「正論」平成13年9月号掲載
「小泉構造改革」で 日本は破局を迎える
大阪学院大学教授 丹羽春喜

丹羽春喜氏
昭和五年(一九三〇年)兵
庫県生まれ。関西学院大学経済学部、同大
学院経済学研究科博士課程卒。関西学院大
学社会学部教授、筑波大学社会科学系教授、
京都産業大学経済学部教授を経て、現在、
大阪学院大学経済学部教授。経済学博士。
日本学術会議第16期会員をも務めた。著書
に『社会主義のジレンマ』『ソ連軍事支出
の推計』(「防衛図書出版奨励賞」受賞)
『ケインズ主義の復権』『日本経済再興の経
済学』『日本経済繁栄の法則』ほか多数。
小泉政権「構造改革」路線の根本的な誤り
わが国の株価は、六月に入ってからは、惨憺たる低迷状態に陥った。そして、七月に入ってからは「それがいっそうひどくなり、本稿を脱稿した七月十一日には、暴落的な全面安症状となった。明らかに、市場は、小泉政権の構造改革政策なるものに見切りをつけたようである。
われわれの記憶になお新しいところであるが、六月一日の各紙朝刊は、その前日に「経済財政諮問会議」(議長・小泉首相)が公表した経済財政運営の「基本方針」を大きく報じた。この基本方針は、六月十一日に詳細な案が決まり、同月の二十六日に臨時閣議で決定された。各紙は、「骨太で大胆な改革案」(読売)だとか、「日本再生、最後のチャンス」(日経)だとかと、さかんに提灯持ちの解説を書いてはいた。しかし、端的に言って、この「基本方針」の無内容さや誤った立案姿勢は、まさに、「失望そのもの!」とでも言うべきものであった。
各紙とも、この「基本方針」の内容を数項目に要約し報道していたが、それら諸項目は、すべて、重箱の隅を楊枝で突っつくようなミクロ的「制度いじり」の施策にすぎなかった。景気振興のためには最重要であるべき「マクロ政策」としてのケインズ的総需要拡大政策は、まったく欠落しているのである。不良債権処理の促進ということなどは、要するに「弱い企業を、どんどん、つぶしてしまえ!」ということであり、倒産が多発し、不況をいっそう激化させることが必至である。このようなミクロ的な構造改革なるもので、マクロ的に総需要が増えるような論理的な必然性は全く無い。総需要の拡大なくして経済の再生も財政の再建も、ぜったいにありえない。これは疑う余地のない鉄則なのである。
また、財政の緊縮方針も明らかにされたが、それが景況をいっそう悪化させることは不可避である。しかも、そのダメ押しといった形で、六月八日には、「財政制度審議会」の「財政構造改革部会」が、財政出動による内需拡大の芽をほとんど全く摘んでしまうような内容の「中間報告」を公表するにいたった(各紙六月九日付朝刊)。もちろん、そのような緊縮財政主義をとったからといって、それによって財政再建が達成されるといったものでは全くない。そういった姑息な財政運営を続ければ、「虻蜂とらず」に終わるだけであり、財政破綻と経済の危機は、ますます深刻化せざるをえない。本稿では、次節での論述で、簡単な数値的シミュレーションによって、このことの危険性を示すことにしたい。
このような今回の諮問会議「基本方針」などに見られる小泉政権の経済政策の無内容さは、中小企業に従事するおびただしい人たちをも含む大多数の産業人はもとよりのこと、ごく普通の庶民たちも、イヤでもそれに気づかざるをえないところであろう。最近の株価低迷は、明らかに、それを物語っている。
「供給サイド」構造改革論は誤り
ここで、しばしば見過ごされていることを二つ指摘しておく。第一の点は、「供給サイド」構造改革論なるものが、根本的に誤った考え方であるということである。わが国の経済においては、過去から現在まで、需要に対する企業からの諸商品の生産・供給が追いつかないなどということは、まったく起こってはいない。需給のミス・マッチといったことも、ほとんど生じていない。わが国における在庫変動額の対GDP比率は、わずかに0.1〜0.5パーセントにすぎないのであるから、マクロ的に需給は立派に均衡しているのである。しかし、需給が立派に均衡しているといっても、総需要が低迷してきたために、この需給均衡点それ自体も低いところにとどまらざるを得ないわけであり、資本設備や労働力といった生産キャパシティーの遊休・失業−−すなわちデフレ・ギャップ−−が膨大に発生し、居座ってきた。完全雇用・完全操業状態での潜在GDPの上限という意味での「天井」から見ると、現実のGDPの水準は、総需要の不足によって六割にも達しない低水準にとどまることを余儀なくされているのである。本誌五月号の私の論文で述べたように、現在、このデフレ・ギャップという形で、年間三百数十兆円以上もの潜在GDPが実現されえずに空しく失われつつある。過去二十数年間の合計額では、そのようにして空しく失われた潜在実質GDPは四千兆円にも達するのである(1990年価格評価の実質値)。
