「いけ好かない女だな」
「ユル!」
ククルが思わず叱ったが、ユルは鼻を鳴らすだけだった。
「何だよ。お前もそう思ったんだろ?」
言い返せなかった。確かに、ククルとユルがノロの家から来たと知った後のフイニが取った態度は、好ましいものではなかったからだ。
「やっぱり、ノロとユタって仲悪いのかなあ」
「そうなのか?」
「うーん。うちの島には、ノロしか居なかったからわかんないんだけど。この集落には、元々ユタが二人居たんだって。でも、おばさんの血筋はうちの血を引くから、聞得大君からノロに認められたらしくて」
ククルは祖母から昔聞いた話を、歩きながら語った。
「でも、もう片方…つまりフイニさんの家はユタのまんまだったわけ。それでやっぱり王国が認めたってことで、ノロに頼る人が多くなっちゃったんだって」
この話は、昨夜おじに聞いた話だ。
「ノロだと認められるまでは、どうだったんだ?」
「上手くやってたみたい。そもそも、二つの家ってかなり離れてるじゃない?」
「そういえばそうだな。それぞれ、担当の地域が分かれてたんだな?」
ユルはピンと来たらしい。
「そういうこと」
ククルの島には集落が一つしかなかったが、ここにはいくつか集落があるらしい。ここは島で一番大きい集落のようなので、ユタも二人要ったのだろう。
「つまり、ノロが仕事を取ったってか。でも、それにしちゃあ客が多そうだったな」
「だよね」
おじさんやおばさんの、単なる勘違いなのかな。
市場に辿り着いたところで、ユルが歩みを止めた。
「今のうち、買い物しとくか」
「うん」
出発は明後日の予定だったが、今日買って悪いこともないだろう。
二人は雑踏に呑まれて行った。
フイニのことを語ると、おじもおばも随分と驚いていた。
「代替わりしてたとはなあ」
「付き合いが、あんまりないからかしら。知らなかったわ」
「ばあさんが死んでるとはなあ…一足遅かったか。二人共、すまなかったね」
謝られ、ククルは首を振った。
ククルは布団に横たわり、目をつむる。遠くに聞こえる潮騒を聞きながら、胸が騒ぐのを覚えた。
あ、今夜はニライカナイが近いんだ…。
ククルは布団から抜け出し、庭に出る。遠くに、月に照らされた海が見えた。
兄との思い出が、脳裏に蘇って来る。
『ククル、こんなところでどうしたんだい?』
ある夜、ふらふらと浜辺に来てしまったククルを心配して、ティンが追い掛けて来てくれたのだ。
『兄様。どうしてだろう。胸が変な感じなの』
夜の海を見ながら首を傾げるククルはおそらく、十くらいだっただろうか。
『変な感じ?』
『海の方を見ると、どきどきするの』
水面の揺らめきや潮騒に、どうしようもなく胸が騒ぐのだ。これが初めてではなく、時折こうした感覚に襲われることがある。
『ああ――なるほどね』
ティンは優しく微笑んだ。
『それはね、ククル。ニライカナイが近いからだよ』
『ニライカナイが?』
ニライカナイは、神が住むと言われる異郷だ。
『ニライカナイはとても遠いところだけれど、たまに近くなるんだ。波が打ち寄せるように、私達の世界に近付くんだよ』
ティンの説明に、ククルは目をぱちくりさせた。
『ククルは、神の血を引いているからね。神の故郷であるというニライカナイが近付けば、お前の血が騒ぐのだろう』
『そっかあ。じゃあ、兄様の血も騒ぐの?』
『――そうだね』
ティンは、神秘的な笑みを浮かべた。ティンのこうした不思議な笑顔を見る度、ククルは自分の家が神の血筋であることを確信するのだ。
『さあククル、家に入ろう。寝不足になってしまうよ』
『はいっ』
兄に手を引かれ、ククルは歩き出す。途中で海を振り返ると、また切なくて懐かしくて――そんな感情で涙が溢れた。
「兄様…」
懐かしい思い出に浸りながら、ククルは涙を堪える。
ニライカナイは神の国でもあり、死者の国でもある。ニライカナイが近いなら、兄の霊魂も近くに在るのだろうか。
兄様に、会いたい。
ククルはその一心で、海を見つめ続けた。
「――ククル」
誰かが呼んでいる。兄様…?
