ニライカナイの童達



第五話 緑樹 2

 晴天にも恵まれ、航海は順調だった。
「もうすぐ着くそうだぞ」
 船の端で海を見ていると、いつの間にかカジが隣に来ていた。
 大きな船は揺れも少なく、楽だった。この船は、カジの友人でもある商人のもので、商いに向かうついでに乗せてくれたのだ。
「本当にカジ兄様とトゥチ姉様が居ると、心強いよ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
 カジは満面の笑みを浮かべたが、すぐに真顔になった。
「――トゥチが酷いことしようとしたらしいな。すまない」
 真剣に謝られ、ククルは首を振った。
「姉様も謝ってくれたもの。それに、恨まれても仕方ないもの」
「…すまないな。何度も何度も言い聞かせたんだが、お前を憎むばかりだったんだ」
 改めてそう聞くと、胸が痛かった。それほど、トゥチの中ではティンを失った哀しみが深かったということなのだ。
「しかしお前に再会してからは、憑き物が落ちたみたいだ。本当に良かった。あいつに感謝しなきゃな」
 "あいつ"とは、ユルのことを言っているらしい。
「ねえ、カジ兄様。ユルのことどう思う?」
「そうさな…」
 カジは視線を日光を浴びて光る水面に注ぎながら、静かに言った。
「頼れる奴だ。だが、完全に信じられるかは問題だ」
 トゥチと同じような意見だった。それが何故だか哀しくて、ククルは唇を噛んだ。
「でもね、兄様が夢に出て来たの。そして、ユルを指差したの」
 ククルの話を聞いて、カジは目を細めた。
「ティンが…?」
「何も言わずに、指だけ差した。でも、とても意味深だと思う」
 まるで"後は彼に託す"と言わんばかりの動作だった。
 ただの夢なんかじゃない。確かに死んでしまった兄様が、夢に現れて示してくれたんだ。
「ククル。それだけで判断するな。本当にお前が信用出来ると思うなら、他の理由を捜すんだ」
「私には十分な理由だもん」
 拗ねた顔をしたククルの頭を、カジが優しく叩く。
「その理由は、"ティンがそう示したから"だろう? 本当にユルを信じていることにはならない。ユルを信じたいなら、他の理由を見付けて信じてやれ。兄妹の力は、互いの信頼が一番大事だとティンに聞いたぞ?」
 カジの言う通りだった。実は、ユルが具現化する神の力はティンの力よりも劣っている。それは血のつながりがないからでも、知り合って日が浅いせいでもなく、単に互いの信頼度が低いためだとククルは直感していた。
「確かに身元も不明だから、信用するのは難しいけどな。っつーか、俺がさっき言ったばかりだけどな。ま、気楽に判断しようぜ」
 ククルは、カジのこういう前向きなところが好きだった。
 兄様抜きで、ユルを信じる…か。
 でも、信頼出来ないのはユルのせいでもある。こちらがなつく素振りを見せれば、ユルはすぐに冷たく振り払うのだ。
 ユルは私を信頼してないのかな。それとも利用するだけ、と思っているのかな。
 ユルのことを、どう思えば良いかわからなかった。割り切れと言われても、そんな簡単に出来ることではなかった。
「どうもあいつは、ティンに会ったことがあるらしい」
 カジの言葉に、ククルは身を震わせた。
「兄様と…ユルが…?」
 ユルはそんなこと、一言だって言っていなかった。
「本人が明言したわけじゃないが、どうもそのようだ。ユルにとっては、不愉快な思い出なのかもな」
「不愉快だなんて」
 ククルがふくれっ面になると、カジは苦笑していた。
「おいおい、ククル。ティンだって、万人に好かれるわけじゃないさ。あれで案外癖のある性格だし、好き嫌いも激しい」
「嘘だあ」
 そう言い募るも、ティンの親友だったカジが言うのだから間違いないのだろうとは、わかっていた。ククルは兄を慕い過ぎる余り、欠点が見えなかったのだ。
 でも、欠点もほとんどなかったと思うんだけどな。
「兄様を嫌う人がおかしいんだ。ユルとかユルとかユルとか」
「…参ったな。火に油を注いじゃったみたいだ」
 カジは呆れて、大きなため息をついていた。

