Date: Tue, 19 Dec 2000

 

みなさん こんにちは。今シンガポールでこれを書いています。
東南アジア〜東アジア全域がらいろいろなアーティストがあつまっててんやわんやの一大ミーティングワークショップ&コンサートが行われているのですがいや〜なんといったらいいか、カオスというか、タイムマシーンで70年代に戻ってしまったよう・・というか、ダメダメとでもいうか、とにかく、それでも見方をかえれば面白いことが沢山あるともいえるというか連日良くも悪くもいろいろなことがおこりすぎてまだ途中経過だし、頭も混乱しているのでこの報告は次回にするとして今回は11月のヨーロッパツアーの後半部分を書きました興味あれば読んでみてください。では今月の日記です

大友良英

 

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JAMJAM日記

 

@月@日 ブリュッセルのシアターでFilamentのコンサート。会場の四隅に置かれた巨大なスピーカーを使って、極めて静かでミニマルな40分間の演奏。客の服と服が擦れる音すら浮き出て聞こえてくる。この日は意地でもベストコンディションでいい演奏がしたかった。実は1年以上も前から、ある現代音楽の作品を演奏するために同じ時期にブリュッセルの大きなフェスティバルから呼ばれていた。某有名アンサンブルのゲストとしてだ。もともとFilamentはこのコンサートの関連イベントとして組まれたコンサートだった。ところが直前になって突然ベルギーの友人からコンサート自体がキャンセルになっていることを知らせるメール。主催者もアンサンブルも、責任のがれに終始するばかりでラチか開かない。すでに飛行機の手配も終えた後で、このままだと、オレが渡航費をかぶることに。大きな組織や会社がやることは、結局いつもこれだ。問題が起こったとき責任の所在がはっきりしないし、契約書だって裁判を起こす能力(財力)のない個人にはほとんど意味なんてない。結局この事態を憂えた友人が各方面に働きかけて渡航費まで出させて、かなりの好条件でFilamentのコンサートを企画しなおしてくれたのだ。だから、その彼の為にも絶対にいい演奏をしたかった。演奏終了後、すぐにライブCD化の話がくる。サクセス! こういうとき信用できるのは友人だけだ。Thank you,Rony!

 

@月@日 スロバキア国境。警備隊がバスに乗ってきたときなんとな〜くいやな予感はあった。6年前に一度ハンガリーの国境でヴィザがなくて、1時間だけ留置場に入れられたことがある。それ以来、ヴィザには気をつけていた。おなじ6年前、オレはたしかにヴィザなしで、スロバキアに入国している。でも、そんな記憶はなんの役にもたたなかった。日本パスポートを持つ者はヴィザがなければこの国には入れないという決まりが2000年11月の時点ではっきりあったのだ。「バスを降りろ」と命令する拳銃を持った警備隊員。な〜んにもない国境。バス停もなければ、公衆電話もない。タクシーだって通らない。どうすればいいのか聞くと、10Kmほど歩けば町があるからそこでバスに乗ればいい・・だって。おいおい。氷点下0度の中40kg近い機材を持って10kmも歩けってのか。よ〜し、こうなりゃヒッチハイクしかない。が、誰ひとり止まってくれない。というより、こっちを見ないようにしてる。国境で帰された人相悪しき大荷物の東洋人なんて誰だって乗せたくないもんなあ。あ〜あ、明日のコンサートはどうなるんだ。だいたいオレ、このあとどうなるんだろう。なんてぼ〜っと考えていたら、見かねたオーストリア側の国境警備隊員が空のバスに掛け合ってくれてウイーンまで帰れることに。ほっ。今日はあったかいスープでも飲んで、ゆっくり寝よう。すべては明日だ。

 

@月@日 早朝から駆け回ってウイーンのスロバキア大使館で無事ヴィザをゲット。この間使ったタクシー代だけで、優にギャラ以上の金額だ。ま、しゃ〜ない。1日遅れでスロバキアのコンサート会場へ。開演ぎりぎりどうにか間に合った。演奏も良かったし。終演後、地元の人達との打ち上げ。6年前は夜中にバーなんて開いてなかったのに、えらい違いだ。そこここにネオンがちかちかしている。が、入ったバーで、久しぶりに飛んでもない目にあった。ウェイターがオレの顔を見て露骨に嫌な顔をしたのだ。それも一人だけじゃない。あるんだよな〜いまだに人種差別って。苦労してせっかく来たのに。「黄色いサルのエサ置いてます?」よっぽどそう言ってやろうかと思ったけど、どうせ英語は通じないし、巨大なウェイターと喧嘩しても、たたき出されるのがオチだ。僕らは無言でバーを出ることにした。そういえばコンサート会場の入口で「STOP RACISM」のチラシを配ってたのを思い出した。なんで、わざわざ? 日本人のコンサートだから? なんて逆にへんな気分になったのだけれど、そういうことだったのか。この後行った中華料理屋の店員からオレはちょっと普通ではかんがえられないようなものすごく温かいもてなしを受けた。まるで同胞のような扱いだ。でも逆に、ここでのアジア人の置かれてる環境の厳しさをひしひしと感じてしまって、素直にはよろこべなかった。悲しくなった。ふ〜、もう21世紀だぜ。アジアも西洋も、黄色も白もどうでもいいじゃねーか。人間はいったいいつになったら賢くなれるんだ。だれか何とかしてくれ〜。

以上

 

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Date: Thu, 9 Nov 2000

 

こんにちは

今ブリュッセルでこれを書いています。明日はスロバキアに向かいます。東京を出て半月。今回は比較的ゆったりしたスケジュールで5カ国を1カ月弱かけて回わってます。この何年間か、過酷なスケジュールのツアーばかりしてきましたが、さすがに体力的にも精神的にも限界が来てしまいました。じっくり一つ一つの仕事をこなすペースに変えなくてはと、切実に思っています。すこしづつゆっくりと、しかし、より深い仕事のペースに移行していければと思っています。
では今月の日記です

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JAMJAM日記

 

@月@日 毎年恒例秋のヨーロッパツアー。最初の目的地はイタリア、サルディニア島にある大学でのワークショップだ。プロ級からほとんど楽器を手にしたばかりのやつ、コンピュータだけで音楽をつくってるやつ、テクノしか知らない青年、中年のジャズサックス奏者にいたるまで15人のバラバラな連中を4日間で1つのアンサンブルにまとめあげて、最終日にステージにあげなくてはならない。難題だ。なんで引き受けちゃったんだろう。きっとサルディニアの太陽とイタリア美女を期待したオレのすけべ心のせいだ。ものごとは期待どおりにはいかない。太陽どころか、滞在中はワークショップの連中とほとんど室内で過ごしたばかりか、メンバーはオール男性。イタリア美女どころの話じゃない。とほほ。

 

@月@日 なんていいながらも、ポジティブで思慮深いサルディニアの人々とオレはかなり充実した濃厚な時間を過ごした。連日連夜音楽の話に明け暮れ、ワークショップのほうも、もうやらないつもりでいたカットアップ系のコンダクションを久々にやって、最終日のコンサートも大成功だった。当初、15人いても1人分の音にすらならないようなアンサンブルを考えていたのだけれど、これは諦めざるをえなかった。まだまだ自分自身がそこまでいってなかったせいもある。そういった試行錯誤を含めて、有意義な時間だった。素敵な友人も出来た。とはいえ、もう当分ワークショップはやらないだろう。知らないもの同士が出会う為に、共通のルールを考えその中で音楽を作るというやりかたへの興味が、自分の中で、今は消えつつあるからだ。無論そういうやり方を否定してるのではない。ただカットアップを使ってしまうと、どうしても「出会い」にベクトルが向いてしまう。そうではない今の自分の視点でワークショップが出来ないかぎり、自分の過去を切り売りするだけになってしまうからだ。考えるに自分が今一番興味があるのは、人間が「音を出す」という根幹の部分なのだ。

 

@月@日 フランス、ヴェルダン。ここで行われたデンシティフェスティバルは、この「音を出す」ことの根幹を考える上でものすごく有意義な内容だった。初日、地元の人たちを中心に十数名の即興オーケストラがまずはステージに。まったくの即興なのに部分的にはまさに1人分の音にすらならない。オレがイタリアでやろうとして挫折したあの世界なのだ。あきらかに演奏なのだけれど、これまでの音楽とは何かが根本的に違う。どう言ったらいいんだろ。あ〜、もどかしい。オレにはこれをうまく文章にする能力がない。これをちゃんと文章にできたらオレは世界的な評論家、いや思想家になれるのに・・・。

 

