2008年02月19日

「Japan is NO1」(とうとう始まった日本の時代)

「正道塾」 幹事長 藤本龍夫


先週土曜日は、「Japan is NO1」(とうとう始まった日本の時代)と題して講演を行った。

いつものポートピアホテル、「正道塾」の例会でのことだ。あいにく佐々木博士は香港に急用があって来られなかったが、92歳でも外国行きは苦にならないようだ。見習わねば。


適当に、というと語弊があるが、軽い気持ちで出かける寸前に、仏教研究の大家、重松昭春先生から電話があった。
http://www.tokishobo.co.jp/detal/195-6.html

今日の講演を録音して、講演録を雑誌に掲載したいと提案があった。その上に「期待しています」、などといわれて、大いに焦った。


例会に出かけると、天才経済学者、丹羽春喜教授も来ていて驚いた。
http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/ronbun/19.6-makurokeizaigaku.htm

「藤本君の講演なら行かなくちゃ」、と言われて恐縮した上に、経済学的な誤りを指摘されるのではないかと肝が縮んだ。


とはいえ、もともと厚顔無恥ゆえ、失敗してももともとだ。


司会者も兼ねていたので、自分で司会して自分で講演することになった。それにビデオの操作を菱田さんに頼み、資料を配ったので、カセットテープを回すのを忘れた。


かつてエズラ・ボーゲルが、ジャパンアズNO1と言ったことがある。それはNO1でもないのにNO1のように振舞うという意味だったが、これからは文字通りNO1に日本がなって世界を指導していかなければならない。

経済的には、米欧は1930年以来の大恐慌を迎えており、その対策は米国政府が優れているとしても、住宅バブルの崩壊は住宅ローンにとどまらず社債市場も毀損し、さらに信用収縮も引き起こしている。

社債を保障するCDS(クレジットデフォルトスワップ)は、かつての状況の3倍のリスクを見込んでいる。

その他、商業用不動産も価格が低下しており、クレジットクランチが急激に進んでいる。おそらく中国も株価が急落したうえに、経済成長のモデルを失うだろう。

発展途上国のモデルは日本である。日本の経済発展は米国への輸出につぐ輸出であった。
ところが、このモデルを中国は今後使えなくなるのである。


また日本の銀行は、いまだに見えない部分はあるとはいっても、もっとも軽微な損害となるだろう。日本国の大企業のほとんどは、バブルの頃の借金を返済し終えておりバランスシートに欠陥はなくなっている。

ところが米欧州の企業は、今からバランスシートの資産が減少して、債務超過に陥るのである。

1時間15分も話し続けたので、ここには書ききれないが、少しずつ思い出して書いてみる。

米国から日本への覇権の移動は、戦争を引き起こさないことを当面の目標としなければならない。



「Japan is NO1」講演2    

「Japan is NO1」と題する講演は1時間15分に及んだが、その後の質疑応答も白熱し、結局3時間30分も続いた。

いやあ、良かった!

日本の未来と人類の未来がかかっているためか皆が意見を出し、それに答えたりしているうちに食事の時間になってしまった。


なぜ日本が世界一の大国になるのかといえば、それは丹羽経済政策があるからだ。

今後、経団連も日商も同友会も、貿易黒字を求められない客観情勢に気がつくだろう。そうなると内需拡大が求められる。


丹羽教授の統計によれば、1980年以来、日本国は内需抑制政策を採用してきたことが明確に分かる。http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/ronbun/19.6-makurokeizaigaku.htm
ここの一番下にある「付表」参照。

内需抑制策を採用した結果、少子化にも成功したし、自殺させることも成功している。



この付表から読み取れる重要な点は、自生的有効需要支出とGDPが、ぴったり一致していることだ。

つまり、自生的有効需要支出項目のどれかを人為的に増やせば、そのとおりGDPも増えるということだ。

民間投資支出は、企業が儲かると思うときに増やすことが出来るとしても、そうでもないかぎり人為的に増やすことは困難である。

純輸出とは貿易黒字のことである。これもまた諸外国の景気が良いときは増やすことが出来るが、あまりに増えると、変動為替相場制度を採用する限り、やがては、たまったドルを円に換えなければならず、円高を招くことによって自動的に減少させられることになる。