竹中平蔵氏(経済財政担当相)などは、しばしば、「需要を伸ばしても、潜在成長率が低いために諸商品の生産・供給が追いつかない状況であり、だから構造改革が必要なのであって、需要を増やしても無駄だ!」などと強調しているようであるが、これは根本的に誤った見解である。もしも、わが国の経済において、需要に対して諸商品の生産・供給が追いつかないといった構造的欠陥があるのであれば、巨大なインフレ・ギャップが発生してきたはずであるが、現実は、全くその逆であって、超巨大なデフレ・ギャップが発生・拡大してきているのである。竹中氏が、好んで口にする「潜在成長率」とは、上記の完全雇用・完全操業状態での潜在GDPの上限という意味での「天井」の勾配のことなのであって、その「天井」は、実際のGDPの水準よりもはるかに上方に離れて、しかも、若干の上向き勾配で位置しているのであるから、そのような「天井の勾配」=「潜在成長率」の高低といったことは、現実の日本経済の成長を制約するような要因ではないのである。要するに、わが国の経済においては、諸悪の根源は総需要の伸びの不足ないし低迷という「需要サイド」にあるわけで、「供給サイ ド」にはなんら問題は無いのである。
公共投資無用の俗説を糺す
留意すべき第二の点は、「・・・わが国 の経済は、政府支出を肥大化させてきたために、効率が低下してGDPの伸びが悪くなり、いわゆる乗数効果も低くなって、不況・停滞に陥っているのだ!」とする俗説が、ひろく信じられているが、実はこの俗説にはなんの根拠もなく、まったくのウソだということである。
わが国の実質GDPは、一九七〇年から九〇年代末の一九九八年までに二・五倍(年度べース)に伸びたのであるが、この同じ期間に「政府支出」(一般政府の公的投資および公務員人件費をも含む政府最終消費)の実質額は二・四倍の伸びに留まっている。一九八〇年から九八年までの期間では、実質GDPの伸び1.64倍に比べて、政府支出の伸びは1.51倍でしかなかった(『国民経済計算年報』平成十二年版、38〜41頁)。すなわち、実質GDPのなかに占める政府支出額のウェートがとくに肥大化してきたといった事実は、まったく認められ ない。ということは、また、政府支出の総需要拡大効果が低下してきたといった現象も観察されえないということである。つまり、上記の俗説はまったくのウソなのである。すなわち、ケインズ的政策の有効性に疑念を持たねばならないといった理由は、なにも無いのである。
緊縮財政の危険性ーー慄然とせざるをえないシミュレーション結果
ここで、本稿においてとくに指摘しておくべきであると思われることは、小泉内閣が表明している緊縮財政主義の危険性である。小泉政権は、来年度の国債発行額を三十兆円に抑える予定だとしている。平成十二年度の国債発行額が三十三兆円であったから、相当な減額である。実は森内閣時代の末に成立した平成十三年度国家予算で、すでに、国債発行額を二十八兆円に抑制する予定とされているのである。実際には、平成十三年度においても、補正予算が組まれ、もう少しは国債発行額が増えて三十兆円前後の発行となる可能性はあるが、要するに、国債発行額を年間三十兆円の線に抑え続けようというのが、政府の政策担当者たちのスタンスなのである。小泉内閣は、このスタンスに強く固執する可能性が高い。
ちょっと見ただけでは、三十兆円という国債発行額に、とくに問題があるようには思われないかもしれない。しかし、これまでに発行されてきた国債やその他の累積してきた国家債務への利息や償還金の支払額が巨額になっており、そして、それらが膨れ上がってきているため、今では、事実上、新規の国債発行や借入金の大半は、そのような利息や償還金の支払いに充当するためのものとなってきているのである。したがって、今後、国債発行額が年額三十兆円に据え置かれ続けることになれば、なにしろ、利息や償還金ーーすなわち、「国債費」ーーの支払額は膨れ上がっていくばかりなのであるから、三十兆円からそれを差し引いた残額は、どんどん少なくなっていく。ということは、今後は、財政支出のうちの「国債費」以外の部分を、ますます大幅に削減していかねばならないということである。しかし、それは、最終有効需要支出の大きな構成要素である「政府支出」(公的投資および公務員人件費をも含む政府最終消費)が削減されていくことを意味しており、そのことによって、景気が、さらに悪化せざるをえない。そして、景気の悪化は、政府の租税収入の低下をもたらさざるをえない。すなわち、政府財政の破綻状態も、全く改善されえずに、むしろ、深刻化していくことになろう。