@月@日 とにかくこのフェスは、無名だけれどへんてこなのが沢山でている。昨日のオーケストラの中にも、音が出る物ならなんでも使って得たいの知れない演奏をする青年ルドヴィック・フレッセや(彼はカットアップと音響の境をゆうゆうと飛び越えるようなファーストアルバムを出したばかりだ・・傑作)、中身がむき出しのオーディオに指をつっこんで電流演奏をするジャン・フィリップ・グロス等面白い人が多数いたし、昨夜のとりは、レコードを使わずにターンテーブルだけを演奏するカナダのマルタン・テトロが、音源のはいってない空のサンプラーを演奏する日本のSachiko Mとまったく起承転結のない静かな演奏をしたりで、「音を出す」ってことを考える材料に事欠かない。そもそもこのフェスの企画者のザビア・チャールズ自体がスピーカーを演奏して(って書いてもなんのことか、さっぱり分からないっすよね、でもスピーカーを演奏するんですよ、これが)不思議な音響を出したり、クラリネットの名手でありながら、ほとんど風の音しかはいってない世にも美しいクラリネットのCDをだしたりする人なのだ。そしてなによりも象徴的で興味深かったのは2日目の杉本拓とフランスのカメル・ゼクリのギターデュオだ。このまったく初対面の2人の即興演奏家は、同じようなノンエフェクトのギターでアブストラクトな演奏をするにも関わらず、水と油のように世界が違っていた。どこまでも楽器を演奏し音楽を作ることで自分を主張するカメルとは対照的に、杉本は徹底して従来の楽器を演奏するベクトルとは別の方法でギターを演奏する。う〜ん、くやしいけれど、この差異も、オレにはどう文章にしていいのかわからない。でもオレには杉本がなにをやりたいのか痛いくらい良く分かったし、それにとまどいますます楽器をかき鳴らしてしまうカメルの心も良くわかる気がした。ここで起こってることは、もうオレにとってはめちゃくちゃおもしろい、どきどきするくらい心ときめくことなっだけれど・・・え、なに言ってるのかさっぱりわからない、う〜ん、う〜ん、だれかこのことを分かるように説明してくれ。

 

JamJam日記追伸

Date: Fri, 10 Nov 2000


追伸です

先日送った日記のラスト「・・・え、なに言ってるのかさっぱりわからない、う〜ん、う〜ん、だれかこのことを分かるように説明してくれ」を受けて、友人から返信がありました。それによると、佐々木敦氏が雑誌「GROOVE」の今月号でFilament を題材に、これにかかわるような連載を始めています。(もう出たのかな)わたしはまだヨーロッパにいてモノは読んでいませんが佐々木さんからは先月メールで何度か取材を受けていてFilamentについての考察が始まることは知っていました。興味深い質問をいくつも受けたのですが、ここでも私は自分の今やろうとしていることをちゃんと文章にはできませんでした。自分のやりたいことは感覚的にはそうとう明確にわかっているつもりなのですが言葉で説明するのは、やはり難しい。それだけに佐々木さんがどう書くのかにすごい興味があります。(余談ですが、インタビュー以外でちゃんと取材をしたうえで批評が出るのは 日本では極めてまれなことです。そんなことでいいんですかね〜)興味あるかたはぜひ「GROOVE」読んでみてください。ちなみに先月まで続いていたディレクベイリーとその即興をめぐる考察も刺激的でした。はやくまとまった本になること期待してます。

大友良英


さらに追伸:
今本当ならスロバキア、ブラティスラバのホテルに到着明日のコンサートの準備をする予定でしたが、スロバキアの国境でヴィザがないという理由で追い返されてウイーンの空港のホテルでこれを書いてます。 とほほ。何年かに1回はこういう目にあう。数年前はヴィザがなくてもスロバキアにはいれたのに・・旅なれると逆に油断して、こんな事態になることも・・ま、主催者も日本人には入国ヴィザが必要だなんてことを知らなかったみたいなんで、明日スロバキア大使館にいってヴィザをとってからコンサートに間に合うよう入国するつもりでいます。ほんと国境はめんどくさい。なんとかなんないのかね。

では〜

 

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Date: Fri, 20 Oct 2000

 

こんにちは 大友良英です。


自宅に導入したマックでの初仕事は奥秀太郎監督の初作品「壊音」のサントラ。いつもなら私の仕事はかなり早いのだけれど、今回ばかりは時間がかかってしまった。初めて使う音楽ソフトにふりまわされ、はじめの2週間はマニュアルを読んだり、友だちに電話して聞いたりする時間のほうがはるかに多かった。完全自主制作の奥監督も全て自宅のコンピュータでデジタル編集している。映画ではこれが圧倒的に安上がりなのだ。彼が来るたんびにいろいろやり方を教えてもらう。
 マック導入の一番の理由は、この2年間で日本の映画の音編集(音楽、効果音、台詞)がほぼ全てプロトゥールスというマックの音楽録音ソフトに切り替わったからだ。映画だけではない。音楽スタジオの多くもこれを使っている。アナログぼ音とやり方に愛着がある私でもアナログじゃなきゃ〜なんて贅沢はいってられなくなってきた。それに自分の家にこれがあると自宅で作ったものをデータで持っていって細かい編集のやりとりが出来る。これが最大の利点。今までだったら車で大量の機材を持ち込んだり、スタジオを行き来しなくてはならない労力が省ける。おかげで奥監督との間でもデータのやりとりで作業がすすんだ。確かに便利だが、それ以上に創作の方法自体が変わることで作品そのものの質が変化することが興味深かった。良くも悪くも、そういったことが時代の音になっていくんだと思う。ここではリミックスの発想はすでに日常的な、当たり前のことになって来る。製作者が受け手の感性がシンクロしていくというか、作り手と受け手の境界が瓦解している中で作品を作ることの意味を考えなくてはならない点も面白い。

 10年前に予想した以上のはやさで音楽制作環境はかわる。機材が安くなればシモジモの金のないアーティストの制作環境もどんどん変わっていく。ぼくらは手にはいる安い道具を新旧こだわらずにどんどんつかいこなしていけばいい。ぼくらが使いこまなければ、機械は世の中を退屈にするだけの保守的な道具に堕するだけだ。・・・なんて、えらそうなことを書いたけれど、今月はその機械にふりまわされる私のデジタル音痴ぶりがテーマ。アナログなら強いんだけどな〜(負け惜しみ)

 

 このあと恒例の秋のヨーロッパツアーで1カ月ほど留守にします、では今月の日記です。

 

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JAMJAM日記

 

@月@日 ドイツ、韓国、中国とまわり帰国早々休む間もなくNEW JAZZ QUINTETのメンバーとともに北海道へ。久々の国内ツアーだ。こっちじゃとてもお目にかかれないような旨い魚にありついたり、途中病気で倒れる奴がいたり、そのおかげでかわりに小樽在住の強力なサックス奏者奥野さんが参加、いい出会いができたり、メンバーにちょいとしたLOVE STORYがあったり、いった先々の打ち上げで地元のこだわりおじさん達の愛情あふれるはげしい攻撃をひいひい言いながら楽しくかわしたり、さらに途中から合流したもう一つの私の現代音楽プロジェクトCATHODEが予想以上の演奏をしたりと、いつものツアー以上に話題と成果にことかかない内容。企画をしたNMAの沼山さんのシビアな批評がズシーンと来る。国内ツアーもいいもんだ。NMAはじめ各地の主催者には本当に世話になった。感謝。

 

@月@日 釧路から単身愛知県一宮へ。ここでは十数年来の友人の伊藤くんがプレゼンチという小さいバーをやっている。ブラジル音楽や60'sポップス、ビバップにアバンギャルド、ありとあらゆるオレ好みの音楽が始終かかっている店だ。ほとんどカウンターだけのこの店でソロ演奏。終演後はべろべろに酔った彼と下戸のオレ、それに地元の友人達で明け方まで飲み明かす。こいつは帰りぎわにいつも寂しそうな顔をしやがる。わかった、わかった、また来るからよ、じゃーな。

 

@月@日 一宮から名古屋へ向かう途中洪水の被災地を通過。水が引いて2日目。あたりはもすごいことになっていたが、晴天の中老若男女沢山の人々ががれきをかたづけている風景は、悲惨というより、むしろ希望に近い印象だった。人間にはそういうパワーがある。今日の目的地は名古屋の映画館シネマスコーレ。1993年オレがはじめてサントラを作った中国映画「青い凧」の音楽をここの映画館で再演するためだ。来る途中に見た被災地もすごかったが、この界隈のホームレスのおっさん達が公園で大量の布団や衣類を干している風景も壮観。「青い凧」は中国の文革前夜を描いた作品で、この中でいろいろな政治的事件が起こり、主人公達を翻弄するのだけれど、オレはここにあえて明るい静かな音楽を付けた。その音楽と公園に干された大量の布団がオレにはオーバーラップして見えた。

