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10.サンドリーヌ



 予想していた反応とは違い、ジルは哀しそうに眉をひそめた。
「リャンヌは、僕にクラルテ伯爵になって欲しいの?」
「…ああ。だって、お前は元々貴族なんだ。貴族に戻るべきだ」
 この島の人はみんな、ジルを求めてるんだから――。
「そんなに僕を追い出したい?」
 何を言ってるのか、本気でわからなかった。
「何だと? おれはそんなつもりで言ったわけじゃ…」
 わけがわからなくて、おれは戸惑うしかない。
「じゃあ、どういうつもり? 僕がなりたいって言ったらともかく、どうしてリャンヌがそんなこと決めるの」
「だってお前…知らなかっただろ? 自分がなれるって。自分が貴族に戻れるって」
 そっとジルの腕に触れるけれど、ジルの態度はよそよそしいままで。
「なれるからって、そんなに貴族になって欲しいの?」
「――何で、そんなに怒るんだよ」
 おれは拗ねた顔で、ジルときつく睨んだ。
「お前のためを思ってだろ…? 貴族に戻らなくちゃ、お前の力は発揮されないんだから」
「貴族貴族って、リャンヌはそんな風にしか僕を見てないの?」
 ジルの一言で、おれはハッとする。
 どうして罪悪感を覚えていたのか? ジルが貴族だったからだ。公爵だったのに、爵位は剥奪されて聖女の従者になった。それが不名誉じゃないって、誰が言えるんだ。
「だって…」
 "お前がジルを堕とした"という言葉や視線に耐え切れなくなったのは確かだ。でも、それだけじゃない。ずっと前から罪悪感を覚えていたんだ。
「貴族じゃなかったら、僕は僕じゃないわけ?」
 ジルに問われて、おれは詰まってしまった。
 そういうことじゃない。だけど――
「ごめん…困らせて。でも、そんなこといきなり言われても僕だって困るよ」
 おれは黙ってうつむいた。
「この話は保留にしよう。リャンヌもよく考えて。お願い」
「ああ…」
 ジルの声は優しかったけれど、少しだけ淋しさが混じっていた。