言うまでもなく、今日のわが国にとっては、このような悪循環プロセスを見きわめるための数値的なシミュレーションを行うことが、ぜひとも必要なことである。私自身でそれを試みてみたわけであり、本稿では、以下、そのようなシミュレーションの概要と算定結果を述べてみたい(なお、本年からは、政府はGDPを新しい概念によるものに変更しているが、本稿では、昨年までの従来の概念によって論述する)。
わが国の財政についての数字には不可解な点が多い
しかしながら、実は、最近のわが国の財政についての数字には、腕に落ちないことが非常に多く、そのために、そのようなシミュレーション作業は、出発点において非常な困難に陥ってしまう。私が本誌の五月号で指摘しておいた特別会計(とくに交付税についての特別会計)における「借入金」の、想像を絶するほどにきわめて急激な増大といったこともその一つである。もっと不可解なことは、近年においては、各年度の一般会計歳入における国債発行による収入を示している「国債金」(最近は「公債金」とも呼ばれている)の額から既発債の「純償還額」を差し引いた額よりも、その年度中における「国債残高」の増加額のほうが、ずっと大きいということが通例化してきているということである。もちろん、本来的には、この両者は一致すべきである。また、一般会計に示されている上記の「国債金」(公債金)の額と「新規国債発行額」の数字も大きく食い違っていて、後者のほうがずっと大きくなっている。これも、本来的には両者が一致しなければならない。このような混乱状態は久しく続いてきてはいるのであるが、ここ数年においては(平成十一年度を別にして)、極端にひどくなってきて
いるのである。
たとえば、平成十二年度(西暦二〇〇0年度)を基準年度としたシミュレーションをやろうと思っても、この平成十二年度の「国債金」(国債の発行による政府収入)の予定額が34.6兆円(補正後予算額)で、実際の発行額はそれよりもやや少なかったと公表されているのにもかかわらず、「国債発行残高」の増加額は内国債だけでも37.5兆円とされている(財務省ホームページ)のであるから、つじつまがあわず、困惑せざるをえない。34.6兆円の「国債金」から数兆円ないし十兆円ちかい純償還額(つまり、借り換えを除く正味の償還額)を差し引けば二十五兆〜二十九兆円のはずであるが、これでは、37.5兆円の「国債(内国債)残高増加額」とは大きく食い違って、全く勘定が合わない。そこで、このような難点を避けるために、私が行ったシミュレーション作業においては、予算書における諸数値のあいだではやや「つじつまの合う」ような関係を見出しうるということに着目して、基本的には、平成十二年度の予算書ベースの諸数値を割り出して確認することから作業をはじめた(同年度の実績を考慮して若干の補正もほどこした)。
予算書ベースの数字では、政府の「国債および借入金」(短期証券をも含む)の年度末残高は、平成十一年度末五百六兆円、平成十二年度末五百四十五兆円、その増加額は三十九兆円とされていた。また、このうち、「借入金および短期証券」の年度末残高の増加額は14.6兆円と示されていた(東洋経済新報『経済統計年鑑2000』によった)。平成十二年度中の国債の発行額は、補正予算額の枠を少し余して、当初予算で示されていた額よりも若干多いぐらいの三十三兆円程度であったから、この数字に上記の「借入金および短期証券」残高の増加予定額14.6兆円を加算した約47.6兆円という金額を、平成十二年度における「国債金」(一般会計)の額と「借入金純増額」(特別会計等)を合算した額の、基本数字に近いものと見なしてよいであろう。だとすると、既発国債や借入金の純償還額(純返済額)は8.6兆円であったことになる。なぜならば、47.6兆円から8.6兆円を差し引けば三十九兆円という上記の「国債および借入金」残高の増加額に等しくなるからである。
政府が国債や借入金に対して支払う利息や割引料の額は「国債整理基金特別会計」の資料を見ればわかるが、平成十二年度についてのその予算額は十四兆円とされていた(『財政統計』平成十二年度版)。結局、政府が支払う「純償還金」8.6兆円と「利子・割引料等」十四兆円の合計である「国債費」は22.6兆円となるが、これは、同年度の当初予算におけるこの費目の該当数字と非常によく近似し、ほとんどそれに一致した額である。上記の47.6兆円という「国債金および借入金純増額」からこの「国債費」22.6兆円を差し引いた残額二十五兆円が、いわゆる国家財政の「プライマリー・バランスの赤字額」(国債発行収入や借入金ならびにそれらへの償還金や利子支払額等を除いて算定した財政収支赤字額)だということになる。
以上のごとき、丹念な「パズル解き」作業の結果として割り出された平成十二年度の基本的な諸数値を起点として、シミュレーションを行ったわけであるが、ここで留意すべき、きわめて重要な点を二つ指摘しておきたい。
