2号の誕生までには、いろいろな苦難がありました。
1度の流産、不妊、切迫流早産による半年間の安静生活・・・。
長くなりますが、興味のある方はお読みください。
これを書いたのは、2005年4月です。
今日で、2号は10ヶ月になりました。
二人目というのは、本当に成長するのが早い!!
早すぎると言った方がいいのかもしれない。
1号の幼稚園生活に振り回され、あっという間の赤ちゃん時代が過ぎていく。
1号の赤ちゃん時代は、あーやっと10ヶ月、だったのに2号はもう10ヶ月。
周りの人(親、兄弟)からは、「1号の時じゃ考えられへんわ、あんたも変わったなぁ。」と
よく言われる程、どうにかなるさ精神で子育てに臨めている。
自分でも、ほんとに変われるもんだと関心する。
現在1号が5歳、2号が10ヶ月と少し年の離れた兄弟。
本当は、2歳違位で兄弟が欲しかったんだけど思うようにコウノトリが来てくれず諦めた頃に
2号を授かった。
「赤ちゃんが欲しいと思いすぎると出来なくて、諦めた頃にできるんだよ。」と良く聞いたけど
本当にその通りになった。
2号を授かった時のあの嬉しいけど信じられないという気持ちは今でもはっきり覚えている。
実は、1号がちょうど1歳になった月に二人目を妊娠。
でも、その子とは縁がなかったのかたった5週という短い生涯を終えてしまった。
その時の悲しみは、忘れることができない。
妊娠がわかった次の日に流産した・・・。
喜びも束の間というのは、実にこの事だと思った。
この世に、本当に神はいるのかとも思った。
それからずっと子宝に恵まれず、周りの人はどんどん二人目を妊娠、出産していく中で
私一人取り残された様な寂しさにずっとさいなまれてきた。
毎月来るものが来てしまう度にズドーンと落ち込んだ。
月の物が、1週間程遅れたら「もしかしたら妊娠したかも!」と一人で喜び、その翌日に
月の物が来てしまいがっくりするといった日々を3年ほど過ごした。
そんな日々を送りながら、このままではいけないと思ったのがおととしの夏。
これまでは、自分自身が妊娠できる体なのかどうかはっきり知るのが怖いので婦人科の門を
叩けずにいた。
でも、毎月毎月落ち込んでいたのでは先にすすめないと思い不妊症の検査を受けに行った。
私にとっては、とても勇気のいる事だった。
もしかしたら、自分が赤ちゃんの出来ない体だとはっきりわかってしまうかもしれないと思うと
怖くて仕方なかった。
実際行ってみると、婦人科の先生はあっけらかんと「一人出来てるから大丈夫だと思いますけど
なんなら、卵管が詰まっているかどうか調べてみますか?でも、念のためまず初めに
排卵されているかどうかを調べましょう。卵管疎通の検査はそれからですね。」と言われた。
とても緊張し、がちがちで入った診察室でなんだかちょっとほっとした。
それから一ヶ月間、まじめに基礎体温を付けた。
一ヶ月が過ぎる頃、基礎体温表に普通と違った変化が現れた。
排卵から二週間以上も経つのに一向に体温が下がらない。
私は、目を疑った。
又どうせ明日になったら月の物が来るんだろうと半ば諦めていた。
しかし今回だけは、待てど暮らせど体温が下がらない。
もしやと思い、急いで薬局へ。
ドキドキしながらトイレに入り検査してみた。
検査キットの説明を何度も読み、判定が出るまで気が気ではなかった。
・・・・・・ジャーン!小窓に赤い●が!
「やったー!」天にも昇る気持ちだった。
私にも、やっと春が訪れたんだー!
あの時の嬉しさは言葉では表せない程だった。
思わず、仕事中のおとうに「赤ちゃんが出来たみたいよ。」とメールしてしまった。
おとうも、とっても喜んでくれ会社の先輩に言ったようでその先輩からもおめでとうメールを
いただいた。
翌日、婦人科に基礎体温の結果と妊娠判定の検査を同時に診てもらいに行った。
先生は、「妊娠されています。良かったですね、こんな事もあるんですね。」とうっすら笑みを
浮かべた。
私は、晴れ晴れとした気持ちで婦人科の門を出た。
さー、ここからが大変なマタニティー生活の始まりだった。
2gou tanjoumade
〜2号誕生まで〜