学士会会報2005ーV No. 852 (2005年5-6月号)寄稿論文

グローバリゼーション、超長期景気循環、社会経済調整

(株)三極経済研究所・代表取締役
齋藤 進 


グローバリゼーション(Globalization)という言葉が、経済の世界で頻繁に使われるようになったのは一九八〇年代のことでした。この言葉は、経済用語としては、必ずしも明確に定義されているわけではありません。一般的には、国際的な貿易、資本移動、人の移動、知識・技術の移動などの拡大を通じて、世界の各地域の(国民)経済が、様々な次元で結合度が高まり、一体化される過程と理解されています。
 本誌への寄稿の機会に、このグローバリゼーションの過程を、世界経済全般の超長期景気循環と関連させて考えてみたいと思います。
 特に、二〇〇五年(平成一七年)二月以降に話題になったように、日本の新興企業が外資金融機関からの資金調達で、日本のメディア企業を買収しようとしたような動きを如何に理解すべきかを考える上での一助になればと思います。


産業革命の外延的拡大と超長期景気循環

 産業革命は、一八世紀後半にイギリスで始まり、順次に欧州大陸、米国、日本などに外延的に拡大して来ました。日本及び日本統治下にあった台湾・朝鮮半島の場合には飛び地的に、明治維新を経て一九世紀後半から二〇世紀初頭には産業革命が開始されたと言えます。しかし、その他の東アジア・東南アジア全般で産業革命が開始されたのは、ようやく過去半世紀余りの時期と言えましょう。それも、貿易・資本移動を通じて世界経済に本格的に組み入れられ始めたのは、最近四半世紀のことに過ぎないと言えます。換言すれば、イギリスで開始された産業革命の波は、二〇〇年余りの時間を掛けて漸く地球を一周したと言えます。

 イギリスで開始した産業革命の波が世界に外延的に拡大して行く過程で、世界経済は単純に右肩上がりに成長して来たわけではありません。
 経済が成長して行く過程では、成長の速度(経済成長率)は上昇・下降を繰り返して来ました。経済成長率が、下降期にはマイナス、すなわち経済活動の絶対的規模が縮小する時期もありました。この経済成長率の上下振幅が景気循環です。

 景気循環の代表的なものとしては、周期が三年から四年の短期の在庫循環、周期が八年から一〇年の中期の設備投資循環、そして、周期が五〇年から六〇年の超長期循環(コンドラチェフ循環)の存在が指摘されて来ました。

 超長期循環は、ロシア人経済学者ニコライ・D・コンドラチェフが一九二〇年代の論文で、一八世紀末から一九世紀、二〇世紀初頭までの欧州各国や米国などの長期の物価、金利、賃金、外国貿易などの経済活動全般の変動の分析に基づいて、その存在を指摘したものでした。「発見者」に因んで、コンドラチェフ循環とも呼ばれて来ました。フランス革命直前から第一次世界大戦終結直後の長期に、二周期半の超長期循環が存在し、一九二〇年以降は第三超長期循環の下降期に入ったとするものでした。
 在庫循環や設備投資循環は、周期が比較的に短いことから観察例も多く、それらの規則性に閑しては余り異論がありません。


物価水準そのものの超長期循環はなかった

 しかし、わずか二周期半の超長期循環を指摘しただけで、将来にわたっても、同じ規則性をもった同じような周期の循環があり得るのか?
 もし、そのような超長期循環があり得るとしたら、その本質は何なのか?
 以上のような疑問点から、超長期循環の存在自体に大きな疑問符がついていたのは事実です。

 特に、コンドラチェフが観察した時期は、金本位制が国際的には主体で(第一次世界大戦期を除き)、物価は、その水準自体が長期の上下変動を繰り返していましたが、周期を経て見れば、ほぼ同じ水準に収束していたという意味で、超長期には非常に安定していました。貨幣供給量が金の存在量に縛られ、金の供給量の成長率が経済成長率にほぼ見合っていたので、結果的に物価水準が超長期的には安定していたとも言えます。

 しかし、一九三〇年代に欧米各国、さらに日本などで金本位制が放棄され、管理通貨制度、ありていに言えば紙幣本位制に移行し、貨幣供給量が金の供給量の増大量に縛られずに、中央銀行の裁量で自由に増大されるようになると、物価水準は長期継続的に上昇し始めました。

 こうなると、物価水準そのものの超長期循環は消滅してしまいました。しかも、第二次世界大戦後は、財政金融政策の機動的な発動で、短期・中期の景気循環の振幅もある程度は小さくなるように制御できるという考えが主体になりましたから、超長期の景気循環の存在など全く問題にされなくなっていたというのが、学界の実態でした。


