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11.ジル(幼心)



 ジルが起きるまで、おれは居間で暖炉の火を見つめながら考えていた。
 アントワーヌとグザヴィエもちょうど仮眠を取っているので、おれは今一人だった。
『今はジル様も余裕がないのです。わかってくれる、と思ってはいけません。伝えなさい』
 アントワーヌの言葉を思い出し、ぐっと唇を噛み締める。
 今まで、ずっとジルに甘えていた。言わなくても察してくれるその聡さに、ずっと助けられていた。今度はおれが助けてやりたいのに、何もかも空回りで。
 大きなため息をついた瞬間、階段が軋む音がした。二階から、誰か降りて来たらしい。
「アントワーヌ?」
 何となくアントワーヌかと思って階段に駆け寄ると、ジルが下りて来た。冷徹とも見える無表情におれが怯んでいる間に、何も言わずにおれの横を通り過ぎる。
「もう行くのか?」
 尋ねても何も言ってくれないので、おれはジルの腕を掴んで引き止めた。
「話があるんだ」
「…疲れてるんだよ」
 本当に疲労の滲んだ声だったが、おれは怯まなかった。
「頼むから、おれの話聞いてくれ。謝りたいんだ…」
 おれはジルの腕を引いて、二階を顎で示した。
「二階で話そうぜ。ここだったら、二人が下りて来るかもしれない」
「――わかった」
 ジルは諦めたように息をついた。