そうなると人為的に増やすことが出来るのは政府支出だけだとわかるだろう。政府支出には人件費も含まれるため公務員の給料を倍増させてもいいが、国民が納得しないだろう。そうなると公共事業しか残らない。

もちろん、ブッシュがやったように16兆円の減税小切手を空からヘリコプターでばら撒く方法でも良いが、日本人はこれを嫌がる。
日本人は働いて、その対価としての賃金でなければモラルが破壊されると考えるらしい。


結局のところ、公共事業がもっとも妥当だというところに落ち着く。経済的にはヘリコプターマネーのほうが、各人の消費者主権の発揮によって、もっとも偏りのない産業構造が生まれるゆえ優れているとしても、道徳的な配慮をせざるを得ないのであれば公共事業という手法で金を流通させることになる。

「付表」から分かるように公共事業を急激に減少させて内需を抑制させてきたのが不況の原因なのである。

それゆえ、公共事業を増やせば景気が上昇するのである。「押しても駄目なら引いてみな」ということわざも、あるくらいだ。頭の固いものは、それすら拒否する。


しからば、財源はどこにあるのか、といえば政府紙幣発行案があるのだ。
明治維新を成功させた政府紙幣発行案こそが、日本の時代を作るツールなのである。



「Japan is NO1」講演3

長い間、気がつかなかったが天才経済学者、丹羽春喜教授の論文によって明治維新がなぜ、成功したのかが分かった。
http://www.niwa-haruki.jp/ronbun/20050201.html

坂本龍馬は経済通であった。それゆえ越前藩の財政家、三岡八郎の天才を見抜く眼力を持っていた。

坂本龍馬は薩長同盟を締結させ、大政奉還の道筋をつけた人物であっただけでなく、維新政府の民主政体までの立案を船中八策で創造した英雄であった。

この龍馬が徳川慶喜に大政奉還を認めさせた後、直ちに越前藩に三岡八郎を訪ねている。
たばこ屋という旅館に泊まり、三岡八郎を呼びにやると彼は当時、政治犯であったので、お目付け役の役人二人もやってきて、三岡、坂本が24時間かけた新政府の財源を何処に求めるかの議論を書き留めている。


龍馬が徳川との戦いはしないというと、三岡がなぜだと問う。金がない、と坂本は答えるわけだ。

考えてみれば当然だが軍隊には軍資金が必要だ。大商人が蓄えていた100万両を使えば成功するというような生易しい金額ではない。

鳥羽伏見の戦いから始めて官軍を江戸まで進め、さらに短時間に徳川幕府を倒さなければならないのだ。それに失敗すれば、英国やフランスから金を借りなければならず、それは結局、日本を植民地にすることを意味する。


だから龍馬は大政奉還策を後藤象二郎に進言し、これを土佐藩の公論として推進させたのだが、軍資金が調達できれば話は違ってくる。


三岡八郎はかつて越前藩の財政を急激に改善し、藩の蔵が抜け落ちるほどの小判を積んだ、実績のある天才財政家であった。

三岡八郎は、龍馬に少しずつ教えていく。ある段階までくると、「どうだ、ここまで腹に入ったか」と念を押すことを忘れない。龍馬もひとつずつ疑問点をたずねる、という具合にすすんだ。酒を飲みながらも明治維新を成功させる軍資金の捻出方法を討議した。


三岡八郎は、金とは何かと問う。金とはキンでもなく紙でもなく、信用だというのである。
その信用とは何によって担保されているのかといえば、生産力だ。当時の世相はテロと戦争の恐怖におびえて、生産能力はあっても生産できない情勢であった。

そのため生産能力が100あっても実際の生産は50しかできない。
100から50を差し引いた残りが50あり、これを担保にして太政官札を発行するというのであった。


この状況は現在の日本国も同様である。
生産能力は約1000兆円あるのに実際の生産は500兆円しか出来ていない。
それゆえ、この生産能力と生産との差額を担保にして紙幣を流通させれば、潜在生産力が実現するのである。


具体的には年間50兆円規模の公共事業を行えば良いのである。経済を知らない経済学者の中には、そんなことをすればインフレが起こると真顔で反対する人もいて驚かされる。

しかし分かりやすく説明すればこうだ。

50兆円の公共事業の追加は、年間GDPつまり年間の粗利益合計の10%に過ぎない。
つまり、あなたの会社に前年比10%余分に注文があり粗利益が増えるに過ぎないわけだ。


