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13.ヴァランティーヌ(幻影)



 夜が更けても窓辺でぼんやりするおれに、アントワーヌが食事と本を持って来てくれた。
「リャンヌ様の大好きなホメオとジュリエッタですよ」
「ああ、それもう読んじまったんだ」
「そうですか。ラストはどうなったのです?」
 テーブルに食事を並べながら、アントワーヌは尋ねる。
「ジュリエッタはペンギンの統領になることに決めて、南海の海賊になってしまったホメオとは涙ながらに別れるんだ」
「その本は、本当に恋愛小説なのですか?」
 違うと思う。
「生き別れ、ってことだな。なーんか、おれとジルとかぶるような。ま、おれとジルは恋人じゃねえけどな」
 呟きながらテーブルに座るおれを見て、アントワーヌは苦笑した。
「そういえば、考えたのですが…」
 アントワーヌはおれが食べ始める前に、スープをすくって飲んだ。実はアントワーヌの提案で、おれが食べる前にアントワーヌが毒見する習慣を付けている。おれは良いって言ったんだが、アントワーヌがどうしてもと言い張ったんだ。
 次いでパンを千切りながら、アントワーヌはおれをじっと見る。
「リャンヌ様、今まで何回狙われました?」
「へ? そうだな、ざっと三回くらい」
 おいおい、さらっと言うなよ自分。
「でも一回はキャロラインで、二回目は狂信者の仕業で、もう一回は伯爵に誘拐されたからな」
「しかし裏切り者が絡んでますから、それらが全部伯爵の仕業ということですよね」
「――それもそうだな」
 一度目はイザベルがキャロラインをそそのかし、二度目はウスタッシュに連れ去られた。三度目はイザベルが直接狂信者の仲間となっておれを殺そうとした。
「でも、変だよなあ。おれを人質に取ろうとしたり、殺そうとしたり。一貫してねえように思うんだけど」
「私もそう思っていたのです。しかし…考えてみたら、あることに共通点があったのです」
「共通点だと?」
 おれは思わずアントワーヌの話に聞き入った。
「ジル様の対応ですよ。もしあなたを人質に取ってジル様を脅せば、ジル様は叛乱への協力を止めるでしょう。そして、あなたがキャロライン様や狂信者の手によって殺されれば、怒り狂って島を出るでしょう。叛乱に協力するはずがない」
「そうか…。キャロラインはもちろん、狂信者もクラルテ伯爵とは敵対関係」
「そう。こちら側になってしまうのです」
 だからこそ正体を伏せ、キャロラインや狂信者をそそのかした。
 ジルが戦線から離脱することになれば、伯爵は叛乱鎮圧がやりやすいことだろう。人々は希望を失くし、叛乱の戦士はリーダーを失う。
「ともかく、イザベルが捕まって良かったってことだな」
「ええ――」
 その時、アントワーヌの顔が蒼白になった。
「アントワーヌ、どうした…」
 問いが終わらない内に、アントワーヌが血を吐いた。愕然として、おれは立ち上がる。
「アントワーヌ!」
 傍に駆け寄って揺さぶるも、アントワーヌは苦しそうに咳をするのみ。
 毒だ。きっと、スープに毒が仕込まれていたに違いない。でも、もう終わったんだろ? イザベルが捕まったんだから…!
「待ってろアントワーヌ! 医者呼んで来る! その間、出来れば吐け!」
 おれはアントワーヌの返事も待たず、立て掛けてあった剣を持って部屋から飛び出した。