物価変動率(インフレ率)と金利の超長期循環はあった

 しかし、物価水準という変数の第一次微分の関数である物価変動率(インフレ率)は、以前と同じように超長期の循環を繰り返し、それに連動する形で金利も超長期の変動を繰り返して来たというのが、一九三〇年代以降の世界経済全般に観察されて来たことです。通貨制度の変更によっても、物価変動率と金利の超長期循環までは消し去ることが出来なかったというのが、超長期のデータ観察上の事実と言えましょう。
 
二〇世紀を通じて世界経済の中核国であった米国経済の金利で見ると、下降期は一九二〇年代初めから一九五四年まで、同年から始まった上昇期は一九八一年まで続きました。一九八一年以降から堤在までは、依然として超長期の下降期にあると言えます。

 現実に、物価変動率は、一九七〇年代に世界的にピークを迎え、一九八〇年代に入って下降期に入りました。
 そして、最近の四半世紀には、超長期循環の下降期の前半に特徴的な経済現象が、世界経済の中核地域、すなわち日本、米国、欧州で順次起きて来たと言えます。すなわち、物価変動率、経済成長率の長期的な低下傾向、株価や不動産価格などの資産価格の高騰(資産価格バブルの形成)と崩壊(株価・不動産価格の大暴落)などです。日本の場合には、この超長期循環の周期が七年から一〇年ほど先行していると見ると分かり易いでしょう。

 超長期循環の下降期の後半には、物価変動率、経済成長率の一層の低下、すなわち長期の経済低迷が続くのが最近二世紀あまりのパターンですが、それに如何に対処するかが日米欧三極の経済が抱える課題と言えましょう。


世界経済の中核地域で超長期の循環が存在した理由

 では、世界経済の中核地域でなぜこのような超長期の循環が観察されて来たのか?
 筆者は、その「本質」は、中核地域での資本蓄積の進行と、資本収益率を何とか高めに維持したいという資本主義市場経済本来のメカニズムにあると見ています。

 超長期循環の上昇期には、中核地域では名目・実質経済成長率も高く資本畜積も高率で進展します。しかし、資本蓄積の規模は、国内総生産などで表される経済活動全体の規模に比べて次第に相対的に大きくなり、資本収益率に下方圧力が掛かるようになります。

 しかも、超長期循環の上昇期には、物価変動率も上昇し、インフレが高進しないように強度な金融引き締め政策が不可避となります。そうなると、インフレ率は低下を始めますが、同時に名目経済成長率も同様な動きを見せ始めます。
 こうなると、中核地域での資本収益率もー層の下方圧力が掛かるようになります。要するに、中核地域では、資本が軽済活動の規模に比べて相対的に過剰な状況が生まれるわけです。


中核地域における資本過剰を解消する方法

 中核地域で相対的に資本過剰の状態を解消する方法は、基本的には二つほどしかありません。公共部門で過剰資本を吸い上げる、すなわち政府部門支出(政府消費・公共投資)を政策的に増やすか、中核地域から資本が不足して高い資本収益率が見込まれる地域への資本輸出を増大させるかです。それでも中核地域で余った資本は資産投機に向かい、資産価格バブルの発生となるわけです。

 世界経済の中核地域から周辺地域(資本不足地域・新興地域)へ資本輸出が急増する動きは、過去二世紀余りの超長期循環の下降期には共通して見られた現象です。
一九世紀前半の第一次コンドラチェフ循環の下降期には、当時の中核地域のイギリスから欧州大陸へ、一九世紀後半の第二次コンドラチェフ循環の下降期にはイギリスや欧州大陸諸国から米国やアジア・アフリカ地域へというわけです。この過程で、アジア・アフリカ地域は、欧米の植民地・資本投下地域として従属的な地位に組み込まれてしまったわけです。


貿易自由化・資本市場自由化要請の理由

中核国から資本輸出が円滑に進行するためには、中核地域諸国は、資本受け入れ地域に対して貿易自由化・資本市場自由化(地域をまたいだ資本の出入りの自由化)を迫ることになります。
 この過程で、中核地域から見れば、世界経済の一体化が進むことになりますが、資本や貿易の自由化を迫られた地域の観点からは、従前の経済活動・経済生活全般の変更を迫られることになります。それらの地域の政治的・軍事的な対抗力が大きければ、受け入れ地域が社会的な混乱を起こさないで済むスピードでの経済社会制度の変更(改革・手直し)が可能です。

しかし、産業革命を経て、経済的にも先進的であることは、軍事的にも圧倒的に優勢であったことを意味しましたから、アジア・アフリカ地域の大半は、欧米の直接・間接の軍事・経済的な支配下に置かれてしまったわけです。しかし、この過程で産業革命が中核地域から外延的に拡大し、世界経済の一体化が進行したのも冷徹な歴史的事実です。


