| 平成18年7月25日 | ||||||||
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| 一歩踏み出す会 | ||||||||
| 幹事長 藤本龍夫 | ||||||||
| 日経新聞メモ貼り付け事件について | ||||||||
| 結論:「私」とは、徳川元侍従長である | ||||||||
「だから、私はあれ以来参拝していない」といった「私」とは徳川侍従長である( 昭和天皇ではない)。 この「私」は63.4.28日に記者会見を開いた「私」である。従って、昭和天皇が63.4.25日に記者会見を開いた事実はあるものの、63.4.28日に記者会見をしていないことから、「私」は昭和天皇ではない。 これで結論が出たわけだが、次に問題となるのは、「私」とは、誰かという点である。昭和天皇でなかったのであるから、それで、目的は達成されたと考えるが、週刊誌的には、私がだれかが気に掛かるところだろう。 そこで、推論を述べると。 徳川侍従長は4月12日に勇退記者会見を開いたが、4月22日の奥野発言があって、従来より、A級戦犯合祀反対を主張していた徳川「元」侍従長、現参与への取材が殺到した。 そのため63.4.28に、勇退後の、徳川「元」侍従長が記者会見を開き、そのときのメモを冨田宮内庁長官が残していたものであろう。 63.4.28には、冨田宮内庁長官も記者会見を開き、63.4.25日の昭和天皇記者会見の説明、徳川「元」侍従長の記者会見内容との整合性を求めて、メモを残したと思われる。 徳川元侍従長が63.4.28日に記者会見を開いたという記者の証言が得られたときに、この「私」が徳川侍従長であると確認できる。その他、宮内庁が徳川「元」侍従長の63.4.28の記者会見記録を発表してくれれば、明らかになるだろう。 |
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| 証拠画像 | ||||||||
筑紫哲也NEWS23映像より採取した写真NO1〜NO3、その他テレビ画像 冨田メモ画像NO1:2006.7.20筑紫哲也NEWS23映像より採取した画像 冨田メモ画像NO2:2006.7.20筑紫哲也NEWS23映像より採取したコントラストを強くした画像 冨田メモ画像NO3:2006.7.20筑紫哲也NEWS23映像より反転、コントラスト強の画像 冨田メモ画像NO4:2006.7.20テレビ映像より採取した画像の反転画像 |
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| 報道されなかった部分(画像NO3の左側部分) |
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| 報道されなかった部分(画像NO3の左側部分)を良く読むと、次のような記載があった。 63.4.28 A ☆Pressとの会見 @ 昨年は @ 高松薨去間もないときで 心も重かった Aメモで返答したのでつく していたと思う B 4.29に吐瀉したが その前で やはり体調が充分でなかった それで長官に今年はの記者の 印象があったのであろう =(2)については記者も申して おりました A 戦争の感想を問われ 嫌な気持を表現したが それは後で云いたい そして戦後国民が努力して 平和の確立につとめてくれた ことを云いたかった "嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長 の靖国発言中国への言及にひっかけて 云った積りである |
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| 報道された部分 (画像NO1の真ん中部分) | ||||||||
| 報道された部分 (画像NO1の真ん中部分) 4.28 C 前にあったね どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあったか 藤尾(文相)の発言. =奧野は藤尾と違うと思うが バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも. 私は 或る時に.A級が 合祀され その上松岡.白取 までもが、 筑波は慎重に対処して くれたと聞いたが 〇 松平の子の今の宮司がどう考 余そ えたのか 易々と り う 松平は平和に強い考が 閣で あったと思うのに 親の心子知 僚す らずと思っている も が だから 私あれ以来参拝 知. していない.それが私の心だ ら 多 す い ・ 関連質問 関係者もおり批判になるの意 |
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| メモを貼り付けた者は誰か | ||||||||
| 事実の確定 | ||||||||