 

@月@日 3カ月前にヒースロー空港の事故で行きそこなった広島のカフェテアトロアビエルトへ。古い友人広島リアルジャズ集団の権田くん達が精魂込めてつくったコンサートや演劇も出来るレストランだ。本格派のカレーは絶品。前回こけら落としに行けなかったお詫びもかねて権田くんの好きなビクトル・ハラの曲を演奏したら、お客さんから今日はビクトルハラの命日ですよと指摘される。365分の1の偶然。27年前の今日、チリで起こった軍事クーデターで彼は拷問死している。

 

@月@日 2カ月前の大片づけで、厄払いをしたつもりだったが、厄年はそんな甘いもんではなかった。JAMJAM日記から仕事のメールに至るまで全ての事務仕事をオレはコンパクトなモノクロのモバイルでやっている。ワープロ感覚なんで、コンピュータが苦手のオレでも簡単に扱えるのだ。で、今日も締め切り間近のJAMJAM日記をせっせと打っていたら「メモリー不足」の表示。それならと、モバイルのデータを試しにノートパソコンのほうに移してみることにした。が、これが案の定、どうやったらいいのか良く分からない。電子音楽を20年もやっているくせに、おれは極度のデジタル音痴なのだ。マニュアルを引っ張り出して来てなんのかんのと苦労すること数時間、夜も白々とする頃、努力の甲斐あってどうにかデータを無事移す事が出来た。やれば出来るじゃん。ほんのり芽生える自信と幸福。これでこれからも大丈夫。ほっとひと息コーヒーでもと勢い良く立ちあがったのがいけなかった。電源コードを足にひっかけてしまいノートパソコンは見事な打撃音とともに木の床を直撃。落ちる瞬間がスローモーションに見えたのは言うまでもないし、その音も文字にすればグワシャンという鈍くて重い音。凍ったように止まる時間。しばしの沈黙。・・・祈るような気持ちで再起動したのだけれど・・・。この瞬間過去何年間かの仕事の資料と原稿は全て消えてなくなってしまった。バックアップ? そんなもん・・・しょぼん。なにもわからないくせにIT革命とかいってるどっかのお間抜けな首相をオレは笑えない。今日は真の厄日だ。

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PS:どなたかウィンドウズを修復出来る人ヘルプしてくれませんか? ファーストエイドのフロッピーディスクを作っていなかったばかりに 再インストールが出来ずこまっています。とほほ・・・。 使いこなすなって言葉をつるかうのにゃ10年早い。

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Date: Wed, 20 Sep 2000


こんにちは、だいぶ涼しくなってきましたが、いかがお過ごしですか。
今月の日記です。

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JAMJAM日記

 

@月@日 役者、殿山泰司をモデルにした映画「三文役者」の試写を見る。生前何度となく氏の姿を
フリージャズのコンサート会場でお見かけした。大抵は客が10人にも満たないようなコンサートでの
ことだ。オレもそんな客の一人だった。静かに目立たないように後ろのほうの席でひっそりと見てい
る姿は、ガキだったオレの目には答えられないくらい渋くってかっこよく見えた。オレもあ〜なりて
え。「人間」「裸の島」といったシリアスな作品からにっかつロマンポルノに至るまで、殿山さんの
顔を何度スクリーンで見たことか。特に新藤兼人監督作品はオレの脳髄の奥底までがつんがつんと来
た。そのやたらシリアスな監督が朋友殿山泰司をモデルに撮ったのは竹中直人主演のコメディ映画だ
った。え、殿山さんてあんなだったの? なんだか人事とは思えない。泣いたり笑ったりのの2時間。
あの渋かった殿山像はオレの中で音を立ててガラガラと崩れてしまった。新藤さんにこんな映画を作
らせた殿山さんがオレはやっぱり好きだ。ところでこの「JAMJAM日記」というタイトルも殿山泰司
が実際に書いていた日記のタイトルから取ったもの。ご存じでした?

@月@日 青山真治の「ユリイカ」を見る。3時間半。飽きたらこっそり途中下車するつもりだった。
なのに気づいたらクライマックス。このままいつまでも終わるな・・・なんて思うのは稀なことだ。
すごくよかった。ほぼ同時期に撮られた短編「路地へ」も良かった。この中ではオレの音楽もつかわ
れている。といってもこの作品のために作ったわけじゃない。CDから2曲ほど使われただけだ。でも、
その使い方に打たれた。クール。映画音楽をやるならこうやりたい。もう劇伴みてえな映画音楽は作
らねーぞ。めずらしく今月は映画ずいてる。黒沢清といい、なんだか日本映画が面白い。

@月@日 フランクフルトでソロ。今はギターをひくのがすごく面白い。ソロもギターに比重が傾く。
探るように一つ一つ丁寧に音を出しては、その音が消えていく。たったそれだけなのに充分に音楽だ。
ドイツの空気を味わう間もなく翌日はソウルへ。機内で金城一紀の小説「GO」を読む。脳髄の芯まで
くらくらする。痛快。

@月@日 ソウル泊。中国チンタオに向かうためのトランジットだ。やることがなくって退屈してい
るところに突然ROVOの勝井祐二から電話。なんとソウルにいるという。コンサートの打ち上げ会場
からだ。早速駆けつけて合流。勝井くんとは10年以上の付き合いだってのに、こうしてじっくり会っ
て話をするのは初めてかもしれない。彼は、オレが敬愛するノイジシャン広瀬淳二のアルバムをプロ
デュースしている真っ最中だ。リスペクト! 評論家の副島輝人さんも交えてわいわいがやがや。楽
しい一夜。

@月@日 ソウル、キンポ空港でNEW JAZZ QUINTETのメンバーと合流。中国チンタオへ。チンタオ
ビアジャズフェスティバルとやらに出るためだ。このバンドでのジャズフェス出演は初めて。期待が
膨らむ。到着したホテルは、今まで見たこともないような超豪華なリゾートホテル。さすがジャズフ
ェス。僕らを迎える”熱烈歓迎”のスタッフ達。期待さらに膨らむ。早々会場に案内される。チンタ
オビアランドなる遊園地の中の野外ステージ。読売ランドイーストみたいなところか。さぞや大観衆
が僕らを待っているにちがいない。期待益々膨らむ。早々フェス会場に入る。が、出演しているのは
営業のような超いいかげんなラテンバンド(fromオーストラリア)。しかもまばらな、でももりあがる
客。おまけになぜか客より多い人民兵が会場の後ろにずらりとすわってる。なんじゃこりゃ。まるで
遊園地の営業じゃねーか。ひどすぎる。どこがジャズフェスだよ、ったく。ビカビカに輝く巨大な電
飾の「2000」の文字がむなしさを倍増させる。そうだった、2000年から21世紀だと言い張るこの
国は僕らの常識なんか鼻くそほども通用しないことを忘れていた。

@月@日 フェス本番。オレの決意はただひとつ。いつもどおりの演奏をすること。「2000」の電
飾もビカビカのライトも消してもらう。日暮れとともに強力に冷え込む。ついさっきまでのきんきん
の夏日がウソのよう。冷え冷えとした空気の中、僕らの演奏するチンタオ初のフリージャズ、しかも
起承転結の見えにくい音響的なアプローチは、観客を震わせるに充分だった。無論寒さでだ。すごい
勢いで帰る客。ステージ上でもあまりの寒さにSAXの菊地成孔は唇を紫にして震えている。1時間半
のステージ。終わってみると千の空席の最前列にいるわずか3〜40人の客の熱狂的な拍手。”熱烈歓
迎”の文字が頭をよぎる。がたがた震えながら楽屋へ。本当に僕らはここに来て良かったのだろうか?
打ち上げの席、若干23才中国美人通訳のイーさんがそっと寄ってくる。「94年に私、北京で大友さ
んを見てるんです。あのときもほとんどの人が帰っちゃったでしょ。でも私は感動して、最後まで見
てました。あれで私の音楽観は変わったんです。あの時、最後までいて拍手してたうちの一人が私で
す」彼女は今北京で音楽関係のライターをしている。そうだった。僕らは充分僕らの演奏をしたんだ。
それをどう受け止めるかは、会場にいる人達の個々の問題なのだ。山盛りのご馳走を前に僕らはわい
わいがやがやと食って呑んだ。再見中国! 次に来るときにはどんな目に会うことやら。

以上。

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Date: Fri, 11 Aug 2000

  

こんにちは,大友良英です
いや〜暑いですねえ。昨年の夏は香港にいたので1年ぶりの東京の夏を満喫しています。
きんきんに暑いのは結構好きだったりします。  

@今月は20日に渋谷クアトロでNOVOTONO(Phew/vo,山本精一/g,大友良英/g,el,えとうなおこ/key,西村雄介/b,植村昌弘/dr)、さかな、スパンクハッピーのライブがあります。めったにやらないバンドです。お見逃しなく。
8/20(SUN) 渋谷 CLUB QUATTRO(03-3477-8750) 17:00OPEN 18:00START
前売り3000円 当日3500円