「おい、馬鹿。起きろ愚図」
違う。兄様じゃない。兄様は、こんなに口が悪くない。
ようやっとククルは重い目を開けた。
「ユル…?」
ユルが、ククルを見下ろしていた。
「お前一体、いつまで寝てるんだよ」
「ええ?」
何と、外を見るともう日が高い。
「まさか、お昼?」
「昼、一歩手前だ」
「ええええ!」
ククルは跳ね起き、青ざめた。
「起こしてくれたら良いのに」
「何回も起こしたぜ?」
ユルは呆れているようだ。
「昨日夜更かししたからだ…」
結局部屋に戻ったのは、真夜中になってしまったのだ。
「おじさんとおばさんは?」
「オッサンの方は、漁に出た。おばさんの方は…大変みたいだぜ」
「え?」
ククルは目を見開いた。
「とにかく着替えろ。待っててやる」
ユルはそう言い残し、部屋から出て行ってしまった。
ククルは慌てて着替え、廊下で待っててくれたユルに合流する。
「大変って、どういうこと?」
廊下を早足で歩きながらククルは問うが、ユルはただ首を振った。
「見ればわかる」
共におばの部屋を覗くと、何人もの人が苦しそうにのた打ち回っていた。
「あらククルちゃん、ユルくん。ちょうど良かったわ!」
彼女は疲れたように、こちらに駆け寄って来た。
「強力してもらえないかしら。私の手に負えないの。悪霊が取り憑いてることはわかるんだけど…祓おうとしても、出て行かないのよ」
「え…?」
ククルは改めて人々をじっくり見て、息を呑んだ。
おばの言う通り、悪いものが彼らに憑いているようだ。
「ん?」
ユルが首を傾げた。
「どうかした?」
「見てみろよ。何人か、見覚えあるだろ」
促され、ククルは人々を見る。そういえば、どこかで見たような気がする。
「昨日、フイニさんのところに居た人達…?」
「どういうことだろな」
ユルは眉をひそめたが、すぐにククルに向き直った。
「祓い方、知ってるのか?」
「うん。悪霊を体から出して、刀で斬るの」
「へえ…」
ユルは不思議そうに首を傾げた。
「もちろん、ただの刀じゃ斬れないよ。妹が祈って、神の力を帯びた兄の刀で斬るんだよ」
早速、とククルは一歩進み出たが、お腹が大きな音で鳴ってしまい、ユルもおばさんもずっこけそうになっていた。
「そ、その前に腹ごしらえさせて…」
「こっち来い。お前の分の朝食、置いてあるから」
ユルに呆れたように促され、ククルは顔を真っ赤にしてユルの背中を追った。
大急ぎで朝食を済ませた後、ククルは苦しむ一人に近寄った。
「何か、変」
「変って何がだ?」
「確かに悪霊に取り憑かれたみたいだけど、何か違う気がする」
ククルはまだノロの仕事をしていなかったとはいえ、ティンと共に兄妹の力を使って悪霊を祓ったことはある。だから、苦しむ人の様はよく覚えている。
憑くということは、乗り移るということだ。しかし、今回はそんな感覚を覚えないのだ。
「ユル、フイニさんのところに行ってみようよ」
「それで、何かわかるのか?」
「自信ないけど…」
昨日フイニのところに居た人達ということが、どうも引っ掛かっていた。
「でも確かに、あの女は変だ。行ってみるか」
「うん。おばさんに言って来る」
ククルは必死に人々を癒そうとしているおばに、出掛ける旨を告げに行った。
二人は昨日と同じ道を辿り、目的地にて愕然とした。
「何だ、ここは…」
ユルは呆然と呟き、荒れ果てた屋敷と庭を見やる。
ククルは理由もわからぬ恐怖に蝕まれ、がくがくと震えた。
怖い…。
ククルは迷った後、立ちつくすユルの手を握った。驚いたように振り返られ、ククルは泣きそうな顔で囁く。
「ごめん…。少しだけ、こうさせて」
ククルは神の力を具現化出来るためか、感受性も鋭く恐怖も人一倍強く受けてしまう。そういう時は、兄が手を握ってこう言ってくれたのだ。
『こうすれば、ククルが一人じゃないってわかるからね』
恐怖を感じているのは自分だけではない。そう思うだけで、恐怖は半減した。
『私とククルは、二人居て初めて力を発する。だから恐怖も二人で分かち合おうか』
ユルは、怒るだろうか。今もティンを思い出していると知ったら。身代わりにされたと思うだろうか。
だが、ユルは手を握り返しただけで何も言わなかった。
「――何か感じるのか」
「うん。何て言うんだろう。悪い気みたいなの、感じる」
「どこからだ?」
ククルは目をつむって、己が感じる恐怖の源を探った。
「…家の中から」
「行ってみるか」
「うん」
二人は手をつないだまま、家の中に足を踏み入れた。