松方財政の惨害に想う

松方財政は、19世紀後半のグローバリゼーションのフィーバーに追随しただけ、ではなかったのか?



『カレント』誌、平成17月号所収

日本経済再生政策提言フォーラム会長

経済学博士 丹羽春喜


 

円高での「銀本位制」導入の犠牲は甚大

もともと、松方デフレは、本誌『カレント』3月号の本稿でも述べたように、「遅れてきたデフレ政策」であり、まったく不必要なものであった。また、「銀本位制」を採用・実施するにしても、あのように激烈な政策不況の圧力で「銀紙比率」を極度の「円高」を意味する1.0にまで引き下げようと努めたなどということは、不合理きわまる政策運営であった。つまり「平価切り下げ」さえやれば、そんな政策不況などやらなくても、「銀本位制」の導入は、簡単かつスムーズに、そして、貿易収支の赤字傾向が長く残るといったこともなしに、実現しえたはずなのである。


 事実、その後、明治三十年の「金本位制」実施のさいには、「平価切り下げ」が行なわれたのである。このときに定められたのが、2円=1米ドル のレートであった。しかし、この明治三十年の「平価切り下げ」で定められたレートでさえもが、昭和五年に浜口内閣の井上蔵相が断行した「金解禁」(金本位制への復帰)のさいには「円高」に過ぎ、同蔵相が実施したデフレ政策による不況をいやがうえにも激化させる要因になったことは、周知のところであろう。


  また、本誌『カレント』4月号でも指摘したように、松方蔵相の強行したそのような円高レートでの無理な「銀本位制」採用が、その後長く、わが国経済において、貿易収支赤字とそれにともなう「対外決済可能通貨」(金貨、銀貨、米ドル、英ポンドなどの、いわゆる「正貨」)の慢性的な不足といった結果をもたらし、そのことが、日清、日露の両戦役を戦ううえで、また、そのための戦備を整えるうえでも、わが国にとっての厳しい制約となったのである。日清戦争にさいして、わが国が、清国の鎮遠、定遠の両巨艦(ともにドイツで建造)に対抗しうるような主力艦(当時のわが国には自力建造能力が無く、欧米先進国に建造を依頼し、輸入するほかなかった)を持ち得ないままの不利な状況で戦端を開かざるをえなかったのは、まさに、このような事情からであった。ただ、その日清戦争に勝利しえて、清国から「対外決済可能通貨」 だて(・・)の賠償金を得ることができたので、それを用いてわが国は英国などから戦艦や装甲巡洋艦を輸入することが可能になり、対ロシア戦備を辛うじて整えることができただけであった。

 


「国の貨幣発行特権」の発動こそ救国の切り札だ


 「銀本位制」や「金本位制」を採用・実施し、兌換性をもった日銀券を発行して、それを主要な通貨としてしまったということは、「太政官札」のような不換政府紙幣の発行を行なうことが、制度的・慣行的にいちじるしく困難になったということを意味している。しかし、根本的に反省してみると、とくに国家の危急存亡のときなどには、国家の基本権としての「国(政府)の貨幣発行特権」(seigniorageセイニアーリッジ権限)を発動して、不換政府紙幣の発行による巨額の造幣益を政府が取得し、それを活用して危機を打開しうるというオプションが常に利用可能であるということのほうが、むしろ国益にかなっており、望ましいことであるはずである。


  古今の史実にてらしてみると、「政府貨幣」としての「不換政府紙幣」の発行による造幣益の取得ということが、国家が危機的な事態に直面したときの救国の秘策となったケースが、非常に多いことがわかる。 わが国の明治維新のさいの「太政官札」や「民部省札」の発行は、その典型例であった。北米合衆国は、「グリーン・バック紙幣」と呼ばれた「不換政府紙幣」の発行によって南北戦争の戦費をまかない、国家の分裂解体の危機を乗り切ることができた。「グリーン・バック紙幣」の発行がなされなかったとしたら、今日の強大な合衆国はありえなかったであろう。英国は「カレンシー・ノート」と称する「不換府紙幣」発行の造幣益によって巨額の戦費支出を行なうことが可能になり、第一次大戦を戦い抜くことができた。


 歴史家たちのあいだでは評判が悪いことで有名な大革命時のフランスの「アシニア紙幣」(同じく「不換政府紙幣」であった)にしても、ルイ16世の時期の破綻しきった国家財政を引き継いで絶望的な財政困窮に直面していたフランス革命政府が、この「アシニア紙幣」発行を決断したことによって、巨額の財政収入を確保しえて、突貫作業的な急速建軍にも成功し、四方からフランス国内に侵入してきた外国の干渉軍を撃退することができたのである。そればかりか、その後、間もなく、ナポレオンに率いられたフランス大陸軍による連戦連勝の外征さえ開始することができるようになったのである。そして、フランス大革命の数十年前には、わが国の徳川幕府が、大判・小判の改鋳による多額の造幣益を得て財政危機からまぬがれている。


 私が、十年も前から、わが国の国家財政の破綻と経済の衰退という危機的な事態を打開するための「決め手」として、「国(政府)の貨幣発行特権」の直接的または間接的な大規模発動による政府財政財源の確保ということを提言してきたのは、このような省察を踏まえてのことであったのである。


 要するに、古今東西を通じて、国家存亡の危機にさいしては、「国(政府)の貨幣発行特権」の大規模な発動がなされて、それに基づいた「政府貨幣」としての「不換政府紙幣」の発行による造幣益の利用ということが、きわめて有効な危機突破のための「決め手」となってきたわけである。それは、けっして「禁じ手」ではないのである。この点を考えると、これほどにも重要なオプションを棄ててまで、松方蔵相が「銀本位制」「金本位制」の採用・実施に踏み切ったことが、はたして良いことであったのかという、重大な疑念が浮かびあがってこざるをえないのである。



 

無考えに「銀本位制、金本位制」を礼賛するな


 私は、これまで、マスコミのはやしたててきたようなグローバリゼーション・フィーバーに対しは、かなり批判的な態度で一貫してきた。私だけではなく、最近では、わが国の論壇では、過去四半世紀のマスコミを支配してきたような軽佻浮薄なグローバリゼーション礼賛主義に対しては、むしろ、醒めた目で見るといった論調が主流となってきているようである。

 だとすれば、十九世紀後半におけるグローバリゼーション・フィーバーの主要形態であった「銀本位制」「金本位制」採用の流行にたいしても、現在のわが国の論壇は、批判的な吟味を怠ってはならないであろう。そのことに想いいたらずに、ただ、ひたすらに、「銀本位制、金本位制、万歳! 松方蔵相、万歳!」と叫んでいるようなことであってはなるまい。


以上















丹羽春喜日本経済10%成長論