@OTOMO YOSHIHIDE'S NEW JAZZ QUINTETのほうは8/22に新宿PIT INNでライブののちチンタオ、北海道をツアーします。録音のほうもなんとか年内には完成させて来年にはCD化したいとおもってます。年末まで東京でのライブはないと思います。こちらのほうにもぜひいらしてください。
8/22(TUE) 新宿PIT INN (03-3354-2024) 19:00OPEN 19:30START 3000円(1DRINK付)
菊地成孔/TS,津上研太/AS,SS,大友良英/G,EL,水谷浩章/B,芳垣安洋/DS
(北海道ツアーの問い合わせ:NMA 011-742-3458)

では今月のJAMAJAM日記です

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JAMJAM日記

 

@月@日 ロンドン・ヒースロー空港のコンピュータが完全にストップ、3日間に渡って数万人の乗客が足止めをくう事件が起こった。こともあろうに、その初日、オレはこの空港にいたのだ。スペインから日本に帰る途中だった。到着は深夜、すでに対応すべき飛行機会社や空港関係者は、あまりの事態に逃げ出してしまい、空港にいるのは治安維持のためのポリスと路頭にまよう数万人の乗客のみ。飲み水もないまま疲れはててその場に倒れこむ人々、目の前で発作を起こして倒れる女性、途方にくれる老人、シャッターを壊そうとする入れ墨の青年、まるで野戦病院のようだ。オレは半分あきらめて、そこで知り合った脳神経内科の先生達から最先端の医療の話を聞いて一晩過ごすことにした。いや〜勉強になった。おまけに先生達が奔走してくれたおかげで、1日遅れで帰国便に乗ることができた。とはいえ、あずけていた楽器は全て行方不明、その日予定されていた広島公演もキャンセルせざるをえなかった。そういえば今年は厄年だ。

@月@日 災いは連鎖する。この3カ月というもの、ヨーロッパと日本を行き来しツアーと映画音楽を同時進行でこなし、半分頭が破裂しそうな状態だったけれど、破裂したのは頭だけではなく、オレの部屋もひどいことになっていた。それでなくても機材とレコード、本の中に埋もれるような生活だったのに、もう収集がつかない。本来ならそれを戒める同居人も長期のヨーロッパ公演に出ていて留守。これが拍車をかけた。もう人の住める状態じゃない。しかし片づける間もなくスタジオから直行で成田へ。同居人の帰国予定はオレの1日後だ。帰国したらまる1日かけて部屋をきれいにしてから広島に向かえばOK、なんて思っていたのがいけなかった。ヒースロー空港のおかげでオレのほうが一足遅れの帰国となってしまった。ぼろぼろに疲れた体で吉祥寺のアパートに戻ってみると、すごい顔をした同居人がいきなりオレに向かって「テメー!」「うわ〜オレが悪かった」・・・この後の惨憺たる状況はとてもここには書けない。やっぱり厄年だ。

@月@日 今日をもって生まれ変わる。今度こそ本気だ。部屋を片づける。さっぱりとした人生を送る。とは言えあまりのモノ、モノ、モノの前に途方に暮れる。なんとかせねばと焦るばかりで何時間たってもらちがあかない。フ〜、ため息をついてテレビのスイッチをポン。ボ〜っと見てると、ベストセラー「捨てる!技術」の作者が実際にどうやって部屋のものを捨てるか見せてくれるという。ふ〜ん、ま、見てみるか。あれま、なんか美しい女性が出てきて捨て方を説明してくれてる。ちょっとまじになって見るか。ん、この人、昔なじみの友だちによく似てる、あれ、なんか笑うときのクセまで同じだ。むむ、しゃべり方までおんなじじゃねーか、おい、こりゃどう見ても本人だ。衝撃のあまりこの日は片づけ中止。捨てる技術もまったく頭に入らなかった。

@月@日 「捨てる!技術」を早速購入、速攻で読む。効果絶大。わずか数日間でCD千数百枚、アナログ千枚、本数百冊、機材多数を処分、過去にため込んだ膨大な資料や譜面、テープ、写真、服なんかも必要最小限を残して捨ててしまった。もう過去はどんどん捨てる。なんだか捨てることが快感にすらなってきた。しっかし木造2kのアパートによくもこれだけの量のもんがあったもんだ。売った金で、広々とした自宅スタジオにコンピュータを導入、機材も一新した。ヒースローで行方不明になっていた機材も戻ってきた。どうやらなんの信仰もしてないオレの厄払いは「捨てる」ことみたいだ。

以上


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Date:Sat, 15 July 2000

 

こんにちは大友良英です。
 夏だというのに気温15度前後をいったりきたりのブリュッセルにいます。「ブリュッセル2000」という1年を通じての大きなフェスがあって、7月はDJ特集。近ごろはもっぱらターンテーブルにシンバルしかのせてない私もDJ扱いです(笑)
 ここではワークショップをやったり、マルタンテトロ、フィリップジャック、DJオリーブ、DJグラスホッパーといったDJに,スペシャルゲストの近藤等則さんが加わり野外でコンサートをやったりしています。
とまってるホテルがアジア人街にあって、中華、タイ、ベトナムとうまくって安いレストランが沢山あるおかげで、わずか1週間の滞在なのにすっかり体重が増えてしまいました。
 ラジオパニックなるここのミニFM局で、ゲームボーイを演奏するファンクラブオーケストラの人たちとセッションしたり、久々の休日がとれて、一日中ホテルの部屋から出ずにだらだらとベットにねころがって本を読んだり、楽しい1週間でした。
 ここに来る前の1カ月半は、いままでの人生でも3指にはいるほどの忙しさでいつものライブやツアーの合間をぬって、ほとんど寝る間もない状態で、相米監督の映画にとことんつきあって音を作る日々でした。録音したテイクは100テイクを有にこえてしまいました。なのに最終的に使われたのは、はじめにデモ程度に当たりを見るために自宅でちょいちょいと作ったテイクだったりして、う〜ん、なんといってよいやら。映画音楽も十数作目で、腕もだいぶあがったつもりでいましたが、とんでもない、まだまだなのを思い知らされました。とはいえいい曲書いたのですが・・・。ま、結果は来年上映の「風花(仮タイトル)」を見てのお楽しみということで。
 結局映画に関して、私は一作目の「青い凧」を越えられずにいるような気がしてなりません。悔しい限りです。今年はあと2作、奥秀太郎「壊音」、安藤尋「Blue」がひかえています。今に見ていろ!
 そうそう、映画もツアーのほうもひと段落したので、やっと自分のプロジェクトにかかれます。

7/22 7:30〜 大泉学園 IN F (03-3925-6967)
フリージャズプロジェクト
菊地成孔sax 大友良英g 菊地雅晃b 芳垣安洋ds
私はギターのみでおもきりフリージャズをやります。初の試みです。初物の好きな方はぜひどうぞ。

7/25 7:30〜 新宿PIT INN (03-3354-2024)
OTOMO YOSHIHIDE'S NEW JAZZ QUINTET
菊地成孔sax 津上研太sax 大友良英g electronics 水谷浩章b 芳垣安洋ds
5カ月ぶりの私のレギュラーバンドです。前回にもましてパワーアップの予定です。ぜひ足をおはこびください。

8/9 渋谷アップリンクファクトリー (03-5489-0755)
シカゴ音響派タウン&カントリーのイベントにFilamentで出演します。
上の2つはJAZZですが、こっちは完全な電子音ものです。
 余談が長くなりました、では今月のJAMJAM日記です。
 

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JAM JAM日記2000年7月

 

戦後の混乱した経済の中で開かれたユーゴスラビア、ベオグラードの風変わりな音楽祭RING RING2000。先月に引き続き今回もその様子をレポートする。 

@月@日 RING RING3日目。この日のハイライトはユーゴ第2の都市、最も爆撃の激しかったノビサドから来たボリス・コバック&ラバダ・オーケストラだった。白のスーツに身を包んだ5人の無表情な中年男性達が繰り広げる無国籍でモダンなタンゴ。色香ただよう大人の音楽に、戦前の拡声器をおもわせるようなボリスのナレーションが時たま入る。まるで極上の映画を見ているようだ。夢見るうちにあっという間の90分が過ぎた。過剰な表現は一切ないのに、ぎりぎりのところで、強力にエモーショナルな音楽。もしかすると1940〜50年代のジャズはこんなだったのかもしれない。言葉に尽くせないくらい感動した。RING RINGのオーガナイザー、ボヤンが嬉しそうにやって来てそっとささやいた。「彼は過去10年間ベオグラードで良い演奏をしたことは一度もなかったんだ,いや、出来なかったんだ。今日は最良の日だよ」。

