JAMJAM日記 最終回

Date: Mon, 13 Aug 2001

  

酷暑のなか、みなさんお元気ですか
長いもんでJAMJAM日記の連載をはじめて、丸3年、普段日記を書く習慣なんてなかったので貴重な体験をさせてもらいました。すでに、ご存じの方もいるかとおもいますが日記を連載していたフリーペーパーのTOKYO ATOMが今月号で休刊することになりました。そんなわけで、他のどこかから声がかかるまでJAMJAM日記のほうも休憩することにします。ネット配信だけでもつづければ・・・というありがたい意見もでているのですが自分の性格をかんがえると締め切りなしに文章が書けるともおもえません。そんなわけで、一時休載しますまたどこかの雑誌から声がかかったら再開するかもしれません。配信リストのみなさんには迷惑でなければ、ときどき思い立ったように、なにか送るかもしれせん。そんなわけで、長い間ありがとうございました。

今月はおまけで、スタジオボイスに書いた「耳を鍛えろ」という文章も配信します。これはぜひ読んでほしい文章です。世の中はどうあれ、音楽の軟派な世界は右傾化なんて無縁だとおもっていたらとんでもない。インターネットのとりわけ匿名系の音楽サイトの書き込みなんかをみていると今や右が普通になっていて、正直すごくおそろしい感じかしています。クラブに集まるフラストレーションを抱えた若者のかなりがニューレフト予備軍的なメンタリティをもっている事実は70年代に音楽をはじめたわたしには、かなりショックな出来事でした。そんな危機感もあって書いた文章ですが、たぶんそういう子達にはまったくとどかないんだろうな〜と思うと、正直無力感をかんじています。

開かれた視点を失わず、柔軟な精神をもちつつしかし頑固な存在でいてやろうって思う今日このごろです。では、また、どこかで

大友良英

 

わたしのライブ,リリースの情報は以下のページでみれます

http://www.japanimprov.com/yotomo/

 

わたしとわたし近辺の音楽近況報告と紹介を中心にした報告会みたいなもんが8/25 4PM〜6PM 四谷イーグルで開かれますこれも詳細は上記ホームページを参照ください

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JAMJAM日記6〜7月分(TOKYO ATOM 8月号) 最終回

 

@月@日 帰国早々フランスのメタムキンやレクタングルの連中、ドイツのアネッタ・クレブス、ウイーンのブーカルト・シュタングル、シカゴのデビッド・グラブス等が続々別々のプロジェクトで来日、それぞれのセットで呼ばれているオレや杉本拓、Sachiko Mは猛烈な忙しさ。毎日何か国語もの言葉が行き交う打ち上げは、気分もメンツもフランスあたりのフェス会場そのままだ。それにしても忙しい。あまりの忙しさに、ちょっとタガがはずれただけなんだけどさ、夜中の4時に居酒屋のカラオケで、メタムキンの連中とギャーギャーとシャウトしたりマイクをスピーカーにつけてフィードバックさせたりして遊んでたら、お店の人が凄い勢いで飛びこんできた。「いいかげんにしろ!何時だと思ってんだ!」「す、すいません」当然だよ、ほんと。大人なんだから。「大友さん一滴も呑まずにあれだからねえ〜」ちくりと拓ちゃんに皮肉を言われてしまった。あ〜なんだか恥ずかしい。もう42になるってのに、大抵の場所で今や最年長だってのに。

@月@日 不思議なおっさんでかつ世界的な美術家、小沢剛に乗せられてワタリウム美術館で相談音楽なるおかしな演奏会をやることに。相談楽団のメンバーはharpyのイトケン、NOVOTONOの江藤直子、栗コーダーやDCPRGの栗原正己にオレ、いいメンバーだ。この4人が小沢さんの司会のもと、会場に来た人たちのいいなりになって、その場で音楽を作る。これまで血の出るような思いで積み上げてきた自分の創造性とか音楽性とかの自我はいっさい捨てて、たとえば客がソバをすする音のオーケストラをやれ・・と言ったらそれをやらなくてはならない。しかも客のアイディアで音楽は次々更新されていく。過程そのものが作品・・・というコンセプトが気に入って引き受けたんだけれど、現実にはひどいもんになるんじゃないかと思っていた。ところが意外。面白かったのだ。僕ら専門の音楽家が思いもつかないようなプリミティブなアイデアに頭をこんこん叩かれながら、音楽は次々更新していく。次回は8月5日、最終回は9月2日。どちらも5時からワタリウム(TEL03-3402-3001)にて。音楽の生まれる瞬間に立ち会いたい方はぜひどうぞ。

@月@日 、白夜のノルウェイ、コングスバーグ・ジャズ祭。普通の有名なジャズメンが沢山出るジャズフェスでの演奏。オレがこういうのに出るなんて日本じゃまず考えられない。70才を越えてなを全盛期以上の演奏とクオリティを維持するセシル・テイラーのピカピカした音に感動したり、オーティス・ラッシュの不動のブルース魂にうならされたり、やはり70を越えたディレク・ベイリーやレジー・ワークマンの演奏にガツンとやられたり、いや〜5月に見たAMMといい年寄りはあなどれない、ちゅうか、かなわない。すごすぎるよ。渋くなるんじゃなくて、クオリティが上がって、今の視点でみても新しい発見が沢山あるってのが素晴らしい。42才なんてまだまだやね。一番だめなのがオレくらいの年齢からすこし上までの中年連中。保守的で、古臭くて、くそ面白くもねえ。かつて好きだったある有名ジャズメンのふぬけた演奏には本当にがっくりきたぜ。そのうえ、そいつは新しいことをやってるつもりになっているのが悲しいよ。見えてないんだ、現状が。こんなになってたまるか! 年寄りに負けないくらいの演奏をしなくちゃ。オレが演奏した会場は昨年まで刑務所だった建物の囚人用屋内運動場。こんなうすっ暗い狭いところで運動もねえだろうがって感じのスペース。でもオレにはぴったり。ここでオスロのミニマルビデオアーティスト、ヒョル・ビョルジンゲンの作品を全身に浴びながら4日間毎日演奏。体が振動するくらいの重低音と、耳が凍り付くくらいの高音によるミニマル・サウンド・トーチャー。評判をよんだらしく日増しに客が増えて、最後は入りきれないほどに。映像が音に反応するようになっていて、感電しながら演奏している錯覚に陥る。これじゃ刑務所で電気ショックだ、あはは。

 

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「耳を鍛えろ!」スタジオボイス2001年7月号

 

音楽に世界を解放する力なんてあるのだろうか? 
だいたい何を解放するのか?

