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巫女装束を着た青葉は、月が映り込んだ湖を見下ろす。 異界とこの世をつなぐ湖。ここは祭りの時に巫女舞を行う場所であるが、同時に禊を行う場所でもあった。 立ち会っているのは、村人全員だった。 「悪霊や事件のせいで村の空気が濁ってもたけん、今から禊を行います」 青葉は声を張り上げた。 「せやけどその前に、話があります。ここにおる佐倉小町を人殺しやと決め付ける人が、村におります…」 「真実を言って、何が悪いんや?」 蘇芳が進み出た。 「真実やあらへん。お前もわかってるはずや、蘇芳」 青葉は哀しそうに眉をひそめる。 「小町が嘘ついてへんこと、ここに証明します」 青葉に、総一郎が短剣を渡した。 「ミナツチさん、よろしく」 『んだ』 青葉の指示に、ミナツチは一つ頷く。ミナツチの体が青い燐光を帯び、その燐光は湖にも移った。 「これで、もし嘘をついた者の血が水面に落ちたら、水面が濁ることになりました」 淡々と説明してから、青葉は自分の指を短剣で切り付けた。 「"双神青葉は、巫女ではない"」 明らかな嘘と共に、水面に血を落とす。 水面が揺らいでから、落とされた血の色が徐々に広がって行った。 「ひい」 村人が息を呑むのも仕方が無いほどはっきりと、湖は鮮血の色に染まった。 「"双神青葉は巫女である"」 今度は真実を言ってから、血を落とす。すると、先ほどまで血の色に染まっていた水面は、一気に清らかな青色になった。 「すごいなあ」 思わず、村人から感嘆の声があがる。 青葉は微笑んで、小町の腕を掴んだ。 「我慢してな」 囁き、小町の指を少しだけ切る 小町は緊張で震えながら、水面に指をかざした。 「"私は、長内のおじいさんを殺していない"」 言葉と共に、血が水面にゆっくり落ちる。色が染まるまでが異常に遅く感じられて、小町の膝が笑い出した。 とっさに青葉が、後ろに倒れ掛ける小町を支える。 「大丈夫な?」 「ええ…」 早く、結果が出て…! どうして、青葉の時と違ってこんなに時間がかかるのだろう。 心配で唇を噛み締めた時、青葉がほっとしたように言った。 「色が、変わっとらん。これで、小町の真実が証明された」 「え? あ、そっか。青葉が真実の色に染めたから…そのままだったら良いってことなのね」 もう一度染まり直すとばかり思っていた。どうも混乱していたようだ。 「今のを見た上で、小町を責める奴はおらんやろな?」 青葉が告げると、村人たちは戸惑ったように顔を見合わせ始めた。 今の証明を疑うということは、双神の巫女…ひいては双つ神を疑うということだ。 「…わかった。嘘やなかったようやな」 蘇芳が、吐き捨てるように言った。 一番初めに彼が反応したことが意外で、青葉も小町も目を見開く。 「じゃ、帰るわ」 「待ち、蘇芳」 踵を返した蘇芳を、青葉は引き止める。 「禊にも、立ち会ってくれるえ? 長内のじいさんの弔いもこめて、禊さしてもらうつもりやけん」 「――弔い? 双神を恨んだおじいを、弔うんか?」 「恨んだとか、関係あらへん。弔うのは、双神の仕事やけん」 青葉は表情を変えず、蘇芳を見据えた。 双神の巫女と、長内の当主。かつて彼らは、お互いの存在無しには在り得なかった。今でも、縁は残っている。 「せやったら、やってもらおか…」 驚くほど心細い表情で、蘇芳は湖を見下ろした。 「カザヒさん、ミナツチさん! 行くよ」 『はいはい』 『んだんだ』 青葉は湖の浅瀬に足を踏み入れた。 「ちょっと待っといてな」 それだけ言い残して、青葉は湖の深いところまで入って行った。 「青葉、大丈夫なの?」 小町が心配して尋ねるも青葉は手をひらひら振って、双つ神と共に湖の底に潜って行ってしまった。 奥へ奥へと潜る。湖の水底には、社のようなものがしつらえられていた。 ミナツチの助けを借りて水中でも息が出来るようになった青葉は焦った様子もなく、社に近付く。 またミナツチの助けを借りて浮力を少しだけ無くしてもらい、社を前に正座する。 「きよきかぜ きよきみず あふるるほどに あるところ つながりて このちをば きよめんと」 詠唱してから、社に付けられた小さな扉をそっと開く。 凄まじい勢いで、扉の中から水流が出て来た。 小町は不安そうに湖を見守っていたが、水面がさざめくのを見て息を呑んだ。 大きな水柱が上がり、水しぶきが辺りに飛び散った。 その水柱が解け、風が生まれる。風は、さあっと村中に広がって行った。 そうして、小町は空気が清らかになっていることに気付く。 人々が呆然としていると、湖から青葉が出て来た。ぐったりとして、岸辺に上がる。 「青葉、大丈夫?」 「疲れた…」 霊力を消耗しすぎたため、体中がだるさを覚えている。 『ようやったのう、青葉』 『んだんだー』 双つ神は、くるくる青葉の周りを飛び回った。 「成功…かな」 青葉は疲れた表情で、笑う。 人々の顔は心なしか、清冽な空気のおかげで明るくなっていたのだった。 