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 自分は泣いていた。わんわん泣く自分は、ランドセルを背負っていて。これが過去の映像なのだと気付く。
「あかり」
 泣き喚くあかりを、銀火は困ったように見る。困るのも当たり前だ。あかりは銀火を中学校の前で待っていて、ようやく会えた途端に泣いてしまったのだから。
「どうして泣いているの?」
「狐に……なっちゃったの……友達の前で……」
 しばらくしたら元に戻ったものの、みんなの驚いた顔が忘れられない。
「どうしよう。明日から、学校行けないよう」
「大丈夫。その子達の名前と家を教えて。僕が何とかするから」
 銀火は安心させるように、あかりを頭を撫ぜた。
「どうやって?」
「騙すのは、狐の得意技さ」
 銀色の目が、妖しく光る。銀火は、妖狐の力を少し使うことが出来た。誰かの記憶を無くさせることくらいは、お手の物だ。
「わたしもそれ……出来たらよかったのに」
 またもあかりは、涙を零す。銀火に甘えてばかりの自分が、情けない。
「だめだめ。あかりは人の子として生きるのだから、そんな力は要らないよ。そういうことは、僕に任せていれば良い。さ、帰ろうか」
 銀火はしゃがみ、背を向けた。
「背負ってあげる。狐になるくらい、弱っているんだろう? そういえば今朝、風邪気味だったね」
「うん……」
 あかりは銀火の背に、乗っかった。

 目を覚ますと、自分は家の縁側に横たわっていた。ご丁寧に、掛け布団まで掛けてある。
 まだ体は狐のままだったので、あかりは悔しそうに鼻を鳴らす。
 どうして縁側に寝かされているのか、と思いかけて月を見て合点が行く。月光は、妖狐に力を与える。妖狐の子であるあかりにとってもそれは例外ではなく、月の光を浴びると回復が早くなる。
 その事実を考えて、銀火が寝かせてくれたのだろう。
 あかりは先ほど見た夢を、思い返した。
 あの時と、自分は何も変わっていない気がする。
「起きたか?」
 いつの間にか、銀火があかりの顔を覗きこんでいた。
「うん。……ごめん」
「私も、謝るべきことがある」
 銀火の真剣な口調に押され、あかりはきょとんとした。
「さっき、バイトを辞めると電話しておいたよ」
「な、何で――」
 愕然として、あかりは四肢を奮わせる。どうしようもない怒りが、どこからか湧き出て来る。
「すまない。けれど、このまま続けさせるわけにはいかない。お前、また倒れるぞ」
「今回のは、偶然だもん!」
「偶然なんかじゃない。明らかに、この頃無理していただろう。疲労が、お前の許容量を越えたんだ」
 銀火が静かに告げると、あかりは声を殺して泣き始めた。
「母上に聞いたことがある。お前の中では人の部分と妖狐の部分がせめぎ合っていてとても不安定だから、体が普通より弱いのだと。お前のせいではない」
 そっと耳の後ろを撫ぜてやるも、あかりは首を振った。
「私は、人の子としてしか生きられないのに?」
「人の子の部分が強くても、同時にお前は妖狐の血を濃く引く」
「そんなの、酷い」
「そうだな。不条理だ」
 銀火はじっと、あかりを見下ろした。
「明日は、学校を休め」
「……うん」
 逆らえず、あかりはこっくり頷く。顔を上げれば、銀火に自分の考えが全てわかってしまうような気がしたから、ずっとうつむいていた。
「どうして、そんなに無理をしようとした?」
「言ったでしょ。自立したいからだって」
「その、自立したい理由を聞いていない」
「……明日言うよ。もう、寝たい」
 あかりは銀火の視線を逃れるように、布団の中に潜り込んだ。布団ごしにため息が聞こえたが、あかりは気付かない振りをして目を閉じた。