 

 音楽はかつて運動だった。連帯だった。横ノリのヴァイブレーションに反戦と反体制を謳歌した60年代末。縦ノリのビートに体を痙攣させ社会に唾を吐いた70年代末。20世紀後半の始まりはジャズ、フォーク、ロックを含むサブカルチャーの存在そのものが政治的ですらあった。80年代に入るとウォークマンの登場とともに音楽が個の所有物になっていく。そこにあるのは横ノリの連帯でも、縦ノリの運動でもなく、個の嗜好をたよりに社会をサバイバルするオタク的な感性だった。音楽から政治の匂いは消されて行く。陰影ある歌謡曲はこの時ほぼ死滅する。さらに時代は進む。90年代にはいると、強大なPAとサブウーハーにより、音楽は体を動かして反応するものから、体をゆすってもらう音響現象へと変化していった。もはやそこにあるのは反社会でもオタクでもなく、あるいは歌ですらなく、ひたすらボディをゆらす音響のエクスタシーだ。そして、再び政治の季節の予感。”日本はアジアの中心”と叫ぶMCに呼応する聴衆達。求心力への渇望。意識を遠くしてボディソニックの海に泳いでいた私たちは、いつのまにか洗脳前段階の無防備な精神状態になっていたのではないか。私たちは今、本当に運動を、連帯を、あるいはかつての音楽がもっていたような主張を取り戻すべきなのか? それともそんなもんに唾を吐きつづけ、ひたすら音響の海に酔い続けるべきなのか? 第三の選択はあるのか?

 大音響と電波によるメッセージ。PAシステムを発明したナチスドイツが原形を作ったこの方法で、左右を問わず音楽は政治的、社会的影響力を行使してきた。ヒトラーの声は巨大音響とともに魅惑的に響き、ボブ・ディランは巨大レコード会社の宣伝戦略の中で売られようが、メッセージ・ソングの旗手であり続けた。このスタイルから最強の軍事政権も生まれたし、民主化や反戦活動の連帯も生まれた。一方で直接政治的なメッセージを歌わなくとも、新しい音色と、新しい生き方が社会を変えたのも20世紀だった。50年代のジャズしかり。60年代のビートルスしかり。彼らが直接的、間接的にしろ社会に与えた影響力は、そんじょそこいらの「革命」の比ではないだろう。音楽は社会変革の大きな原動力だった。と、書けば、まるで音楽がすごいパワーで社会を変革したように取られそうだが、そんな甘い話ではない。音楽が政治的たりえた時代は、サブカルチャーが既成文化に対する対抗文化として機能するほどに、社会構造がシンプルだったとも言える。雑にまとめてしまえば音楽が社会を変えたのではなく、植民地と重工業、そして戦争に支えられていた20世紀前半の社会から、冷戦と民族独立運動、大量消費と情報化の社会への変化の過程で起こった社会変化の一要素として音楽やサブカルチャーが機能したということだ。そのままの構図を今に持ち込んだところで、社会の構造があまりに違いすぎる。なにより、対抗すべき敵(大人の作った社会)に対して駄々こねる・・・が基本でもあったこの文化の担い手達が、実際に大人になったときに作ったのがバブル経済社会であったってあたりも、私たちは肝に命じておくべきだ。しかしその一方で、このとき生まれた様々な萌芽が、70年代以降生まれるサブカルチャーという言い方ですらしっくりこない世界に深く潜航する豊かな音楽鉱脈(ノイズ、即興、レコメンデッド、スカムから今日のミニマリズムや電子音等々に致る様々な音楽)を生み続けている源となっていることも押さえるべきだろう。音楽と社会変革の葛藤はこのポストサブカルチャーの音楽の中で確実に受け継がれて今日に致っている。

 パンクはより激しく、ハードコアはより早く、現代音楽はよりアブストラクトに。20世紀の変革の音楽は、常にその前の時代より過激な姿をして現れて来た。それも必ず音楽家の側からの強い意思表示とともに。このベクトルも当分の間は続くだろう。しかし、すでに注意深いリスナーやミュージシャン達は、ここ10年ほどの動きの中から、そうではない変革の方向があることに気づいているはずだ。分かりやすく先駆的な例は名盤解放同盟の活動だろう。左翼活動をパロったような名前のこのクループは、ごみ箱の中の忘れさられた歌謡曲の中から、独特の臭覚をもって、自分たちの推薦盤を発掘し、世に公表してきた。オタク的感性と鋭い批評性の結合。リスナーの耳が音楽家を越えて主張しはじめた記念すべき瞬間だ。彼らがやったことは、「音楽は音楽家が作るもの」という誰も疑わなかった常識に対する強烈きわまりないアンチテーゼだった。リスナーからの強い主張はDJカルチャーの勃興とインターネットの登場とともに、音楽を作る側をも巻き込み、モンドやスカムから音響派にいたるムーブメントを巻き起こし、深く音楽そのもののありかたの地殻変動をもたらしている。

 海賊盤を例にとろう。高速大容量のデジタル技術と、インターネット、ナップスターの出現で、まずは海賊盤というマニア向けの希少価値の概念が崩れてしまった。もはやだれでも海賊盤を発信できるし、その中身は別に未発表のライブ音源とは限らない。本物とまったく違わぬコピーを大量に作る中国の裏企業。個人の嗜好でネット上で自由に音楽をコピーしあえるナップスターの登場。アメリカの大企業がいくら中国の海賊盤を責めたところで、てめえの足元の電話回線で、いくらでもコピーが出回ってしまう現実。電話回線は誰にも止められない。法律で規制したところで第二、第三のナップスターが生まれるだけの話だ。もはや海賊盤は携帯電話のように手軽な日常品なのだ。詳しく語るスペースはないが同じ理由でサンプリングの意味も大きく変質した。音が際限なく同じ質でコピーでき、簡単に流通出来る。デジタル技術の進歩と革新が、音楽の意味やありかたそのものを変えていく。こっちのほうが、ステージで旧態依然とした過激な匂いとポーズを振りまく音楽なんかより、よっぽど過激で生々しい政治的な戦場に見える。もはやボブ・ディランやビートルズ、あるいはヒットラーの時代は終わり、音楽と社会の戦場はポストサブカルチャーによる地下戦か、デジタルテクノロジーのゲリラ戦に移ったかに見えていた。が、ある日気づいてみれば、音響エクスタシーによって無防備になった精神に、魅惑的な言葉の砲弾が強力なビートとともにものすごい勢いで飛び込んで来る現実。そのままの自分が立派に見えてしまう心地好いナショナリズムの魔法に洗脳されるままでいいのか? 無防備な精神をさらしたままでいいのか?