インフレとは何か。生産能力を超えて注文が殺到するときに起こる諸物価の値上げである。
もしも、あなたの会社が昼夜兼行、24時間体制のフル操業をしているときであれば、さらに10%余分に注文を貰えば値段を上げざるをえない。

すなわちネをあげるのである。ネをあげて値をあげるから値が上がるのである。これをインフレと呼ぶのだ。

これで現下の日本経済ではインフレが起きないことが経済学者にも分かるだろう。




そもそも通貨とは何か。
通貨とは生産を督促する電報のようなものである。

通貨とはものづくりのツールなのである。


普段使っている金は何のために作ったのかと問えば、三岡八郎が説くように、ものづくりを奨励するために作り出したものだ。

人間が他の動物と違う点は、昨日、地球上になかったものを今日作り出す点にある。銀行が間接金融を行い証券会社が直接金融を行うのは、この生産を奨励するための役割を主たる任務とするのである。


液晶開発で有名な佐々木正博士は、これを「物事創り」と表現する。
単なる物づくりなら誰でも出来るが、心をこめて人類のために創り出すこと、魂をこめた物づくりこそ日本人が心配しなければならないことである。

心をこめた物を頂いたときに、感謝をこめて手渡すものが通貨である。
心と心の交流を促進するのが金である。

経済学を学んだ者の中には、この通貨の本質を考慮せず単なる物質であるがごとき考え違いをする者が多い。


三岡八郎の天才を見抜き、これを明治維新の財政家として起用した龍馬も偉人であったが、龍馬の死後も三岡八郎を新政府に呼び出し、財政を任せた桂小五郎、西郷隆盛、大久保利通も偉かった。

若いのにほんとに偉い人だった。おかげで日本は植民地とならず、おかげで日清戦争にも勝つことが出来、日露戦争にも負けず、大東亜戦争では、植民地を独立させ、人種差別のない世界を創る事ができた。

われわれは偉大なる先人の子孫である。この理想のわだちを踏み外すことなく人類の幸福と安全を創りだして行かなければならないのである。

そのために憲法も教育もエネルギーも食糧も新しい国連も、全部新しく準備しなければならないのである。



「Japan is NO1」講演4

物事創りとは付加価値を創ることである。単なるもの創りだけでなくソフトも含めているのである。


日本の時代を500年間続けるための基礎を確立しなければならない。

徳川家康公は300年の平和を続けるために知恵をしぼり準備に心血を注いだが、われわれもまた、新しい世界の創造のために心血を注がなくてはならぬ。


山本七平氏は、現代の日本人の信ずるものを日本教と名づけたが、その定義を明確にして3大宗教の世界に住む住民にも分かりやすく教えなければならないだろう。

この日本教の明確化のためには、「ホツマツタエ」が役に立つ。



昭和40年代に発見されたこの歴史書は、日本書記、古事記の原本である。

その中には、人間の成り立ちが書いてあり、宇宙の真ん中あたりから、タマがやってきて、地球のシーと結びついて魂ができると書いてある。

この歴史書によれば、縄文時代前期に、クニトコタチが初代の神となったとあり、この後の時代を歴史時代と呼び、それよりも前の時代は、諸説がいろいろあって分からないところも多いので神話時代と区分している。


この縄文前期頃に初代天皇が詔を発しているが、それは有能なものはみなのために心血を注ぎ、有能でないものは、その恩恵を喜び感謝すると共に皆で協力してすばらしい世界を創ることを国是とする恵民立国を謳っている。


そして初代天皇クニトコタチが教えた内容が記載されている。それは屋根の創り方であった。そのころまでは屋根がなく、寒い冬をニホンザルのように過ごしていたらしく死ぬものが多かったようだ。

そこで、かずらを取ってきて、木を八の字のように組み、交差したところを、かずらで結ぶという技法を教えている。これを、当時のヲシテ文字では、ムという字に似ていたので、室屋ということになったとある。
http://julian.way-nifty.com/nwk_woshite/


これが、物事創りの始まりであった。


日本教の基底には、この物事創りが厳として存在するため、後に仏教が日本に導入され、用命天皇が帰依したとしても、物事創りが強く残り、逆に仏教を変容させていったのである。