超長期循環の下降期は資本輸出圧力が生まれる

 本稿の冒頭に述べましたように、グローバリゼーション(Globalization)という言葉が、経済の世界で頻繁に使われるようになったのが一九八〇年代のことであったのは偶然ではありません。世界経済の中核地域が超長期循環の下降期に入り、資本収益率を高めに維持したいという立場からは、資本輸出を円滑に進めたいという圧力が高まる時期に符号していたからです。
 世界経済の中核地域が周辺地域に対して、国際金融資本市場の自由化、自由貿易の一層の促進などを迫ることになるわけです。

 資本輸出や貿易の一層の自由化を受け入れる周辺地域にとっては、このような先進地域からの圧力は諸刃の剣となります。先進地域からの資本や、それに伴う先進技術の輸入は、経済成長を飛躍的に高め、新たな経済的な受益集団を生むことになりますが、このようにして生まれた経済的な新興勢力との競争に敗れて淘汰される社会集団も大量に出て来るという、両面の社会経済現象が同時に進展するからです。無機質な表現では、資本輸出や貿易自由化を受け入れる地域では、大きな社会経済調整を迫られるということになります。


資本・貿易の自由化は第一義的には自己都合

 資本輸出の誘因が大きい先進地域が、国際金融資本市場や国際貿易の一層の自由化を、あたかも世界経済全般のあるべき「普遍的」な原理原則のように言い立てるのは、必ずしも自明のことではないのは、それを受け入れつつある世界経済の周辺地域の立場からは当然のこととなります。先進地域が資本・貿易の自由化を言い立てるのは、第一義的には自己の都合で、資本収益率を高めに維持したいという誘引があるからです。受け入れ地域も自己の都合で、社会経済的な安定を保持しようとすれば、資本・貿易自由化に対して、ある程度の制度的な制限措置も必要だというのも同様に合理的な判断だと言えるからです。

 歴史的に見ても、一九世紀後半に新興経済国として飛躍的に成長した米国やドイツは輸入制限的な高関税を採用し、二〇世紀後半期前半に世界的に前例のない高度成長を達成した日本は貿易・資本輪入の両面において、制限的な措置を保持していました。ある意味では、揺籃期の新興国内産業を保護育成する政策で経済的先進地域になれたとも言えます。これらの地域も先進地域に脱皮すると、貿易・資本の両面にわたっての自由化を主張する立場に変わります。あくまでも、それぞれの主張は他者との利害バランスに配慮しながらも自己都合が優先していたということです。


資本・貿易の自由化は先進各地域間の水平移動を加速させる

 注意しなければならないのは、資本・貿易の自由化の進展は、世界経済の先進地域と周辺地域の関係に影響するばかりでなく、先進各地域間の水平な資本・貿易の流れを一段と増大させる側面です。現実の世界経済においては、資本・貿易の流れは、先進地域間の水平的移動の方が、大きいというのが実情です。それは、日米欧(欧州連合)の三極経済だけで、世界経済の七〇%以上の国内総生産(GDP)を依然として生み出していることに如実に表れています。

 先進地域と言っても、全ての産業において同質化しているわけではなく、それぞれの先進地域の同一の産業部門においても、技術革新の進展の程度などにより資本収益率が大きく乖離している場合が多いのが現実です。当然の結果として、先進地域間の同一の産業間でも、資本収益率が低い地域には技術革新の導入によって資本収益率を高める投資機会が存在することになります。

 そのような投資機会に、外国企業が直接に参入しようとする場合もありますし、当該地域の新興経済勢力が外国資本を導入して参入しようとする場合もあるわけです。本稿の冒頭に述べた日本の新興企業が外資金融機関からの資金調達で、日本のメディア企業を買収しようとしたケースは、後者に当たります。

 このような資本収益率の乖離は、規制産業で多く見られるのも事実です。しかし、産業規制が一概にに「悪」と言えるわけではないのは当然のことです。それぞれの地域の長期的な社会経済的安定への配慮から、規制も一定の条件の下では容認せざるを得ないケースが多々あるからです。


社会経済制度の運用は、他者とのバランスが必要

このように、グローバリゼーション、世界経済の一体化の進展と言っても、その受容の仕方が世界経済の各地域の歴史的・社会的・制度的な経緯の違いにより、多様になるのは当然のことになります。従って、世界経済の各地域は、自己の地域の社会経済の安定に配慮をがら制度面の漸進的な変更を図る方が、世界経済・世界政治秩序の総合的な安定を図ろうとの立場からは、むしろ健全であるとの観点もでてきます。

 ただし、自己の地域の社会経済的安定を図ると言っても、全く自給自足的な経済が成立している地域は稀になっているのが世界の現実ですから、法体系の解釈などの社会経済制度の運用にあたっては、あくまでも他者との総合的なバランスに配慮する、高度な政治的判断が求められるのは当然のことです。

以上











丹羽春喜 日本経済10%成長論