ユルは思い切り、あくびをかました。
「そうだね」
親戚の家でゆっくり出来ると思ったら、却って疲れてしまった。
こうして野宿している方が落ち着けるというのも、妙な話だ。
彼らはあの集落を出て、次の集落を目指すところだった。
「どういう裁きが下されるのかな」
「さあな、官吏次第だろ」
ユルが木の枝を放り込むと、火の勢いが増した。串刺しにした魚が、益々美味しそうな匂いを放つ。
火に照らされる彼の横顔を見ながら、ククルは思う。
ユルは、兄様と全然違う。だけど、私を助けてくれることは一緒だ。
ククルは自分で自分に驚いた。初めはあんなに、ユルが"兄"になることが嫌だったのに。心のどこかで、ユルで良かったと思い始めている。
兄様みたいに優しくはないけど、気遣いもあんまりないけど――。
「おい、じろじろ見るな」
ユルはククルを鋭い目で見やり、ぴしゃりと言った。
「ご、ごめん」
「焼けたな」
ユルはそう言って、魚を取った。ククルも串を掴み、口元へ運ぶ。
この魚も、ユルが取ってくれたのだ。
「ありがとう」
突然ククルが感謝の言葉を述べたので、ユルは怪訝そうに眉を上げた。
「何がだ?」
「色々…魚とか、あの時手を握ってくれたこととか…」
ククルの発言に、ユルは渋い顔をした。
「お前の分の魚は、ついでだ。手を握ってやったのは…ま、どうでも良いか。言っとくけどな」
ユルはその黒い目で、ククルを射すくめた。
「オレはお前を利用してるだけだ。お前のことなんざ、これっぽちも考えてねえよ」
「…何て…?」
「言わなかったか? "オレはお前を利用するから、お前もオレを利用すりゃ良い"ってな」
ユルは意地悪な笑みを浮かべた。
「情を感じるのは勝手だが、オレにまでそれを求めるなよ。そんな甘えた関係、虫唾が走る」
「――最低」
「何とでも言え」
ユルは鼻を鳴らし、魚の身を食い千切った。
「オレは、お前にやったら甘い"兄様"と違うんだからな」
ティンを侮辱された気がして、ククルは怒りが立ち昇るのを止められなかった。
「兄様を馬鹿にしないで!」
「はん? 兄のことになると、ムキになるな。いっつもいっつも、"兄様兄様"ってうっせえんだよ。お前、異常じゃねえの?」
目の前が真っ白になるほど、怒りが溢れる。
「――嫌い」
悔しくて悔しくて、涙が頬を伝う。
「あんたなんか、大っ嫌い!」
ククルはユルの頬を思い切り引っぱたき、走り去った。
木の根元で、一人で泣きじゃくる。
どうして兄様。どうして、夢の中でユルを指差したの。
どうして、あんな酷いこと言う子と旅をしなきゃいけないの。
『ククル、泣かないで』
私が泣きじゃくってたら、いつも兄様がすぐに来てくれた。
『何かあったのかい?』
『知らない子に、神の子なんて嘘だって言われて…石を投げられたの』
ティンは困った顔をして、ククルの頬に手を伸ばす。涙に濡れた頬を撫ぜられ、ククルは顔を上げる。
『ククルは、自分が神の子なのは嘘だと思う?』
『ううん。だって、兄様と一緒なら私は力を発揮出来るもの。だから、嘘じゃないもの』
『だったら、堂々としていないとね?』
ティンは優しく優しく、笑う。
『嘘じゃないなら、嘘じゃないって言ってやるんだ。自分がそう思っているなら、信じてやらなくては。泣いたら相手の思う壺だよ』
『うん…』
『大丈夫、ククルは出来るよ。ククルは強い子だ』
再生された記憶は薄れ、目の前に星空が蘇って来た。
「兄様…私は強くない」
ユルに言われたことに傷付きすぎて、立ち上がる気力も湧いて来ない。
潮騒に胸がざわついてニライカナイがまだ近いことがわかるのに、兄様を呼ぶ勇気もない。また会えないと思うと、怖くて。
私はいつまで経っても弱虫で、泣き虫で――兄様を恋しがるしか能がない。
ククルはゆっくりと立ち上がり、森を出て砂浜を踏みしめ歩いた。海に向かって、迷いなく足を進める。その足が波に浸かろうとも、彼女は止まらなかった。
こんなに胸がざわつくのに、ニライカナイが近いのに――兄様には逢えない。
しかし、まだ歩みは止めない。腰が海に浸かろうとも、ククルは涙を流しながら進もうとした。
ユルは、叩かれて赤くなった頬に手を当てた。
「馬鹿女…」
この痛みはククルが感じた胸の痛みに匹敵するものだろうか、と考えてユルは首を振る。
――馬鹿馬鹿しい。オレは、あんな奴どうだって良い。
ユルは木の枝をまた、焚き火の中に放る。
火のはぜる音を聞きながら、ユルは寝転んで星空を見上げた。
まるで吸い込まれそうな夜空に瞬く、無数の星。
ユルは憎々しげに、夜空を睨み付ける。
「止めろ…見るな…」
まるで星達が自分を監視しているように思え、ユルは腕で目を隠してしまった。
その時、妙な気配を感じた。
ユルは慌てて起き上がり、振り返る。
青い燐光を帯びた青年が、後ろに立っていた。
「お前…」
『困るね。私の妹をいじめてもらっては』
髪と同じく淡い色をした目を細め、青年は一歩ユルに近付いた。
後ずさるユルを見て、青年――ティンは笑う。
「てめえ、何しに来たんだよ!」
『それはお前が一番、わかっているのではないか?』
ティンは冷たい怒りを隠し、微笑む。
"兄"であった青年と"兄"になった少年は、しばし睨み合ったのだった――。
- 第二話 了 -