この冨田メモは、手帳に貼り付けられていた。 開かれた手帳に使われたインクと紙は、記載したときから18年を経過することによって経年劣化を起こしていた。冨田メモ画像NO1の左側参照 手帳に貼り付けられたメモは、18年の歳月を経過したのに、昨日記載したように、インクと紙が綺麗であった。 これは、冨田氏の筆跡をまねて偽造したか、あるいは冨田氏が18年前に記載して、空気に触れないファイルなどに挟み込んでいた徳川侍従長の記者会見メモを、誰かが貼り付けたかのどちらかである。 冨田メモ画像NO1の右側参照 これは、糊の鑑定を科学捜査研究所に依頼すれば、どの時期であるかが分かるから、日経の記者が張りつけたか、半藤氏が貼り付けたのかが特定できるだろう。 |
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| 徳川「元」侍従長の記者会見記録 | ||||||||
徳川侍従長は、いわゆる戦犯を靖国神社に合祀することに反対であった。 徳川侍従長は、「松岡洋右さんのように軍人でもなく、死刑にもならなかった人も、合祀するのはおかしいのじゃないか」と言っていた人物である。(侍従長の遺言 昭和天皇との50年より) 徳川侍従長は、筑波宮司を評価し、松平宮司を批判していた人物である。 「A級戦犯はその十年くらい前に厚生省から「戦争による公務死亡者」として名前が靖国神社に届き、神社では昭和四十五年六月三十日の総代会で合祀する方針を一応決めたのですが、「合祀の時期は宮司に任せる」ということで、宮司の筑波藤麿さんがずっと延ばしてきていたのです。ところが宮司が筑波さんから松平永芳さんに代わって、間もなく実施に踏み切られることになった。筑波さんは山階宮の系統で旧皇族の方でしたが、松平さんは元軍人で、自衛隊にもいた人でしたね」(侍従長の遺言 昭和天皇との50年より) 報道された部分に記載していた、「関連質問 関係者もおり批判になるの意」とは、昭和天皇の記者会見では、許されず、あり得ないものである。 報道された部分に記載していた、(記者会見の主が)「余り閣僚も知らず、(だ)そうですが多い」と批判的な意見を冨田氏が書き込んでいたのは、昭和天皇を批判した文章ではなく、徳川侍従長を批判したものである。 報道された部分に記載していた、「中曽根の靖国参拝もあったか(どうかもあやふやであった)」のは、回答者である徳川元侍従長の発言である。 報道されなかった部分に記載していた、「63.4.28 Pressとの会見」を行ったのは、徳川「元」侍従長、その当時は、参与であった。4月13日に半世紀以上努めた侍従長を勇退し、4月26日侍従職参与に就任した。そして、参与になって初めての登庁日が4月28日であった。 |
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| 時系列 | ||
■78年(昭和53年)5月26日:第3代宮内庁長官、冨田朝彦氏就任 ■87年(昭和62年)04月29日:昭和天皇吐瀉 ■88年(昭和63年)04月12日:徳川侍従長勇退 記者会見 ■88年04月13日:山本侍従長着任 ■88年04月22日:奥野国土庁長官記者会見 奥野国土庁長官、靖国神社参拝批判を批判 侵略者は白色人種だ 1988.04.22 東京夕刊 18頁 2社 (全485字) ■88年04月28日:徳川義寛「元」侍従長会見 4月22日、奥野発言があって、従来より、A級戦犯合祀反対を主張していた徳川「元」侍従長への取材が殺到した。 (ここに富田朝彦宮内庁長官も立ち会い、メモを取る) (04月28日付の「富田メモ(今回公開された)」とほぼ同じ内容の「記者のメモ」が存在する,とのネット上の書き込みあり。ただいま事実を確認中) ■88年04月28日:富田朝彦宮内庁長官記者会見 (徳川「元」侍従長の記者会見メモと整合性のある会見をする必要があった。ただいま事実を確認中) ■88年04月29日:天皇誕生日 ■88年(昭和63年)6月14日: 第4代宮内庁長官、藤森 昭一氏就任 |
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| 画像NO1 マスコミに発表された部分(2006.7.20筑紫哲也NEWS23より) | |
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画像NO2 マスコミに発表された部分(2006.7.20筑紫哲也NEWS23より)、コントラスト強い画像 |
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画像NO3 マスコミに発表された部分(2006.7.20筑紫哲也NEWS23より)、コントラスト強い左右反転画像 |
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63.4.28 A☆Pressとの会見 @ 昨年は @ 高松薨去間もないときで 心も重かった Aメモで返答したのでつく していたと思う B 4.29に吐瀉したが その前で やはり体調が充分でなかった それで長官に今年はの記者の 印象があったのであろう =(2)については記者も申して おりました A 戦争の感想を問われ 嫌な気持を表現したが それは後で云いたい そして戦後国民が努力して 平和の確立につとめてくれた ことを云いたかった "嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長 の靖国発言中国への言及にひっかけて 云った積りである |
