今日、中国の異常に急速・大規模な軍備拡張や北朝鮮の核武装化などに直面して、わが国の防衛力の整備・強化や国力の振興が喫緊の肝要事となりつつある情勢を想うとき、筆者(丹羽)は、わが経済政策当局者たちの(官庁エコノミストたちの)、上述のごとき「反ケインズ主義」の知的混迷状態からの覚醒こそが、救国のための一刻を争う必須の急務であると、強調せざるをえないしだいである。

 

日本経済10%成長論