ニライカナイの童達



第五話 緑樹 4

 少女の姿をしたヤナを、ユルは初めノロと信じられないようだった。
 家の中に入れてもらい、お茶を待ちながらもユルはじろじろヤナを眺めている。
 それは仕方ないだろう。初めて会った時、ティンも自分も同じく信じられなかった。偉大なるノロが、子供にしか見えないなんて。
「私はこれでも、もう四十だ」
 茶を淹れながら言われたヤナの台詞に、ユルは目を剥いていた。
「嘘だろ?」
「本当だ。お前にはもう、話したっけね?」
 ヤナはククルを見たが、ククルは曖昧に首を傾げた。
「あんまり、覚えてないです」
「そうか。あの時のお前は、酷く衰弱していたからな。覚えていなくても無理はない」
 ヤナは二人に湯飲みを差し出し、ククルとユルは有難くお茶を飲んだ。案外と温かい茶は、疲れ切った身に染みる。
「私は十二の時以来成長していない。一度毒蛇に咬まれて死に掛け、九死に一生を得た時からな」
 二人はヤナの話に耳を傾けた。
「だから初潮も迎えていないのだ」
 ここでユルがお茶を噴きそうになっていたが、そんなユルを気にも留めずヤナは続ける。
「死に掛けた時、ニライカナイを一瞬だけ見た。鮮やかな神々の楽園を」
「…ニライカナイを?」
 ククルは思わず身を乗り出した。
「ああ。そして目覚めた時、今までとは比べ物にならないくらいの霊力(セヂ)が己に宿ったことに気付いたのだ。おそらく、一度ニライカナイに行ったことにより、己に眠る僅かな神の力が増したのだろう」
 ヤナはククルに向かって微笑み掛けた。
「お前には負けるがね」
「ええ? でも、私は死に掛けたこともないし」
「それでもお前の血はとても濃い。先祖返りだ」
「先祖返り?」
 ククルは驚いた。自分の発揮する力が強いのは、兄のティンが強いからだとばかり思っていたのだが…。
「お前の血が濃いから、前の兄の力は強かったのだ。今回は…まだお前達、付き合いが浅いのだろう」
 ヤナは全て見透かしたように、微笑んだ。
「時が経ち、お前達が互いにより信じ合えば、以前よりも強い力が生まれるかもしれない」
 ヤナの意味深な言葉を聞いて、ユルが立ち上がった。
「…ユル?」
「ちょっと、このノロと二人で話させてくれないか。良いだろ?」
 勝手に決められてククルは鼻白んだが、ヤナもゆっくりと頷き掛けて来たのでククルは渋々と席を立った。
「じゃあ、私はどこに行けば良いんですか?」
「あの子に付いて、一旦外に行っておくれ」
 ヤナが示した先には、小さな少女が立っていた。
「頼んだよ」
「はい、ヤナ様。では行きましょう」
 少女はにっこり笑い、ククルの着物の袖を引っ張った。
 ククルが出て行ったことを確認してから、ヤナは薄く笑った。
「あの子には聞かせていないのかい」
「ああ。もし、言うつもりなら――」
 ユルが鉈を素早く構えてヤナの喉元に突き付けようとしたが、いつの間にか取り出された小刀がその刃を阻んだ。
 少女がヤナの前に小刀を構え、ユルを睨み付けている。
「…馬鹿なことはお止め」
 ヤナに言われ、ユルはため息をついて鉈を下ろした。
「すげえな。護衛かよ」
「先ほどのように殺気をまとわれていては、護衛を後ろに控えさせたくもなる」
 ユルの嫌味に、ヤナは嫌味で返した。
「もっとも、この子は護衛ではないがな。なかなか武術に秀でているだろう? そんなことをしなくても、お前達に必要以上に口は出さないよ」
 じっと見つめられ、ユルは床に腰を下ろした。
「ククルの祖母も、そうやって脅したのかい。そうして、兄となった?」
 ヤナは唇を歪め、ユルを見下ろす。ユルよりも小さい華奢な体躯なのに、この圧倒的な迫力の差は何故だろう。
「オレは脅していない。ティンの言葉を伝えただけだ」
「…ふん、なるほど。ならば、彼女は受け入れざるを得なかっただろうね。ティンの言葉とあっては」
 真偽を確かめるかのごとくヤナはユルをねめつけたが、すぐに力を抜いた。
「本当のようだね。ティンとはどこで会った?」
「――旅の途中で。その時に、契約を交わした」
 ヤナに嘘を言ってもすぐにわかると悟ったユルは、簡潔ながら正直に答えた。
「契約の内容は」
「言わない。他人に言わないことも契約の内だ」
「そうか」
 ヤナはため息を一つついて身を屈め、ユルと視線を合わせた。
「ククルの力を利用するつもりなら、気を付けるが良い。あの子は本当に神に近しいぞ」
 その重い忠告には、沈黙をもって答えとした。