 あの後すぐにグザヴィエがジルを呼びに来たので、結局結論が出ないままになってしまった。
 自室に帰り、ベッドに寝転がる。
 ジルのことがわからなかった。
 もっと喜ぶと思ってた。何であんなに哀しそうな顔をしたんだろう。
 おれは天井を見つめながら、つらつらと考えていた。
 そういえば、ジルは一度も貴族に戻りたいと言ったことはなかった――。
 うっかり眠りに落ち掛けた時、ドアがノックされた。
「リャンヌ様、よろしいですか?」
 アントワーヌだ。誰かに相談したくてたまらなかったから、おれは飛びつくようにして扉を開けた。
「ジル様と何か、あったのですか?」
 おれの表情を見て、アントワーヌは眉をひそめた。
「――まあ、入れよ」
 促すと、アントワーヌは一礼して椅子に腰を下ろした。
「ジル様も様子が変でしたので…何かあったのかと」
「…おれ、どうすりゃ良いんだろ」
 自分もアントワーヌの正面に腰掛け、憂鬱そうに首を振る。
 迷ったが、アントワーヌに全て打ち明けることにした。おれだけじゃ判断出来ない。第三者の意見が欲しくてたまらなかった。
「そうだったんですか」
 聞き終えて、アントワーヌは息を吐いた。
「ああ。おれ、ジルのことわかんねえよ。何で喜ばねえんだ」
 おれを見て、アントワーヌは哀しそうな微笑を浮かべた。
「私は、どちらの気持ちも何となくわかりますよ」
「え?」
 おれは驚き、思わず顔を上げた。
「あなた方は、どちらも互いを想いやっていると思います。しかし、想い方が違う。違う人間なのだから、当たり前かもしれませんけどね」
 新鮮な意見に、目が覚める心地だった。確かに、おれとジルは考え方が対照的とも言えるくらい違う。そのせいだってのか?
「だから、自分がジル様の立場だったら…と考えてみて下さい。ジル様が哀しいと思った気持ちが、わかりませんか?」
「ジルが、哀しいと思った?」
「ええ。ジル様は、哀しかったのですよ」
 アントワーヌは少し考え込んでから、想定を口にした。
「例えばの、話ですけどね。もしジル様がクラルテ伯爵になったとして――リャンヌ様が聖女を辞めて、ジル様の補佐をしたいと思ったとします」
「そんなこと出来るわけ…」
「もしも、の話です」
 アントワーヌは"もしも"を強調しながら片目をつむってみせた。
「ある日突然、ジル様が"リャンヌは聖女に戻りたいだろうから、戻って良いよ。人々がみんなそう望んでるから"と言われます。その時、どう思われますか?」
 胸に少し、痛みが走るのを覚えた。
「ちょっと、淋しいっつうか哀しいかな」
 自分はもう要らないのかと、邪推してしまいそうだ。
「でしょう? それと同じとまでは言いませんが、似たような状況だと思いますよ」
 おれは自分を反省するしかなかった。
 一番大事なのはジルの意志だと頭ではわかっていたのに、気持ちが先走りすぎてジルに自分の意見を押し付けてしまった。
「でも、あなたの気持ちも痛いほどにわかる。クラルテの民はジル様がクラルテ伯爵になることを、熱心に望んでいます。爵位も貴族の地位も、戻ることになる。伯爵になることがジル様の幸せだと、そう思われるのでしょう」
 その通りだったので、おれは強く頷いた。
「しかし良いですか、リャンヌ様。決めるのはあくまでジル様です。あなたが伯爵になって欲しいという気持ちを出しすぎると、ジル様は突き放されたと感じるかもしれません」
「ああ…そっか」
 おれはうつむき、ジルの顔を思い浮かべた。ジルは、傷付いたのかもしれない――。
「…でも、おれも辛いんだ。おれがジルを縛ってる感じがして」
 自由を奪いはしなかっただろうか。誇りを傷付けはしなかっただろうか。そう考えると罪悪感ばかりがうずく。
「クラルテには、ジルが必要だってこともすごくわかるから…」
「――リャンヌ様。一人で悩むのではなく、ジル様に言えば良かったのですよ。そうしたら、ジル様がどう思っているかわかったのです」
 アントワーヌの言う通り、そうすべきだった。おれは急ぎすぎたんだ。ジルにクラルテ伯爵になれる可能性を言って、しばらく考えてもらって――答えを待てば良かったのに。自分の基準でしか考えてなかった。
「しかし残念ながら、しばらく二人でゆっくり話す時間はないと思います」
「へ? 何でだ」
「実はこの近辺の森を、敵兵がうろつき始めたようです。居場所がばれたかもしれません」
 アントワーヌの表情は、戦争の話題になって突然厳しさを帯びた。
「そこで、早急にグリーム城を奪還することになりました」
「グリーム城を?」
 グリーム城はグリーム伯(キャロラインはまだ正式にグリーム伯爵になってないので、こう表記するのはキャロラインの父親)の死後、クラルテ伯爵に派遣された兵士に乗っ取られ、グリームの騎士は各地に散らばらざるを得なかったそうだ。
 グリームの兵士がクラルテ側に劣っているわけではないが、グリーム伯の死後キャロラインを守るために彼らは一旦言うことを聞き、息を潜めて好機を待つことにしたらしい。
「今はクラルテ伯爵は他の場所の警備を強化しているから、グリーム城の警備は薄い。あそこを奪い返せば、戦況もこっちにずっと有利になります。この屋敷では、全員入りませんしね」
「なるほどなあ。上手く行くと良いな」
 おれが万感の思いをこめて頷くと、アントワーヌは表情を緩めた。
「どうなるかわかりませんので、部屋で大人しくしてて下さいね」
「ちぇー。暇だ暇だ」
 口を尖らせるおれに苦笑して、アントワーヌはおれの頭に手を置く。
「私ももう行かなくては。後で食事を運ばせます」
 アントワーヌは礼儀正しく一礼して、扉へと向かった。