 音楽は無力だからこそ美しい。それがどんなに過激な音でも武器みたいに人を殺せないからこそ美しい。パンクが駄目だったからこそ美しかったように。音楽がご立派である必要なんてない。音楽家はただひたすら音を出すだけの無力な存在であるべきだ。少々極端な、そしてこの特集に水をさすような言い方だけれど、政治の季節の予感の中であえてわたしはこう主張する。神国なんて言い出す音楽家が出てきたり、ロックが好きだとか言う総理が出てきてからは益々そう思うようになった。今後も音楽が社会に対して何かを主張できるとしたら、それは見せかけの過激さや反社会性、あるいは政治への直接参加などではなく、リスナーと音楽家との関係性にどれだけラディカルでありえるかの鋭利な視点しかない。音楽家が音楽の魅力を武器に政治に乗り出すなんて考えただけで鳥肌がたつ。青年よ、耳を鍛えよ。音楽になんか煽られるな。繰り返す。無力であることのラディカルさを聴き取ること。本当の変革があるとすれば、音による洗脳ではなく、聴くことそのものの変革の中にしか次はない。

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Date : Fri 15, Jun 2001

  

こんにちは

梅雨にはいいてしまいましたね〜
お元気ですか?
あまりの多忙ですっかり配信おろそかになってました
東京の注目のお店を紹介した先月と欧米ツアーをまとめた今月の2回分をまとめてお送りします

大友良英

 

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JAMJAM日記(TOKYO ATOMO 2001年 7月号)

 

@月@日 3年ぶりのNY。前回、Filamentの演奏が理解されずPAの奴が演奏中にボリュームを絞ってしまった苦い経験以来、すっかりこのクソ保守的な街に行く気が失せていた。今回はニュージャージーの新興レーベル”アルストワイル"がトニックでフェスをやるという話で、しかも出演者は私たちFilamentの他にスイスのヴォウスクラック、ギュター・ミュラー、フランスのerik m等。久々にNYに行きたくなった。決して音がいいとはいえないトニックだけれど、PAの人や受け付けに致るスタッフまでが、こういう音楽をしっかりリスペクトしていて気持ちよい。昔のニッティングを思い出す。およそコマーシャルとはいえない、しかも即興性の強い僕らのような音楽がいい演奏になるかどうかは、聴衆の集中度とともに、スタッフ達の愛情みたいなもんもすごく重要だ。こうしたこと一つ一つが演奏を生かしもするし殺しもする。客席も3年前とはまったく違う若い客で盛況。モリイクエさんや本田ユカさん、クリスチャン・マークレイ、デビッド・グラブス、DJオリー等・・・友だちも沢山来てくれた。おかげで演奏もよかったし、なんだかNYが素敵に見えてきたりして(苦笑)・・・人間なんてげんきんなもんだ。

@月@日 ボストン。この街に来るのは初めて。クリスチャン・マークレイが出たマサチューセッツ・アートカレッジでのコンサート。ここにはトランペットのグレッグ・ケリー等、アコースティック楽器のみでこれまでに聴いたこともないような音を出す若いミュージシャンばかりの面白い即興シーンがある。残念ながらグレッグはツアーに出ていて会うことができなかったが、その周辺の面白い連中に会うことができた。当分の間は、ここの音楽シーンから目がはなせない。

@月@日 カナダ、ケベック州。ここの小さな街ヴィクトリアビルで北米最大のニューミュージックフェスが4日間にわたって開かれる。通称ヴィクト。オレは自分のユニットカソードでの参加。ここで見た最大の収穫はベルリンのトランペッター、アクセル・ドナー、フランスのクラリネット奏者ザビア・チャールズとロンドンのサックス奏者ジョン・ブッチャーのトリオだ。ほとんど楽音らしい音をつかわずに、静かな息音だけで演奏をはじめると、3つの音がひとつになって空中を左右に浮遊し出す。電子音のようにすら聴こえる不思議な世界。文字で説明出来ないのが残念。とにかく今まで経験したことのない世界。これがあるから、どんなにつまらない演奏を沢山聴くことになろうと、フェスはこたえられない。それにつまらない演奏の中にだって何かがあったりするしね。他にはポアZと、マイク・パットンのファントマスがめちゃくちゃかっこよかった。

@月@日 フランス、ナンシー。欧州最大のニューミュージックフェス”ムジークアクシオン”が10日間にわたって開かれる。やはりカソードでの出演。ここでも長期滞在して、出演バンドのほとんどを見ることに。ベルリンから来たプリペアド・ギターのアネッタ・クレブスとインサイド・ピアノのアンドレア・ノイマンの即興の新しさは圧倒的だった。こういう新しさは、厳しい聴衆で知られるここですらあまり理解されていないのではなかろうか。そのくらい未知の何かを彼女達は持っている。文句なく名演だったのはイギリスの最古参即興ユニットAMM。彼らの演奏をこれまでに何度も見てきたし、その度素晴らしい演奏だったのだけれど、今回はぐんを抜いていた。歴史的な名演といってもいいだろう。そのAMMが僕らの演奏を称賛してくれたのにはもっと驚いた。AMMのピアニスト、ジョン・ティルバリーとSchiko M等とのユニットが実現することになったり、杉本拓や中村としまるとAMMのギタリスト、キース・ロウはすでに何度も共演を重ねている。「あなた達がなにをやるのか、わたしは本当に注目している。次の何かはあなたたちの活動から生まれると思うからだ」別れ際にキースから真顔で言われたこの言葉の意味を考えると恐ろしくなる。僕らは本当にそんな存在なのだろうか?