仏教は釈迦が始めたが、この人は貴族の出身であった。その教えの内容は、重松昭春氏が説得力を持って解説するように、現代の科学をもしのぐ理論的緻密さと内容の深遠さであったが、労働には価値を見出していない。それゆえ仏像は寝そべっていて、神道の物事創りとは、そりがあわなかったようだ。



江戸初期には、この仏教は、神道の教えである働くことの大切さと調和するよう内容が変えられ働くことが仏道であり、それによって悟りを開くことができると変容された。農民の願いに答えて坊主になって修行しなくても、極楽に行けることになったのである。

農民にとっては草刈が修行であり田の草取りが仏道となったのである。商人もまた東に足りない物があれば西から取り寄せ有無通づることが仏道であり修行となったのである。


これが日本資本主義の精神である。



ユダヤ教徒は旧約聖書のみを信じ、キリスト教徒は旧約と新約聖書を信ずる。そして回教徒は旧約聖書とコーランのみを信ずるものである。


日本教は、過去にユダヤ教を取り入れたようだが咀嚼して形式のみを残したようだ。
聖徳太子はユダヤ人であり、彼がとく仏教はユダヤ教の色彩が濃いといわれている。初期のキリスト教徒の可能性もあるが、異質な仏教を説いている。


この当時の、初期キリスト教またはユダヤ教をどのように変容させたのかを研究すれば、日本教がユダヤ教を包摂する過程が分かるだろう。


仏教は、3大宗教に比べると、その内容が膨大でしかも緻密である。その仏教でさえ神道には太刀打ちできなかったことを考えると、日本教(神道)の凄さが良く分かる。


世界はやがて日本教徒キリスト派と日本教徒回教派、日本教徒ユダヤ派などに分かれて共存できるだろう。

そのための日本教(神道)、なかでもホツマツタエの研究が急務である。


武士道や柔道、茶道や剣道、空手道、そのほか道がつくものの真髄は神道でできている。

その日本教の賛美歌は日本語なのである。



「Japan is NO1」講演5

日本語は日本教の賛美歌であり、擬音語は神道の黙示録である。

500年の日本の時代を創る為には日本教の明確化が欠かせない。


そこで、日本人の使う日本語から考えてみる。
日本語は音の高低によって話す言語であり、温和な性格を作り出すが、さらに幼いときに日本語で育った者は、脳内の処理システムが変わり、虫の音を虫の声と聞くようになる。


これは角田教授の実験によって発見されたことだが、外国人も右脳で音楽を処理し、左脳で言語を処理することは変わらないが、幼いときに日本語で育った者は、虫の音を左脳の言語脳で処理することになって虫の声と聞くのである。


それゆえ、夏の暑いときのせみの声は、暑苦しいとしても、1週間しかない命なら、みんみん鳴いても仕方ないということになる。ところが外国語で育ったものは、このせみの音やかえるの音も皆、右脳の音楽脳で雑音として処理されて、なんの情も湧かないのである。

もののあわれとは、生命のあるものにうまれるが、命のないものにも及ぶ感情である。ところが日本語で育たなかった者には、雑音として処理される牛や豚や鶏の生命に、哀れを感じることはできないだろう。


擬音語もそうだ。
日本語には擬音語が多い。

キキーと車が止まるのは、車も人間も同じだという感覚があるからである。
ヤギがメーメーと鳴き、牛がモーモーと鳴くのは、同じ動物、人間と同じ自然の一部だという暗黙の了解があるためである。


日本語で育っていると人間もまた自然の一部であり、石ころも小川も木々も水だって、めだかだって、みんなみんな自然の一部であり、死ねば自然に還ると、自然に考え付く。



男も女も自然に結ばれることを喜ぶ。
自然に関係ができて自然にできちゃって結婚することになる(汗)


この自然とは神を指すのである。


したがって英語風に表現すれば、私たちはB動詞プラス過去分詞で受身形でコンバインされ、神によって結ばれたのである。


つまり日本教徒の婚姻は神の御手によって実行されているのである。


そしてまた日本教徒は、神の一部として誕生するのである。

それゆえ、罪を知らぬ赤ままの赤ちゃんとして誕生するのであって、生まれながらの罪人として生まれるわけではないのである。



それゆえ、日本教徒が大勢集まれば、そこには神が臨在するのである。
神の一部が大勢集まれば、その全体が神となるのである。ちょうど細胞が60兆あつまれば人間となるようにである。