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| 画像NO4 テレビ画像の反転したもの(63.4.28の日付) | |
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| 報道された部分 4.28 C 前にあったね どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあったか 藤尾(文相)の発言. =奧野は藤尾と違うと思うが バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも. 私は 或る時に.A級が 合祀され その上松岡.白取 までもが、 筑波は慎重に対処して くれたと聞いたが 〇 松平の子の今の宮司がどう考 余そ えたのか 易々と り う 松平は平和に強い考が 閣で あったと思うのに 親の心子知 僚す らずと思っている も が だから 私あれ以来参拝 知.か していない.それが私の心だ ら 多 す い ・ 関連質問 関係者もおり批判になるの意 |
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| 冨田メモ−日経は隠し続ける | |||
| 冨田メモ・アニメ−ションNOI 日経メモ貼り付け事件の掲示板 日経新聞が隠し続ける冨田メモは、このアニメーションのように撮影された。 |
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| 1 | 冨田氏は、88年と書かれた手帳を、使っていたが、その手帳に書かれていなかったのは、なぜか? |
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| 2 | そもそも、この手帳は、冨田氏のものなのかが疑問だ。 いろいろな手帳を使っているようだが、この文字の書かれた手帳は、斜線が交錯するもので、見たところ2冊しかない。 紫色の、ひもが付いている手帳に書かれている。NO41にあるこの手帳であろう。NO30−NO43 |
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| 有益HP | |||
貼り付けを朝日新聞が証明 |
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| 世紀の大誤報を示唆する映像 | |||
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| 関連資料 | |||||
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| 2006年07月25日 | 日経社員を証取法違反容疑で逮捕、社長が謝罪 | ||||
| 社員の逮捕で謝罪する日本経済新聞社の杉田亮毅社長(左)ら(東京・千代田区の本社で) 日本経済新聞社(東京都千代田区)の社員によるインサイダー取引事件で、東京地検特捜部は25日、証券取引等監視委員会の告発を受け、同社広告局金融広告部員の笹原一真容疑者(31)を証券取引法違反の容疑で逮捕した。 同社は同日付で笹原容疑者を懲戒解雇するとともに、杉田亮毅社長が会見し、「社員の罪は社長の不徳の致すところ」などと謝罪、再発防止策を講じることを明らかにした。 調べによると、笹原容疑者は昨年12月13日から今年1月20日までの間、上場企業5社が広告会社を通じて日経新聞に掲載を依頼した「法定公告」の内容を、掲載前に広告局内の共用パソコンで閲覧、同月31日までに5社の株計約9万4400株を計約2億4000万円で購入した疑い。笹原容疑者は、容疑を全面的に認めているという。 笹原容疑者が不正取引に利用した法定公告は、いずれも公表後に値上がりが予想される株式分割に関するもので、掲載後に高値で売り抜け、計約3000万円の不正な利益を得ていた。関係者によると、笹原容疑者の口座には、事件発覚直前に、計1億円以上の残高があったという。 逮捕を受け、日経新聞社は25日午後5時30分から本社で、杉田社長と専務3人が会見。杉田社長は、深々と頭を下げて謝罪した上で、「情けないの先を通り越して断腸の思い」などと述べ、社内調査結果を明らかにした。 調査結果によると、笹原容疑者が株取引を始めたのは04年3月。動機については、「証券業界の担当者として、顧客企業を知るため」と説明したという。15の証券会社に口座を開き、インターネットを使って、多い日には100回以上も売買するほどのめり込んでいた。 