サッカーの町
昭和31年、静岡市清水区の江尻小学校にサッカー好きの新任教師(堀田哲爾)が赴任しました。その日から堀田先生は子供達と毎日運動場でボールを蹴りました。ところが当時の江尻小にはボールを足で蹴ってはいけないという校則がありました。しかしサッカーの魅力にとりつかれた子供達の様子を見て、校長も許可をしました。これが、「日本で初めての少年サッカーチーム」を生むきっかけとなりました。文部省の小学校学習指導要領体育科のボール運動にサッカーが登場する12年も前のことです。
江尻小を皮切りにその後清水に小学生チームが次々と誕生しました。昭和42年には清水地区初の小学生リーグがスタートし、指導者育成のためコーチングスクールも開校されました。
この年東海4県少年サッカー大会が開催されることになり、日本一のチームをつくる一貫として清水区の江尻小・入江小・庵原小の子供を集めて選抜チームを結成しました。そして、優勝を飾りました。このチームが「清水FC」のルーツです。
「清水FC」は、2003年・2004年・2005年8月に清水で開催された「全国少年少女草サッカー大会」において見事に優勝し、男子の部の頂点に立ちました。
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また清水は女子サッカー発祥の地でもあります。入江小学校で始められ、この学区の市立第八中学校から、「清水第八」と言う女子サッカークラブが生まれました。
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現在、静岡市清水区は「サッカーの町」と呼ばれています。その理由にはいくつかありますが、まず、少年、中学、高校、女子などの各レベルの全国大会での活躍により清水のサッカーの強さがテレビ等により宣伝されたことが挙げられます。
昭和35年以前は、サッカーの町といえば藤枝でした。藤枝は清水よりはるか前からサッカーが盛んで、当時の清水は藤枝に追いつけ追い越せと常に目標にしていました。
その後、清水東高等学校が国体初制覇をし、清水東高出身の杉山隆一氏の活躍が、清水のサッカーの発展の大きな要因になりました。杉山隆一氏の業績としては、あの釜本氏とのコンビで、メキシコオリンピックでの日本の銅メダル獲得に大きな貢献をしたことです。サッカーを志すものにとって憧れとして、目標となるべきヒーローをこの時期に清水から生み出したことは非常に大きな意味を持つことになりました。
昭和49年以降はあらゆる意味で清水のサッカーが花開いた時期です。小学生レベルから、清水FC、清水東高校、清水商業高校、清水第八クラブなど多くのチームが全国タイトルをとりました。
平成4年にはJリーグに清水エスパルスが参加し、その結果、清水のサッカーがプロにまで延長され、地域での一貫したシステムが完成されました。
ここ4・5年は小学生、中学生以外は沈滞ムードがただよう清水のサッカーですが、清水エスパルスの復活が見え始めたこの時期。高校生とレディスの活躍を願うのは私だけではないと思います。
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清水の江尻小学校の隣にある魚町稲荷神社には、「少年サッカーの発祥の碑」があります。毎年シーズン前に必ず「清水エスパルス」が必勝祈願に来る神社です。「サッカーのまちに何か象徴になる物を造りたい」「いつでも、誰でも、気軽に接する環境にしたい」こんなコンセプトを基本にスタートし完成しました。
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