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14.クラルテ伯爵



 おれは助け出された後、グザヴィエにおぶさりながら眠り込んでしまった。

 思い切り眠りを貪った後に、ふかふかのベッドで目を覚ます。穏やかで優しい笑顔がおれを見下ろしているのを見て、眠気は吹き飛んだ。
「…アントワーヌ!」
 すかさず起き上がり、抱きつく。
「リャンヌ様、よくぞご無事で」
「お前こそ無事だったか!」
「おかげさまで、解毒剤が利きました。飲んだ量が少なかったのが幸いでしたね」
 アントワーヌは笑って、おれの背を叩く。
「あ、そうだ。ジルは?」
 おれは体を離してから、首を傾げた。
「あちらのベッドに」
 アントワーヌの示した先にはもう一つベッドがあり、ジルはその上で眠っていた。
「ジルは大丈夫なのか?」
「ええ。怪我も心配ありません。先ほどまで起きられていたのですよ」
「そっか。良かった」
 おれは心の底から、安堵を覚えた。
「クラルテ伯はどうなった?」
「捕らえました。城が崩れたのは、謁見の間とリャンヌ様達が逃れた東棟の一部だったので、崩壊による怪我人はそれほど多くありませんでした」
 アントワーヌは的確に状況を説明してくれた。
「謁見の間と東棟の一部? そんだけ?」
「ええ。よくわかりませんが、城を壊すからくりが古かったのでしょう。上手く作動しなかったようですよ」
「からくりねえ。そうだ、マノンも捕えたのか?」
 名前を口に出すと憂鬱になったが、おれは敢えて聞いた。
「いいえ。マノン嬢は亡くなりました」
「――え?」
「捕まる前に己で胸を突き、死んだようです。…悲劇ですね」
「ああ…」
 グザヴィエのことを思うと、哀しくなった。マノンだって被害者かもしれない。ギイにたぶらかされたんだ。
「哀しいな」
「ええ…」
 しばし、沈黙が落ちる。
「そういや、ヴァランティーヌのこと聞いたか?」
「…自ら処刑された理由のことですね。先ほどジル様から聞きました」
「ああ。お前もヴァランティーヌが妊娠してたって知らなかったのか?」
 おれの問いに、アントワーヌは静かに首を振る。
「初耳でした。時期が時期だっただけに、誰にも言えなかったのでしょう。よりによって打ち明けた相手が、ギイ・ド・クラルテだったことが――悲劇でしたね」
 本当にそうだ。ヴァランティーヌは弟を信用しただけなのに、あんな形で裏切られるなんて思いもしなかっただろう。
 考え込むおれに向かって、アントワーヌは少し哀しそうな表情を浮かべた。
「そういえば、処刑の前ヴァランティーヌ様が歌っていたのを思い出しまして」
「歌? あの歌か?」
「いえ、歌とも言えぬものでした。節を付けて、囁くように"私と一緒に行っておくれ。後は兄様に託しましょう"と歌っていたのです。ヴァランティーヌ様にもミシェル様にも兄は居なかったので、ただ歌を口ずさんだだけだと思っていたのですが…あの話を聞いて謎が解けました。ジル様のことを、お腹の子に言っていたのですね」
「なるほど、それで兄様…か」
 生まれるはずだった子供。きっとジルは弟でも妹でも、無茶苦茶かわいがったんだろうなあ…。
 そう思うと切なくて何も言えなってしまい、おれは黙り込んでしまった。しばらくして、アントワーヌが敢えて明るい口調で尋ねて来た。
「リャンヌ様、何か欲しいものはありますか? 持って来ますよ」
「んー、別に。お前も無理すんなよ。毒から立ち直ったばっかりだろ」
「私のことはご心配なく。マドレーヌでもいかがですか?」
 普段なら飛び付くところだが、さすがに起きたばっかりでマドレーヌは食えそうにない。
「冗談です。何か果物でも持って来ますね」
 冗談かよ。このお茶目じいさんめ。
「おう、頼むぜ」
 アントワーヌは快く頷き、一旦部屋を後にした。
 おれは改めて部屋を見渡す。多分、ここはグリーム城だろう。
 横を見やると、穏やかに眠るジルが見えた。
 終わったんだ、なあ…。
 すぐには信じられなかったけれど、確かに叛乱は成功という形で終わったんだ。
 おれはふと思い付き、ベッドから降りて扉に向かった。キャロラインやイザベルがどうなったか、聞くの忘れてた。あいつらも、ここに居るかな。
 廊下をしばらく歩いていると、正面からリュシアンがやって来た。
「おう、リュシアン!」
「ああ。目が覚めたか」
 リュシアンは笑って腕を組み、おれを見下ろした。
「おうよ。お前は怪我なかったのか?」
「私は特には。それより、無茶させて悪かったな。あそこに至るまで、隙を見出せなかったんだ」
「気にすんなって。お前のおかげで、おれ達助かった。ありがとな」
 本当に、リュシアンが居なかったらおれ達は負けていただろう。
 おれが礼を言うと、リュシアンは微笑んで頷いた。
「あ、そういや…おれ、しばらく部屋から出られなくて、結局サンドリーヌを見舞えなかったんだ。約束したのに悪かった」
「ああ、そのことか。大丈夫だ。さっき行ったが、お元気だった。しばらくしてからジル様にサンドリーヌ様のことを言おうと思う」
「それが良いぜ」
 ジルなら、悪いようにはしないだろう。
「キャロラインとイザベルは無事なのか? 心配でさ」
 そこでおれは何しに出て来たか思い出して、問いを放った。
「ああ、二人共無事だ。怪我もきちんと手当てされた。お前も怪我人なんだから、部屋に戻っていろ。後で私から二人に、お前に会いに行くよう伝えておこう」
 まあ、一応おれって怪我人だしな。お言葉に甘えることにすっか。アントワーヌも戻ってるかもしれないし。
 おれは色々考えてから、リュシアンに別れを告げた。
 部屋に帰るとまだアントワーヌは戻ってなくて、ジルが起きていた。
「怪我人なんだからじっとしてたら?」
 早速嫌味を言われてしまった。
「るせえなあ。お前の怪我よりはましだぜ」
 おれは笑いながら、自分のではなくジルのベッドに腰掛けた。
「調子どうよ?」
 まるで酒場で馴染み客に問い掛けるマスターのように、おれは気楽に尋ねた。
「…まあまあ」
 言い方がおかしかったのか、ジルはくすくす笑った。何も抱えていない笑顔だった。きっと、ジルの氷はあの時涙と一緒に溶けてくれたんだろう。
 それが、たまらなく嬉しかった。
「決めたのか」
 短い問いだったけれど、ジルは迷うことなく首を縦に振った。
「ああ。なれるなら、伯爵を継ぐよ」
 やっぱり、とおれは心の中で呟いた。ヴァランティーヌの最期の真実が、決断を促したに違いない。
「こう決めたのに、色々と理由はある。それに――もう十分、甘えたしね」
「甘えた? 誰にだ?」
「リャンヌにだよ。僕はずっとリャンヌに甘えていたと思う」
 それは意外な言葉だった。おれこそが、ジルに甘えていたと思っていたからだ。
「それにもし聖女堂に戻ったら、僕は後悔すると思う。君も複雑だと思う」
「まあ、そう…かな」
 だって、クラルテにはジルの他に跡継ぎは居ないんだし…。
「なら、これが一番じゃないかと思うんだよ。これで君がこの島に来てくれたら、一番良いのにね?」
「馬鹿。んなこと出来るか」
「わかってるよ。君は、聖女様だからね」
 ジルはからかうように言ったけれど、どこか真剣な口調だった。