 目を覚ますと、ようやく体が元に戻っていた。
「さ、寒い」
 布団を体に巻き付け、朝日を見つめる。
 その目に宿るは、決断だった。

 銀火が起きていないことを幸いに、あかりは服を着て表へ出た。迷いのない足は、黙々と山へ向かった。
 山に入ると同時に、あかりは大きく息を吸う。
「鬼灯、出て来て!」
 大声で実の母を呼び捨てで呼ぶと、風と共に赤毛の女が現れた。
「何の用だ」
 あかりは震えそうになる声を必死に抑え、怒鳴る。
「私を、引き取って!」
「無茶を言う。お前は、狐にはなれない」
「でも、もう私は人の子として暮らせない!」
 あかりの目から、はらりと涙が落ちる。涙に怯むこともなく、鬼灯は笑んだ。
「何故?」
「あなたのせいで、居場所を失ったから……私はもう、銀火の傍では暮らせない!」
「私のせいだと?」
 鬼灯は動じる様子もなかった。
「あなたが、母さんを……銀影を殺したって言ったじゃない!」
 つい、一月前のことだった。突如あかりの前に現れた鬼灯は、話し掛けて来た。
『お前、まだ銀火に面倒見られているのか』
『そうだけど』
『あいつも物好きよな。母親を殺した女の娘を、育てるとは』
 その一言に、あかりは鞄を落とした。
『何て……?』
『おや、知らなんだか? 銀影は、私が殺したのだ』
 あの時の衝撃は、忘れたくても忘れえぬ。奈落に突き落とされたような感覚は、今もあかりを蝕む。
『銀火は、無理心中だって言ってた』
『ふうむ。優しい嘘だな。だが、本人が言っているのだから間違いあるまい。私が、殺した。ずっと前から狙っていたんだが、銀影は隙の無い女でな。だが、さすがのあいつでも嫉妬に狂っている瞬間には、隙を見せた』
『何で母さんを、殺したの?』
『あいつは、この山を統べていた。せっかく山を降りてくれたのに、また戻って来られたら適わない』
 鬼灯はそこまで言って、姿を消したのだった。一人、呆然と立ちすくむあかりを残して。
 あの時から、あかりは銀火と共に過ごすことに罪悪感しか覚えなくなった。
 銀影は鬼灯に殺された。殺された銀影の息子である銀火が、母を殺した女の娘であるあかりを育てていた……。
 そんな真実を思うと、平気ではいられなかった。
「くだらない理由のせいで、母さんを殺したんだ……!」
「くだらないだと? ならば、銀影が夫を殺した理由もくだらないとは思わないのか?」
 鬼灯は哀れむように、あかりを見やった。あかりは怒りのあまり、体を震わせていた。
「お前は人の世に慣れ過ぎたな。狐は人とは違う。狐は、現代の人間と違って他者を殺すことを禁忌とはしておらん。殺したくば殺す」
 目を細める鬼灯が恐ろしく見えて、あかりは後ずさった。
「お前は、私を殺したいのだろう」
 鬼灯は囁く。あかりは肩を震わせる。
「自分を捨て、母となった女を殺し、居場所まで奪った私が憎いのだろう。殺したくば、殺してみろ。私を殺した時、お前は狐となるだろう」
 挑発的な台詞で、あかりの中の何かが音を立てて外れた。体の奥底から、何かが湧いて来る。
 瞳孔が狐のごとく細まり、髪が紅く染まる。これが、あかりの妖狐体であった。
「お前の妖狐体は初めて見たな。その姿すら維持出来ないお前が、私を殺せるかどうかは疑問だが」
 妖狐は妖狐体が基本体で、人間姿と狐姿はあくまで変身した姿である。だが、妖狐としての霊気に欠けて生まれたあかりの基本体は人間姿と狐姿。妖狐体になることは、滅多にない。
 あかりは一声唸って、鬼灯に飛び掛かった。
「しかも、理性を失うのか。これは、馬鹿馬鹿しい」
 鬼灯は笑ったが、済んでのところであかりを避けた後に唇を噛んだ。
「火事場の馬鹿力か? 舐めてかからぬ方が良さそうだな」
 鬼灯は飛び退き、間合いを取る。あかりは血走った目で、ひたすら鬼灯を睨んでいた。その目に在るは、狂気だけだ。
 跳躍したあかりに火の玉をぶつけようとするも、あかりはそれらを上手くかわし、鬼灯の顔を爪で抉った。
 鬼灯は悲鳴を飲み込み、あかりを殴り飛ばす。あかりは地面に叩き付けられたが、痛みを感じる様子もなく立ち上がった。
 そこへ草を踏む音が聞こえて、あかりも鬼灯も音のする方向に向かって振り向いた。
 そこに立っていたのは、銀火だった。彼は二人を見て、唖然とした。
「これは一体……」
「あかりが、私を殺そうとしているのだ。邪魔するな。死ぬぞ」
 鬼灯が言い切った途端、あかりがもう一度向かって来た。二人が同時に手を振り上げた時、銀火があかりの肩を掴んだ。
「止めろ」
 あかりは振り返り、邪魔された仕返しとばかりに銀火の肩に噛み付く。銀火は顔をしかめたが、手をあかりの額に当てた。
「お前も、私を置いて行くというのか? 狐にならないでおくれ」
 ざわり、今まで満ちていたものが引いて行く。あかりの目と髪が、普通に戻る。
「銀火……」
 変化が終わると同時に溢れて来たのは、涙。
 銀火は安心したようにあかりの背を叩き、鬼灯の方へ視線を向けた。
「この戦いは、終わりということで。あかりは、狐にはなりません。人の世で、生きます」
「だがそやつは居場所を失った故、人の世で生きられぬと言っておるが?」
 鬼灯は頬を伝う血を拭いながら、唇を吊り上げる。
「あかりの居場所は、失われていません。たとえあかりが、私の母を殺したあなたの娘であっても、私はあかりに傍に居て欲しいと思います」
 銀火の言葉に、あかりは目を見開く。
「銀火、聞いていたの?」
「すまないね。どうしても理由を知りたかったから、お前の後を付けたんだ。出遅れてしまったが、お前を止められて良かった」
 銀火はその時、肩を押さえて呻いた。
「だ、大丈夫?」
 尋ねて、あかりは自分が噛んだ傷だということを思い出す。
「ああ。大丈夫だから、早く帰ろう」
 銀火は義理のように鬼灯に頭を下げ、歩き出した。後を追わんとしたあかりは、体の変化に気付いた。
「まさか……また!」
 一瞬にして、狐になってしまった。
 しょんぼりしてうなだれるあかりを見下ろし、銀火は笑った。
「妖狐になったから、霊気を使い果たしたんだな」
「そうみたい……」
「ほら」
 銀火はあかりに、左手を差し出した。あかりは目をぱちくりさせ、銀火の手を見やる。
「でも、銀火は肩怪我してるのに」
「狐姿のお前を片腕で抱えることくらい、問題ない」
 あかりはためらったものの、結局は銀火の腕に登った。
「あなたに二度と会わぬことを、願っております」
 銀火は歩みを再開する前に、鬼灯に告げた。
「――食えぬ奴だな」
 鬼灯は腕を組んで銀火とあかりに視線を向けたが、あかりは顔を背けてしまった。
 