 目当ての島に着き、ククルは不安そうに辺りを見渡した。
 日暮れに浮かぶ集落は、実に小さいものだった。とても大きい島なのに、港に近い集落がこんなに小さいとは驚きだ。
「俺とトゥチは、ここで滞在する。ついでに商いも手伝って来るぜ」
 カジがこう判断したのは、港から離れれば離れるほどこの島の中心を為す密林に近付くことになり、風土病に感染する危険性が高まるからだろう。
 ノロが霊力で病を遠ざけているとはいえ、その力はこの島に住む者にしか有効ではない。よそ者までは守ってくれないだろう。
 その点、ククルとユルは神の力で病から自身を守ることが出来る。
 ここまで危険を犯して付いて来てくれたカジとトゥチには、感謝してもし切れない。
「有難いけど、カジ兄様。商いが終わったら、一旦他の島に行ってて欲しいの。挨拶するのに、どのくらい時間がかかるかわからないし、その間に二人が病にかかることがあったら大変だもの」
 ククルがきっぱり言うと、カジは苦笑した。
「お前がそう言うなら、そうしよう」
「兄さん、でも…」
 何か言い掛けたトゥチに向かって、カジは首を振る。
「ククルの言う通りだ。俺達には神の力もないから、病にかかるかもしれない。そうなったら、都まで付いて行ってもやれない」
 カジの言葉に、トゥチは唇を噛んだ。
「今晩はここに泊まって、俺とトゥチは信覚(しがき)島に明日出発する。港町で待ってるぜ」
「うん、わかった」
 信覚島は、この諸島の中心地となる主島だ。大きさでは今居る島の方が大きいのだが、人口は圧倒的にあちらの方が多い。
 カジも、商人としての拠点地はそこに置いているらしい。
「今晩は、しばしの別れを惜しむか!」
「うん」
 ククルは微笑んだが、ユルは話を聞いているのかいないのか、無表情で佇むばかりだった。

 宿の食堂で、ククル達は食事を取った。カジは食事だけでなく、酒をちびちびと飲んでいたが。
「っかー、美味い!」
 赤い顔をしたカジは、空になった酒の杯を音を立てて机の上に置いた。
「兄さん、飲み過ぎよ」
 トゥチは兄を横目で見て、呆れるばかりだ。
 しかしこうして並んで見ると、カジとトゥチがあまり似ていないことがわかる。よく見れば目元などは若干似ているのだが、言われなければ兄妹とはわからないだろう。
 そういえばククルとティンも似ていなかった。共通点といえば、互いに少し色素が薄かったことぐらいだろうか。特にティンは茶髪と言っても差支えが無いくらい、薄い色素を持っていた。
「地酒は気に行ったかい」
「もちろんだ!」
 店員に問われ、カジは豪快に笑った。
「ノロ様のところに行くんだって? 大変だね」
 店員は誰から聞いたのか、ククルに尋ねて来た。
「はい。ノロ様がどこに住んでいるか、ご存知なのですか?」
「それは知らないけど、訪ねる者があれば彼女が導いてくれると聞いたよ。もっとも、あまり用もない人間には会ってくれないらしいがね。私など、一生会えないだろう」
 店員の口調には、尊敬の念が滲んでいた。
「やっぱり、ノロ様って凄い人なんですか?」
「それはそうだよ。この島にやっと定住出来るようになった。もちろん必ずかからないというわけじゃないが、病になる人はぐっと少なくなった。それだけでも有難い。会ったら、よろしく伝えておくれね」
 店員はそう頼んでから、他の客のところへ行ってしまった。
 この島のノロは、とても慕われているようだ。この島の歴史を考えれば、頷けることでもあったが。
 ぼんやりしていると、カジが笑い掛けて来た。
「ククルも飲むか?」
「け、結構です」
 薦められ、ククルは慌てて押し付けられた杯を押しやった。
「ティンが居なくなって、つまんねえな。島に帰って、あいつと飲むのが何より楽しみだったのに」
 カジの呟きは、まるでティンが死んだのではなく一時的にどこかに行ってしまったような…そんな口ぶりだった。
 だからこう聞いても、元来兄の死に敏感であるはずのククルの心も痛まなかった。
 そういえば、ティンはカジとよく飲んでいた。しかしティンが酔っぱらったところを見たことがないのは、何故だろう。
「おい、ユル。お前は飲めないのか?」
 大分酔いが回っているらしいカジは、さっきからつまらなさそうにしているユルに話を振った。
「兄さん、ユルくんはククルと同い年よ。まだ早いわ」
「何言ってる。俺とティンは、12から飲んでたぞ。ユル、飲んでみろ」
 めげないカジは、ユルに杯を押し付けた。杯に満ちる透明な液体を見下ろし、ユルは首を傾げた。
「弱いんだったら止めといたら良いがな」
「…弱くない」
 カジの言葉を挑発と受け取ったユルは、一気飲みしてしまった。
「ユル! あああ、馬鹿なんだから」
 呆れるククルに反して、ユルは平気な顔をしていた。
「…へえ。末恐ろしい奴だ」
 カジは、ちょっと酔いが覚めたらしい。
「二度と、オレを弱いなんて言うなよ」
 その強い口ぶりに、他の三人は戸惑ったように眉をひそめた。
 ユルは杯をカジの眼前に突き付けた。
「おかわり」
「本気か!?」
「飲ませたのは、あんただろ?」
 そう言われると何も言えず、カジはユルに酒を注いでやった。