小町は静かに、目を閉じた。 青葉は彼女の目蓋に、触れる。 「しばらく、深呼吸してくれるえ?」 「うん」 指示に従い、小町はゆっくり呼吸を繰り返す。昼下がりの気だるい空気が、喉にぬるく入って来る。 禊を行った日の翌日。青葉は早速、封印を直すことにした。 「かぜふきて ひをあおり うまれしは カザヒとて みずしみて つちおこり うまれしは ミナツチと」 穏やかに、詠唱を始める。 「ふたつがみ ふうじのための ちからをかさん」 双つ神の力が、青葉の手を通して小町に流れ込む。 「むねのおく ねむれるちから しずめんと」 集中して、青葉は目を閉じる。目蓋の裏に、映像が浮かんだ。 暗がりの中、何かが見える。――銀色? しかし、ゆっくり見ている暇はない。 「ほころびた さけめをとじよ」 詠唱を終え、青葉はゆっくりと手を放す。ひどく、汗をかいていた。 「終わったな…」 「ありがとう、青葉」 小町は目を開き、ゆるりと笑った。 『ま、これで一件落着じゃのう』 『んだあ』 カザヒとミナツチが、ぱちぱち手を叩く。 青葉は疲れたのか、後ろ向きに倒れこんだ。 「疲れたー」 「本当にごめんなさいね、青葉」 「ええよええよ」 「明日、テストなのにね…」 小町の言葉に、青葉の動きが止まる。 「そういえば、明日フランス語のテストやった…」 「私もドイツ語のテストなの。頑張りましょうね」 『青葉お前、勉強しとったんな?』 『んだ?』 カザヒとミナツチは、ひょっこり青葉の顔を覗きこんだ。 「全然しとらん…」 「大丈夫よ、青葉。まだお昼だし。一夜漬けって手があるわ」 「せ、せやな」 青葉は青ざめた顔で、起き上がったのだった。 次の日、二人は駅から家まで歩いていたのだが、青葉は冴えない顔をしていた。 「青葉、大丈夫?」 「大丈夫やない…」 何のことは無い。テストの出来が悪かったのだ。 『勉強せんけん、いかんのじゃ』 『んだあ』 双つ神は手厳しい。 「だって聞き取り試験があるなんて、聞いてへんかったんよ! もう、許せんなあの先生」 教授のにこやかな笑顔を思い出し、青葉は舌打ちした。 「私もあんまり、自信ないんだけど…」 「小町の"自信ない"は俺の"出来た"やけん、気にせんとき」 「何言ってるのよ」 小町は苦笑した。 しかしすぐに笑みを消し、足を止める。 「小町?」 青葉も、気付いた。蘇芳が、こちらに向かって来ることに。 「蘇芳。どしたん?」 蘇芳は立ち止まり、二人に投げやりな視線を向けた。 「俺、謝っとらんかったな」 「…ああ、なるほど」 青葉は合点が行ったように、小町の背を押した。 「――すまんかった」 蘇芳の謝罪に、小町は固い表情で頷いた。 「それだけや。じゃな」 蘇芳は手を振って、あっという間に行ってしまった。 おそらく、これからも蘇芳は小町と仲良くする気はないのだろう。しかし、小町に謝ったというのは大きな一歩のように思えた。 「蘇芳さんは、この村をとても心配してるのね」 「せやな」 双神の末裔も長内の末裔も、自分なりに村を想い続けている。神に守られた、この稀有な地を。 「なあ、小町」 再び歩を進めながら、青葉は小町の名を呼ぶ。 「何?」 「小町は嫌かもしれんけど…穂波に、封印のこと調べてもらうように頼んだんよ」 「え?」 またも、小町は足を止めてしまった。 「封印が、また解ける可能性がある。俺の封印は多分、そいな強いもんやあらへんけん。ごめんな」 自らの力不足を嘆くかのように、青葉は表情を哀しみに歪ませる。 やってみて改めて、わかったのだ。封印の弱さ。封じられたものの強さが――。 「小町の力は、ばあちゃんの封印ですら解いた。だけん、また解けると思うんよ。もちろん、解けたら俺がまた封じるって約束する。でもな、やっぱり正体もわからんと封印するよりは、制御した方がええと思うんよ」 考えて考えて、そして双つ神と話し合って出した結論であった。 「穂波に調べてもろて、そんで小町の両親と接触せんと制御法が学べたらええなあ、思て」 そんなことが可能なのかはわからないが、小町の家系が傍系であったら直系から学べる可能性は高い。 「もし、それが無理だったら?」 「うーん。封印を繰り返すしか、ないかもしれんな。でも、まだ俺の封印がどんだけ持つかわからんけん。もしかしたら、ずっと持つかもしれんし。だけん、今はあんまり心配せんといて。ただ、調べてもらっとることだけ、知ってもらいたかったんよ」 「――そう」 小町はじっと、自分の爪先を見下ろした。 「どうしようもなくなったら、私…覚悟は出来てるから」 儚い笑顔は今にも、夕焼けに溶けてしまいそうだった。 あんなに苦しみながらここに居たいと言ってくれたのに、こんな顔をさせてしまった。そのことが歯痒くて悔しくて、青葉は拳を握り締める。 「大丈夫やよ…きっと」 『そうじゃそうじゃ! こまっちゃんは大丈夫じゃ!』 『んだんだ!』 『何故なら、わしらが見守っとるからじゃ!』 『んだんだー!』 わーわー騒ぐカザヒとミナツチを見て、青葉も小町も大笑いしてしまったのだった。 |