ニライカナイの童達



第一話 兄妹 2

 祖母はユルと何やら話し込んでいた。
「おや、ククル。ちょうど良いところに来たね。お座り」
 示されるがままに、ククルは祖母の隣に腰を下ろした。
「ユルは、お前の兄となることを改めて承知してくれた。だが、まだ細かいことは教えていない。それはお前が教えておやり」
 祖母の発言を聞き、ククルは顔を強張らせた。
 そんなククルを、ユルは無感動に見やる。その鋭い視線が怖くて、ククルはただ頷いた。
 祖母は満足したように腰を上げ、部屋から出て行ってしまった。
 後は二人に任せる、ということなのだろうか。
「で?」
 かなりの間が空いてから、痺れを切らしたようにユルは口を開いた。
「この家における、"兄"って何なんだ?」
「それは…」
 必死に説明をしようとしたが、頭で整理している内にユルが舌打ちした。
「とろくせえ奴。何でも良いから、言えよ」
 気遣いも何も感じられない、粗野な口調。そこでククルの胸に沸き起こったのは、激しい怒りだった。
 こんな男の子が、兄様に代わるなんて…!
「――嫌」
「は?」
「私、あなたを兄だなんて認めない」
 ククルの涙を溜めた目に気圧されたのか、ユルは息を呑んだ。
「絶対、認めない…」
 立ち上がり掛けたククルの腕を、ユルが掴む。
「勘違いすんな。あのばあさんが許可して、オレはこの家に入ることになった。別に、てめえの許可なんて要らねえんだ」
 ユルの黒い目が、ひたとククルを見据えた。
「オレはお前を利用するだけだ。この家は、兄と妹が居なければ成り立たないんだろ。なら、お前もオレを利用すりゃ良いだろ。そんなら認めても認めなくても、どうでも良いんじゃねえのか」
 冷え冷えとした声で問い掛けられ、ククルは涙を堪える。
 心は拒否していた。だけど、彼を兄として受け入れなくてはならないのだ。
 ククルは、心を決めて口を開いた。
「私は…"兄"に力を与えることが出来るの」
 何かを吹っ切るように、ククルは説明を始めた。
「力?」
「そう。私の家は神様の血を引いているから、神の力を持つの。だけど、それが具現化出来るのは"妹"だけ。そしてその力は、"兄"だけに有効なの」
「へー。姉と弟でも大丈夫なのか?」
「うん…何故か、そういう前例は聞かないけど」
 因果なのかどうか知らないが、今までは兄と妹の例しかなかったらしい。
「血縁じゃない兄妹は今回が初めてだと思うから、上手く行くかわからない」
「ふーん。妹が祈ると、兄は神の力を手に入れられるってか。どういう力なんだ?」
「とても強くなって、癒しの力も持つ」
 ククルは、いつかの例を思い出した。
 あれは、海賊が島を襲った時だった。村人に請われ、ティンとククルは海賊と対峙した。ククルが授けた神の力でティンは鬼神のように強くなり、一人で全て海賊を生け捕りにしてしまったのだった。
「だから、この島には欠かせない存在なの。私達そのものが、守り神のようなものだから」
 守り神。兄すら守れなかったけれど――。
「ここは村長の家なのか?」
「長ではないの。強いて言えば、ノロ(神女)の家かな。でも、みんなは神の家って言う」
 神事を執り行う役目を負ったノロの仕事は、今は祖母がこなしている。
「神の家、ねえ…」
 ユルは、ぽつりと呟いた。