 それからは皆ゆっくり療養する間もなく、色々と動かなければならなかった。
 まず、ギイ・ド・クラルテの罪状を部下や被害者の証言の元したため、ギイを王立裁判所に護送させた。そしてギイの元で残虐な振る舞いを行った者達は全て捕え、城の牢に幽閉。ジルが伯爵になった暁に、領主裁判が行われる。
 おれは王と教会に約束通りジルが貴族に戻ることを許可してくれるように手紙を書き、送った。
 キャロラインも、父の跡を継いで伯爵になることを隣国の女王(お嬢のこと)に手紙で正式に知らせた。
 クラルテ城は崩れた部分の大掛かりな修繕が行われた。民衆が進んで協力してくれているので、作業は早く進んでいるようだった。
 戦争で出た死者は、ギイに着いた側も叛乱側も分け隔てなく美しい墓地に埋められた。
 晴れた日の昼下がり、おれとグザヴィエ、そしてイザベルはとある墓の前で佇んでいた。
 墓の主の名は、マノン・ド・トレフル。享年は15歳――あまりにも早すぎる死だった。
「マノンは、最後に謝りました…」
 グザヴィエはおれ達に背を向けたまま呟く。
「血を流しながら、"ごめんなさい"と――」
 グザヴィエの肩が震え、隣のイザベルも堪え切れないように泣き出した。
「私は父親でありながら、ギイへの復讐ばかり考えて家族を疎かにしていました。マノンのことに、何一つ気付いてやれなかった…」
「…私もです。誰より近くに居たのに、何も…わかっていなかった…」
 二人は涙を押し留めながら、おれに頭を下げた。
「マノンを許せとは言いません。ですが、代わりに謝らせて下さい」
 グザヴィエの弱々しい声が哀しくて、おれは小さく頷いた。
「もう良いぜ。おれは恨んでない」
 おれはわざと、朗らかに笑った。
 死んだ者を恨み続けたって、何も生まれはしないだろう。もうたくさんだ。だからおれは忘れよう。