同社広告局では、法定公告の掲載情報などが閲覧できるIDとパスワードが部署ごとに共用され、笹原容疑者も日ごろからこのパスワードを使用していたが、ほかにも、少なくとも70人が法定公告の掲載情報にアクセス可能だったという。 同社は、情報管理体制の不備を認めた上で、IDやパスワードを定期的に変更するなどの再発防止策を講じることを明らかにした。 ◆過去に比べ悪質、規模も大◆ 今回のインサイダー取引は、過去の例に比べ、利益額や取引規模が大きく、悪質さが際立つ。 インサイダー取引は1990年以降、約40件が摘発されている。大半が、一つの銘柄を対象とした取引で、複数銘柄の取引は、02年に監視委から告発された元東京三菱銀行員らの事件など数少ない。笹原容疑者による5銘柄での不正取引は過去最多。同容疑者が得た利益は約3000万円で、個人としては、98年の日本エム・アイ・シー事件、99年のトーア・スチール事件に次ぎ、史上3番目という。 (2006年7月25日21時28分 読売新聞) |
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| 2006年07月20日 | 日経新聞メモ入手 | ||||
昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。 |
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| 2006年07月20日 | 朝日新聞 | ||||
| 昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀 昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。 天皇陛下の病状について発表する富田朝彦宮内庁長官(当時、左)=1987年9月21日、宮内庁で 昭和天皇の発言を記したメモ メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。 これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。 メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣と、合祀に踏み切った、その長男の松平永芳・靖国神社宮司について触れられたとみられる。 昭和天皇は続けて「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた、と記されている。 昭和天皇は戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後で、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかった。 靖国神社の広報課は20日、報道された内容について「コメントは差し控えたい」とだけ話した。 ◇ 《「昭和天皇独白録」の出版にたずさわった作家半藤一利さんの話》メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった。天皇の目の前で書いたものかは分からないが、だいぶ時間がたってから書いたものではないことが分かる。昭和天皇の肉声に近いものだと思う。終戦直後の肉声として「独白録」があるが、最晩年の肉声として、本当に貴重な史料だ。後から勝手に作ったものではないと思う。 個人的な悪口などを言わない昭和天皇が、かなり強く、A級戦犯合祀(ごうし)に反対の意思を表明しているのに驚いた。昭和天皇が靖国神社に行かなくなったこととA級戦犯合祀が関係していることはこれまでも推測されてはいたが、それが裏付けられたということになる。私にとってはやっぱりという思いだが、「合祀とは関係ない」という主張をしてきた人にとってはショックだろう。 ◇ 靖国神社への戦犯の合祀(ごうし)は1959年、まずBC級戦犯から始まった。A級戦犯は78年に合祀された。 大きな国際問題になったのは、戦後40年の85年。中曽根康弘首相(当時)が8月15日の終戦記念日に初めて公式参拝したことを受け、中国、韓国を始めとするアジア諸国から「侵略戦争を正当化している」という激しい批判が起こった。とりわけ、中国はA級戦犯の合祀を問題視した。結局、中曽根氏は関係悪化を防ぐために1回で参拝を打ち切った。だが、A級戦犯の合祀問題はその後も日中間を中心に続いている。 昭和天皇は、戦前は年2回程度、主に新たな戦死者を祭る臨時大祭の際に靖国に参拝していた。戦後も8回にわたって参拝の記録があるが、連合国軍総司令部が45年12月、神道への国の保護の中止などを命じた「神道指令」を出した後、占領が終わるまでの約6年半は一度も参拝しなかった。52年10月に参拝を再開するが、その後、75年11月を最後に参拝は途絶えた。今の天皇は89年の即位後、一度も参拝したことがない。 首相の靖国参拝を定着させることで、天皇「ご親拝」の復活に道を開きたいという考えの人たちもいる。 自民党内では、首相の靖国参拝が問題視されないよう、A級戦犯の分祀(ぶんし)が検討されてきた。いったん合祀された霊を分け、一部を別の場所に移すという考え方で、遺族側に自発的な合祀取り下げが打診されたこともあるが、動きは止まっている。靖国神社側も、「いったん神として祭った霊を分けることはできない」と拒んでいる。 ただ、分祀論は折に触れて浮上している。99年には小渕内閣の野中広務官房長官(当時)が靖国神社を宗教法人から特殊法人とする案とともに、分祀の検討を表明した。日本遺族会会長の古賀誠・元自民党幹事長も今年5月、A級戦犯の分祀を検討するよう提案。けじめをつけるため、兼務していた靖国神社の崇敬者総代を先月中旬に辞任している。 |