@月@日 ボヤンが一番心配していた日がやってきた。会場は大きなホールからうって変わって200人もはいればぎゅうぎゅうのクラブ。JAPANESE ELECTRONICS EVENINGと題されたこの日は中村としまるとSachiko MのDUOとオレのソロのセットがある。彼が心配したのは3年前のGROUND-ZEROのイメージで集まったユーゴの観客が、大音量のパンキッシュな演奏を期待して演奏中もざわざわと騒ぎ続けるのではないかということだった。昨年ベルリンでこのDUOを見たボヤンは2人の音量が極めて小さいことを良く知っているし、現在のオレがミニマルな演奏になっていることも承知している。開演前、案の定会場の定員をはるかに上回る客の熱気とざわめきが楽屋でもはっきりと聞き取れる。ところがいざ始まってみると心配は杞憂だった。水を打ったように静まり返ってステージを凝視する観客。彼らが期待していたのは3年前と同じものではなく、次になにが起こるのかのほうだったのだ。

@月@日 この日、ベオグラード市内では10万人以上の人たちが集まって、独裁者ミロシェビッチに反対する集会が開かれていた。会場は僕らが泊まっているホテルの目の前。いかに平和的な集会であれ、人間がある人数以上集まるというのはそれだけでも暴力的なことだ。独裁政権がこのままだまっているのだろうか。10年前の天安門広場の映像がよぎる。RING RINGのほうは今日が最終日。出演者や地元のミュージシャンがこぞってのセッション。昨日と同じ会場には数百人の人が押しかけてきている。中に入れたのは4割にも満たない。音楽的な言語がまったく異なる者同士のセッションは、スリリングだとも言えなくはないが、大抵は表面だけの反応に陥ることが多い。この日のセッションもそんな程度の内容だったけれど客は大喜びだった。僕らにとって楽しかったのは、ステージよりもむしろ楽屋での会話の方だ。電気がくるかどうかもわからなかった昨年5月の空爆下で行われたフェスのこと、楽器屋がほとんど存在しないこの国での楽器の入手方法等、話は尽きない。ここでオレはまたあの3年前のベオグラードの熱気を思い出していた。音楽がある、それだけで素晴らしい事だってことを戦争の跡生々しい、独裁国家のこの国のなかで活動している彼らはオレに思い出させてくれた。

@月@日  ユーゴを出た日の夜、ロッテルダムのホテルで見たCNNニュースにベオグラードの街が映っている。「民主勢力の放送局が軍によって占拠」なんだか息苦しくて、ホテルにいる気になれない。夜の街をとぼとぼ歩くことにした。若いジャンキーのような青年が金をせびりにくる。おもわずオレは日本語で叫んでしまった「うるせー」

以上 

 

追記:日記にも出てきたボリスコバックとラバダオーケストラ(といっても5人組)が日本に来たがっています。どなたかこころあたりの方いましたら一報ください。なんとか実現させてあげたいのですが、私には招へいする力はありません。なので、せめて切っ掛けだけでもつくれればと思っています。掛け値なしにすばらしい上質のエンターテイメントであることは私が保証します。

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Date: Thu, 15 Jun 2000

こんにちは

5月末に帰国、数年ぶりに一番好きな梅雨入り前の東京を満喫するのを楽しみにしていたのですが、ほぼ連日相米映画のサントラの作業に追われ、気づいたら梅雨になってしまいました。かつて佐々木敦さんが映画評論をしていたころ相米慎二監督の「お引っ越し」について書いた文章に、相米さんがさかんに「わからない」を連発する下りがあったと記憶してますが、私には今この秀逸な相米論が、強烈なリアリティでせまってきています。まさに「わからない」との戦いです。監督がどうしたいかわからないもんに、音楽をつけなくちゃならない。クリエイティブといえばクリエイティブかもしれないけれど、やりにくいことこの上ない。でもこの「わからない」おやじとの作業がなんか面白くもあります。「わからない」ものに答えを与えるのではなくて、「わからなさ」を宙づりのまんま映画として成立する内容にするのが音楽と効果音の役目です。

バルセロナのソナーフェスにFilamentで出演するため映画の途中で一時戦線離脱。飛行機の中でやっとJAMJAM日記を書く時間がつくれました。スペインで気分を変えて、ふたたび月末から「わからない」との戦いです。

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JAMJAM日記

 

今月、来月と2回にわたり、5月にユーゴスラビア・セルビアの首都ベオグラードで行われた風変わりな音楽祭RING RING 2000 をレポートする。

@月@日 昨年NATOの空爆で行くことが出来なかったベオグラードにやっと帰って来ることが出来た。気温30度。3年前の同じ日、解散前夜のGROUND-ZEROとともに入国した時もおなじような気候だった。空調のない会場にあふれる数百人の人々、強烈な熱気、あの時の記憶が気候とともによみがえってくる。再開したばかりのベオグラード空港はさすがに閑散としている。ここでフェスの主催者ボヤンと再会。ほとんど情報のはいってこないこの国で、彼は10年以上にわたり、コンサートを企画し、優れたミュージシャンを独力で呼びつづけている。5年前に始まったRING RINGはそんな彼の活動の集大成だ。東西の個性的な音楽家達の合流点にもなっていた。昨年5月、開催が不可能になったかに見えた戦時下のベオグラードから彼の出した1通のEメールがもとで、世界各地のミュージシャンが動き十数カ国でRING RING AROUND THE WORLDが開催されたのは昨年のJAMJAM日記に書いたとうり。世界各国でのフェス開催にオレはもりあがったけれど、終了後彼から来たEメールがずっとひっかかっていた。「世界中でこのフェスが開催出来たのは素晴らしいことだけれど、こんな形の開催は2度とやらないですむことを祈っている」5年目になる今年のRING RINGは今までで一番小規模だ。でも空港で再会したボヤンの笑顔を見てオレはなんだか安心した。

@月@日 ここで合流したエレクトロニクスの中村としまる、Sachiko M とともにベオグラード市内を歩きまわる。3年前同様活気ある安全なショッピングストリート。豊かな品ぞろえのコスメティックショップ。カフェでくつろぐ人々。そんな中で一番変わったのは街行く女の子のファッション。めちゃくちゃセンスがよくなっている。3年前とはえらい違いだ。遠くに空爆で廃墟と化した独裁者ミロシェビッチ系列の放送局の高層ビルが見える以外、突然来た呑気な日本人には、あの空爆がなんだったのかさっぱり見えてこない。豊かになったようにすら見える。が、そう思ったのは初日だけだった。

@月@日 「この香水屋はさ、ミロシェビッチの親戚がやってて税金をはらう必要がないから世界一安く高級化粧品が手にはいるんだ」ここで知り合った友人がオレに「日本で売ればもうかるぜ」とニヤリ。そうだった。ここは戦争どうこう以前に独裁国家だったんだ。街が安全なのも当然で、警察が強力すぎてマフィアもチンピラも生き残れないだけなのだ。幹線道路にはガソリンから家電、台所用品まで日用品を売る人々が沢山でている。自分の持ち物を売っているのだ。ちょっと見にはわからないが経済は破綻。当然生活なんてできない。それでもロシアのような殺伐とした感じがないのは、国民性か、それとも他の理由があるからか。街には相変わらずファッショナブルな人々があふれている。そんな疑問だらけの風景を見ながらフェスの会場へ。今年の出演者はぼくら以外は近隣の東側諸国からと地元のミュージシャンが大部分を占める。今ひとつパッとしない東側からの音楽をよそに、この日一番面白かったのは地元ベオグラードの若いドラマー、メマンジャ・アキモビックの人力テクノとでも呼べそうなソロだった。ドラムセットに簡単なエフェクトをかけただけのシンプルなセットから出てくる音はまるでウイーンのミニマルジャズユニット、ラディアンや、日本のサーモを思わせる。無論彼はそんな音楽をまったく知らない。3年前とはうってかわって、大きなホールに会場を移したせいか、フェスのあの熱気はなくなったかに見える。それでも彼の音楽の中にオレは確かにあの3年前の強烈な匂いを感じた。その正体がなんだったのかは次号で。

 

JAMJAM日記のバックナンバーは私のオフィシャルサイト http://www.japanimprov.com/yotomo/ でも見ることが出来ます。

*広島に新しく出来るスペースで6月19日ソロをやります。 私がリスペクトしている友人広島リアルジャズ集団の権田将晃さんがつくったカフェ&スペースです。近くの方はぜひのぞいてみてください。