@月@日 帰国早々、中原昌也の三島由起夫賞受賞に寄せたエッセイ「狭き門を後ろ手で閉めろ」をイン
ターネットで見つけた。すばらしい内容だった。賞を取るのにどういう意味があるのかオレにはわからな
いけれど、ここは素直におめでとうを言いたい。大阪では包丁男が小学生を刺し殺すニュース。本当に憂
鬱な気分だ。

 

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追伸です

今月の「スイッチ」にわたしのインタビューがまた「スタジオボイス」の「レボリューションポップ特集」
の巻頭に音楽と政治について文章をよせています。ここのところ、日記みたいな文章が多かったので久々
にまとまった音楽への提言をしたつもりです。80%もの人がムードだけで首相を支持したり、右翼まがい
の発言や歌詞の若い音楽家が多数輩出する中でそしてそれがかなりの支持を集めている中で危機感を感じ
てのことです。

また先々月日経クリックにのったナップスターについての発言があまりにも短く要約されすぎていてわたし
の意図とはずれてしまったので(ま、読んだ人はほとんどいないとはおもうのですが・・)ナップスターを
含む著作権問題についての最近のわたしの考えについても多少ふれています。(著作権やサンプリングにつ
いての問題は、いずれ機会を見て、もう少しまとまった文章を書きたいとおもっています。すでに、わたし
がサンプリングウィルス計画なんかをやっていた頃とはサンプリングについても、著作権の問題についても
技術、社会性の両面で位相が変わってきてしまい特にサンプリングについては明確に考えなおす必要がある
と思っているからです)

スイッチのインタビューのほうには最近のわたしの活動が包括的に語られていて自分の次を考えるのにいい
機会になりました。これもぜひ読んでみてください。

近日中にホームページ(日本語のほう)にもスタジオボイスのものも含め最近の文章をまとめてアップする
予定です

http://www.japanimprov.com/yotomo/

なを先ほど配信の日記に誤植がありましたDJオリーはDJオリーブの誤りです。

 

大友良英

 

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JAMJAM日記(TOKYO ATOM 2001年6月号)

 

@月@日 吉祥寺のウチの近所になに屋だか分からない怪しい店が出来た。1年前の春だ。入口には謎のオ
フジェがドンとあって「東風」の文字。週末になると深夜までこうこうと明かりを灯している。出入りして
いるのが怪しい風体の若い連中ばかりだし、どうもライブをやってるような気配すらある。それに外に漏れ
聞こえてくるのはノイズみたいな音だし・・・。で、あんまり気になるんである日看板をちゃんと見てみた、
らどうもCD屋らしい。おまけに時々ライブもやっているらしく、スケジュールには敬愛する永田一直や岸野
雄一師匠、湯浅学教授の名前まであるでないの。あれれ、遠慮することはねーか。入ってみると、レジには
セクシーな女性が座っていて、しかもインタネのエロサイトを見てるし、その奥ではタオルを頭に巻いたケ
ンカの強そうなあんちゃんがソバをずるずるやってる。店内はグッドチョイスのCDばかりか、古着やらメン
コやらなんだかわからないサイケな物体までごちゃごちゃに置いてあって、いい感じじゃないの。その上、
良く見るとオレのCDもちゃんとある。すっかり気をよくして、挨拶してたら、いつのまにかエープリルフー
ルにここで演奏することに。この時点でソバを食っていたのは店長の露骨くんであることが判明、セクシー
な女性は露骨くんの彼女だった。

@月@日 約束のエープリルフール。ヴォイスの奇才吉田アミ仕切りで「東風」入場無料ライヴ。この日の
吉田アミやユタカワサキの演奏は、世界の何処に出しても通用する堂々たる内容。感動した。ちなみに、こ
の日最初に演奏したのが、店長の露骨くんで、なんと彼は店のレジに座り客の応対もし、CDを何枚も売りさ
ばきながら演奏していた。恐るべし70年代生まれ達。オレも彼らに負けないよう精一杯演奏させてもらいま
した。

@月@日 「東風」を東の横綱としたら、代々木にあるギャラリー「OFF SITE」はあらゆる意味でまったく
逆の西の横綱だ。「OFF SITE」は美術家であり音楽家でもある伊東篤宏等の手によりやはり昨年オープン。
高層ビルの谷間にある木造家屋を利用した小さなギャラリーで、趣味の良い小さなカフェやブックCDショッ
プもあり、優れた若手美術家の発表の場にもなっているが、なにより僕らにとってありがたいのは、ここで
月に何回かひらかれるコンサートだ。秋山徹次や中村としまるによって毎月行われている「インプロヴィゼ
ーション・ミーティング」や、伊東自身による「絶対アンテナ」のシリーズ、杉本拓による「コンポーズド
・ミュージック・シリーズ」は、世界中の新しい音楽の現場を見てきているオレが見ても目がはなせないく
らい刺激的だ。ブーカルト・スタングル、Sachiko M,ブレッド・ラーナー、ケビン・ドラム等出演者の顔ぶ
れを見ただけでも即興音楽の今が見えてくる。ちなみに今この日記をNYで書いているのだけれど、先週のニ
ューヨークタイムスに、中村としまるの巨大な写真とともに彼らのことを書いた大きな特集が組まれていた。
ニューヨークタイムズだからどうだってこともねえが、地元日本の音楽ジャーナリズムが何年にもわたって
彼らにたいして冷たい無視(ちゅうか知らないだけかもしんないが)を続けていることを考えるとなんだか
痛快な気分だ。

@月@日 久々のミルクでのライブ。映画「風花」のお花見イベントで、僕らはサントラのライブバージョ
ンを演奏。難産だったサントラ作りからもう1年。ステージから相米監督の独特の頭が見える。嬉しい。監督、
小泉さん、浅野さん、永瀬さん、来てくださった皆さん、そしてミルクの皆さん、どうもありがとう。すげ
え楽しかった。なんだかんだいってもオレは東京が一番好きだ。るりさん、またやらせてね。

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Date: Sun, 22 Apr 2001

 

こんにちは、大友良英です
すっかり春になりましたが、みなさんいかがおすごしでしょうか。
今月のJAMJAM日記は2カ月分まとめて配信します。
(ここのところ予想外にいそがしくて、先月分を配信しそこないました)
内容は今年の1月のイギリスツアーの様子です。
少し長くなりますが、興味あるかたは読んでみてください。

昨年あたりから吉祥寺の「東風」「中村ワンダーランド」や代々木の「OFF SITE」
麻布十番「DELAXE」等、東京にも面白いスペースが沢山できてきました。
ここ何カ月も海外の話ばかりだったんで
次回のJAMJAM日記は,この辺のことを紹介しようかなとおもってます

ではでは

大友良英

 

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JAMJAM日記 (TOKYO ATOM 4月号、5月号)

 