 風が揺らす草の中を銀火はしばらく沈黙したまま歩を進めていたが、とうとう口を開いた。
「お前は、鬼灯が母上を殺したから自分は私と暮らせないと思ったんだな」
「ねえ銀火、銀火はそのことを知っていたの?」
 あかりは気まずそうに、問う。
「ああ。母は、私の目の前で殺されたからな。……鬼灯に」
 背後の鬼灯に気付いた銀影は、咄嗟に銀火を後ろ手に庇った。そうして体を貫かれ、銀火は返り血を浴びたのだった。
「じゃあ何で、私を育ててくれたの? 私は、鬼灯の娘なんだよ?」
「お前は鬼灯の娘だけど、母上の死に関して何の責任もないだろう。どうして、自分を責める必要がある?」
 逆に問い返され、あかりは詰まった。
「じゃあ、何で隠していたの?」
「それはやはり、お前が気にすると思ってだな」
「ほら! 銀火だって、わかってたんじゃない!」
「……そうだな」
 観念したように、銀火は苦笑した。
「いずれわかることだったかもしれないが、お前を傷付けたくなかったんだ」
「そう……」
「あかり。本当にお前には何の非もないのだから、気にする必要はないんだぞ」
 銀火は立ち止まり、あかりを見下ろした。あかりはこっくり、一つ頷いた。

 縁側で月の光を浴びながら、あかりは体が戻るのを待っていた。
「随分霊気を使い果たしたようだから、戻るまで時間が掛かるかもしれんな」
 隣に座る銀火は、苦笑してみせた。
「私、妖狐になったの初めてかもしれない」
 あかりは前足に顎を載せ、息をつく。
「銀火は、なったことないの?」
「私はないな。おそらく、私はなれまい」
「どうして?」
「なりたいと、思わないからだ」
 月を仰ぎながら、本心をこぼすとあかりの目が驚いたように見開かれた。
「妖狐は情の深いあやかしだと聞く。実際、私の母も情の深い人だったと思う。だけど、やはり人とはどこかが違う」
 父を殺した母の顔が、思い浮かぶ。
「その違いが、人として生きている私には怖い。だからなりたくないと思う。――我儘だが、お前にもなって欲しくないと願う」
「そうなの?」
 あかりは小首を傾げる。
「ああ。もっとも、妖狐になればお前が去ってしまうからこそ、なって欲しくないのかもしれないが」
 銀火の言葉に、あかりは動きを止める。
「もう一度、聞いても良い? 私は、銀火の傍に居て良いの?」
「私は、居て欲しいと願っている」
 あかりはきゅーんと鳴いた後、銀火の腕に飛び込んだ。
 まだ胸は罪に痛むけれど。私はここに居たい――。


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