  広島市安佐南区八木9-10-40 カフェ・テアトロ アビエルト 082-873-6068

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Date: Mon, 8 May 2000


どうも大友良英です
 今ベルギーのゲントにいます。ここで小さいフェスがあって、今日はマルタンテトロとフランスの音響的な即興をするユニットサイレントブロックの共演があったり、明日は私とボブオスタータグのDUOやシェリーハーシュとDJオリーブの共演があったりします。
 ヨーロッパツアーに出て2週間、今回はツアー初日にギックリ腰になったり、昨日フランスでタルタル(牛のさしみ)を食って、あたってすごい下痢になってしまったりと、とほほ な状態でツアーしてます。これも日ごろのおこないのせかしらん。
 あさってから昨年戦争で行くことができなかったユーゴ、ベオグラードのRING RING FESにいってきます。詳しくはまた来月レポートします。

では今月のJAMJAM日記です。

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JAMJAM日記

 

@月@日 吉祥寺でNOVOTONOのコンサート。日本では2年ぶり。そもそもほとんど活動休止状態だったこのバンドが動き出したのは、僕らがこのバンドでなにかまだできることがありそうだと思ったことと、昨年のオーストリア公演で手ごたえがあったこと、そして岩手在住の熱心なファンNOIZUくんの働きかけがあったからだ。たった一人の好意だって、すごく嬉しいもんだ。僕らは半分はNOIZUくんのために演奏するつもりだった。「山下毅雄を斬る」に収録された「ガンバのバラード」なんかも演奏した。ところが当日予想もしなかった親友の事故死で、彼はコンサートにこれなくなってしまった。こういうときって言葉も出ない。8月20日クアトロのNOVOTONOのライブ、招待するね。

@月@日 代官山のギャラリーで電子音ユニットFilamentのコンサート。今はっきり自信をもって自分の音楽的な成果が見えているのは、このユニットだけだ。無論コンセプトを創ったSachiko Mの力は大きい。杉本拓とSachiko Mの突出した音楽感には影響されるところ大だ。ここのところ欧州での受け入れられかたとのあまりのギャップに、もう日本ではFilamentをやりたくないとすらおもっていたけれど、今日みたいに良い演奏に対して、それなりのレスポンスがある現場に出くわすと、捨てたもんじゃないなって思う。企画してくださったHEDZの皆さんありがとう。

@月@日 前回の日記でオーストリアの極右政権のことを書いた矢先、今度は東京都の都知事の「三国人」発言。知事いわく「差別意識はない」そうだ。学校で「いじめ」事件が発覚したとき、いじめる側は「いじめたつもりはない」っていうのと良く似ている。意識的じゃなければ差別も許されるってか? もしも、都の代表にえらばれるような人に、その程度の歴史認識と、差別への無神経さがあるのであれば大問題だ。オーストリア同様、東京でも大規模なデモがおこったりリコール運動がおこったり、新聞がそれを支持したりするかと思っていた。なのになんだか怒ってる人があんまりいない。前回オーストリアの状況について「極右政党がある一方で、それに正面から反旗をひるがえす市民が沢山いる。希望の灯は消えちゃいない」と書いたけど、日本の状況は、正反対だ。どんな意見であれ、それに反対する力があって社会は初めて健全に機能する。それがない状態がどんなに恐ろしい状況を産んでしまうか、僕らは真剣にかんがえるべきだ。

@月@日 相米慎二監督作品「風花」がクランクインする。音楽はオレ。浅野忠信、小泉今日子主演のロードムービーだ。映画は1年ぶり。その上めずらしく撮影前から音楽の依頼がくる。嬉しいことだ。相米監督は電子音どころかエレクトリックの音楽がことごとく嫌いな人で、その監督がよりによってオレに音楽を依頼してくるってのが、また嬉しい。ちょこっとだけど浅野さんや小泉さんにお会いできたのも嬉しかった。嬉しいことずくめだ。アコースッティックだけでどこまで今の自分の音が作れるだろうか。

@月@日 恒例春のヨーロッパツアーの始まりだ。着いた翌日オスロのホテルで早朝非常ベル。客はみなたたき起こされて、非常階段で外へ。結局煙もでないくらいのボヤが隣のビルであっただけなんだけれど、この時ギターをもって長い階段をおりたのがわるかったらしい。部屋にもどった直後にギックリ腰になってしまう。初めての経験だ。ゆっくりしか歩けない。とほほ。旅行カバン用の太いベルトを腰にぐるぐるまいてどうにかステージをこなす。この先1カ月間のツアーがおもいやられる。

 

* この後昨年書いたRING RINGフェス参加のためユーゴスラビアのベオグラードに向かいます。戦後1年に満たないユーゴの詳しいレポートは来月に。
* JAMJAM日記バックナンバーは私のオフィシャルサイトでもみることができます。

  http://www.japanimprov.com/yotomo/

 

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Date: Thu, 6 Apr 2000

 

こんにちは大友良英です

この1カ月はニュージーランド、オーストリラリア、東京、スイスとばたばたと駆け回ってました。日記にはかけませんでしたが、ニュージーランド、オーストラリアではずいぶん沢山のミュージシャンに会ったり、共演したりで、いい時間をすごせました。特にニュージーランドのマシュー・トーマス、ディーン・ロバーツ、ブルース・ラッセル、オーストラリアのリックルー、オレン・アンバーチ等の演奏は面白かった。それからたまたま彼女と一緒に3カ月もオーストラリアをぶらぶら旅していたオランダのコル・フラーと演奏したのも最高でした。彼はハンベニンクのバンドでピアノを弾く一方で、自身のソロでは誰にも似てない独特のピアノの内部奏法や自作のミシンのような形をした弦楽器を演奏したかと思うと、ターンテーブルのコラージュもやる奇才で、その音響的なアプローチ、私は大好きです。彼とはいつかちゃんとコラボレートしたいとおもっています。

では今月の日記です。

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JAMJAM日記

 

@月@日 真夏のニュージーランド、オーストラリアでの2週間もあっという間に過ぎ、3日間だけ帰国。その途端、花粉症が再発する。鼻水をすすりながら恵比寿のギャラリー"CHIKA"で杉本拓、中村としまる、秋山徹次と4人で生ギターだけの即興。電気を使わずに演奏したのは初めてだ。承転結や物語のない、音の肌触りだけを楽しむような静かな演奏。ジョン・ケージのプリペアドピアノを思い出した。こういう音楽があってもいい。翌々日はスイスのジュネーブ。ここの現代音楽祭で箏の八木美知依、クリスチャン・マークレイ等と共演。会場の響きがいい。互いに響きあう音。これもいい演奏だった。

@月@日 ジュネーブから列車で4時間。雪景色を見ながら同じスイスのサンクトガレンへ。ここは80年代より尊敬してやまない自作電子ジャンクのユニット「ヴォイス・クラック」の地元。アメリカのレーベルErstwhileの依頼で彼らとの録音だ。着くなり彼らのロフトに案内される。廃品のテレビやラジオ、電子オモチャのがらくたに囲まれながらひたすらマイペースに作品を作り続ける彼らならではのスペース。面白いオブジェや作品が沢山ある。フランスのメタムキンといい、ヨーロッパにはいい意味でへんてこな、しかし強力に美しい音楽とも美術とも言える作品をゆたりとしたペースで作り続けているアーティストが少なからずいる。無欲な感じもいい。ただただピー、ガギガギと電子音を出し続ける2日間は、最高に幸せな時間だった。

@月@日 オーストリアの友人からe-mail。極右政党を含んだオーストリア連立政権に対して、連日それに反対するデモがウイーンを中心に起こっていて、それについて意見を求める内容。答えは地元の雑誌に掲載される。極右政党がある一方で、それに正面から反旗をひるがえす市民が沢山いる。希望の灯は消えちゃいない。いくつかある質問の中に「音楽には政治を変える力はあるだろうか」という問いとともに「もしオーストリアでコンサートをすることになった時、あなたはボイコットするか」というのがあった。ナチを支持する政党が政権政党になったということの意味をかんがえざるを得ない質問だ。オレの答えは「音楽そのものには政治を変える力なんて一切ないし、むしろどんな政治勢力からも利用されかねないという意味であらゆる文化は危険極まり無いものだ」という意見を書いた上で「私の音楽には政治的なメッセージはない。だからどんな意見を持つ政治勢力であれ、その声明を支持する演奏をするつもりは一切ない。それでももしコンサートを主催する人が極右政権の支持者だったりすれば、私は人間としてボイコットする。逆にそれに反対する集会でも上記の理由で支持はするが演奏はしないだろう。それ以外はむしろ演奏の自由を確保する意味でも私は演奏する」無論オレは極右政権を支持しない。ネオナチのアジア人狩りの例をだすまでもなく、とんでもない話だ。かといってそれに直接反対する音楽も作らない。音楽を政治や宗教の道具にしたくないからだ。過去何百年音楽は常に、政治や宗教に権威を与える道具として利用され続けてきた。今はそのうえ金を産む道具にもなっている。でもオレが好きな音楽はそんな立派な実用的なもんじゃなくて、もっと例えば、好きあったもんがキスをしたり抱き合ったりするような、子供がぼーっと昆虫にみとれているような、そういう言葉にしにくいもんだと思っている。そういうもんだからこそ、なにか生きてく上での真理が見え隠れしたりするんじゃないだろうか。だから最近流行のもっともらしいメッセージがこめられた音楽は好きじゃない。どんな意見でもかっこいい音楽にくっつくと素敵に見えてしまう。素敵に見えた時点で思考は止まってしまう。真理は創り手ではなく聴き手が見つければいい。音楽家は与えるんじゃなくて、ただ演奏をする無力な存在であるべきだ。