ジャパノラマ英国ツアー編

ロンドン・ミュージシャンズ・コレクティヴ(LMC)の招きで日本特集のコンサートが
英国9都市とベルギーのゲントで開かれることになった。準備がはじまったのは2年前。
音楽ライターとしても知られるLMCのエド・バクスターと私で人選をし、正月早々、
僕らはイギリスへ。
メンバーは 石川高(笙) 江上計太(テープ・インスタレーション) 大島保克(唄、
三線) Sachiko M(サイン波) 杉本拓(G)中村としまる(ノーインップトミキサー)
HACO(vo,electronics,perc etc) 古田まり(Perc)八木美知依(箏)

@月@日 ロンドン・ヒースロウ空港で成田、関空、福岡の各空港から到着の11人の仲
間と、5人のイギリス側スタッフ&クルーと合流、自己紹介をしあう。オレにとっても杉
本拓、中村としまるといった見知った顔ばかりではない。初対面の人もいる。いろいろ
なジャンルから集まった日本のミュージシャン9人と美術家によるオムニパス形式のコン
サートツアーJAPANORAMAの幕開けだ。これから半月、ほぼ連日コンサート会場から
次の会場へとバンで移動する毎日が始まる。天気は暗く冷たい雨。イギリスらしい。
今日は西部の都市エクスター近くまで行ってドライブイン泊。

@月@日 到着翌日、この日は午後からサウンドチェックのみ。エンジニアのロンドン在
住のドイツ人クヌートとは一度ドイツで仕事をしたことがある。エレクトロニクスを演
奏するミュージシャンでもある。初めての和楽器や調子のわるいPAにてこずるが、彼な
ら安心だ。ところで、さっき” いろいろなジャンル”なんて書いたけれど、具体的に書
くと、雅楽、邦楽、沖縄民謡、オルタナ系やら音響系、現代音楽等々・・・ってことに
なって、正直ピンとこない。それより箏の八木美知依さんとか、打楽器の古田マリさん
・・とかって個人名を書くほうが、オレにはしっくりくる。ま、カテゴライズはCD屋さ
んと評論家にまかせておけばいいか。オムニパス形式ってのは、それぞれの人が、それ
ぞれの音楽を10分前後演奏して、合計で約2時間。見るほうにすれば、いろいろ聴けてい
いが、演奏するほうとしては10分は物足りない量だ。オレとしては、語法が異なる者同
士をなんでも共演させてれば、交流が生まれるっていう80年代、90年代型のワールドミ
ュージックやミクスチャー的即興演奏への疑問もあってこういう形式にしてみた。それ
に同じ日本人だからといって同じ言語を使うとはかぎやない。例えば大島保克の唄う沖
縄民謡とSachiko Mのサイン波が、石川高の奏でる笙とHACOの歌う不思議な世界が、
単に日本人というだけで、同じ枠組みで語られていいのかどうかはなはだ疑問だ。そん
な者同士がたとえば「即興」とか「音響」あるいは「ダンスビート」をキーワードにし
て共演することを否定はしないけれど、オレ個人はそういうことに安易な夢を持ってい
ないし、自分ではやりたくなかった。れぞれの共通点を見つけて最大公約数的なまとめ
かたをするよりは、異なるものは異なるままいればいいと思うからだ。だからといって、
価値観の違うもの同士が無関係であればいいとも思わない。同じ価値観の人だけがあつ
まったり、逆にひとくくりに(例えば日本人というだけで)同じもの見られてしまうこ
とにも強い抵抗を感じる。会場には美術家の江上計太さんが、毎日すごい勢いで、何十
メートルものビニールテープを使って大きなミニマルな作品を壁に作ることになってい
る。僕らは無理をしてこの美術作品の為に音をつくらないし、江上さんも僕らの音に直
接反応して作品を作るわけではない。ただ僕らは同じ時間と空間にいて、互いの作品に
敬意をもっている。演奏家同士にしてもこの程度の関係がオレにはいい距離感におもえ
る。その先、この距離を理解したり、縮めたり、溶かしたりすることが出来るのは作り
手以上に、聴き手の役目だと思うからだ。とまあ、理想を書いたところで、現実はもっ
と多様でやっかいで、豊かで貧しかったりもするから面白い。明日からは連日移動とコ
ンサートの日々がはじまる。

@月@日 初日はイギリス南西部の都市エクスター。会場は満席。コンサートはPAの不
調に見舞われつつも無事終了。江上計太のステージインスタレーションが独特の空気を
作る。彼は壁一面にビーニールテープをはりめぐらし、ミニマルで巨大なインスタレー
ションをわずか数時間でつくる。

@月@日 2日目,ブライトン。クルーのロブはここの出身。イギリスでは名の知れたオ
ルタナ系のミュージシャンでもある。この日はオールスタンディングのクラブギグだ。
ざわつく超満員の会場。一発目はオレが大音量のノイズ。この手の会場ではノイズは受
ける。でもオレのはお客さんに安心を与えるただのイントロにすぎなかった、それも古
典的な。事件はこのあとの杉本拓のギターとSachiko Mのサイン波のDUOの時に起こっ
た。まったくアブストラクトな上にほとんど音がない。ただステージ上で静かに起承転
結のない物音が時々鳴っているような状態。めちゃクールな音響にうっとりしていると、
3分を過ぎたあたりから客がざわつきだした。”FUCK!" 切り裂くような大声のヤジを切
っ掛けに、会場はものすごいテンションにつつまれた。”聴きたくねえならお前が出て
いけ!””さわぐんじゃねー””おめーのほうがうっせんだよ”カンビールを足でつぶ
してわざと音をたてるやつ。紙クズをほおる奴。支持派と不支持派。客席がざわつけば
ざわつくほど、演奏の音量はさらに小さく、音数も少なくなる。まるでステージから無
言で喧嘩を売ってるようだ。かなりやばい空気。オレは、すぐにでも飛び出せるように
袖に待機して客を睨み据える。いつも笑っている巨体のクルー、サイモンや身長2m近い
ロブも臨戦体勢で客席を睨んでいる。わずか10分の演奏が30分にも40分にも感じられた
。われんばかり拍手と激しいヤジ。サイモンがにやりとオレを見てウインク。ロブが耳
元で嬉しそうに言った。「70年代に初めてこの街でパンクを見た日を思い出したぜ。」