第一にGDPのわずかな減少によって、税収の大幅な減少が生ずる
第一に留意すべきことは、GDPの変動によって惹き起こされる政府の税収の変化についてである。現在、わが国の論壇では、政府(中央政府のみならず地方自治体をも含めた「一般政府」)の税収は、GDPが少しぐらい伸びたぐらいではほとんど増加しないであろうとするシニカルな見かたが流布されているが、それは、大きな間違いである。最近のわが国では、GDPのごく僅かな変化でさえもが、相当に大幅な税収の変化をもたらしているのである。
ただし、このような分析をする場合には、波動を平準化した単なる傾向線を示しているにすぎないといった関数では使い物にならない。GDPの波動が税収の波動を惹起するという動きを忠実にフォローするような関数を、用いなければならないのである。とはいえ、そのような波動の対応現象を忠実にフォローしうるような関数を推定することは、かなり難しい。しかし、幸いなことに、私が、今回のこのシミュレーション作業のために推定した「税収関数」は、典型的に波動追跡型の関数でありながら、非常にフィットが良い。エコノミストたちがしばしば泣かされる「ダービン=ワトソン検定」などもきれいにクリアーしており、信頼度はきわめて高い。この関数を用いて計算すると、GDPがあるパーセントで変化したとすると、そのパーセンテージの数字に2.22という係数を掛けたうえで0.52を引き算したパーセント数字だけ「一般政府」(中央政府および地方自治体)の税収が変化することになる。たとえば、GDPが1パーセント変動した場合には、およそのところ、「一般政府」の税収は1.7パーセントも変化するのである。したがって、小泉政権の「痛みを我慢して」の構造改革政策や緊縮財政政策の強行によってGDPが低下することになったような場合には、税収のきわめて大幅な減少が政府財政を直撃することになるものと予測しなければならないのである。
第二に、「乗数効果」は大きい
第二に、つねに念頭に置いているべきことは、わが国の経済における「乗数効果」がけっこう大きく、しっかりと作動しているということである。経済評論家たちの多くは、マスコミの大部分を捲き込んで繰り広げられてきた「反ケインズ主義」の奇怪な世論操作キャンペーンに毒されて、わが国経済における「乗数効果」がきわめて微弱であると思い込まされてしまっている。そして、政府支出が大幅に増やされても、それによってわが国のGDPの成長が加速されるようなことは無いものと、決め込んでしまっている。しかし、それは全くの誤りである。
従来、用いられてきたGDP勘定(すなわち旧GDP勘定)の数字に則して述べれば、民間投資支出、政府支出(すなわち一般政府の公務員人件費をも含む最終消費支出および公的投資)、および、純輸出(すなわち輸出超過額)という三つの支出項目の合計額である「自生的」有効需要支出額(自生的消費支出額はネグリジブル)の年間水準に対して、GDPの額の年間水準は、常に2.4〜2.5倍(最近年では2.5倍強)の大きさである。この2.4〜2.5という倍率は、二十年以上にもわたってきわめて安定して続いてきており、自生的有効需要支出額とGDP額との、それぞれの年間増加額どうしのあいだでも、この倍率が保たれている。したがって、現在のわが国における「乗数効果」の乗数値は2.4〜2.5(最近年では2.5)であると考えなければならない。そのように考えなければ、年率五百兆円弱という現在のわが国のGDP額を説明することさえ、まったく不可能になってしまうのである。わが国経済における「乗数効果」の大きさをめぐってのあらゆる討論において「もしも、この2.4〜2.5という数値との整合性を持っていないような議論があれば、そのような議論は失格なのである。このことを踏まえて考えてみると、たとえば、昨年末まで旧経済企画庁のホームページに計量的シミュレーションの結果として示されていた1.2〜1.3という極端に低い「乗数値」は、全く信頼しえない算定値であり、きわめてミス・リーディングであった。
このように、わが国経済においては、「乗数効果」が確実に作動しているのであるから、今後、小泉政権の緊縮財政政策によって、政府支出額が削減されるようなことになれば、減税等によってそれを埋め合わせる措置がとられないかぎり、その政府支出削減額の約2.5倍のGDP額が失われることになるのは、不可避なのである。
毎年度における国債発行額と借入金純増額の合計額を四十四兆円に抑えるという政策方針でいくことを前提してのシミュレーション