 

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Date: Mon, 13 Mar 2000

 

こんにちは
私は今ニュージランドからオーストラリアに向かう飛行機の中でこれを書いています。こっちは夏。花粉症から逃げれたおかげで、すっかり上機嫌です。オーストラリアのあとは日本を通過して、スイスに飛びます。またツアーの季節がはじまりました。今年はどんな音楽に出くわすのか。
 スイスではヴォイスクラックとのレコーディング。彼らを初めて知ったのが16年前。帰国後は、ほぼ10年ぶりに広瀬淳二氏とのDUOがエープリルフールの4/1に大泉学園のin f(03-3925-6367)であります。スイス、日本双方での長い時間を経た自作エレクトロニクスとの共演、なんだか今から楽しみです。ちなみに、どちらの共演でも、ターンテーブルやCDーJ等の使い慣れた道具の他に1月にしこしこ作った半自作シンセを使う予定です。

では今月の日記です。

大友良英

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JAMJAM日記

 

@月@日 昨夜から39度の熱がさがらない。かかりつけの町医者にみてもらう。「扁桃腺! 去年も一昨年も、この時期扁桃腺はらしてるねえ」カルテを見て苦笑してやがる。毎年これだ。次に生まれる時は丈夫に生まれたい。「ライブがあるんで、なんとか熱だけでも・・」。久しぶりのNEW JAZZ QUINTETのライブだってのに。かろうじて解熱剤で持ちこたえてライブをこなす。リハも満足にできなかったうえに、本番も意識はモウロウ。なのに、あとでテープを聴いてみると、こういう時にかぎって良い演奏なんだよなあ。意識ってなんなんだ?

@月@日 NEW JAZZ QIONTETのレコーディング。オーバーダブや編集といった、いつもなら当たり前のようにやっている録音の方法を一切使わずに、今回は一発録りにこだっわった。録音技術で後から音響をつくるのではなく、あくまでアコースティックの音場での音の響きあいを聴きながら、即興演奏で音楽を作ることにこだわりたかった。オレにとってのJAZZとは、そういうものだと思うからだ。試みがうまくいったかどうかは、いつか発売になるこのアルバムを聴いた人が判断してくれるだろう。

@月@日 相米慎二監督に食事にさそわれる。監督とは前作「あ、春」でサントラを作って以来2年ぶり。一対一で話すのは初めてだ。会うなり「なんだお前おっさんになったなあ」「いいんです、おっさんはおっさんらしくしないと」 食事といっても次の作品の為の作戦会議を兼ねる。今度はロードムービーだ。主演はなんと・・・おっとこの先は言ってはいけなかった。でも、めちゃやる気がでるキャスティングに台本たぞ。撮影前から音楽の打診があるのはこの世界ではめずらしい。つらつらとさんざん音楽のアイディアを話した挙げ句、なんとどうやら映画の進行とオレのスケジュールが合わないことが発覚。が〜ん、ショック。「監督、いつもみたいにいろいろごねて、撮影延ばして、録音時期を1,2カ月ずらしてよ」ていったら「馬鹿野郎!」だって。あ〜他の奴にやらせたくね〜な〜。

@月@日 ニュージーランドに飛ぶ。ちょうど東京の9月くらいの気候。着いた途端に花粉症がぴたりと止まった。あぶらぜみとつくつくぼうしを足したような不思議なセミの鳴き声があちこちから聞こえてくる。年がら年中旅ばかりしてると、悲しいことに、どこに行っても、新鮮な驚きを感じなくなってしまうけど、聞いたこともない音に出くわす時だけはさすがに五感が開く。セミの声に誘発されて、なぜか初めて日本を出た時のことを思い出した。ちょうど20年前、車がほとんどなかった中国の小都市の夜の音響。行き交う人々のざわめきや足音の細部までが、見事な遠近感とともに聞き取れる微妙な都市の音は強烈にセクシーだった。あの時のあの音は、もうどこにも存在しないのか。ニュージーランド初日は南島の街クライストチャーチの古い美術館でのソロ。60Hzの低音で建物自体がものすごい共鳴を起こして美術館中の窓ガラスが何百ものシンバルのような大音響を奏でてくれる。ひとつひとつのガラスの共鳴のうねりが、あのセミの声のようでもあり、20年前の中国の小都市のざわめきにも聞こえてきた。あの街に行かなくては。

 

大友良英

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Date: Thu, 10 Feb 2000

 

私はかぜぎみの2月ですが相変わらず、いそがしくやってます。あさって13日(日曜)に新宿PIT INN(tel 03-3354-2024)で7:30よりOTOMO YOSHIHIDE'S NEW JAZZ QUINTETのライブがあります。次回は7月になってしまいそうなのでこの機会にぜひいらしてください。今の視点で見た60年代JAZZのCOOLな再解釈がコンセプトです。

それから特報ですが80年代後半に、ほとんど客のこない中野の”テレプシコール”でほぼマンスリーで数年間に渡り活動した広瀬淳二さんとのDUOを10年ぶりにやります。どちらも自作楽器持参で、ライヴレコーディングをかねたセッションを大泉学園"IN F"(TEL03-3295-6967)でエイプリルフールの4/1にやります。この録音と、80年代の未発表スタジオ録音をあわせてCD化(CD-R化)する予定もあります(うまくいけば)孤高のノイズメーカー、早すぎた音響インプロバイザー広瀬さんとの久々の共演、とっても楽しみです。

あ、それとスティーブベレスフォードの1970年代の傑作ソロアルバム「THE BATH OFSURPRISE」やっとCD化にこぎつけました。2年越しでした。風呂のなかで録音されたトランペットソロ等、名演、奇演のオンパレードです。デイスクユニオン等で入手可能です。ぜひどうぞ。(レーベル AMOEBIC CD番号 AMO-VA-03)

ではでは今月の日記です

大友良英

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JAMJAM日記

 

@月@日 つくば市"アクアク"で韓国のパーカッション奏者パクジェチュン、Sachiko Mとのトリオ。パクさんとは初共演。彼は椅子を使わずに直接下にあぐらをかき、そのまわりにドラムや韓国の打楽器をならべる独特のスタイル。見た目も独特なら、音も独特で、パワフルでいながら繰り出されるひとつひとつの音の響きの美しさは、まったく独自のものだ。一緒に演奏していておもわず聴き惚れてしまった。まったく動かないSachiko Mとは対照的。僕らのエレクトロニクスとパクさんの豊かなな響きが、聴いたこともない世界を作り出して行く。即興演奏が輝くのはこういう時だ。この日はお客さんも独特で、そのほとんどがつくばの大学生。終演後の打ち上げも楽しかった。マスターの野口さんがまるで引率の先生に見えた。1979年以来21年活動してきたアクアクは、諸般の事情で年内に閉店。その最後の1年の始まりということで特別に僕らを呼んでいただいた。おかげで良い演奏ができた。79年といえばオレが東京に出てきた年だ。アクアクのみなさん長いことご苦労様。今後の活動にも期待してます。

@月@日 ハイスピードのミズヒロくんから久々の電話。宝島社のTV-CFに使われる彼のアニメに音楽を付ける仕事の依頼。アニメーション作家は彼の知られざるもう一つの顔。多彩な人なのだ。内容も面白くなりそう。CFは未経験だけれど受けることに。

@月@日 ミニコミの"エスプレッソ"主催のイベントで杉本拓とギターデュオ。彼とやると本当に自由になれる。次回はアコースティックのギターデュオでいきたいな。他にも沢山の若いミュージシャンが出て、全部見たかったのだけれど仕事が立て込んでて早退する。残念。ところでさ、こういうイベントにオレと同世代の評論家ってほとんど顔をださないんだけど、それってどういうことなんだ? そのくせ若い人たちのやっていることに批判的なことをオレの前で平気でいいやがる。完成度がない・・とか、こじんまりしててとか言ってるお前さ、当たりめーだろ。まだまだ始めたばっかりなっだからさ。そんなことより彼らが持っている可能性が見れないのかよ。すでにあるもんを評価するだけになった人間をオレは保守主義者と呼びたい。

