歪んだフィルターの向こうとこちら |
(5) 無邪気なステレオタイプ |
(この文章は,1995年11月に自主制作で発行された「イギリスのこと。」第1号の文章を発展させ,2001年3月に大幅に加筆したものです。)
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例えば旅行に行った先の国の人たちが丁寧に道を教えてくれたりすれば,「□□人は親切」,やたらナンパされたりすれば「△△人はすけべ」っていうのが頭にインプットされる。それ自体は自然なことだ。だけどある意味では危険なものでもある。「□□人は『全員』親切」みたいな思い込みにつながりかねない。ひとつの例だけで全体を判断してしまう愚に陥りかねない。ステレオタイプに当てはまらない物事や事象を認めようとしないという,偏狭な姿勢につながりかねない。 Mishimaしか日本人を知らない外国人は,無邪気にもMishimaは日本人の典型であると考える。日本人ならみなMishimaを知っているはずだと思い込んでいる。(日本では公開されていないポール・シュレイダー:Paul Schrader監督の"Mishima"という映画を見ると,欧米の目で見たMishimaがよ〜くわかるそうだが,未見。) 私は三島の小説は(晩年の,いわゆる思想は別として)いろいろと読んでいたから,ヴィウトリア駅前でホームレスに話し掛けられた時は「ほー,やっぱ輸出されたMishimaってこうなっちゃうんだ」と興味深く思いつつ,その人がしゃべりたくてたまらないという感じ(対話というより演説)だったから,「三島は武士道研究家である以前に優れた小説家だったと思う」と一言挟むのが精一杯だった。(英語もあんまりできなかったし。)聞いてくれる相手を得た「俺に語らせろ」モードのホームレスは,Mishimaについて語り続けた。 もし,彼が話しかけた日本人が三島を読んだことがなかったら……それでも英語の聞き取りの勉強になるということで彼の演説に耳を傾けてうなずいていたら……。Mishima好きのホームレスは,「やっぱり日本人にはMishimaだ」と,確信を深めていたかもしれない。 そしてもし,彼が話しかけた東洋人が日本人ではなく,三島の思想と日本による大東亜共栄圏の思想を重ねあわせて嫌悪感を感じる人だったら……。東洋人は「Mishimaなどという『有害な』思想をヨーロッパにまでばらまいた日本は,許しがたい」という思いを抱いた(あるいは強くした)かもしれない。 件のホームレスは,ただ単に「大好きなMishimaの母国である日本の人とMishimaについて語りたい」と思っただけだろう。彼には悪意はないし,私としても,まあ小説家・三島由紀夫が好きだからかもしれないが,「日本人 --> ミシマ」と連想されて気分を害することもなかったから,平和で楽しいひとときを過ごすことができたのだ。 もしも三島に反感や嫌悪感を抱いている日本人だったら,「だからガイジンは!」という感じに,ちょっとムカっときたかもしれない。相手がいかに無邪気でも。 日本でも,イギリスに関する無邪気なステレオタイプがたくさん出回っている。ほとんど枕詞のように。そういうのは旅行会社が商品のパンフレットに書くにはいいかもしれない。けど,個人個人の健全な思考までもそれにゆだねてしまってはならない。 何年か前に見たテレビ番組で,イングランド・プレミアリーグのスターがファンにサインをしている光景にこんなナレーションがかぶさっていた。 「紳士の国」に限らず,日本の野球選手だってどこの国のどのスポーツの選手だって,ファンにサインはするよね。 国粋主義的言動を繰り返し,外国に行くと集団で破壊の限りを尽くすのも,「さすが紳士の国」のサッカー代表チームのファンだし。 ナレーションの台本を書いた人は,「紳士の国」の使い方を突き詰めようとしなかったのだろう。それは空疎な,ただの耳触りの良い枕詞にすぎない。みなが聞きたがっている「イギリス」像を演出するための。 かく言う私自身も,ロンドンという大都会で白黒テレビが今だに現役で使われているのを見て「さすが古いものを大切にするんだなあ」と感心していた。が,実は,白黒テレビの方がカラーテレビより経済的であるという,無味乾燥かつ現実的な理由があったのである――テレビを所有している世帯に課せられる「TVライセンス」が,カラーだと白黒の2.5倍くらいになるのだ。 イギリスには「古いものを大切にする精神性」は確かにあるし――それとても「暖炉に郷愁を感じつつ,北米から伝わったセントラル・ヒーティングの快適さには抗えず,それでも郷愁のために暖炉にヒーターを埋め込んで,アメリカは嫌いだと言い続けるのは滑稽だ」という考え方も成立する――,古いものを使い続けていられる環境が社会的に備わっているのは「さすが」だと思うけど,もしも日本みたいに,古いものを使い続けるより新しいものを買った方が経済的という状況に置かれたら,彼らは同じように古いものを使い続けるだろうか?
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(c) no frills, 1999, 2001