@月@日 常時だれか1〜2名が交代で発熱したり、食中毒になってへたっていることと
、よく道にまようこと、そしてスケジュールがきついこと以外は順調だ。毎日へとへと
になるくらいまで働いているのに、夜中ホテルにもどると、かならずロブの部屋にあつ
まって宴会になる。オレが音楽家をつづけてる理由の3分の1は下戸にもかかわらず打ち
上げが好きだからだ。クルーのロブ、サイモン、ポールはもっとも疲れているにもかか
わらずかならず、このロブズバーに集まって朝までうだうだしている。すごい体力だ。
団長のエドは、いつもクルーとの関係にナーバスになりながら、食中毒になったのにも
めげず、マメに、かつ不器用に動き回っている。日本チームの皆勤賞は杉本拓と、中村
としまる。舞台裏の日英外交の中心人物はこの2人だ。まるで霧のような視界のなか、
朝まで宴がつづく。

@月@日 5日目ロンドン。これまでほとんどの会場でソウルドアウト。今日のクインエ
リザベスホールも超満員。会場の外にまで入りきれない人で溢れている。大島保克の歌
う無伴奏の沖縄民謡やHACOのソロが会場をゆるがす。八木美知依の琴が美しく響く。ノ
ーインプトミキサーの中村としまるはロンドンではスターだ。笙の石川高の演奏にはオ
レも感動した。自分のセットCATHODEも素晴らしかった。もう文句なく皆いい演奏をし
た。本当にいいコンサートだった。でも、あまりにも完成した音楽を前にすると、そして
それが絶賛されるのを見るとむずむずと不安になってくる。本当にこれでいいのかって?
杉本拓が楽屋で難しい顔をしている。

@月@日 今日は何日目だ? ここはどこだ? 連日のバンでの移動と演奏で疲労の極
に。それでも僕らは毎日、ステージでいろいろなことを試みた。杉本拓や古田まりが曲
をつくりだす。今まで思いもつかなかった方法でアンサンブルを組む試み。公演毎に様
々なプロセスがそのままステージに上がる。失敗もある。でもなんだかいい感じだ。完
成させるのではなく、プロセスそのものの中から豊かな可能性を聴き取るような音楽。
これこれ、これだよ。オレが高柳昌行の演奏に感動して音楽の世界に深く迷いこんだの
も、デレク・ベイリーにはまったのも、ジョン・ゾーンのケツを追っかけたのも、ジム
・オルークに目を開かせてもらったのも、彼らがこの創作の深遠の縁を見せてくれたか
らに他ならない。ロンドンの大舞台で、少々舞い上がっていたのかもしれない。こんな
大切なことを忘れていた。賛否入り乱れたブライトンでの喧騒こそがオレの出発点じゃ
ないか。

 

以上

 

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Date: Wed, 14 Mar 2001

 

こんにちは

TOKYO ATOMのバージョンよりだいぶ長めにした関係で今回JAMJAM日記の配信おおはばに遅れてしまいました。

来月は実に2年ぶりに(東京では3年ぶりになるかもしれない)I.S.O.のコンサートを麻布デラックスでやります。I.S.O.単独ではなく、韓国のサックス奏者カンテーファンさんを加えての4人編成の即興演奏です。

4/14 麻布十番デラックス (港区麻布十番1-1-3 )7:30開場,8:00開演 料金3000円ドリンク付き

   I.S.O.(一楽儀光/perc Sachiko M/sine wave 大友良英/electronics,guitar)
    カンテーファン/sax

 代々木駅裏のドコモの高層ビルの影にある木造2階建て民家のような素敵なギャラリー&カフェ&CDブックショップOFF SITE(03-3341-5557)で杉本拓さんが中心となってコンポーザーシリーズをはじめました。      第一回は本日、彼自身の作品で、2回目は私の作品をやることになりました。せっかくの機会ですから、ライブハウスやコンサートホールでは出来ないことをやろうとおもっています。で考えたのが、音楽家がいつもの楽器ではなくポータブル家庭電化製品をもちよって、それで音を出すというオーケストラですこれで、音楽的な語法なんかをだすのなら、ライブハウスやコンサート向きですが今回は、そういうのではなく、ただ、家電の音がランダムででるような最低限の作為しかないような、まったくドラマのない、ただのスイッチのオンオフだけに限りなく近いけれど、ぎりぎりのところで作曲されているような、そしてそれを音楽かどうか認識するのは、聞き手の耳に完全にゆだねてしまうような、ゆるいオーケストラをかんがえています。
 演奏時間は30分程度、チャージはたしか1000円くらいだったとおもいます。もしも、こんなゆるい作品につきあってみたいかたは、のぞいてみてください。

4/14 時間多分7時くらい。事前に電話で確認くださいOFF SITE(03-3341-5557)

    ポータブル・オーケストラ「家電編」
    出演 イトケン、植村昌弘、宇波拓、大蔵雅彦、大島輝之、大谷能生
       杉本拓、中村としまる、ニイボリケン, Sachiko M, 吉田アミ 他
    作曲 大友良英

 あ、それからOTOMO YOSHIHIDE'S NEW JAZZ QUINTETのファーストアルバムFLUTTER、やっと発売決まりました。5/22アメリカのレーベルTZADIKから出ます。日本ではDISK UNION系列のお店で入手可能です。あるいはJAPAN IMPROVのWEB SHOPでも購入できます。http://www.japan.improv.com/

では今月の(といっても内容は昨年12月の出来事です)日記です

 

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JAMJAM日記

 

(前回のあらすじ)赤道直下のシンガポールで東南アジアを中心に十数カ国から数十人のアーティストが集まり1カ月にわたり連日ワークショップやセッションが繰り広げられた。名付けてフライングサーカス・プロジェクト。主催をするのはシンガポールの劇団シアターワークス。ところが、ここに着いた初日、音楽家の舞台が用意されていないことを知り、オレは久々に切れてしまった。

@月@日 オレの「帰国宣言」を受けて、急きょ、音楽関係のメンバーを集めて緊急会議が開かれた。それぞれの国から集まった音楽のエキスパート達が、その本領を発揮する場もないまま、ただその場にいなくてはならないのは苦痛以外のなにものでもない。ぼくらは芝居のワークショップの伴奏をしに来たわけじゃないし、ビギナーのようにお勉強をしにきたわけでもない。オレはそんなことを主張して帰るつもりだった。ところが事態は思わぬ方向に進展し出したのだ。オレの意見を受けて、建設的な意見が次々出され、ついには音楽専用のスタジオを設置して、毎日日替わりでリーダーを決めてセッションをするって話にまでなってしまったのだ。帰れなくなってしまった。