 一方、ユルとヤナがそんな真剣な話をしているとは夢にも思わず、ククルは女童達と談笑していた。
 彼女達はククルよりも幼いのに、とてもしっかりしていた。
「あなた達も、ノロなの?」
「いいえ。私達は、ヤナ様の弟子です。親を亡くしたところを、ヤナ様に拾われました」
 一番年上の少女(と言ってもククルよりは下だ)が、はきはきと答える。彼女の名は、サーヤというらしい。
「次代のノロになるため、修行中です」
「なるほどー」
 ヤナにも寿命があるから、後継者を育てなくてはならないのだろう。この五人の少女の内から、新しいノロが生まれるのだ。
「あなたのことは覚えています。光り輝く男の人と、一緒に来た女の子ですね」
 彼女の言い方に、ククルは眉をひそめた。
「光り輝く…? 兄様のこと?」
「はい。あなたは見慣れていたので、意識しなかったんですね。あの方は、私の目には光って見えました。内から光る、希有な人でしたね」
 サーヤの真剣な視線を、ククルは受け止める。
 そういえば、たまに兄様を見て"ティンは明るいねえ"と言う人が居た。もちろん社交的な性格だったせいもあるだろうけど、内の光を感じ取っていたとしたら…。
「それも、太陽の明るさです。真昼の海のような、眩い光でした」
 サーヤの言葉に、ククルは心から同意した。ティンを思い浮かべて思い出す雰囲気は、真昼の海だ。眩くて心地良くて、何故だか懐かしい。兄はそんな人だった。
「今日あなたと一緒に来た方は、対照的ですね」
 サーヤに手を引かれ、我に返る。
「今度はユルのこと…だよね」
「ユルと言うのですか。名は体を表すとは、このことですね」
 彼女は仄かに笑った。
「彼は夜の海。青い月光で水面を輝かせる」
 ごくりと、ククルは喉を鳴らす。初めて会った時から忘れられない、黒々とした目が思い浮かぶ。何を映しているのだろう。底に何を、湛えているのだろう。
「怖いのですか?」
 問われ、ククルはうつむいた。
 怖い? ――そう、怖かった。たまに、ユルは怖かった。でも同時に安心することも確かだった。
「だけど彼とあなたの相性は、とても良い。ひょっとすると、前の御方よりも」
「…ティン兄様よりも?」
「何故なら、あなたもまた真昼の海のようだから」
 そっとサーヤは、ククルの手を握り締めた。
 やけに早く打つ心臓の音が手を通して伝わってしまうのではないかと気になり、ククルは呼吸を落ち着ける。
「同質のものを取り込んでも、ある程度しか強くなれません。しかし異質のものを取り込み、それをも自らの力とすれば…」
 サーヤの目は、ヤナにそっくりだった。ヤナのように、全てを見透かすような目だった。肉体を透かして心を読み、時を透かして先を読む――ノロやユタだけが持ち得る目だ。
 きっと、次のノロは彼女なのだろう。確信に近い予感に酔いながら、ククルは次の言葉を待った。
「相反するものは、反発し合うものです。だけど、同時に合わされば新しい力が生まれるでしょう。…そして同時に鎮め合うでしょう」
 少女は肩から力を抜き、ククルの手をすっと放した。
「申し訳ありません。偉そうに、つらつらと語ってしまいました」
「ううん、ありがとう」
 彼女のおかげで少しだけユルという存在をわかることが出来て、もう少しティンを深く知ることが出来た気がしたのだった。

 仏頂面で腕を組むユルの前に、痺れを切らしたヤナが眼前に立った。
「お前はティンのことを、全て聞いたのか?」
「…ああ。聞いたさ。あいつも、オレと一緒だってな」
 それだけ言って、ユルは口をつぐむ。
「お前はティンの代わりになるのかい」
「そういう約束だが――正直、考えられねえや。オレはオレであいつを利用して、この関係を終わらせたい」
 ユルの勝手な言い分にもヤナは怒らず、静かに息をついた。
「ティンの怒りを買うことになっても?」
 ヤナの質問に、ユルは黙って頷く。
「こればかりは、私が口を出せることじゃないからね。好きにおし。ただし、自暴自棄にならないように――と忠告だけしておこう」
 そう言い残し、ヤナは家から出て行ってしまった。