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1.グザヴィエ



 おれは、椅子に座って珍しく読書しているところだった。
「リャンヌ」
 ジルが奥から出て来て、おれに声を掛ける。
「ん?」
「何読んでるの?」
「ヒゲカマお薦めの小説。"これは簡単で薄い本だから、あんたにも読めるでしょ。餞別にあげるわ"とか言って、くれたんだ」
 おれはヒゲカマの物真似をしつつ(我ながら似てない)、ジルに表紙を見せた。
「ホメオとジュリエッタ…か。何かの紛い物みたいだね。面白い?」
「ある意味面白いぜ。ジュリエッタ、病気で死にそうな設定のくせして、五階から飛び降りても平気な顔してるんだぜ。ピンチの時に、ホメオがやって来たら"ああ、あなたが来なかったら危ないところだったわ"とか言ってたんだが、いやお前さっき悲鳴上げながら大男をぶっ飛ばしてただろ、とか思わず言っちまった。とりあえず、突っ込み所がいっぱいなんだ」
 しかし、ヒゲカマはこの本のどこに感動したんだろうか。恋愛小説と銘打っている割に、ギャグにしか見えねえ。
「ま、暇潰しにゃ良いかなって思ってさ」
 おれが説明を締めくくると、ジルは呆れたように笑った。
「退屈してるんなら、草むしりでもしてよね」
「う。おれ、ちょっと用事思い出した」
 頭を抱える振りをしたが、当然ジルが騙されるはずもなく。
「僕が帰って来るまでに、終わらせておいてね。じゃないと、怒っちゃうから」
 天使の笑顔で脅され、おれは引きつった笑いを浮かべた。
「わーったよ。お前、出掛けるのか?」
「村長に呼ばれてね。子供が熱出したらしくて、薬草煎じて欲しいって」
「そりゃ大変だ」
 おれは村長の息子の顔を思い出した。元気が有り余ってて、風邪もひきそうにない子供だったが…。
「留守番しててね。参拝客が来たら、ちゃんと対応するんだよ」
「おれはガキじゃねえぞ」
 むくれるおれの頭に笑って手を置いてから、ジルはおれに背を向けた。
「じゃあね」
「おう」
 ジルが出て行くのを確認してから、おれは本を広げる。草むしりは、後ですりゃ良いや(何だかんだ言って、続きが気になってるおれ)
 どこまで読んだっけ…ああそうだ。ジュリエッタが、鮫と戦うところだ。――絶対ジュリエッタって、悲劇のヒロインじゃねえよなあ。
 そう思いながらページをめくる内に、おれは眠気を覚えてそのまま眠り込んでしまった。

 誰かの声が聞こえたような気がして、おれは目を開けた。
「ジル?」
 おれは頭を振って、辺りを見回す。
 やべ。もう帰って来たかな。まだ草むしりしてねえのに。
「すみませーん」
 礼拝堂から、声が聞こえる。参拝客だ!
 おれは慌てて走り出した。
 礼拝堂には、初老の男が一人居た。やたら頑健そうな体つきや腰に下がった剣を見ると、武人のように思えた。
 男はこちらに気付き、笑顔を浮かべる。
「こんにちは。返事がなかったので、勝手に入ってしまいました」
「別に良いんだぜ。ここは解放してあるから。悪いな、待たせて。参拝に来たのか?」
「はあ…」
 男は不思議そうな顔で、おれをまじまじと見た。
「ちなみに、おれが聖女のリャンヌ・リーヴル」
「そうだったんですか」
 やっぱりわかっていなかったらしい。何でおれは、こんなに聖女と思われねえんだよ。
「私はグザヴィエ・ド・トレフルと申します。実は今日は、人を訪ねてやって来たのですが…」
「人?」
「はい。ここで、あなたに仕えていると聞いたのですが…」
 そこで物音がして振り向くと、ジルが入り口に立っていた。
 グザヴィエが息を呑む。
「――ヴァランティーヌ様…」
 ジルの顔を凝視して、グザヴィエは声を絞り出した。
 ジルはその発言を聞いて、不快そうに眉をひそめる。
 ヴァランティーヌ…って誰だっけ?
「何か御用ですか」
 心持ち冷えた声で、ジルは問いを放つ。
「これは突然、失礼致しました。あまりに、ヴァランティーヌ様に生き写しだったもので…」
 グザヴィエは目頭を押さえながら、頭を下げた。
 そこでおれは思い出す。ジルの母親が、ヴァランティーヌという名前だったことを。
「ジル様ですね…?」
 グザヴィエは確信したように尋ね、ジルを愛おしそうに見やる。
 ジルが返事を返さなかったのにも関わらず、グザヴィエは床に膝を付いた。
「お願いです、ジル様。クラルテ島をお救い下さい――!」
 切に願って、グザヴィエは頭を下げた。