合唱は神の声である。ボクシング世界大会は、大勢の人が集まるゆえに、神が臨在するのである。そこは聖地となり人間業の全てを出し切り、フェアな戦いをする場所となるのである。
そこをアンフェアなルール違反で汚してはならないのである。



キリスト教徒は、ゴッドが泥に息を吹き込んで創ったのが人間であると信ずる。

ヨブは信心深いキリスト教徒であったが、次々と不幸に襲われ、やがて全身皮膚病に冒され、周囲の人々もこれほどひどい不幸が襲うということは、悪党に違いないと石を投げつけるほどであった。

ヨブはゴッドにその理由を何度も何度も問いかける。なぜ信心深い私をこんなひどい目に会わせるのかと。


答えは、お前は私が創った被造物に過ぎない、とのことである。




ゴッドは絶対者と解釈されているが、それは間違いだろう。
ゴッドが絶対者なら、誰にも持ちあげられない石を創り、それをゴッドなら持ち上げられるだろう。

それはゴッドといえどもできないのである。



日本教徒の契約は神同士の契約である。
そのため超信頼社会を作り出す。


キリスト教徒の契約はゴッドとの契約を各個人がすることの反射的効果として成立する。
それゆえ、結婚もゴッドとの契約を男がし、女がゴッドとの契約をすることの反射的効果として成立する。


ところが日本教徒は自分が神の一部であるため、ゴッドとの契約は不可能である。自分との契約というのは語義矛盾するからである。

それゆえ個人間の契約は、神の一部と神の一部が契約したことの証人として神仏を呼ぶことになるのである。


ユダヤ教徒や回教徒、キリスト教徒がこんな日本教を知ったら、ずいぶんと明るい気分になれるだろう。


これからの地球に必要な思想とは、自然と共に生きる思想であり、自然の一部としての人間という観点である。

3大宗教は、このような自然に包まれた思想によって、明るく建設的でありうるのである。



国会は哀しい

日本は排他的経済水域も含めれば世界で7番目に大きな国である。

新しい世紀をはじめるには、この広い領海を存分に活用してエネルギーと食料の製造地として、また夢の実現地としても活用しなければなるまい。


地平線から太陽が昇り地平線に太陽が沈む、そんな国土があるといい。

日本が世界一の大国になると人口は増え続け、短期間で3億人を超えることになる。
経済成長は、必ず人口増加を伴うからである。


松下幸之助氏が検討していた新国土創成がどのような内容であったのかが気になる。

今のところメガフロートができているとはいえ、これは実に小さくて話にならない。
http://www.nmri.go.jp/ocn/megafloat/megafloat_j.html


前に検討したように、高さは20m以上あって波の影響を受けず、水面下に同じ長さの深さのパイプが伸びていて、その重みで逆浸透膜を通過する水を飲料水とする。また水面から床までの間に、風力発電設備が必要だろう。

材料は500年さびることのない素材を開発して、できれば自動修復機能つきのものが良い。昆布のような金属が望ましい。



人類は月に済む前に海に住むだろうから、「海の時代」を切り開くのが日本の時代である。

この新大陸からは衛星を毎年10個は打ち上げて宇宙太陽光発電によって人類の必要とするエネルギーの3倍くらいは確保したい。

そのほか食料も、人類の必要とする量の6倍は確保できるだろう。
その研究者を私は知っているからだ。

世界一の大国となる限りは、人類の必要とするエネルギーや食料をいつでも用意できるという準備が必要だと思う。


その必要額がいくらかなのかは、まだ分からないが、日本のデフレ・ギャップは毎年400兆円くらいはあるわけだから、毎年それだけつぎ込むことができる。


すでに水から簡単に水素を取り出す技術も実用化されているから、「日本の時代」は、「水の時代」も伴うだろう。油の時代の終わりは、原油高となるのか。覚えておいて子ども達に教えてやりたい。


やがて私も油の時代の体験者として、各地でそのころの話を聞かせて欲しいと講演を求められるに違いない。



楽しみだなあ。
 
「Japan is NO1 」の講演内容は、前に書いたものの繰り返しになるので終わります(汗)


道路に金を使うべきか、道路特定財源はどうするべきか、などなど、いつ聞いても空しいことに時間を費やす国会というのも、なんだか哀しいね。

                                                            (終り)
日本経済10%成長論