それに、酷い臭いがする…。
「おい、見てみろ」
ユルが指した先には、死体が在った。朽ちて久しいようで、服はぼろぼろで腐臭が酷い。胸や腹に残る酷い傷が正視出来ず、ククルは目を逸らしてしまった。
「これは、ばあさんだな…」
「う、うん」
そこで二人は顔を見合わせる。
「フイニは、どうして死体を放っておいたんだ?」
「待って。フイニさんって、本当におばあさんの娘だったのかな?」
ククルの言葉に、ユルは顔をしかめる。
「違うって言うのか?」
「違うと思う。だってユル、おかしいと思わない? 昨日の今日で、この家がこんなに荒れ果てるはずないよ。大体、私達は昨日ここに通されて待たされたんだよ?」
すっかり様子が違ってしまっているので気付くのが遅れたが、今二人と死体が居る場所は昨日通された部屋だったのだ。
「オレ達は、実際の家じゃなくて幻の中に足を踏み入れてたってのか――」
ユルは改めて室内を見回し、表情を引き締めた。
「あれが幻ならば、あのフイニも?」
「というか、フイニさんは幽霊だと思う…」
その時、ククルはあまりの悪臭で気が遠くなってふらついてしまった。ユルが手を引いてくれたので倒れずに済んだが、気分が悪くて吐きそうだ。
「とりあえず、外に出るか」
ククルは片手で口を押さえ、ユルの言葉にただ頷いた。
外に出るとようやく落ち着き、ククルは深呼吸を繰り返した。
一体、何がどうなってるんだろう…。
すると、そこで思い出したことがあった。
そういえば昼寝していた来た時、誰かに見下ろされているような気がしてたんだっけ…。
ぞわりと、皮膚が粟立つ。
もしかして、あれはフイニさんだったんじゃ――。
しかし、何故?
「おい」
ユルに呼び掛けられ、ククルは我に返った。
「お前の力は、周りに影響を与えたりはしないのか?」
「私の力が?」
ククルは、それで昔ティンが言っていたことを思い出した。
『ククル、気を付けないといけないよ。お前はニライカナイの血を引くから、悪いものに力を与えることもあるんだよ』
『悪いもの?』
『ニライカナイに行かなくてはならないのに、この世に未練があって留まっている死霊だ。神と霊はある意味近しき存在。お前の力は、死霊にとっても心地良いらしい』
――私は兄様の言った通り、幽霊だったフイニさんに力を与えたのかもしれない。
見下ろされる感覚を思い出す。あの時に、目を付けられたのだ。
彼女は、私の力が欲しかったんだ。だから私の気を引き…自分の領域――自ら生み出した幻の中に引き入れた。
そうして、ククルは実際に呪う力を与えてしまったのだ。
「私…」
「待て。あれを見ろ」
ユルの指差した先には、黒い血がこびりついた鍬や鉈などが打ち捨ててあった。
老婆の体に残っていた傷跡を思い出し、ククルは首を振る。
「フイニさんは、殺された…?」
「それなら、悪霊になる理由もわかるだろ。一体、誰に?」
「でも、おじさんとおばさんはフイニさんが死んだことすら知らなかったんだよ?」
「――今思ったら、それは変だ」
ユルの発言に、ククルは目を見開いた。
「死んでからどのくらい経ってるか知らないが、誰も気付かないというのはおかしいだろ。この腐臭で、この有様だぞ。隣の家から、そう離れてるわけじゃないんだし」
「確かに。でも、それなら何でおじさんとおばさんは私達に様子を見に行くように言ったの?」
「おそらく、退治させるためだ」
ユルは唇を噛んだ。
「お前は、兄とここに来たことがあるんだろう?」
「うん。そっか、おじさんとおばさんは私と兄が発揮出来る力を知ってたんだ。幽霊も退治出来ると思ってた…」
「何故、退治させようとした? 取り憑かれる覚えがあるからだ」
「つまり、殺したのはおじさんかおばさんってこと?」
ククルは衝撃的な事実に、片手で口を覆った。
「おそらく、夫の方だ。妻はノロなんだから、お前に頼むよりは自分で何とかしようとするだろ。夫は、妻にさえ言ってなかったんだ」