 ユルは、我が物顔で家に居座った。
 ティンの部屋からユルが出て来るところを見る度、ククルの心は複雑になった。
 兄様じゃないのに…。
 出て来る度に、ティンではないかと期待してしまうのだ。
「おい、ククル」
 ティンとは違う粗野な口調で、ユルはククルに話し掛ける。
「な、何?」
「村を案内してくれ。ずっと家に居たら、体がなまって仕方ない」
「…わかった」
 一応とはいえ、兄妹になるのだ。表面上だけでも、仲良くせねばならない。
 二人は並んで、外に出た。もう昼過ぎなので暑い。太陽の光が、じりじりと肌を焼いた。
 通りがかった村人は、詮索するような目付きでククルとユルを見て来た。ユルの存在は祖母が皆に話したと言っていたから、『これが例の』とでも思っているのかもしれない。
 女が二人、こちらを見ながらひそひそ話す。
 彼女達に気付いたククルは、思わず駆け寄った。
「あ、あの!」
 女二人は顔を見合わせ、ククルに向き直る。
「トゥチさんは、どうしてますか? 知ってますか?」
「…トゥチは、村を出たわ」
 衝撃的な答えに、ククルは思わずふらついた。
「おい、誰だよトゥチって」
 いつの間にか、ユルが傍に居た。
「兄様の、許嫁…」
 彼女に、兄を死なせたことをずっと謝りたかった。なのに、ずっと会ってくれなくて…挙句の果てに村を出たなんて。
「どこに行ったか、教えてくれませんか…?」
「あなたには言わないよう、言われたから。じゃあね」
 二人は素早く踵を返し、行ってしまった。
 ククルは下を向いて、必死に涙をこらえるしか出来なかった。
 きっと、トゥチも自分を恨んでいるのだ。ククルはたおやかで優しいトゥチが大好きだったけれど、トゥチもククルをかわいがってくれたけれど。トゥチは、ティンを死なせたククルを憎んでいるに違いない。
「突っ立ってたって仕方ねえだろ。早く、案内してくれ」
 ユルに急かされ、ククルはかちんと来た。
「――何で、そんなこと言うの? 私は今、そんな状況じゃないってこと見てわからないの?」
「ああ? お前の都合なんて知るかよ。へえ、同情して欲しかったのか」
 ユルは、吐き捨てるように言った。
「お前、オレを兄と認めないってなら、オレに兄貴の影を求めんじゃねえよ。どんな兄貴だったか知らないけど、オレはそいつとは違うんだからな」
「言われなくてもわかってる! あんたなんか、兄様の影なんか全然持ってないくせに!」
「あーもう、うっとうしい女! オレ、一人で回るぜ。せいぜい、一人でめそめそ泣いてろ」
 ユルはあっという間に、浜の方に駆けて行ってしまった。
 兄様…。
 とうとう耐え切れなくなって、ククルは涙を一つ落とした。
 翌朝、祖母がククルの部屋に入って告げた。
「ククル。旅立つ日が決まったよ」
「旅…?」
「お前も覚えているだろう。時が満ちたら兄と妹は、親戚筋に挨拶して回るんだよ」
 そういえば、とククルは思い返す。まだククルが幼い時、兄と共に旅をした記憶がある。
「今回、"兄"が血縁でない者に変わったからね。前例のないことだから、聞得大君(きこえのおおきみ)にも見えて申し上げなさい」
「聞得大君に?」
 聞得大君とは、王国最高位の神女(ノロ)である。都に居て、神の力で王国を守護しているのだ。
「この家は、お前が思うよりずっと王国にとって大切なんだよ。わかったね?」
「…はい」
 ティンと旅をした時は、親戚が散らばる周辺の島々に行っただけだった。
 この王国は海洋国家で、無数の島から成っている。都があるのは、その中でも一際大きな島だ。南端にあるこの小さな島からは、かなり距離がある。
 聞得大君に会うってことは、相当な長旅になる。なのに――ユルと行かなきゃならないなんて。
 どうしても、ククルはユルと上手くやって行けるとは思えなかった。
「兄は…ユルで、決定なんですか?」
「ああ、そうだ。今更変わらないよ」
 きっぱりと言われ、ククルは暗い目になった。
「ユルにはあたしから言っておこうか? それとも」
「ばば様、お願いします」
 ククルは素早く頭を下げた。

 布団に包まりながら、ククルはティンと行った挨拶回りの旅を思い出そうとした。
 あの時ククルは8つくらいだったので、そんなにはっきりと覚えているわけではなかった。
 でも、こんなに心配はしてなかった気がする。兄様に任せれば、全て大丈夫だと思っていたから。
 実際、そうだった。兄様に任せれば、怖いことなどなかった。
 たとえ野盗に襲われても返り討ちにしてくれた。ククルが足の痛みに泣いていると、あやしながら背負ってくれた。
 思い出すと哀しくて、ククルは首を振った。
 ――あの時の兄様と、今の私は同い年。私が、しっかりしなきゃ。ユルには頼れないけど、私は大丈夫。
 ククルはようやく、眠りに落ちた。

 ティンが死んでから何度も見る夢を、見た。
 冷たく横たわる、ティンの姿。泣き叫ぶトゥチや母の姿。
 少し離れた暗いところで、佇む自分。
 いつもなら、そこで夢が終わるはずだった。嫌な汗と共に目覚めるはずだった。
 しかし、誰かがククルの肩を叩いた。
 ――兄様。
 ティンは優しげな微笑を浮かべながら、前方を指差す。前方には、少年が現れていた。
 ――ユル。
 そっと、ティンはククルの背を押す。二・三歩進んでからククルが振り返った時にはもう、ティンはこちらに背を向け立ち去ろうとしていた。
 ――兄様!
 叫び声は届かず、ククルはそのまま夢から覚めた。

 出立の日。
 ユルは腰に、鞘ごと剣鉈に似た短い刀を二本下げていた。
「それ、あなたの武器?」
「ああ」
 ユルは素っ気無く答え、荷物を持ち上げた。
「お前は武器、要らないのか?」
「一応、小刀持ってる」
 護身用として持って行くことにしたのだ。
「あっそ。じゃあ行くぞ」
 ユルが早速歩き出してしまい、ククルは慌てた。
「い、行って来ます」
 両親と祖母に頭を下げる。そして彼らの顔を見ないようにして、ククルはユルを追って走り出した。

 まずは島から出るため、船に乗せてもらった。
 ちょうど隣島に帰るところだという男は、ククルとユルを見て朗らかに笑った。
「若いのに、逃避行かい?」
「だーれが、こんなのと」
 ユルが、舌打ちして否定する。少し経ってから、ククルは言葉の意味に気付いた。
「わ、私だってあんたなんか願い下げ…」
「じゃ、乗せてくれるんだな」
 ユルはククルの台詞が聞こえていないのか敢えて無視しているのか、気にせず男に確認を取っていた。
「ああ、もちろん」
 男の言葉に甘え、ククルとユルは船に乗り込んだ。