 案の定飲み過ぎたらしいユルは、机に突っ伏してぶつぶつ呟いていた。単に顔に出ないだけで、いわゆる"ザル"ではなかったらしい。
「畜生…畜生…」
「ユル、大丈夫?」
 ククルが隣に座って揺さぶると、つむられたユルの目からほろりと涙がこぼれた。
 ――え?
 ユルの涙を見て、ククルは思わず動きを止めてしまった。
「こいつ、泣き上戸か。こんなに酔っ払うなんて…参ったな」
 カジも目撃したらしく、ため息をついていた。
「元はと言えば、兄さんが薦めたせいでしょう! 明日にはノロの家を目指さないといけないのに、こんなに酔わせて!」
「わーるかったって」
 トゥチに叱られ、カジはばつが悪そうに頭を掻いた。
「ユル、起きて。部屋まで行かなきゃ」
 我に返ったククルは、もう一度ユルを起こしにかかる。
 馬鹿みたいに、驚いてしまった。
 だって、いくら酔ったからってユルが涙を見せるなんて、信じられない。
「仕方がない。俺が運ぶぜ。多分、細っこいから軽いだろ」
 カジがユルの腕を掴んだ時、跳ね起きるようにしてユルは目を覚ました。
「――オレに触るな!」
 そしてふらふら立ち上がり、さっさと二階に上がって行ってしまった。
「怒り上戸だったの?」
「…少なくとも、笑い上戸じゃないな」
 トゥチとカジは顔を見合わせ、ある意味呑気な会話を交わしていた。

 翌日、朝食に起きて来たユルは不機嫌そうな顔をしていた。
「頭痛え…」
「かわいそうに。二日酔いね」
 トゥチに頭を撫でられそうになって、ユルは慌ててトゥチから離れていた。
「あら」
 トゥチはユルの反応にびっくりしたらしい。
「姉様。ユルは女の人、苦手なんだって」
「そうなの? あなたには普通なのにね」
 そこには不愉快な理由が絡んでいるので、ククルは仏頂面でそっぽを向いた。
「兄さん、反省しなさいよ」
「へいへい」
 またトゥチに怒られ、カジは肩をすくめていた。
「昨日言ったように、俺とトゥチは一足先に信覚島に行っている。お前らのことは頼んでおいたから、ノロに会った後はここに帰って来て、宿の主人に言え。商船に乗せてくれるよう、頼んでくれる」
「ありがとう!」
 カジに向かって、ククルは素直に感謝した。
「急がなくて良いから、気を付けて行って来るんだぞ」
 カジに念を押され、ククルとユルは真剣な面持ちで頷いた。
 また、二人での旅が始まるのだ――。