もしかすると、フイニの霊は時折おじの前に現れたのかもしれない。だとすると、家の中で感じた視線も頷ける。
「これだけ家が荒らされてるし、武器は複数だ。犯人は一人じゃないはずだ」
「そんな…」
怖くて怖くて、ククルはユルの手をぎゅっと握り締める。そこで、閃くものがあった。
「――もしかして」
「あ?」
「あの患者さん達が犯人かも。多分、私のせいでフイニさんの力が増したんだ」
それで、霊は復讐を始めた。
「あれは悪霊が取り憑いてるというよりは…呪われてるんだ」
おそらく、彼らは呪われたせいでフイニの家を訪ねて幻に付き合うこととなったのだろう。
ククルは恐怖を押し込めるように、唇を噛み締めた。
「事情を聞く必要がありそうだな。行くぞ!」
「うん!」
二人は走り出した。
おじが語った話は、こうだった。
それはちょうど、ノロであるおばが用事で村を出ていた時。
子供を殺されたと息巻き激昂する村人達は、おじに相談して来た。
『やはり聞得大君が認めないだけあって、あのユタは偽者だ。退治したい』と。
おじが取り成そうとしても耳を貸さないので、その場で諌めようとして仕方なく付いて行くことにした。しかし結局止められず、ただ見ているだけとなってしまったと彼は語った。
「情けないことに…ユタが居なくなったら、という思いもあったんだろう。ユタの分だけうちに仕事が回って来ると――」
おじは唇を噛み締めてから、続けた。
「優越感もあった。ノロの方が優れているのだから、ユタは居なくても大丈夫だと」
だから本気で止められなかった。ユタは死ぬことになってしまった。
「それなら、あんたは見捨ててないと言ったけどそれは違う」
ユルは疲れたような表情で告げた。
「あんたはユタを見捨てたんだ」
容赦ない口調だったが、ククルは彼の意見に賛同した。
「私もそう思う。それにね」
ククルは真正面に座るおじを見つめ、首を振った。
「今まで上手くやってたのに、呼び方が変わっただけで敵になるなんておかしいよ」
色々なノロとユタが居るだろう。しかし少なくとも、この島のノロとユタは地方を分けてそれぞれ神事をこなしていたはずだ。
たとえ聞得大君の認めが片方にしか降りなくても、関係を変える必要はなかったろう。
「そうだな…」
おじは両手で顔を覆い、うなだれた。
「それから、ユタの幽霊は私の前に何度も現れた。何度も何度も、恐ろしい幻を見せた。よりにもよって私が一人の時を狙って…。どうしてだ? 私は何もしなかったのに」
「言っただろ。あんたは、止められるはずだったのに止めなかった。だから、恨んだんだ。あんたがノロの夫であったことも、影響したとは思うけどな」
ユルにぴしゃりと言われ、おじは押し黙る。
「官吏には詳しいことを申し上げました。明日、あなたと罪を犯した村人達は官吏のところへ行くようにと通達を受けました」
おばは、無表情で淡々と言った。
「弔いは、私が行いましょう。あなた達も、手伝ってくれるわね?」
おばに問われ、ククルもユルもこくりと頷いた。
夕焼けに染まった海を見据え、おばは祈りを始めた。
ニライカナイに旅立ったと思われるフイニに対し夫と村人の分まで謝罪し、彼女の安らかな眠りを神に祈る。
葬儀は既に終わり、フイニの骨は海の底に沈んでいた。島によって葬儀の仕方は違うが、ここでは火葬にして骨だけにし、土に埋めるか海に沈めるか選ぶのだという。
彼女の後ろで、ククルもまた祈りを捧げる。ユルはただ佇むだけだったが、真剣な顔で海を見つめていた。
おばは、打ち寄せる波に足を浸しながら舞った。
神舞を捧げることに決めたのは、ユタであったフイニを讃えるためのものなのか。
白い袖をさばき、しなやかな手足がゆっくりと動く光景はまるで陽炎のように美しくて、ここが楽園なのかと錯覚させるほどだった。
舞を終えたおばは、大地に手を突いて頭を下げた。二人もそれにならい、弔いは終わりを告げた。