 何がなんだかわからないので、おれはひたすらぽかんとして口を開けていた。
 ジルも驚いているのか、言葉を返すこともなく佇んでいる。
「オッサン、頭上げろよ。話が、さっぱりわかんねえぜ。とりあえず、ゆっくり話さねえか?」
 言っている内に、おれも落ち着いて来た。
「茶でも飲んでゆっくり話そうぜ。もう参拝客も居ないだろうから大丈夫だ」
 おれが招くとグザヴィエは立ち上がり、一礼した。
 おれの先導で、グザヴィエもジルも食卓へと辿り着く。いつもはジルの方がこういうことに気が付くから、おれが先に気を利かせるのは珍しい。我ながら驚きだ。
「ま、座れよ」
「じゃあ僕は、お茶を淹れて来ますから」
 おれが座るように促し、ジルは一応告げて台所に引っ込む。
 おれも腰掛け、小さな声で問うた。
「一体、何事なんだ? クラルテ島って何だ?」
「本当に、突然すぎましたね。すみません」
 グザヴィエもおれに合わせ、声をひそめた。
「ジル様のお母様のことを、ご存知ですか」
「まあ、知ってることは知ってる」
 そんなに詳しくは知らないが。
「ジル様の母君、ヴァランティーヌ様はクラルテ島という小さな島の出身でクラルテ伯家の直系です」
「へえー」
 父親は公爵で、母親は伯爵令嬢だったわけか。ジルの血筋、すげえなあ。
 そこへ、ジルが茶を持って来た。カップに茶を注ごうとすると、グザヴィエが止めた。
「私にやらせていただけませんか」
 ジルは眉を上げたが、黙ってポットをグザヴィエに渡した。そのまま自分も、おれの隣に座る。
 グザヴィエは茶を注ぎ、おれとジルにカップを渡した。自分のには最後に注ぎ、グザヴィエはおれ達に向き直る。
「失礼致しました。改めて、自己紹介させていただきます。私は、グザヴィエ・ド・トレフル。クラルテ伯家に仕えておりました。ヴァランティーヌ様が嫁ぐまで、護衛を勤めさせていただいたこともあります」
「へーっ」
 おれは素直に感心してしまった。
「クラルテ伯爵は、叔父のはずだろう? 何故、僕のところへ来たんだい?」
 ようやくジルが口を開いた。
「――現クラルテ伯こそが、問題だからです」
 しばし、沈黙がその場に満ちる。
「悪政でクラルテの民は暴力に怯え、飢餓に喘いでおります。更に、隣国の領土である半分まで伯爵は手中に収めようと…」
「待て待て」
 おれは途中で、手を挙げた。
「隣国の領土って、どういうことだ?」
「は、すみません。クラルテ島は特殊な島でしてな。半分がこの国、もう半分が北の隣国の領地となっております」
 つまり、お嬢の国とおれの国で半分こってことか。ややこしい。
「かつて、この国と隣国がクラルテ島を取り合い、戦争したのです。結局、それで半分にされてしまったのですな。この国に属するのが、クラルテ伯。隣国に属するのが、グリーム伯です。だから隣国では、グリーム島とも呼ぶそうです」
 益々ややこしい。
「現クラルテ伯は、グリーム伯を暗殺したと言われています。その子供は難を逃れるため、一旦隠れているのですが…どうなることやら」
 グザヴィエは、深いため息をついた。
「クラルテの血を引くのは、もうジル様お一人です。どうか、次代のクラルテ伯になっていただけませんか!」
 グザヴィエがもう一度頭を下げたが、ジルは表情を動かさなかった。
 おれはというと、あまりの展開に驚きすぎてて反応が遅れた。
「――僕は罪人だ」
 ジルの答えはどこか、冷たく響いた。
「クラルテ伯にはなれない。遠縁なら、どこかにクラルテの血を持つ者が居るだろう。だから」
 続けようとするジルの胸倉を、おれは掴んだ。
「待てよ! こいつ、お前を頼って遥々来たんだぜ? そんなに冷たい言い方あるかよ!」
「そう言うけど、僕は罪人だから認められないと思うよ?」
 おれは一瞬詰まったが、首を振った。
「良いから、行ってやろうぜ! 何とかなるかもしれないし…手助けだけなら出来るだろ?」
「あの、どうかお放しになって下さい」
 グザヴィエに諌められ、おれは渋々ジルから手を放した。
「戸惑われるのも、もっともです。もしジル様が名乗りを上げるならば、現伯爵と戦わねばなりませんから…叛乱ということになります。御身を危険にさらすことになりますので――無理強いは致しません。よろしければ、明日お気持ちをお聞かせ願いませんか。私は一旦、失礼します」
「失礼するって、どこに行くんだよ? もう日が暮れるぜ。ここに泊まって行けよ。ボロ家だけどさ」
「いえ、そういうわけには」
 グザヴィエは、茶を飲んでから立ち上がった。
「これで失礼させていただきます」
 ジルとおれに頭を下げて、グザヴィエは歩き出す。しばらく呆けていたが、我に返っておれは後を追った。道の途中で、ようやく追いつく。
「おい、オッサン!」
 グザヴィエは驚いたように、おれを振り向いた。
「聖女様」
「来いよ。村長に頼んでやるから、村に泊まって行け」
 おれが手を引っ張ると、グザヴィエは苦笑した。
「ジルに遠慮したんだろ」
「よく、おわかりで」
「ごめんな。あいつ、いつもはあんなんじゃないんだけど…」
 冷たいジルの瞳を思い出し、おれは唇を噛んだ。明らかに、ジルはグザヴィエを歓迎していなかった。
「きっと、ジル様はお母様が好きじゃないんでしょうな」
「え?」
「生き写しだと言った時、とても嫌な顔をされました」
 なるほど。それで、母に仕えていたというグザヴィエや母の出身地に好意を覚えないのだろうか。
 母親のせいで、父親も死んだようなもんだもんな…。割り切れないものがあってもおかしくない。
「なあ、オッサン。もしジルが嫌だって言ったら、どうするんだ?」
「そうですな…グリーム伯の令嬢を、叛乱の頭に据えるしかありません。けれど、それは難しいのです。実際に悪政を行っているのはクラルテ伯だから、爵位簒奪になる恐れがある。暗殺も、証拠がありませんから」
 ジルが正当な権利を主張して伯父から伯爵の位を奪うのが、一番良いってことか。隣国も絡むから、ややこしいもんな。
「なるほどな…。任せろよ、オッサン。おれが、ジルを説得してやる」
 おれが請け負うと、グザヴィエはホッとしたように微笑んだ。

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