 ジルは扉を閉め、ベッドに腰掛けた。おれは立ったまま、ジルを見下ろす。
「言っておきたいことがある。おれは、好奇心だけでお前を詮索してるんじゃない。お前が苦しそうなのが、わかるから…助けてやりたいから、知りたいんだ」
 一気に言ってしまうと、少し心が楽になった。
「でも、もしそれで傷付いたなら――悪かった。謝るぜ」
 神妙に頭を下げたが、すぐに顎を持ち上げられて上を向かされた。
「僕のこと、まだ知りたい?」
「ああ。一人で抱え込んだって良いことねえと思うんだ」
 少しだけ間を置いてから、ジルは口を開いた。
「先に、リャンヌがリュシアンとどこに行ってたか聞いても良い?」
 きっとジルも、おれが良いとは言わないと知っていて聞いたのだと思う。もちろんおれの答えは、ノンだった。
「だめだ。約束しちまったんだ…」
「どうしても言えない?」
「ああ。リュシアンが、ジルには言わない方が良いって」
 そこでジルの眉がいぶかしげにひそめられた。
「何故?」
「お前の立場的に、知らない方が良いだろって言ってたんだ」
 おれが口ごもりながら言うと、ジルの表情が少しやわらかくなった。
「そう。なら、戦争関係の話ってこと?」
「まあ、そうだな」
 何とか納得してくれたらしく、ジルはそれ以上の追及を止めてくれた。
「それで、お前は何か隠してるのか?」
 悪夢でうなされていた光景が目に浮かぶ。それでなくても、ここに来てからジルはどこかずっと苦しそうだった。
「おれは助けてやれないか?」
「…無理だと思うよ」
「どうしてだ?」
 まただ。また、拒絶されてショックを受けてしまった。でも、ここで怯むわけにはいかない。
「リャンヌは、神に仕える立場だから」
 その言い方が、どうも引っ掛かった。どういうことだ?
「おれが、聖女だからってことか?」
「そうなるかな」
 ジルは一つため息をついて、天井を見上げた。まるで神に助けを請う者のように。
 聖女という称号がまた自分の前に立ちはだかり、おれは苛々して舌打ちした。
「ジル。聖女としてのおれに対して言うんじゃなく、相棒のおれに言うのも無理か?」
 ジルは困ったように、優しい微笑を浮かべる。
「リャンヌは、僕を許してくれるかな」
「へ?」
 どういう切り返しなのか、皆目わからない。
「リャンヌも傷付くことになるよ。僕はずっと、言ってなかったから…」
「おれが傷付くわけねえだろ? 何言ってんだ、お前」
 おれはジルの胸倉を掴み、顔を近付けた。
「おれなら、神経図太いから大丈夫だ。言えよ」
 ジルは覚悟を決めたように頷き、そっとおれの手を放させて立ち上がった。
「じゃあ、教えてあげるよ」
 いきなり上着に手を掛け始めたので、おれは驚いて口をぽかんと開けた。
「な、何で脱ぐんだ?」
 おれは慌てたが、ジルは答えず背を向けて衣擦れの音を響かせ続ける。そして、とうとう振り返った。
「見てごらん、リャンヌ」
 シャツをはだけて見せられたジルの左胸には、妙な模様が刻まれていた。
 ――焼印だ。その焼印は三日月と逆十字のようなものが組み合わさっている形で、奇妙な印象を与えた。
「これは異教の宗主を表す刻印だよ」
 ジルの声は、いやにはっきりと虚空に響いた。
「見覚えは無いだろうね。これは秘められた刻印だよ。この島の宗主が、代々受け継いで来た」
「宗主…?」
「クラルテ伯爵は、クラルテ伯領を統べるだけが役割じゃない。この島の宗教を束ねる、宗主でもある。だから、クラルテ伯爵はグリーム伯爵よりも上とされるんだよ」
 グザヴィエが言っていたことを思い出す。かつて島を統べていたのはクラルテで、今もその認識が強いのだと。
 そういう、ことだったのか…。
「母はクラルテ女伯になるはずだったけれども、嫁入りのためにその地位は捨てた。でも、宗主の印は一代限りにしか受け継がれない。叔父はその刻印を胸に受けることが出来なかった。彼がそのことをどう思ったのかは知らないけどね――。ともあれ、刻印を刻むための焼きごては母がネージュ公領まで持って来ていたんだ」
 ジルの説明に相槌すら打てないまま、おれは乾いた唇を舐める。
「処刑式の前の日、母が僕に焼印を施した」
 衝撃的な事実を頭はすぐに理解できずに、痺れた感覚だけが残る。
「さあ、リャンヌ。これでも受け入れられるの?」
 ジルはおれに歩み寄り、おれの肩に触れた。思わずびくりと震えたおれの怯えをジルは見逃さず、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「ほら、無理だろう? 僕らは、本当なら殺し合う立場なんだよ」
 返事が出来ないおれに、ジルは更に追い討ちを掛ける。
「このことを今まで黙ってた僕を、リャンヌは許せる?」
 恐ろしいほど長い間、その場は沈黙に満たされた。
 ジルが、異教の宗主――?
「どうして、言わなかったんだ…?」
 おれがようやく放った問いに、ジルは目を伏せた。
「言えると思う?」
 ジルは力なくベッドに腰を下ろし、反対に聞いて来た。おれは横に大きく首を振り、それに答える。
「リャンヌが僕にクラルテ伯爵になれって言った時、すごく動揺した。どこからか、リャンヌの耳に入ったんじゃないかって邪推して…」
 ああ、そうか。そうしておれが追放するかと思ったんだな――。
 運命に翻弄され、信じることが難しくなったジルの心が哀しくて。おれはジルの隣に座り、その顔を覗き込んだ。涙はなかったけれど、あの悪夢を見た夜のように酷く青ざめていた。
「気付いてやれなくて、ごめんな」
「気付かれないようにしてたんだよ」
 ジルはおれの肩に頭を載せ、ため息と共に弱々しい言葉を紡ぐ。
「でもお前は、辛かったんだろ?」
 異教の宗主である印を無理矢理胸に刻み込まれ、そうして聖女の従者となった。周りの誰にも言えないまま、ジルはずっと苦しんでいた。信仰に引き裂かれていた。
 どちらかを信じたくても、どちらかが邪魔をしたんだ。
「僕は君達から見れば、確かに悪魔なんだ。異教の印を持っているんだから」
「違う! 違う…お前は悪魔なんかじゃない」
「そうだと良いな…」
 ジルはそう呟き、いきなり寝息を立て始めた。そこでおれは、ジルが全く仮眠を取っていなかったんだと気付く。
「馬鹿野郎…」
 そんな涙交じりの声を、ジルは夢の中で聞いていたのかもしれない。少しだけ、睫毛が震えた気がしたから。

 ジルをちゃんと寝かせて布団を掛けてやってから、おれは部屋を出て一階の居間に下りて行った。
 アントワーヌが暖炉の前の椅子に座っていた。何も言わずに微笑まれ、おれはアントワーヌに近付いた。
「お前は知ってたのか」
 おれは聞きながら、自分の左胸を指差した。アントワーヌの水色の目と、視線がぶつかる。
「ジル様の刻印のことですか」
 アントワーヌは驚いた様子も見せなかった。
「一体どういうことなんだ? ヴァランティーヌが無理矢理刻み込んだって、本当なのか」
「はい。真実です」
 おれはアントワーヌの横にあった椅子に座り、アントワーヌの方へ体を向けた。話を詳しく聞きたがっているのを察してくれたのか、アントワーヌはうつむいたまま語り始めた。
「私が駆け付けた時には、遅かったのです――」

