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マチュピチュを見たくてたまらなくなった。
ごくふつうのサラリーマンは簡単に休みなんか取れるもんではない。1日、2日なら可能だろうが、ペルーはほとんど地球の裏側で2日くらいの休みじゃーたどり着くのがやっと。次にいくならペルーと決めて、出発までの期間は NHKラジオスペイン語講座で勉強する事にした。
半年間の充電期間を終えて成田を出発。飛行機はダラス・フォートワース空港乗り継ぎで、空港のトランジットルームでリマ行きの飛行機を待つ・・・。なんとこの部屋のドアには鍵が掛けられ、係
員が不法入国しないか目を見張っていた。「てめーの国なんざに、用はねー」とぶつぶつ 小さい声でわめく・・・
ペルーの首都リマからクスコへのフライトは有視界飛行のため、フライト時間は合ってないようなもの。晴れれば飛ぶし、霧が出てれば飛ばない。朝のフライトだったが、結局出発は昼過ぎになってしまった。
出発まで空港では飲物が振る舞われていた。日本にいたら決して口にしない生ぬるいコーラをいただく。アエロペルーでクスコへ〜(飛行機はたぶんB−727というとっても年代物。 あまり飛行機は詳しくないので間違っているかもしれません。)飛行機は空いていて、日本人も数人乗っていた。
そのうちのひとりとタクシーをシェアしていざクスコ市内へ〜
タクシーの運ちゃんの名はアントニオ。いかにもな名前だ。案の定「おれはガイドもやっている。」と片言の日本語と英語で話しかけてきて、「ホテルは? いいホテル知ってる。」と・・・・さらに、「この人はいい人です。とっても優しくしてくれました。○○年××月□□日 △山◇子」といったサイン帳を出してきた。この手の物はいったいどこの国が発祥なのだろうか?
まーいいからアルマス広場でおろしてくれと言いあってる矢先、
なんと大雨、すっごい土砂降り!!!!!
このなかうろうろ宿を探すほど、根性がない僕はあっさりおれて紹介されたホテルに向かう。中を見て値段もまーまー(といってもガイドブックから判断して)ということでホテルにチェックイン。
荷物整理したり、ベッドに横になってるうちにあっさり雨は晴れ上がったので、市内散策へ〜
日程が短いサラリーマン。明日の予定をたてるべく、ツアー案内を覗いていく。
以前カナダにいったときの乗馬が楽しかったので、馬を乗りながら遺跡を巡るツアーを選び、他に聖なる谷ツアー、そして最後にマチュピチュに行くことで決定。
調子に乗って歩いていたら案の定軽い高山病になった。
頭がガンガンするのだ〜
昨日約束した乗馬の集合場所へ・・・が誰も来ていない。それどころかその店だけ閉まったままだった。一時間近く待ち、「これはやられたか?」などと思いはじめた頃、店の兄ちゃんがやってきて馬のいる牧場へ(しかし結局客は一人だけだった。)ツアーは馬に乗って、郊外の遺跡をまわるというものだが、今回の添乗員は10歳の少年だった。彼は英語を全く解さない。スペイン語をほとんど解さない(英語もぜんぜんだが・・・)ぼくとはほとんど会話にならず、淡々と山を登っていく・・・
まもなく写真なんか撮ってられる状況ではなくなった。道なき道の斜面をガンガン進む。気を抜くと、遙か谷底まで一直線に落下は間違いなし。もちろん馬が気を抜いても結果は同じ。けっこう命がけの山登りを終え、遺跡にたどり着く。タンボマチャイ、続けてプカプカラ、ケンコー・・・とまわった。
サクサイワマン(なんでもセクシーウーマンとおぼえるらしい・・・)にたどり着いたとき、少年は「フィニート」と言って、帰っていった。
ここは6月に行われるインティライミの祭り会場でもある。
聖なる谷ツアー
ピサックの市は観光客相手の露店も多くなったとの話だが、色とりどりの顔料、黄色以外のトウモロコシ、衣類、野菜、果物等を扱っている露店も多く、インディヘナたちの生活をかいま見ることができた。
物珍しそうに彼らの生活に入っていくのは気が引けるが、出かけたときには市場にフラフラいってしまうのである。
