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『青葉、起きー!』 『んだんだー』 『遅刻するぞー!』 カザヒとミナツチの声で、青葉は目を開いた。 「体痛い…」 机に突っ伏したまま眠っていたのだから、当たり前だ。夜中に一度目を覚ましたのに、また眠ってしまったのである。 「…今、何時や」 欠伸する青葉の前に、カザヒが目覚まし時計を持って来る。 「7時半…? あーーーっ!」 レポート提出の一限目は9時から始まり、学校まで最低1時間半はかかる。 青葉は凄まじい勢いで立ち上がった。 小町が起きて来た時にはもう、青葉は玄関に居た。 「あ、青葉。おはよう」 昨日のことを言わなくてはと思ったが、 「おはよ小町! 小町は三限からやろ? 俺、今日一限休めんけん、もう行くよ! ちゃんと、一人で行けるな?」 青葉が慌てて靴を履きながら小町にまくしたてて来たので、とても言い出せなかった。 「え、ええ。私、今日の三限は休講だから一日休みよ」 小町がとんでもない方向音痴であるため、時間が合う限り二人で登校していたのだ。 「せやったら良かった! じゃあな!」 青葉は振り返ることなく、行ってしまった。 『面白そうじゃけん、付いてこ』 『んだあ』 双つ神も、ふよふよ付いて行く。 残された小町は、困ったように微笑んだ。 青葉が帰って来てから、話せば良いわよね。 ふっとため息をついて、小町は朝ごはんの匂いに釣られて歩き出した。 ドイツ語の勉強をしている時、あの声が響いた。 ――来い。 もうすぐ夕方だが、まだ青葉は帰って来ていない。青葉に話すまでは行ってはならないと、本能が警鐘を鳴らす。 ――来い。力を貸せ。 しかし、その言葉が発された途端に小町は激しい頭痛に見舞われた。 まさか、あの約束…? 小町は頭を押さえてうずくまりたかったが、小町の足は意に反して動き出す。 彼の元へ。 その頃、青葉はようやくレポートを出し終えてホッとしていた。 「あー、出せて良かった」 「しっかし、青葉らしいなあ。四限目提出のレポート、すっかり忘れとるとか」 友人の杉本は、青葉を見て笑う。 「ほんま、アホやな俺。あれで通るかな…」 結局、空き時間の一時間半で仕上げたレポートを出す羽目になってしまった。あの即興レポートで単位が取れるかどうか、怪しいものだ。 『大丈夫じゃ青葉。お前、運強いけん』 『んだあ』 「慰めになるような、ならんような…」 青葉の呟きに、先を歩いていた杉本が振り返る。 「何か言ったか?」 「何でもないよ。さ、帰ろか」 青葉は曖昧に微笑み、誤魔化した。 「あれ、今日はあの子おらんの?」 「小町のこと? 今日は休講になったんやと」 「いつも二人で行き帰りするとか、ほんま仲ええよな」 杉本の顔に、意地悪そうな笑みが浮かぶ。 「小町、ほんまに方向音痴やけんなあ…。どうも心配で」 「ほうほう。でも、もう三ヶ月も通ったら覚えるやろ」 「そう思うやろ? 本人そう言って、この前違う電車乗っとったんよ」 青葉の話に、杉本は大笑いしたのだった。 老人に続いて、小町はふらつく足で歩く。 「どこまで行くの?」 「…墓まで」 小町の質問に、老人は淡々と答える。 夕方とはいえ、暑さはやわらいでいない。ひたすら歩き続けるのは、楽な仕事ではなかった。 老人は林の中へと入って行き、小町がためらっていると振り返って叫んだ。 「力を貸しに、入って来い!」 「…はい」 抵抗出来ない力によって、小町の足はのろのろと動く。 "力を貸す"と繰り返したことを、小町は心底後悔し始めていた。 あの言霊が、私を縛っているんだわ…。 小町が出来るだけ遅く進もうとしたため、目的地に着いた時にはもう日が暮れてしまっていた。向こうの空に、月が架かっている。 「これや」 老人が示したのは、岩だった。いや、原始的な墓石にも見える。 「長内を呪うた女の、墓や」 説明を聞いて、小町の肌が粟立つ。 「長内を呪って呪って、死んでった。今も、土の下から呪詛が聞こえる…」 老人は小町を振り向く。 「骨になってまで呪い続ける女を、双神の巫女は封じた。もちろん、呪いはこうして残っとるわけやけど」 老人は自分の手を見下ろし、大きなため息をついた。 「だけん、一度女の霊魂を解放してから、霊魂を消して欲しいんや」 「何ですって?」 小町は絶句する。 「でも、そんなの私どうすれば良いかわからないわ。それに、随分危険に思える…。私じゃなく、青葉に頼んでよ。青葉なら、ちゃんとしてくれるわ」 「双神の巫女が、そんな危険な方法了承するわけないやろ。だけん、わしはあんたに頼んどるんや。"力を貸せ"!」 強く叫ばれ、小町は四肢を震わせた。 「いや…」 「わしが、あんたの霊力を引き出したるけん心配せんでええ。しかし、あんたのは鋭い霊力やな。…ほんまに」 急に不思議そうな顔で、老人は小町を見やる。 「あんたの霊力は、何で封じられたんやろな」 「封じ…られたって?」 小町の問いに答えることなく、老人は小町の肩に手を置いた。 