 どこだ、医者は?
 がらんとした城内を、おれは疾走した。
 そうだ、キャロラインなら知ってる。キャロラインは外だったっけ。
 その時、ある部屋から叫び声がした。――かなり掠れた声だ。
 突如そこがイザベルが監禁されている部屋だと思い出し、おれは足を止めた。
「誰か! 誰か話を聞いて下さい!」
「イザベル! てめえ、よくも毒を仕込みやがったな! 解毒剤持ってるなら、出しやがれ!」
 おれは扉を蹴破り、剣を構えた。
「…リャンヌ様。お願いです、話を聞いて下さい! 私は裏切り者ではありません!」
 後ろ手に縛られたイザベルはこちらを見て、涙ながらに訴えた。
「嘘つけ!」
「本当です! このままだと大変なことになります。本当の裏切り者は、マノンです!」
 さっと、おれは青ざめた。マノンは、ジルや父親に付いて戦場に行ったはず――。
「私はマノンに喉を焼く薬を飲まされました! ようやく声が出るようになったのは先ほどでした…」
 苦しそうに息を吐くイザベルの声は、前と違って掠れて同一人物の声だとは思えなかった。
「何だと…? じゃあ、狂信者の証言は」
「嘘です。マノンがそう言わせたのでしょう」
「キャロラインをそそのかしたのは?」
「マノンです。私からの伝言として、キャロライン様に伝えたそうです」
 ……おれは、どっちを信じるべきなんだ? マノンか? それともイザベルか?
「…イザベル、話は後だ。おれはアントワーヌのために医者呼びに行く。また来るから待ってろ」
 おれは一方的にイザベルに言い残し、その場を後にした。走りながらも、おれは頭を目まぐるしく回転させた。
 おそらく、イザベルが正しいんだろう。アントワーヌに毒が盛られたということは、まだ城内に裏切り者が居るということなんだから。
 信じられないぜ、マノン。姉の喉を焼き、罪を着せるなんて。
 走るおれは、前方からキャロラインがやって来ることに気付いた。
「ちょうど良かったキャロライン――」
 ほっとして息をついたおれは、キャロラインの背後に立つマノンに気付く。よく見れば、短剣がキャロラインの喉に当てられていた。
「リャンヌ、久しぶりだね。やっと会えた」
「マノン。何やってんだ」
「何って? ああ、これね! 人質だよ。一緒に来てくれる?」
 マノンは無邪気な笑顔を浮かべ、おれは背筋が凍るのを覚えた。"これ"、だって?
「来てくれないと、殺すけど?」
 マノンが短剣を握る手に力をこめ、キャロラインは痛みに眉をひそめる。
「止めなさい、リャンヌ。逃げなさい」
 静かだけど厳かに、キャロラインは告げた。
「無理だよ。リャンヌは、他人を見捨てられないんだよね? ずっと観察してたから知ってるよ?」
 マノンは相変わらず邪気のない笑顔を向ける。
「大人しくギイ様のところに行こうよ」
「――おれが行ったら、キャロラインもアントワーヌも助けてくれるのか」
「ああ、じいさん毒飲んでくれた? じいさんが、父様にリャンヌが食べる前に毒見してるって言ってたの聞いてたんだよね。それで、やっぱりリャンヌは出て来てくれたし。作戦大成功!」
 マノンは悪戯が成功した時の子供のように、喜びを露わにした。
「うん。来てくれたら、解毒剤あげるよ」
 マノンの一言に、キャロラインは顔を赤く染めた。
「リャンヌ、信じちゃだめよ! この子が、約束守るわけないじゃない…。ずっと私達を騙してたのよ…」
「うるさいなあ」
 とうとう、キャロラインの喉元から血が垂れ始める。
「いっつもいっつも偉そうに。お前がこの島を半分でも総べれるなんて思うな。島を総べれるのは、ギイ様だけなんだよ?」
 心酔し切った表情で、マノンは歌うように呟く。
 一歩踏み出したおれを止めたのは、キャロラインの鋭い声だった。
「逃げなさい! あんたが捕まったら、ジル様は動けないのよ! ――私なら、気にしないで。自業自得だわ。私の部屋に薬草が置いてあるから――うっ」
 マノンはキャロラインの手をひねり上げた。
「うるさいって言ってるんだけど。べらべら喋るな!」
 ごきっと不快な音がして、キャロラインが悲鳴を上げる。関節を外されたんだ。
「止めろ! わかった、おれが行けば良いんだろ。だけど約束は守れよ! キャロラインを解放して、解毒剤を持ってアントワーヌのところに行かせてやってくれ」
 おれの申し出に、マノンは一瞬考え込んでから笑う。
「悪くないね。じゃあ入れ替わってくれる?」
 マノンが指を鳴らせると、屈強な男が出て来ておれを手招きした。仕方なく近付くと、容赦なく顔を殴られておれは倒れそうになった。
 ふらつくおれを素早く縛り上げ、男はマノンに頷き掛けた。
「じゃあ、聖女様の部屋までご案内〜」
 マノンが呑気な呼び掛けを発したと同時に背中に剣の刃先を当てられ、おれは歩き始めた。マノンもキャロラインの喉に短剣を付けたまま、歩き出す。
 随分長い道のりだと思ったけれど、ようやく部屋に着いた。ドアを開くと、ぐったりしたアントワーヌが倒れていた。
 泣きそうになったが、おれは歯を食いしばってマノンを睨み付ける。
 マノンは微笑み、キャロラインに小袋を握らせた。そうしてキャロラインから短剣を放し、キャロラインの背中を蹴り飛ばして部屋に入れる。
「これで満足? リャンヌ」
 マノンの問いには答えず、おれは振り返ったキャロラインを見据える。
「キャロライン、頼むぜ」
 キャロラインは泣きながら頷いた。