上述のごとく、小泉内閣は、来年の平成十四年度(二〇〇二年度)において国債発行額を三十兆円に抑え、それ以降の諸年次も、それを続けようとするスタンスをとっているように思われる。したがって、本稿におけるシミュレーションでも、平成二十二年度(2020年度)までの十年間、各年度における「国債発行額」を三十兆円、その他の「借入金の純増額」を平成十二年度の該当値と同じ十四兆円、合計四十四兆円のままに据え置こうとする政策がとられる場合を想定した。据え置かれるといっても、毎年度、少なくともそれだけの額の国債発行と借入金純増があるのであるから、その残高は増えていく。したがって、償還額(純償還額)および利子・割引料の支払額も増えていかざるをえない。このシミュレーションでは、純償還額および利子割引料の支払額は、平成十二年度の該当値を初期値として、各前年度末における国債・借入金残高の推移(増大)にそれぞれ比例させて算定した。この算定方式では、純償還額および利子・割引料の国債・借入金残高に対する比率を一定と仮定しているのであるから、このことは日銀の金融政策によって利子率の上昇が防止されるであろうと暗黙のうちに想定していることにもなる。
いずれにせよ、国が支払わねばならない純償還額および利子・割引料−−すなわち「国債費」−−は増えていくいっぽうであるから、国債発行額(すなわち「国債金」)および借入金純増額の合計額を毎年度四十四兆円に抑えようとすれば、財政のプライマリー・バランス赤字を国債と借入金でまかないうる余地がどんどん少なくなっていくことは不可避である。したがって、増税を行わないものとすれば、必然的に、ブライマリー・バランス赤字額を縮小させるための政府支出の削減が行われざるをえないことになる。
政府支出10%削減により次年度に民間設備投資が4%減少すると想定
また、このような政府支出削減の動きは、直接・間接に地方財政にも波及するであろう。もちろん、このような窮迫した財政事情に迫られての中央および地方の一般政府支出の削減は、減税の財源 となるといったものでは全くない。したがって、それは、当然のことながら、民間企業の経済活動にとっても大きなマイナス要因となる。このシミュレーションでは、このような性質の政府支出の削減がなされた場合には、次年度に、その削減額の半額に相当する民間投資が減少するものと想定した。これは、およその見当としては、たとえば政府支出10パーセントの削減がなされるとしたとき、それが、次年度における民間投資支出の約四パーセントの減少を惹起するという想定にほかならない(この想定は、やや控えめにすぎるかもしれない)。
上記で、国債・借入金に対して政府が支払う利息や割引料が増えつつあることを指摘したが、これは、GDP勘定の体系では、一種の再分配だとして取り扱われてしまって、「自生的有効需要支出」としての政府支出には、直接には含められない(なお、国債や借入金等の償還額は金融資産の取引であるので、もともと、GDP勘定には算入されないし、有効需要支出でもない)。しかし、今後のわが国においては、国債の消化や政府の直接的資金借入は、日銀による(買いオペなどによる)民間資金市場への資金供給を原資としてファイナンスされる部分が非常に大きくなると予想される。つまり、政府が民間に対して支払う利息や割引料が、国債や借入金でまかなわれ、それが、結局は日銀が追加的に供給した資金でファイナンスされるということになると、それからは、早晩、追加的な消費支出が誘発されることになる。この点を考慮して、このシミュレーションでは、政府による利息・割引料支払いの毎年の増加額から誘発される消費支出額からの乗数効果によるGDP増加額をも算定して、それを、忘れずに算入しておいた。いまのところ、これは、相対的に僅かなものではあるが、しかし、若干なりとも、経済の落ち込みを緩和する効果を及ぼしてはいるわけである。
税収減による財政プライマリー・バランス赤字額の増加を、次年度においては、政府がそれを受け入れることを前提とする
毎年度における国債発行額と借入金純増額の合計額を四十四兆円に抑えるという政策方針でいくとしても、そして、それを達成するための政府支出の削減が行われるとしても、実際には、それにともなう不況の激化によるGDPの落ち込みという副作用が生じて税収が減少するので、結局は、そのぶんだけ、目標値へ四十四兆円)を超過しての国債発行や借入を増やさざるをえなくなる。本稿におけるシミュレーションでは、そのことはやむを得ないとしても、しかし、その年度に発生したそのような税収減による財政プライマリー・バランス赤字額の増加を、次年度においては、政府が当然の前提条件としてそれを受け入れ、それを踏まえて、次年度における(同じく、国債発行・借入金純増額を四十四兆円に抑えるための)政府支出削減額の決定がなされるものと想定することにした。もちろん、次年度においても、また、税収の減少が生じるであろうが、それは、同じ要領で、さらに次の年度での政府支出削減にさいしての前提条件とされるものとした。要するに、毎年度における国債発行額および借入金純増額の実際の額は、四十四兆円という抑制目標額にその年度における税収減少額を加算した額にならざるをえないという想定で、シミュレーションを行ったのである。