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| 2006/07/20 | 中国首脳が古賀元幹事長と会談、靖国分祀論に言及 | ||||
| 中国を訪問中の古賀誠・元自民党幹事長(衆議院議員・財団法人日本遺族会会長は19日、北京で中国の曽慶紅・国家副主席、王家瑞・共産党対外連絡部部長ら中国政府・党の要人と会談し、小泉純一郎首相の靖国神社参拝などをめぐって冷え込んでいる日中関係について意見を交換した。 曽・副主席は古賀氏との会談で、「中国共産党と中国政府は一貫して戦略的かつ長期的な視野から日中関係を処理してきた」と強調。胡錦涛・国家主席の「中国は、日本が我々と共に努力し、両国間にある政治的障害を早く克服することで日中関係が健全な発展の軌道に戻ることを望んでいる」との言葉を引用し、小泉首相など日本政府要人の靖国神社参拝中止を改めて、暗に求めた。 |
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| 2006/07/19 | 日経社員、近く取り調べ インサイダー取引の疑い | ||||
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| 2006/07/05 | 胡主席が民主・小沢代表と会談、連携強化へ |
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| 中国の胡錦涛・国家主席は4日、北京市内の人民大会堂で中国を訪問中の小沢一郎民主党代表と会談し、両国関係について意見を交わした。 胡主席はまた、「幅広いレベル、領域での交流と協力を拡大し、両国民が互いに対する理解を深め、友好的な感情を育むことが、それぞれの実際の利益につながる」と述べ、「共に努力をすることで政治的な障害を早く解消し、日中関係が健全な発展の道を歩めるよう促す必要がある」と発言。小泉純一郎首相の靖国神社参拝を暗に批判し、民主党との協力を強化していく考えを示した。 小泉首相の靖国神社参拝中止を強固に求め続けている中国だが、ポスト小泉を見越し、日本の政治家の中国重視の姿勢を引き出すことで日本の世論に訴え、現状を早く打開したいとの考えが見え隠れしている。 |
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| 2006/07/4 | 日本遺族会会長の古賀氏、靖国神社総代を辞任 |
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| 日本遺族会会長の古賀誠・自民党元幹事長が靖国神社の総代を辞任していたことが4日、明らかになった。 古賀氏が靖国神社にまつられているA級戦犯の分祀を唱えたのに対し、靖国神社が従来からこれをできないとしているためだ。遺族会の代表が総代からいなくなったことで、遺族会と靖国神社の関係に微妙な影響を与える可能性もある。 古賀氏は4日、総代辞任の理由について、「靖国神社は『A級戦犯の分祀をあり得ない』と言っている。神社を混乱させてはいけない。自分の立場をはっきりさせるために(辞任は)当然のことだ」と記者団に説明した。遺族会の会長は辞任する考えのないことを明言した。 |
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| 2006/04/14 | 唐家セン国務委員、杉田日本経済新聞社長と会見 |
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| 唐国務委員は次のように指摘した。中日関係は国交正常化以来、これまでにない困難に直面しているが、中国政府と人民は中日関係を重視しており、中日友好の基本方針は終始変わっていない。 胡錦涛主席は先の日中友好7団体の責任者との会見の際、中国政府の対日政策を全面的に説明し、中日関係の改善に努める中国側の積極的姿勢と心からの願いを十分示した。 われわれは「日本経済新聞」はじめ日本のメディアが現在の中日関係と中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導き、中日関係の改善と発展のために積極的かつ建設的役割を果たすよう期待している。 杉田社長は、日中関係は現在、重要な時期にあり、日本経済新聞は両国民の理解増進、日中関係の改善のため積極的に努力したいと表明した。 |