@月@日 セッションする場が出来てミュージシャン達は一瞬だけれど、開放されたような気持ちで音楽を楽しんだ。が、それも3日ともたなかった。だれかがビートをだす。それをフォローするように同じビートで反応する。だれかがキーを出せば、みな器用にそのキーでアドリブをとり出す。はた目にはさぞやクリエイティブな作業に見えたかもしれないけれど、こんなのはまやかしだ。普段それぞれの音楽家が自分のフィールドでやっていることを100とするなら、皆そのうちの10の力もだせてやしない。文化も言語も、まったく違う、そして音楽語法のまったく異なる人間が同時に音をだせば、どうしても最大公約数的な音に落ち着かざるを得ない。異なる文化の人間が即興を介して分かりあえる・・・なんてことが起こったら、どんなに素敵だろう。でもそんなことはまず有り得ない。英語しかわからない人間と、日本語しかわからない人間がはなしをする状況を考えてみれば、よく分かることだ。「音楽は共通語」というのは聴いて楽しむ場合のはなしで、音楽を創る側には、どの音楽にも言語のような体系があって、それはそう簡単に理解しあえるようなものではない。この日の夜メレデス・モンクのソロパフォーマンス。素晴らしかった。音楽のクオリティについて考えさせられる。

@月@日 中国奥地のナシ族の長老達のパフォーマンス。そして田中泯さんのソロダンス。感動した。それぞれのアーティストのライブを見るのは楽しい。しかし、ワークショップのほうはいよいよ行きづまる。オレはとりあえずこの場を抜け出してさぼることにした。いつのまにか、他のミュージシャンも抜け出してみんなでビールを呑んだり、なんてことになってくる。宴はワークショップ終了後もつづく。かたことの英語にうまいつまみ、そして笑い。オレははじめて異境の地から集まってきた言葉も民族も宗教も、そして音楽も文化も違う彼らと、少しだけ理解しあえたような気がした。彼らと出来る即興以外の方法ってなんだろう。それぞれのキャラクターを生かしたままアンサンブルする方法は? プロジェクトの精神的な支柱になっているマレーシアの哲学者の大学教授に問いかけられた。「おまえはここにどういうつもりで来たんだ。」オレはこうこたえるしかなかった「ミステイクだった。まだなにも発見できないよ」

@月@日 一晩考えて創ったシンプルな曲をみなで試してみる。オレの指揮を通して伝えた情報を受けて各自がその場で作曲し、自分の演奏をしてアンサンブルを組む。簡単なゲームピースのような作品だ。悪くない。異文化同士の交流に必要なのはやみくもなセッションではなく、制度と構造を民主的に構築する視点しかないのではないか。いつのまにか沢山のアーティストが僕らの試行錯誤を見守っていた。一曲終えると、すごい拍手が帰ってきた。そうだ、音楽家には聴衆が必要だってことも忘れてた。音楽を意味あるものにするのは聴き手なのだ。

@月@日 これまで発表の場をあたえられず、セッションにも行き詰まりを感じていた音楽家それぞれが自主的にコンサートをやりだした。雲南省の笛吹きとフィリピンのラスタ系シンガーのセット。田中泯とメレデスモンクのデュオ。福岡ユタカと中国のシンガーの共演。韓国のチャン・ジェヒョの琴のソロ。どれも素晴らしいクオリティだ。その時、それまで、ほとんどマイペースにまわりの状況とはほぼ無関係にピアノを弾いていた女の子(オレは彼女を不思議ちゃんと呼んでいた、多分自閉症的傾向のある娘だ)が、突然自作の弾き語りフォークを歌い出す。ふやけたキャロルキングのような変てこな、クオリティのやたら低い音楽。うわ、なんじゃこの状況は。しらけた空気があたりを包む。そのとき、ワークショップに否定的な意見を持っていたシンガポールのアバンギャルディスト、ザイが突然立ち上がって不思議なダンスを踊り出した。彼はこんなことをしても無意味だと、いいながらいつも僕らにくってかかっていた。オレには彼のキモチはいたいほどわかっていたけれど、参加した以上文句を言うだけでは駄目だ、とも思っていた。そのザイが突然、すごいテンションで立ち上がり、ゆっくり舞いだしたのだ。この時のことを文章で説明するのはすごく難しい。ただザイの動きとともに空気がかわり状況も一変したのは確かだ。孤立してしまった不思議ちゃんは状況の一部となり、しらけた空気は別の何かになった。そして少なくともオレはココロを動かされたのだ。ザイをつつむいろんな状況、彼の孤独が、一瞬にして見えた気がした。「異文化との交流」なんて甘っちょろい言葉を語る作品やプロジェクトをオレは信用しない。が、もしそういうものが本当にあるとしたら、それは作品の中にではなく、こうした未完成な混沌とした状況の中だけに瞬間的に起こるピカピカとした何かなのかもしれない。教授がいつのまにか隣にいる。「ここに来た意味が少しだけ見えたよ教授」無言のままにやりとした彼の顔が忘れられない。南国の風が暑い。

@月@日 最終日。クラブでのパーティ。オレはここではじめてオレの音楽をソロで演奏した。ただひたすらフィードバックさせるだけの音楽を40分。元ダムタイプの山中透や福岡ユタカも素晴らしい演奏をした。暖かい拍手。これは友だちへの敬意をこめた拍手だ。素直に「ありがとう」って思う。でもオレは思う。どんなに素晴らしくっても、例えば中国奥地の笛の音楽にオレがリアリティを感じるのが難しいように、カンボジアから来たイスラム教徒の影絵芝居師にとって、オレの音がリアリティあるものに響くのだろうかって。アジアは一つなんかじゃないし、理解なんてしあえていない。せいぜいが遠慮しながらニコニコと握手をしあえた程度だ。それでも国や文化とは関係なく友だちが出来ることもある。ザイがやってきてオレにいった「あんなワークショップより今日のお前のソロが最高だったよ」「ありがとう。でもね、それならソロだけやりにくればいいんだ。それよりお前のあの瞬間が最高だったよ」お世辞じゃない。オレは二度とこのプロジェクトに参加することはないだろう。最初は本気でそうおもっていたけれど、皆と踊っていると、なんだかまた参加してもいいなって思えてきた。悪くない一歩だ。

 

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Date: Wed, 31 Jan 2001

  