 食事も湯浴みも終えて、そろそろ寝ようかと言う時だった。
 いきなり外から聞こえた激しい怒号や剣戟の音。そして、扉が凄まじい勢いで叩かれる。
「な、何だ?」
「リャンヌ様! 開けて下さい!」
 グザヴィエがおれの名を呼びながら訴えたので、素直に扉を開ける。
「何事だ?」
「敵襲です。一旦別の隠れ家に送ります! 早く支度を」
「支度つったって…」
 そんな貴重品も持って来てないから、着替えるくらいか。
「支度が出来たら出て来て下さい。扉の外で待ってます」
 グザヴィエは有無を言わさず扉を閉じた。おれは慌てて寝巻きから普段着(もちろん男装)に着替え、荷物の入った袋を担ぐ。そして扉の外に出た。
 外にはグザヴィエだけではなく、ジルとアントワーヌも待っていた。
「ジル、あのさ」
 何か言おうとしたおれを手で制し、ジルは真剣な声で告げた。
「今は時間がないから、話は後で。二人と隠れ家に行ってて。わかったね」
「お前は?」
「後から行くよ。アントワーヌ、グザヴィエ。任せたよ」
 ジルの命令に、二人は恭しく頭を下げる。二人に頷き掛けてから、ジルはあっという間に行ってしまった。
「リャンヌ様、参りますよ」
「グザヴィエも戦わなくて良いのか?」
「私もあなたを送り届けた後、戦前に戻ります。アントワーヌ、お前にリャンヌ様を任せるぞ。わかってるだろうな」
「もちろんです。誰に物を言っているのですか」
 グザヴィエの念押しに、アントワーヌは鼻を鳴らした。グザヴィエはアントワーヌの態度に舌打ちしながら、おれに問う。
「リャンヌ様、剣は」
「もちろん持ってるぜ」
 おれは腰元に下げた剣を叩きながら、にやりと笑った。
「では、参りましょう!」
 グザヴィエの一声をきっかけに、おれ達は走り出した。

 辿り着いた隠れ家は、おれ達が今まで居た屋敷とは違って小さな民家だった。
 あてがわれた部屋に入って、おれとアントワーヌは息をつく。
「夜に来るとは思わなかったぜ」
「警備の隙を突いたのですね。兵をグリーム城にもばらしていたのも、隙と言えましょう。――内通者が、情報を漏らしたに違いありません」
「一体誰なんだろな、内通者って」
 相当中に通じているようだが、疑い出したら切りがない。誰もが怪しく見えて来る。
「みんな無事だと良いけど」
「全くですね」
「おれも戦えれば良かった。あーあ、おれが元気ならなあ。何でこんなに体がだるいんだ」
 おれが栓もないことをつらつら呟いていると、アントワーヌは駄々っ子を前にした時のような苦笑を浮かべた。
「仕方ありませんよ。まだ毒や解毒剤が抜けないのでしょうし、牢屋に入れられていたのですから」
 それもそうか。ここに来てから息をつく間もないぜ、おれ。
「リャンヌ様、少しお眠りなさい。私は起きてますから、何かあったら知らせますよ」
 おれの体調を心配したのか、アントワーヌがやんわりと言ってくれた。乗馬で疲れたせいもあって、おれはお言葉に甘えることにした。

 アントワーヌに揺り起こされ、おれは目覚めた。
「戦いが終わったようですよ」
「本当か?」
 大あくびしつつ体を起こすと、グザヴィエが目に入った。
「敵を追い払った後、グリーム城を奪還することに成功しました。我らもなかなかやるでしょう!」
 誇らしげなグザヴィエの肩を、おれは"よくやった"の意味をこめて偉そうに叩いてみた。
「グリーム城の警備に付いていた兵の、やる気のないこと! あっさり投降して来ました。もう伯爵も終わりですな」
 興奮して語り続けるグザヴィエに、おれは悪いと思いながらも口を挟んだ。
「ジルは?」
「グリーム城にいらっしゃいます。もうすぐこちらに来られるでしょう。ジル様も、なかなかどうして忙しくて」
 グザヴィエは疲れたように、ソファに体を預けて大きく伸びをした。グザヴィエは体が大きいので、小さなソファが何だか気の毒になってしまった。
「じゃあ、待っとけば良いのか? それともあっちに行った方が良いのか?」
「まだあちらは片付いてないので、ジル様が来るまで待っておいて下さい。ジル様も、今夜はこちらに泊まるつもりらしいです」
 片付いてないなら、行っても邪魔になるか。
「別にわざわざ戻って来なくて良いのにな」
「リャンヌ様、わかってないですね。それが男心ってもんで――」
「黙りなさい、このお喋り」
 豪快に笑うグザヴィエの頭を、思い切りアントワーヌが叩いていた。どうしたんだ、こいつら。
 ともかく、ジルが戻って来るなら話も出来るな。でも、もう明け方だ。ジルも疲れてるだろうし…。
「そういえば、リュシアンに会いました」
 グザヴィエの一言に、おれはすぐさま反応した。
「リュシアン? ここに来てるのか?」
「はい、道中で会いましてな。知らせを持って来てくれたんですよ。今は外でジル様を待ってます。」
「おれが中に居ること言ったのか?」
「言いましたけど、時間がないから会う間もないと。ジル様に会ってすぐ、帰るつもりだとか」
 グザヴィエの言葉が終わらない内に、おれは駆け出していた。

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