 それから数日経ち、外でぼんやり座っていたおれは見慣れた奴が馬に乗って駆けて来るのを目に留め、立ち上がった。
「ベルトラン! お前、こんなところで何やってんだ」
「ふん。こっちの台詞だ」
 ベルトランは馬を止め、降りた。
「王の書状を持って来たぞ。国王代理として式典に出席する」
「お前が?」
 一介の近衛兵にしちゃ、大役だ。
「親友のために行ってやれと、王と王太子に言われた。誰と誰が親友だって言うんだ」
「こっちだって願い下げだぜ。ま、良いや。元気そうで何よりだベルトラン!」
 おれは思い切りベルトランの背を叩き、共に歩き出した。
「一人で来たのか?」
「付き添いは居たが、港で別れた。ここは異教の島だろう? 王国側の観衆は少ない方が良い」
「へえ、知ってたんだな」
 さすが、昔は外交やってただけのことあるじゃん。
「ルネは元気か?」
「行く前に喧嘩した」
 答えになってねえぞ。ったく、相変わらずな奴だぜ。
 おれ達は色々と互いの近況を話しながら、グリーム城へと足を向けたのだった。

 王の書状には、教会からも許可する旨が記した書状も添えられていた。
 ――とうとう、ジルが伯爵になるんだ。
 修繕が半端なままとはいえ無傷な所も多いので、おれ達はクラルテ城に移動。式典の準備に取り掛かることになった。
 グリーム伯爵の式典も兼ねていたため
「呼ばれましたわーっ!」
 お嬢ももちろん来てしまった。後ろの暑苦しい三つ子も同様だ。到着が式典前日の夜だったので、ジルの代わりにおれが迎えることとなった。
「はっはっは、リャンヌ様」
「元気にしてましたかな?」
「おやおや、額と腕に包帯が。大丈夫ですか?」
 アン・ドゥ・トロワは相変わらず、無駄に元気だ。何だかこいつらと話していると疲れて来るぜ。
「問題ないぜ」
 おれは苦笑して肩をすくめた。
「ジル様はどこですの?」
「ジルは後で挨拶に来るぜ。ところで、リャンは今回来てないのか?」
「んもうリャンヌ様ってば。私達に対しては薄情ですのね」
 お嬢は大笑いして、後ろを向いて大声を上げた。
「リャン様! どうぞ!」
 すると、リャンがひょっこり姿を現した。
「リャン!」
「姉さん!」
 ひしと抱き合い、毎度お馴染み姉弟感動の再会をしているところへ、アンだかドゥだかトロワだかが説明してくれる。
「勿体ぶって、感動を倍増させようかと思いましてな!」
 余計なことをするなと言いたい。
「姉さん、怪我だらけです…。大丈夫ですか?」
「平気平気。怪我は歴戦の証だぜ」
 そう言い切ると、後ろからため息が聞こえた。
「まーた馬鹿なこと言って」
「ジル様!」
「ジル様!!!」
 お嬢とアン・ドゥ・トロワが一斉に叫ぶ。お前ら、おれに会った時より嬉しそうだなこの野郎。
「お久しぶりですわ! この度はおめでとうございます!」
「ありがとうレイチェル」
 ジルはにっこり笑って首を傾げた。
「色々ばたばたしてて悪いけど、ゆっくりして行って」
「もちろんですわ!」
 言われなくても、こいつらは図々しくもゆっくり楽しんで行くだろう。