シミュレーション結果第1表である
このような要領と想定でシミュレーションを行った結果を示したのが第1表である。言うまでもなく、この表に示された結果は、まさに、慄然とせざるをえないような恐ろしい内容である。
第1表
たとえば、GDPは、平成二十二年度(2010年度)には、平成十二年度に比べてわずかに六割五分ほどの低い水準にまで落ち込む。国債発行額や借入金を抑えるための政策を前提としたシミュレーションであるはずであるのに、平成二十二年度末には、国債・借入金等の残高はGDPの約三倍になってしまうのである。政府の税収額にいたっては、この期間中に三分の一に減ってしまう。シミュレーション期間の終わりごろになると、政府税収の総額が、国債や借入金など政府負債に対する利息・割引料や純償還金の支払額である「国債費」の半分以下に落ち込んでしまうのである。シミュレーション期間の初年度からわずか数年を経過した平成十八(二〇〇六)年ごろで、早くも、税収総額が「国債費」よりも下回るようになってしまうのであるから、破局的としか言いようがない。もしも、日銀の金融政策が不適切で金利の高騰が生じたような場合は、もっと悪い結果となろう。
現状維持の経済運営の場合のシミュレーション
私は、もう一つの代替的なシミュレーションをも行ってみた。すなわち、財政支出削減という政策方針が放棄されて、現状維持の経済運営が続けられれば、どうなるかというシミュレーションである。つまり、「政府」(中央政府に地方自治体を加えた「一般政府」)の「公的投資」および「政府最終消費支出」(公務員人件費をも含む)が現在の水準のまま保たれ、「民間投資支出」ならびに「純輸出」(輸出超過額)も、現状の水準のまま推移するものと仮定するのである。当然、GDPの水準も横ばいである。国および地方自治体の税収も変わらず、国
家財政のプライマリー・バランス赤字額も、ほぼ現状のまま続く。
そのように続いていく財政のプライマリー・バランス赤字をカバーし、さらに、これまでに発行されてきた国債やその他の借入金等に対して、償還金および利息・割引料などを、政府は支払っていかなければならないが、その財源は、結局、新たに国債を出し、新たに借金をするということで済ませてきているのである。つまり、わが政府は、もともと財政赤字でカネが足りないうえに、大規模に累積していく負債への返済金や利息を、新たな借金を重ねることによって支払っているのが現状なのである。そのような悪循環的なプロセスが組み込まれてしまっている現状が、もしも平成二十二年(西暦2010年)まで続けばどうなるかという単純なシミュレーションの結果を示したのが、第2表である。ただし、この第2表のシミュレーションでも、第1表の場合と同様に、今後は、日銀による追加的な資金供与の大規模化によって、金利の高騰が防止されるものと想定しておいた。
第2表
この第2表で、僅かながらもGDPが上昇しているのは、上述したような国の利子・割引料支払額の増加から誘発される所得増分の推定額を算入したからである。しかし、いずれにせよ、第1表ほどには激甚な破綻状況を示しているわけではないとしても、しかし、この第2表の数字を見ても、われわれは、やはり、暗澹たる気持ちに陥らざるをえない。
この第2表では、「国債および借入金の残高」が、シミュレーション期間中に倍増に近く、九百兆円を超え、GDP額の約二倍という巨額になる。「国債費」(すなわち償還金および利子等の支払額)も倍増に近く、年額四十兆円を超えることになる。これは、近年におけるわが国の年間租税収入総額の約八割という巨額である。これは、まさに破局的な状況そのものと言わねばならない。
進退両難の日本経済
私が上述のごとく示したシミュレーションは、きわめて単純明確である。それが内含している因果メカニズムは、誰が見ても、はっきりとしているはずである。そうであるだけに、第1表と第2表が持っている意味合いは、まことに重大である。要するに、わが国の経済と財政は、財政支出削減でもダメ、現状維持でもダメ、という進退両難の窮境に陥っているということなのである。そして、長引く不況でがまんしきれなくなった企業が生産能力を放棄し、余裕生産能力を失ってしまったときには、わが国は、貧困経済の下で、今とは逆にインフレ・ギャップが発生しやすいという、最悪の経済体質となってしまうであろう。
しかし、このような危機にひんしている現状のもとでも、そして、旧来の(財源を国債に頼るという)政策立案パターンの枠内で考えても、政策担当者が覚悟を決めて、思い切って大量の国債増発を一挙に行うということをあえてし、それを財源として、つとめて積極的かつ大規模な「最終決戦的」な景気刺激の財政政策を断行するとすれば、それによって日本経済再生への一条の血路を拓きうる可能性は、まだ、残されているであろう。