@月@日 スタジオにこもってミズヒロCFの音楽録り。プロデューサー諸氏が居並ぶ中クラシックの弦セクションの人たちから譜面のミスを指摘される。あれま。オレの譜面はいつもミスだらけでミュージシャンに迷惑をかける。せっかく初めてお会いするプロデューサー諸氏の前でいいとこ見せようと思ったのに、すぐ地が出てしまった。うそはつけねえや(苦笑)。深夜まで編集。わずか30秒の音楽とはいえ、手間は短編映画の音楽を作るのとそんなに変わらない。やっぱり映像の仕事は面白い。

@月@日 中野のウィークリーマンションに滞在するパクさん夫婦にまねかれ昼食。奥さんの作った韓国家庭料理を堪能したあと、大泉学園の"in f"へ。ここでアクアクのトリオに箏の西陽子さんも加わってのライブ。この日の演奏もそのままCDにしたいくらいの出来。英語、日本語、韓国語が飛び交う楽しい打ち上げ。韓国語が40%の比率で飛び出パクさんの会話がなぜか8割がた理解できる。"in f"のおでんは実に旨い。いい演奏と素敵な仲間、そして旨い飯があれば幸せだ。

@月@日 長い英国生活を終え昨年帰国した天鼓さんと久々の東京での公演。この日もパクさんがゲスト。天鼓さんといえば80年代の"水玉消防団"に始まり、"ハネムーンズ"やフレッド・フリス、ジョン・ゾーンとのコラボレーションなんかで誰にも似てない強烈なヴォイスを聴かせてくれ、オレはとっても刺激を受けたミュージシャン。アラーキーが写した彼女のどアップのインパクトある写真が記憶にある人も多いんじゃないかな。竹を割ったような気性も気持ち良い。この数年はもっぱら海外で共演することが多かった。帰国して半年、彼女は東京で即興ヴォイスのワークショップを始めていて、そこに集まった17名で作ったヴォイス集団"KUU"を結成。この日はその披露目も兼ねていた。天鼓さんのヴォイス同様、このクループの音楽も、今まで一度も聴いたことのない世界。この先が楽しみ。打ち上げで熱く語る天鼓さんを見て、なんだか嬉しくなってきた。

PS 先月あれほど熱くなって書いた自作楽器の出来栄えは、う〜ん65点ってところかな。まだまだ自分の機械になるのには時間がかかりそう。

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Date: Thu, 13 Jan 2000 

 

あけましておめでとうございます

今月は、久々に秋葉原をうろうろした関係で、秋葉原がらみのはなしばかりになってしまいました。日記にもあるとおり、今アナログシンセのパーツとDJミキサーを組み合わせた自作の電子楽器作りに熱中しています。調子がよければ今月のライブからこの楽器を使うことになるかもしれません。さて、無事音がでるのかどうか。

CD[CATHODE]のレコ発ライブが1/29につくば市のアクアク(tel 0298-51-4147)と、2/4 大泉学園 in F (tel 03-3295-6967)であります。韓国の新進気鋭のパーカッショニスト パクジェチュン、サインウェイブの松原幸子箏の西陽子(2/4のみ)との即興演奏です。

またOTOMO YOSHIHIDE'S NEW JAZZ QUINTETの久々の日本でのライブが2/13 新宿PIT INN (tel 03-3354-2024)であります

ほかにも1月下旬から3月上旬にかけてライブを沢山やる予定ですのでJAPANESE IMPROVISER WEBの日本語の私のコーナーを参照のうえライブに足をお運びください。
http://www2.gol.com/user/miyuki/(ここのページでJAMJAM日記のバックナンバーも参照できます)

あ、それから日記には書ききれなかったのですが、今月の収穫はオーストリアのユニットRADIANの最新作でした。まだマスタリングがおわったばかりで市場にでるのは少し後になるとおもいますが、1作目以上にすばらしかった。クールってのは彼らの音楽のことをいうのでは、なんていいたくらい素敵な作品でした。
それから、デレクベイリー自らが発掘してだした1965年の彼とトニーオクスレー、ギャビンブライアーズとのユニットJOSEPH HOLBROOKE。ベイリーがフリーを始める以前の演奏を耳にする機会がこれまでなかったという興味とともに、ここで演奏されているジャズのような音楽の中に、本当に興味深い発見がいくつもあって、この3年後にベイリーがfree improvisationに移行する必然性とともに、そこにいくために切り捨ててしまった別ぼ方向への進化の可能性みたいなもんもくみ取れるような気がしました。おっと、はなしが長くて専門的になってしまいそうなので、こんくらいにしておきます。

では今月のJAMJAM日記です。

 

JAMJAM日記

 

@月@日 2000年の幕開けだってのに仕事らしい仕事がない。おかげで久々に自分の時間が出来た。懸案だった新しい電子楽器を自作するために、楽器屋、秋葉原、東急ハンズあたりをうろちょろしながら、その帰りにレコード屋と本屋に行く毎日。なんかすごい楽しいぞ。秋葉原に通うなんて中学生以来。あれから四半世紀たった秋葉原は、別世界のようでもあり、おんなじようでもあり。小さいパーツ屋が密集したラジオデパートあたりは驚くくらい変わってない。不思議なもんで、どこにどんなパーツ屋があるか、ちゃんと覚えている。かなりの店が今もちゃんと営業しているんだよなあ。当時まだ何軒か残ってたジャンク屋(米軍の放出品やら中古のパーツを売る店)はさすがにないだろうと思ったら、これもまだ1軒残っていて、昔懐かしい真空管ものや、70'Sのトランジスタ・ラジオ、ナグラのオープンテレコ、古いオシロスコープあたりのレアもんを山積みして八百屋のよう売っていた。なんだか見てるとうっとりしてくるのは、オレの育ちのせいかな。
 秋葉原にはじめて来たのは親父とだった。1970年代の初頭。真空管からトランジスタに主流が移った頃だ。オレの親父は腕のいい電気関係のエンジニアで、家の中は秋葉原のパーツ屋なみに電気部品だらけ。テレビもラジオも親父の手製。おまけにレコードプレーヤーまで自作だった。そういうもんは、父親が作るもんだと思ってたくらいだ。ガキのころ、この部品がむきだしになったプレーヤーにアニメのソノシートとおもちゃの流星号を乗せてハイスピードで回転させて遊んだっけ。きっとこのときもうっとりした顔をしてたに違いない。まさかそのままレコードを回すのが商売になろうとは、思ってもいなかった。
 門前の小僧みたいなもんで、いつのまにかオレも簡単なラジオやらアンプを自分で作っていた。きっとオレが秋葉原に行きたがった時、親父はうれしかったんじゃないだろうか。中学生の頃、最後に作ったのがアナログシンセだった。正確には作ろうとした、といったほうがいい。なにしろ当時本物のシンセを見たことがなくて、写真や音から想像して、雑誌にでていたシンセの回路図の記事をもとにそれらしい発信機を作ったにすぎなかったからだ。おまけに未熟な回路と技術のおかげで、シンセの音というには、あまりにも情けなかった。そんなことは本人が一番よく知っている。中学生にはシンセはハードルが高すぎたのだ。それが切っ掛けだったかどうか、その後高校に進学したころには、すっかり自作熱もシンセ熱もさめて、エレキ宅録小僧になっていた。そのうちバンド仲間と、ジャズ喫茶やロック喫茶で遊ぶようになり、学校にもあんまり行かなくなって、家に帰るのも遅くなり、親父ともほとんど口をきかなくなってしまった。で、そのままオレは東京に出てきてしまった。別に親への反抗心なんて、なっかったつもりだけれど、こうしてみると典型的な男の子の成長過程だな(苦笑)。
 おかげで、すっかり親父とは違う道を歩むことになったのだけれど、職人気質みたいなもんはどこかでしっかり受け継いでいて、多分それはオレが音楽を作っているときの姿勢にも色濃く残っているような気がする。中学の頃の記憶が残っていたのかどうか、今さらリベンジマッチでもあるまいが、今オレが作っている電子楽器というのも半分はアナログシンセの部品をばらして作っている代物だ。いつもは宅録スタジオになっている部屋が、今だけはかつての親父の仕事場のようになっている。やっぱり血は争えないなあ。もっとも本格的な技術者であった親父と違い、オレのは必要にせまられたシロウトの奮戦みたいなもんではあるが。でも、あれから25年、今回はさすがにうまく作れそうな気がしている。

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