「"力を貸せ"」 「ひっ…」 途端、自分の体に何かが沸き起こる心地がして、小町は息を呑む。 老人は右手を小町の肩に置いたまま、もう片方の手を石に当てる。墓石と長内の老人と小町とが、つながる。 「止めて――」 体の奥で、何かが迸った。 青葉は電車から降りた途端、異常に気付いた。 「何やろ。変な感じがする」 『同感じゃ』 『んだ』 双つ神も空気の変化を感じているのか、不安そうに辺りを見回す。 月が、赤かった。 小町は、膝を付いた。 「おお…やったぞ」 感動で声を震わす老人の傍らに、女が立っていた。 白い死者の着物。生者では有り得ない顔色。 血走った目で、老人を睨み付けている。 「きゃあっ」 小町は逃げたかったが、疲労し過ぎていて動くことが出来なかった。 『長内――』 人を心の底から震わせるような、恐ろしい声が響く。 「ほら、あんた。こいつを消すんや!」 小町の手を引き、老人は女を指差す。 「無理…無理よ…」 「何を言っとる!」 言い募る老人の頭を、女が掴む。 『死ネ――』 すると、老人はふわりと宙を舞って墓石に頭をぐしゃりとぶつけてしまった。 声を失う小町を、女は見下ろす。 『オ前ハ誰ダ――』 「来ないで!」 近寄る死霊を睨み付け、小町は怒鳴る。 怖い怖い怖い怖い怖い…。 ひたすら、恐怖が小町を苦しめる。 「あっちに行って! 消えて!」 また、小町の中で何かが首をもたげた。 「消えて――…!」 恐怖のあまり、小町は目を閉じた。 女が目を見開いた時、小町の体から蒼い光が迸った。 青葉は玄関先で、母から小町がどこかに行ってしまったことを聞いて、青ざめた。 「どこに行ったんやろ…」 「それで、青葉」 祥子は続ける。 「蘇芳くんから電話あってね。おじいさんが、おらんらしいんよ」 「何やって?」 嫌な予感に、青葉は拳を握り締める。 「捜しに行って来る言うてたよ」 「わかった。俺も行って来るけん。行くよ、神さん!」 青葉は鞄を投げ捨て、家から飛び出した。 「カザヒさんミナツチさん、小町にやった"守り"は発動したんな?」 『いいや、感じんかったのう』 『んだ』 「せやったら、大丈夫なんやろか」 なのに、こんなにも悪い予感がするのは何故だろう。 『青葉、走る前に答え。どっちを捜したいんじゃ?』 『こまっちゃんか、じいさんか』 二人に問われ、青葉は足を止める。 「――小町を」 『わかった』 しばし、カザヒは目を閉じる。 『…墓や』 「墓?」 放たれた答えに、青葉は戸惑った。 『長内を呪って死んだ、女の墓』 「あそこか? せやったら、じいさんもそこにおるんちゃう?」 『いや、感じ取れるんは、こまっちゃんの気配だけじゃ』 「ほんまな?」 小町一人、あの墓に何の用があるというのだろう。 『話は後じゃ! 走り!』 『んだ!』 カザヒとミナツチの叱咤で我に返り、青葉は再び走り出した。 蘇芳は、そこに着いた途端に立ちすくんだ。 呆然として座り込む小町と、墓石の傍で血を流し倒れている祖父。…いや、祖父はもう死んでいる。見開かれた目が、死を物語っている。 草の踏む音に気付き、小町はこちらを見やる。 「お前…が、やったんか?」 恐ろしい質問に、彼女はがくがくと震えて首を振る。 「ちが…」 「でも、他に誰もおらんやろ!」 思わず怒鳴ってしまった。 そうだ。他に誰が殺したというのだろう。 怒りでどうかなりそうになった時、蘇芳の後ろから青葉が現れた。 「蘇芳もここにおったんな」 呑気な台詞を吐いてから、青葉は目の前に広がる凄惨な光景に言葉を失った。 じいさんは死んどったけん気配がせんかったんや…。 「小町…?」 震える小町に視線をやると、蘇芳が青葉の前に立ちはだかった。 「こいつがやったんや」 「何やて?」 「俺が着いた時には、こいつと死んだおじいしかおらんかった! あの墓石にぶつけたんや! あんなん、おじいが自分でぶつけるわけないやろ!」 「落ち着き、蘇芳」 静かな声で、青葉は制す。 「小町が、そいなことするわけあらへん」 「せやったら、誰がやったんや!」 「――それは、わからんけど」 苦しそうに、青葉は顔を歪める。 「ほら見い。こいつがやったんや…。確かにおじいは狂っとったし、善人とは言えんかった! でも、せやけん殺してええって言うんか!」 蘇芳は小町に詰め寄り、強い口調で責める。 「違う…」 首を振り、涙をこぼす。 拳を振りかぶった蘇芳と小町との間に、青葉が回り込んだ。 「お願いやけん、止めてくれ蘇芳。ひとまず警察、呼んで来てくれるえ。話はそれからにしよ」 「――わかった」 蘇芳は舌打ちして、警察を呼びに行ってしまった。 青葉は膝を落とし、小町と目線を合わせた。 「どしたん…」 「わか…わからない…」 何が起こったのか、小町には説明出来なかった。 「でも…私…殺して、ない。信じて…」 青葉はいたたまれなくなって、小町を抱き締めた。 「俺は小町を信じるよ。信じるけん――安心し」 そこでようやく、小町は声を上げて泣くことが出来たのだった。 双つ神は、二人を静かに見守っていた。 |