しかし、国債発行を財源とするという旧来のパターンに立脚したままであるかぎり、それは、「最終的な一六勝負」という特性のものとならざるをえない。もとより、そのような政策立案の基礎となるであろうところの計量モデルやシミュレーションの信頼度や確度にも不安があるであろうし、そのような思い切ったギャンブル的な重大決断を下すことを、現在のわが国の政策担当者たちに求めることは、かなり非現実的であり、きわめて危険でもある。すなわち、そのような「一六勝負」への恐怖によって、その政策案が、すこしでも姑息かつ中途半端なものに改変されてしまえば、結果はまったくの「虻蜂とらず」に終わって、わが国の経済と財政の破綻状況は、現状よりもさらに徹底的に絶望的な状態に陥ってしまうことになるであろう。
私が得たこのような算定結果は、有名な吉田和男氏(京大教授)や野村総研のモデルによる「日本経済は、もう、どうしようもないのだ」といわば「匙を投げてしまった」ようなきわめて悲観的なシミュレーション結果と、類似していると言いうるかもしれない。ただし、吉田氏のモデル(『日本経済新聞』昨年11月9日より数回にわたって連載された)は、デフレ・ギャップという生産能力の余裕を全く無いものと前提したうえで、年々の財政赤字ぶんだけ、民間保有の国富が食いつぶされていくと仮定した非常に風変わりで、そして、端的に言えばきわめて非現実的なモデルである。野村総研のシミュレーション予測(「NRI中期経済予測2001一2005」、『知的資産創造』二〇〇〇年十二月号)は、吉田氏のそれよりはずっと現実的なモデルによるもののようであり、日本経済が進退両難の窮境にあることを示した点でも、私の算定とあい通じる点が多い。しかし、野村総研のペーパーでは、危機脱出の方途としては、わが国の企業部門における資本の生産性向上という構造改革的なやり方が示唆されているだけである。しかし、上記でも述べておいたように、そもそも、構造改革(野村総研が示唆している方策をも含めて)では総需要が増えるという必然性がほとんど全く無い。そして、総需要が増えないかぎり、わが国の経済・財政の回復はありえない。野村総研のペーパーは、エコノミストであれば誰でもが良く知っているはずの、この自明の鉄則に対してあえて目をふさいでしまっているのである。
いずれにせよ、わが国の経済と財政とが、いまや進退両難の深刻きわまる危機に陥っていることは、ほとんど周知のところとなっている。大衆向きの週刊誌などは、わが国の経済と財政の全面的な破綻・崩壊が必至だとして、自暴自棄的な論調で、言語に絶する超大幅増税や、公共投資および防衛支出の全廃を主張するといった暴論を派手に書きたてている(たとえば『週刊文春』昨年十二月十四日号)。もちろん、そんな極端な緊縮財政といったことをやってみても、上掲の第1表のシミュレーション結果が物語っているように、事態は、いっそう極端に悪化するだけである。また、『週刊文春』三月二十九日号にいたっては、クーデターを起こして「第二の敗戦(経済敗戦)」戦犯を「問答無用で全員投獄・処刑せよ!」とまでヒステリックに叫んでいるが、そこに名を連ねた二十数名の「賢人」と称する人たちの意見の愚劣さ、無内容さ(とくにマクロ経済的視点から見た場合の無知蒙昧さ)には、まさに、目を覆いたくなるようなものがあった。
「本当に必要なこと」を考えよ
理性的に、合理的に考えれば「政府貨幣発行権」の一部を日銀へ売却する案になる
今日、真になすべきことは、そのような自暴自棄的ヒステリーを排し、冷静に「何が本当に必要なことか?」を合理的に考えるということであるはずである。
すなわち、財政再建を一挙かつ一瞬のうちに達成して政府累積債務のうち少なくとも二百数十兆円程度を即時償還(私は過剰流動性を生じさせずに大量償還する方法をも提言ずみだ)するとともに、年率7〜10パーセントに達する「右肩上がり」の高度実質経済成長を直ちに実現・持続させうるような、効果的な内需拡大政策を大々的に実施しさえすれば、わが国の経済・財政危機を一気に克服しうることは明らかである。要は、この実現のために、当面、四百兆円程度の新規の国家財政収入を、租税にも国債にもたよらずに、そして、わが国民(現世代も将来世代も)にまったく負担をかけない形で確保することが、ぜひとも必要だということなのである(構造改革など、いくら懸命にやったとしても、なんの役にも立たない)。