 翌日、厳粛な空気の中で式典が行われた。
 庭に設えられた演壇に、ジルとベルトランが立つ。
「国王と教会の名の元に、ジル・ミシェル・ド・ネージュがクラルテ伯爵となることをここに認める。良き領主となり、謙虚な姿勢で王国に仕えよ」
 ベルトランが書状を読み上げジルが一礼した途端、一斉に観衆が拍手して声を上げる。
「クラルテ伯爵ばんざーいっ!」
「ジル様万歳!」
 大人も子供も、農民も貴族も、明るい顔をして喜びの声を上げた。アン・ドゥ・トロワが前方で揃って飛び跳ねているが、気にしないことにしよう。
「いよっ! クラルテ伯!」
 観衆に混じってオッサンくさい掛け声を浴びせながら、おれも拍手を続ける。実はおれも是非壇上にとか言われたんだけど、逃げて観衆に紛れ込んじまった。おれは外野として野次を浴びせる方が好きなんだ。
 笑顔で手を振るジルを見て、穏やかな気持ちで微笑んだ時だった。視界の隅に、長い金髪の男女を捉えたのは。
 え…?
 思わず横を向いたが、横に居たのは知らないオッサンで、金髪でも長髪でもなかった(正直に言うと、髪がなかった)
 一瞬見た気がした二人は、誰かに似ていた。
 おれはもう一度ジルの方を見る。
 見に来たのだろうか。ようやく心から晴れやかに笑えるようになった息子の姿を、平和を取り戻した英雄となった息子の姿を見たいと思ったのだろうか。
 ぼんやりしていると、ようやく観衆が静かになってジルの演説(?)が始まった。本日はお日柄もよく、とか始まると思ったらいきなりとんでもないこと言い出した。
「これからのことを言う前に、一つ大切なことを。――聖女リャンヌ・リーヴルが救ってくれなかったら、僕は今こうして生きていなかったでしょう」
 皆が息を呑み、おれは気恥ずかしくて顔を伏せた。見つかりませんように。
「更に、リャンヌは渋る僕を説得し、島を救うために立ち上がれと言いました。…なのに彼女はクラルテの信者に狙われ、二回も殺され掛けました。裏切り者だと疑われもしました」
 その場は、風の囁きが聞こえそうなくらいしんとなった。ジルの声以外に、響くものはなかった。
「だけど彼女は最後までクラルテの人々を憎まず、許しました。聖女だからと憎んで自分を傷付けた者達を、許したのです。本当ならリャンヌは異教徒を討伐する立場で、異教を許してはならない。そんな立場でありながらも彼女は許し、最後までクラルテに平和が戻ることを祈ってくれました」
 そこらかしこから、すすり泣きが聞こえて来た。ジルの後ろに控えるグザヴィエやアントワーヌも、目頭を押さえている。
 顔を上げると、ジルと目が合った。
「どうか、彼女に謝罪と感謝を。真にこの島を救ったのは、僕の力ではなく彼女の力です」
 そうしてジルは手を伸ばす。おれは周りの人達が道を開いたことに気付いた。壇上へと続く道が開かれ、おれは戸惑ってきょろきょろした後にジルをもう一度見る。ジルは頷き、手招きした。
 しゃあねえな…と思いながら壇上まで走り寄ると、ジルは手を伸ばしておれを抱き上げた。抱き上げられたまま、おれはクラルテの人々を見下ろす。
「ありがとう聖女様!」
「クラルテの者が酷い仕打ちをして、申し訳ありませんでした!」
 次々に、感謝と謝罪の言葉が飛んで来る。しばらくしてジルが片手を上げ、皆の声を制する。
「じゃあ、リャンヌから一言」
 囁かれ、おれは真っ青になった。
 おれってば、啖呵はともかくこういう演説苦手なんだ…。でも何か言わなきゃな。うっし、行くぜおれ。
「――えっとまあ、その…おれは聖女だけど、異教徒は差別しない。それは、親父が言ってたからだ。あ、親父は神学者だったんだけど」
 決して上手には喋れないけれど、伝えたいことがあるから、おれは言葉を紡ぎ続けるんだ。
「おれが異教徒は悪いものだって他の人に聞いた時、親父に聞いたんだ。何で異教徒は悪いんだ? って。そしたら、親父は"異教徒は悪ではない"って言ったんだ」
 蘇る、幼い日の記憶。親父はいつだって、おれの疑問に答えてくれた。
「"人は弱いから、自分の信じている神を絶対と思いたい。そのために、自分の神と違う神を悪だと見なして否定し、安心するんだ"って。でも本当はそれをしちゃいけないんだ。だって、自分の神が否定されたら誰だって哀しいじゃねえか。――だからだよ」
 だから、おれはそんなことして欲しくないんだ。教会にも、この島の人達にも。受け入れるのは難しくても、他の信仰を認めて欲しいんだ。綺麗事だって笑いたい奴は笑ってくれ。でも、自分の信仰や信念が否定されたらどう思うか、一度考えてくれ。
 盛大な拍手が起こった。おれは満足して、天に向かって拳を掲げて大声でこの島を讃える。
「Vive la Clarté(ヴィヴ・ラ・クラルテ)(クラルテ万歳)!」
 そして皆は嬉しそうに拳を掲げ、"Vive la Clarté!"と大声で叫んだのだった。

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