 微かに聞こえたジル様の悲鳴を聞き、私は廊下を走りました。音がした部屋…ヴァランティーヌ様が時折祈りを行っていた地下室に辿り着き、私は扉を開けて信じられない光景を目にしました。
 石の台に横たえられたジル様はローブを着込んだ者達にそれぞれ四肢を押さえ付けられ、ヴァランティーヌ様は焼きごてを構えていました。
 私は立ちすくみました。目の前の光景があまりにも、現実とは思えなかったためです。
「アントワーヌ、動いたら承知しませんよ」
 ヴァランティーヌ様の指示で、自分が背後から男に羽交い絞めにされていることに気付きました。
「奥様、何をなさっているのですか…!」
「私が私の子に何をしようと、お前には関係ないでしょう」
 アイスブルーの目が私を射た、と思う間もなくヴァランティーヌ様は焼きごてを高々と振り上げました。
「嫌だ…嫌だ…(Non...Non...)」
 何度も何度も呟き訴えるジル様に構わず、ヴァランティーヌ様は叫びながら焼きごてをジル様の胸に振り下ろしました。
「私達はお前の中で生きるだろう!」
 ジル様が痛みに叫ぶと共に肉の焦げる臭いがして、ヴァランティーヌ様は私を振り返りました。
「早く出て行きなさい」
「奥様、ジル様に一体何をしたのですか…!」
 憤る私を、ヴァランティーヌ様は冷たく見やりました。
「私は明日死にます。その前に、宗主の刻印を伝えておいたのです。行きますよ、お前達」
 彼女は一団を促し、去りました。
 ようやく手が放され、私はすぐさまジル様に駆け寄りました。残されたジル様は怯えた目で私を見上げ、震えていました。
「かわいそうに――。すぐに手当てをしましょう」
 私はジル様を静かに抱き上げ、優しい声であやしながら部屋を出ました。
 あんなに優しかったヴァランティーヌ様。たとえぎこちない親子関係だったとしても、彼女がジル様を傷付けることなど考えられなかった。彼女をあんな行動に走らせたのは、何だったのでしょうか。狂信か、それとも明日への恐怖か。
 私の首に手を回して泣きじゃくるジル様の目から、涙が止まることはなかった。しかし、それが私が見たジル様の最後の泣き顔でした。
 急いで冷やしてもどんな薬草を塗っても、その刻印が消えることはなかった。知らぬ者から見ればただの、妙な模様。しかしそれこそが、クラルテを束ねる宗主の刻印だったのです――。

 話を聞き終えたおれの目にもまた、涙が滲んでいた。
「何で、ヴァランティーヌはそんなことしたんだ…」
 ジルの意志も聞かずに宗主の刻印を無理矢理刻むなんて、母親のすることか?
「ジルの親父は…ミシェルはそのことを知ってたのか?」
「ミシェル様は既に教会の役人の監視下にあり、会えなかったんです。そのすぐ後にヴァランティーヌ様は、役人に処刑を申し出て自分も監視下に入りました」
 まさか、ジルに刻印を施したことに罪悪感を覚えたのだろうか。
「このことは、ジル様は誰にも口にしたことはありません。特に、あなたにはどれだけ言い辛かったことか」
 アントワーヌは目を伏せ、苦しげに呟いた。
「ここに来てから、あなたに打ち明けたかどうか聞いたのですが」
 いつのことだろう、と思いながらおれは眉をひそめる。
「"言えるわけない"と言ってましたよ」
 ――ジルがおれが自分のことに触れるのを拒絶したのは、拒絶されて傷付きたくなかったからかもしれない。そして、おれがショックを受けるのも避けたかったんだろう。
「考えすぎなんだよ」
 拗ねたように口を尖らせるおれの頭に、アントワーヌは手を置いた。
「ジル様は強い方だと思いますが――同時に酷く脆いのですよ」
 アントワーヌの言う通りジルは、時折とても脆い。だからこそ、かつて破滅に向かってしまったのだろうか…。

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