このことが、「一六勝負」ではなく、100パーセント安全確実かつ容易に可能となるのは、現行法でも明確に認められている「国(政府)の貨幣発行特権」(セイニアーリッジ権限)を、直接あるいは間接に、大規模発動した場合のみである(「通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律」昭和六十二年六月一日、法律第四二号、第四条)。これは、いわば、明治維新成功の決め手となった「太政官札」(不換政府紙幣)発行の造幣益による政府財源確保という故知にならうものではあるが、しかし、現実に「政府貨幣」としての「政府紙幣」(日銀券
ではない)の大量発行までやる必要は、必ずしもない。具体的には、私がここ数年くり返して推奨してきたように、政府が無限に持っている一種の「無形金融資産」である「国(政府)の貨幣発行特権」のうちの、たとえば、四百兆円ぶんの「政府貨幣発行権」を政府が日銀に売却する(売却しても政府の発行権は減らない)という間接的な方式が、最も手軽で実行が容易であろう。
もちろん、その巨額の代金が、日銀券の現金を用いて政府へ支払われるような必要はない。実際には、そのような四百兆円という金額が記された日銀の「保証小切手」を政府が受け取って済ませうるはずである。日銀としても、「政府貨幣発行権」という超優良資産を有利な条件で(若干のディスカウントを受けて)政府から買い取って巨額に取得しうるとなれば、日銀自身の資産内容を大きく改善しうる。当然、国債発行の場合とは違って、この方式で政府が四百兆円もの巨額の新規財政収入を一挙に取得しうるといっても、政府はそれに対して利息を支払ったり元本を償還したりする必要などはまったく無く、その巨大な金額が政府の正真正銘の財政収入になる。担保も不必要だ。これこそ、まさに「打ち出の小槌」なのである。
二年でGDP百兆円の上昇は容易だ
わが国の経済を再生・再興させるために、上述の「打ち出の小槌」財源により、国債の大量償還に加えて、大々的な内需拡大政策を実施しようとしても、実際問題としては、長年の不況・停滞ですっかり萎縮してしまっている各省庁や地方自治体や財界などは、そのような積極的財政政策の巨大な予算を合理的に消化して有効に「国つくり」にはげむべき準備ができてはいないのが実情であろう。あるいは、また、「公共事業の肥大化は、もうイヤだ!」と叫ぶ世論なるものが抗しがたいほどに高まっていて、それをかわすような政治的配慮も必要かもしれない。だとすれば、ここ二、三年は、老人から乳幼児にまでいたる全国民に、たとえば、一律、年額数十万円(四十万円程度でよい)ずつの「潜在経済力活用費」といった名称のボーナスを、政府が支給する(国民の預金口座に振り込む)ことにすればよいであろう。
まもなく日本経済は崩落し始めるだろうが決定的な救済策があることを覚えておいてほしい
この施策は、過日の給付総額が対GDP比で0.14パーセントにすぎなかった「地域振興券」とは異なって、年間給付額が対GDP比で約10パーセントと桁違いに大きいし、その財源が税金でも国債でもなく、国民の負担には全くならずに国民の所得を大きく増やしうる。この政策の実施が景気浮揚と経済成長をもたらす効果は100パーセント決定的・即効的に確実である。企業が生産能力を棄てはじめているとはいえ、今はまだ巨大なデフレ・ギャップという膨大な「生産能力の余裕」が存在するわが国の現状(本誌五月号の私の論文参照)では、需要がどんなに拡大しようとも、諸商品の生産・供給も敏速・的確に伸びうるから、インフレ・ギャップの発生で物価が大幅に高騰するといった心配はまったく無用である。しかも、このような施策は、簡単明瞭かつ公平で、政府機構の肥大化の心配も無く、「消費者主権の原理」を基礎とする市場経済システムの特性に最も適合していて、経済に歪みを残す怖れもまったく無いから、きわめて優れた政策案である。
このような政策を実施すれば、経済全体への波及効果(乗数効果)をかなり低めに見積もっても二年ほどのうちに実質GDP水準が百兆円ほど上昇−−Lつまり、年率10パーセントの高度成長−−することが確実である。株価や地価も大幅に回復し、いわゆる不良資産・不良債権は、優良資産・優良債権に一変する。
しかも、このような大規模な内需拡大により、わが国は諸外国の産物をいっそう多く輸入することになり、全世界の経済に有益な共存共栄効果をおよぼすようになるが、それは円の対ドル為替レートをかなり円安に導き、産業は対外競争力を大幅に回復しえて、わが国は産業空洞化の悪夢から解放されうるであろう。
以上の政策案こそ、私が、過去十年、声を大にして提言し続けてきた「救国の秘策」なのである。先入主的な偏見を棄てて虚心に考えれば、この「秘策」こそが、現在のわが国経済の窮境を打開しうるほとんど唯一の「決め手」であることが、わかるはずである。いま、わが国民(庶民)が心の底から熱望している政策は、まさに、これである。このことが、政治家たちには、なぜ、わからないのであろうか。