こんにちは & 遅ればせながら、あけましておめでとうございます

今年にはいってめちゃハードなイギリスツアーをこなしてやっと帰国したところです。いったのはHACOや沖縄音楽の大島保克、笙の石川高、箏の八木美知依、杉本拓や中村としまる、SachikoM、古田まり、美術家の江上計太の総勢10名、私は主にソロとCATHODEをやりました。特に杉本拓や中村としまる、SachikoMといった新しい即興演奏をする人達への注目度はすごくほとんどの公演でソウルドアウトの大盛況でロンドンではクイーンエリザベスホールに人が入りきれず、キャンセル待ちの列まで出来るありさまでしたなんだか自分たちのことではないようなへんな気持ちでしたこれについては次々回の日記で報告します。

それから告知を少々
Pヴァインからの発売が暗礁にのりあげていたNEW JAZZ QUINTETのファーストアルバム「FLUTTER」がアメリカのTZADIKから発売出来ることになりました。5月くらいには発売予定です。TZADIKからは他に2枚。前作「CATHODE」の続編で対になる作曲作品「ANODE」とNEW JAZZ QUINTET plus SINGERS(仮タイトル)というアルバムを年内に出す予定です。

ライブのはうは2/11新宿PIT INNで半年ぶりのNEW JAZZ QUINTETのライブ。次回はまた大分先になるとおもいますなので、ぜひいらしてください。今回がファーストアルバムのコンセプトと楽曲のみでの最後のライブになります。(無論この中の作品は今後も演奏していきますが、まるまるこのコンセプトというのがこれが最後です)メンバーは菊地成孔(SAX)津上研太(SAX)大友良英(G,EL)水谷浩章(B)芳垣安洋(DS,TP)

また3/3にはおなじ新宿PIT INNで富樫雅彦 plus 杉本拓(G)、SachikoM(SINE WAVE)、石川高(笙)、大谷安宏(COMPUTER)それにわたし、というセットがあります。これ要注目です

またその前日3/2には島田雅彦さんの朗読ではさびさに日本で「ミイラになるまで」を上演します。メンバーは西陽子(箏)、杉本拓(G)、SachikoM(SINE WAVE)、石川高(笙)、津上研太(Sax)、古田まり(PERC),大友良英(CONDUCT)会場は新潟市です。

おなじく半年ぶりのNOVOTONO(PHEW、山本精一、えとうなおこ、西村雄介、植村昌弘、大友良英)は2/15渋谷クアトロ、2/18大阪、心斎橋クアトロです。

昨年音楽を作った相米監督作品、小泉今日子、浅野忠信主演の映画「風花」が上映されてます。で、そのサントラCDもモンスーンレコードより発売になりました。タイトルは「風花、オリジナル・シネマティック・トラック」興味のあるかたはぜひ聴いてみてください。映画ではあまり気にいったトラックがつかわれてないので、CDのほうが本人は気にいってます。わたしのアコースティックギター(初録音)が全面的にフューチャーされてます。

だいぶ長くなりました

では今月の日記です

 

大友良英

 

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JAMJAM日記

 

今月、来月と2回にわけて昨年12月シンガポールで体験したちょいといい話を。

@月@日 真冬の東京をあとに赤道直下のシンガポールへ。常夏のこの国で東南アジアを中心に十数カ国から数十人のアーティストが集まり1カ月にわたり連日ワークショップやセッションが繰り広げられている。名付けてフライングサーカス・プロジェクト。主催をするのはウォンケンセン率いるシンガポールの劇団シアターワークスだ。オレが参加するのはラストの9日間。こういう機会でもなければベトナムやマレーシア、フィリピンやらカンボジア等のアーティストと会うことなんてそうあるもんじゃない。とにかく行ってみる事にした。到着は深夜。そのままホテルに直行。ギラギラのネオンサイン、なんかラブホテルっぽいなあ。とりあえず近くのコンビニに日用品を仕入れにいく。「きれいに消毒されててつまんないとこだよ」シンガポールにいったことのある友人が口を揃えて言う常套句だ。でも、このあたりの様子は、まるっきり違う。だいたい真夜中なのにガラの悪そうな連中がうろうろしている。メインストリートはびっしりと屋台風の食堂が終夜営業してるし、赤線っぽい建物やら、ラブホテルみたいなもんが沢山ある。台北やらマカオの下町みたいな風情だ。悪くないじゃん。ガラが悪いって書いたけど、危険な香りはない。屋台風食堂で大好物のラクサを注文。ココナッツミルクの辛いラーメンで、これがもうめちゃうまい。明日から何が起こるのか、楽しみだぞ〜。

@月@日 朝早くからチャータバスで市中心部の公園にある会場へ。バスの中は一癖も二癖もありそうな個性的な顔であふれている。聞いたたこともない東南アジアのいろいろな言語や北京語、福建語、英語、韓国語が飛び交う。大巨匠メレデス・モンクや田中泯さんの顔も見える。なんだか凄いことになってるな〜。皆、同じラブホテルの住人だ。「ひさしぶり〜」日本語で話しかけて来たのは福岡ユタカさんだ。彼はすでに半月先行してここに来ている。「どうも、どうも〜。で、どう?」「それがね〜、う〜ん、ま、いってみりゃわかるよ」 会場に着くと早々はじまったのが田中泯さんのダンスワークショップ。始めは見学、で後半は試しに参加してみる。泯さんの言うことが良くわかる。体も音楽も基本は同じだ。おっと、でも、ダンスワークショップをしにきたわけじゃなかった。さて音楽、音楽。ん、音楽はどこ? なにやら楽器を持った連中が退屈そうにごろごろしている。時間表を見てみると、ダンスやら、シアター関係のワークショップばかりで音楽がほとんどない。十数人も音楽家が集まってきているのにこれっていったい? やっと音楽のコーナーかと思いきや、その国の音楽事情の講義みたいなことをやってやがる。おいおい、オレはお勉強しにきた学生さんじゃないんだぜ。だいたいワークショップやセッションをオーガナイズするつもりで来たのに、そういう時間が用意されてないじゃないか。ここに集まってるのは皆地元ではそれなりに活躍している一級の音楽家達だぜ。それがなんでいまさらこんなビギナーみたいなことをさせられなきゃならないんだ? これだけの連中が集まってるなら、もっと建設的な方法がいくらでもあるじゃね〜か。音楽のディレクターがいないのも問題だ。優秀な人を集めりゃなんとかなるってもんじゃない。なんだかだんだん腹が立ってきた。決めた。ウォンケンセンを呼び出す。「あなたがオレや音楽家を呼んだ意味がオレにはまったくわからないんだけど。ちゃんと納得出来る返事がないなら、オレは明日帰るから」

無論話はここで終わりじゃない。ドラマのつづきは次号で。

 

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