ツアーはこの後、オリャンタイタンボやチンチェーロなどをまわりクスコに帰ってくる。途中バスには小遣い稼ぎの少年によるペルーの代表曲「EL CONDOR PASA コンドルは飛んでゆく 」のケーナ演奏があった。
明日はマチュピチュへ、アウトバゴンで山をガタガタと登って・・・・
となるはずが、土砂くずれで列車は動かない。ペルー陸軍のヘリで行くことになった。しかし、このヘリコプターも当然ながら天候任せ。霧が晴れずに朝のフライト予定が昼を過ぎても一台も飛べない。待合場所にはお土産は売っていても食べ物は売っていない。空腹と戦いながら今日はだめだな・・・等と思い始めていた。すると急に天候は回復、青空になったのだ!ロシア(ソ連?)製のヘリに乗り込み駅の近くまで向かう。
フライトが遅れ、見学時間は残りわずかになってしまったが、ここでの景色はすばらしいの一言に尽きる。未だ謎が多く残されているらしいが、こんなところに都市を築いたひとたちには本当にびっくりさせられる。
周囲はすっかり暗くなっていたが、葛折りの山道に有名なグッバイボーイは闇夜から現れ、「さよなら〜」と言っていた。運転手の方も少年の出現ポイントではスピードを緩め、少年より先に行ってしまうと止まって待ってやったりした。この暗闇の中、あの崖をダッシュで下る少年には本当に脱帽だ。「グッバイ」より「さよなら」のほうが多かったのが気になるが・・・さよならボーイだろ?
夜遅くアグアスカリエンテの町に着き、一泊。次の日もう一度遺跡に行きたかったが、ヘリのフライト時間は変えられないとやらで泣く泣くクスコに戻る。この日は朝から晴れ渡っていてつぎつぎと客を乗せヘリがやってきていた・・・・
高山列車で、プーノへ
早朝クスコの駅に向かう。駅には列車の乗客でいっぱいだった。市内を抜けるまでの景色はいただけないが、町を抜けるとすばらしい景色がひろがる。最初は進行方向左側、途中から右側の景色がいい。一般のツーリストが利用するインカクラスは窓は開かない。景色をよく見るためには車両の端にある乗車口を開け、床に座って見るのがベスト。(日本の電車と違ってドアはもちろん手動、ただ列車から落ちないよう気を付けなければ・・・)列車はクスコ〜プーノ間の最高地点4314mのラ・ラヤ駅に到着する。付近には家らしきものは全くない。いったい誰が利用するのか・・・僕らみたいな観光客相手なのだろうか・・・? 列車内では放送なんてものは当然ながらないので寝ていたりすると気づかない。もちろん高山最中も売っていない。
予定通り大きく遅れてプーノの町に到着。
町はカーニバルだった。この時期の南米は至る所おまつりらしい。
派手な衣裳のひとがあふれ、インディヘナの人たちも三つ編みを揺らし踊っていた。
僕は旅行にはあまりお金を持っていかない。いろいろな意見もあるが、僕は持っていかない。基本的にはカードでお金を引き出している。VISAやMASTERといったカードであれば、
ぼくがいくようなふつうの町なら使えるからだ・・・が、プーノの町では軒並みカードが使えない。地元ローカル銀行のカードしか使えないのだ!!!!半ばあきらめかけていたところに、工事中で
やってないかと思っていた銀行の機械が使えたのだ。本気でシャレにならないところだった。やっぱり現金は必要だー
チチカカ湖のウロス島ツアーに参加する。チチカカ湖はアンデスからの雪解け水を集めてできている。琵琶湖の約12倍の面積、海抜3890m(富士山よりも高い!)。桟橋付近は藻であふれかなり汚いが、中心部に向かって船を進めると、だんだんと湖が青くなっていく。ウロス島はトトラと呼ばれるアシを重ねただけの浮島だ。島の端に歩いて行くと、じわじわ水がしみてきてしまう。
陸路でボリビアに向かう。長期にわたる旅行をしたことがない僕は国境を越えたことがなかった。国境越えも今回の旅行の目的だった。
途中の町でしばし休憩。事情をよく知らず、あたりをうろうろ散歩し、食事をしていた。戻ってみるとラパスまでいくと信じていたバスは荷物を別のバスに積み替えていた。乗ってきたバスはどうやら別の町(プーノに戻る?)危うく、荷物は別の町に行きかけたが、何とか
ラパス行きのバスにのせたのを確認し、出発。
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