 馬車に乗せられ、ご丁寧に座席と手のロープをつながれてしまった。マノンの他にも二人の屈強な男が馬車に乗り込む。
「どうしてお前は裏切った」
 馬車に揺られている間、おれは尋ねた。少しでも話をして、隙を見付けなくてはならない。
 おれは縛られた手足を恨めしく思いながら、必死で頭を働かせていた。
 正面に座るマノンは、朗らかに笑った。
「どうして? 簡単だよ。ギイ様以外の者がこの島を総べるなんて許せないから」
「ギイは、お前の母親を殺したんだぞ!」
「――それがどうしたの?」
 マノンの目は正気に見えるけど、おれは思った。こいつは狂ってる、と。
「父様は馬鹿だ。あんなに素晴らしい人に逆らった。母様が死んだのは父様のせいであって、ギイ様のせいじゃないんだよ。城を出る時、私はとても哀しかった――」
 マノンは目を潤ませ、首を振った。
「でもね、ギイ様は言ってくれたの。私を愛してるって。将来一緒になるため、スパイとして活動してくれってね」
「お前、騙されてんだよ! あいつは子供を殺した上に、発狂した妻を殺そうとしたんだぞ! んな奴の言葉を信じられるのか!」
 おれは必死に言い募ったが、マノンに通じるはずもなかった。
「うるさい。ギイ様を悪く言うな」
「グリーム伯を殺したのもお前か!」
「そうだよ。それが何か?」
 悪びれる様子もない。父親を殺されたキャロラインのことなんか、ちっとも考えていない。
「何でだよ…。お前、ウスタッシュのことも嫌ってたじゃねえか。演技だったのか?」
「ウスタッシュは嫌いだよ。ギイ様の傍に居るから」
 だめだ。何言っても無駄だ。
 おれは諦め、手をごそごそし始めた。外れないだろうか。せめて、馬車から飛び下りることが出来れば…。
 怪我したって構わない。伯爵のところに連れて行かれることだけは、避けたかった。
「何をごそごそしてるの? 気絶させて」
 マノンの命令に男は素早く対応し、おれの鳩尾に拳を埋めた。おれはぐらぐらする頭を意識する間もなく、気絶した。

 …ここは…。
 誰かに引っぱたかれて覚醒したおれは、自分が馬上にいると状況を把握した。しかも、誰かがおれの体に腕を回して支えている。
 雲の隙間から覗く月光は弱々しくて辺りは暗かった。松明の火が近付けられ、おれは眉をひそめる。
「起きたようですね」
 ――ウスタッシュ。
「ああ。リャンヌ、また会えて嬉しいよ」
 おれは愕然として後ろを振り返る。何とも最悪なことに、ギイ・ド・クラルテがおれを抱えていたんだ。
 激しい剣戟の音や怒号が周りから聞こえるのに、伯爵は動じた様子もなく、のんびりと馬を進めた。
 そして正面に居たのは――
「――リャンヌ」
 ジルだった。ジルは呆然としてこちらを見ている。周りの剣士達も動きを止め、視線をこちらに集めた。
「ジル、剣を捨てろ。さもなくば、この女の首を掻っ切るぞ」
 ギイは愉快そうに言って、おれの首元に短剣を当てた。
「放せ糞野郎!」
 おれは暴れたが、ウスタッシュに松明の火を顔に近付けられ、動きを止めた。熱さで気が狂いそうになる。
「剣を捨てろと言っている。そうしたら、この女だけは助けてやる」
 ギイは更に続けた。
「ジル! 言うこと聞くんじゃねえっ! おれなら何とかなるから、剣は捨てるな! こいつはお前を殺す気だ!」
 おれは松明を押しやり、叫んだ。
 キャロラインが覚悟を見せたように、おれだって覚悟を見せてやる。
「お前の肩には、クラルテの命運が掛かってるんだ! おれは絶対お前のこと恨まねえから、剣は捨てるな!」
 叫んでも叫んでも、ジルは呆然としたままだった。
「よく喚く奴だ」
 後ろで、くつくつ伯爵が笑う。
「――剣を捨てれば、リャンヌを放すのか」
 ようやくジルが、口を開いた。
「ああ、そうだ」
 伯爵は肯定したが、絶対嘘だ。こいつがそんなに甘いわけがない。おれ達二人共殺す気だ。
「ジル! 止めろってば! クラルテ島を見捨てる気か!」
 死ぬのが嫌じゃないのかって? 嫌に決まってる。だけど、こんな形で助かっても嬉しくない。それに、これで助かるとはどうしても思えない。
 エゴかもしれないけれど、おれのせいでクラルテ島が救われないのは嫌だった。…ジルが死ぬのは嫌だった…。
「兵にも手を出さないでやろう。お前の首だけで勘弁してやる」
 ギイは余裕たっぷり微笑んだ。
「無駄な抵抗をしないように聖女は連れて行くが、後で解放してやろう。さあ、剣を捨てろ」
 恐ろしいほど長い間、沈黙が流れた。
 だめだだめだ。捨てないでくれ。
 しかし、おれの願いとは反してジルは剣を放り投げた。放物線を描いた後、大地に抜き身の剣が突き刺さる。
「僕の首をくれてやる」
 伯爵側の者達は笑顔を浮かべ、叛乱側は絶望に包まれた。
「何でだよぉ…っ!」
 思わず泣いたおれは後頭部を殴られ、またも意識を失った。

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