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段々と空が白み始め、陸地が近付いて来た。 「もう着くようだな」 おれが振り向くと、ジルはローブに付いたフードをかぶっているところだった。 ジルは母似だから、出来るだけ顔を隠しておいた方が良いだろうとグザヴィエが言ってたんだ。 「そうだね」 ジルが頷いた時、船が動きを止めた。 「こんなところで悪いですが、ここが一番安全だと思います」 スチュアートの台詞(おれのために、おれの母国語で喋ってくれてる)を聞きながら、おれは陸地を見やる。ちょうど陸地が低くなっているところなので、船から跳躍したら難無く行けるだろう。 おれは真っ先に船の床を蹴り、島に着地した。他の四人も、おれに続く。 「徒歩ですみません。早足で、そっと付いて来て下さい」 早足でスチュアートの後ろを追いながら、おれは首を巡らせた。 朝の光を浴びた、なだらかな丘陵と広い空。 綺麗な島だ…。 辿り着いたのは、森の中に佇む小奇麗な屋敷だった。 放心して見上げていると、扉から小柄な少女が出て来た。 「お客人だーっ! もしや、ジル様!?」 少女はおれとアントワーヌの顔を覗き込んでから、最終的にジルの前に立った。 「ジル様?」 「――そうだけど」 さすがのジルも戸惑ったように答える。少女は、嬉しそうに飛び跳ねた。 「ジル様! あたし、マノンです!」 「マノン!」 もう一人、女が出て来た。彼女は長身と凛々しい雰囲気が印象的だった。 「いきなり失礼でしょう」 「はーい、姉様」 何と、姉妹らしい。どちらも薄茶色の髪を高く結い上げているが、共通点はそれくらいであんまり似ていない姉妹だ。 「失礼致しました。私はイザベル・ド・トレフル」 「あたしは、マノン・ド・トレフルです」 二人は膝を付き、名乗った。 「グザヴィエ・ド・トレフルの娘にございます」 そういえば、トレフルってどっかで聞いた名字だと思ったんだ。 「グリーム伯令嬢の護衛でもありますっ。今から、令嬢の元に案内致します!」 マノンは元気に敬礼した。 とりあえず中に入ったおれ達は、奥の部屋に通された。 待っていたのは、金茶の髪を持つ少女だった。 おれと同い年くらいだろうが、何だか白い肌と赤い唇が艶めかしい。 オッサンのように見とれている内に、少女が椅子から立ち上がった。 「イザベル、マノン。下がりなさい」 「はっ」 「はーいっ」 イザベルとマノンは命令で部屋から出て行ってしまった。 「お初お目に掛かります。私はキャロライン・グリーム。父亡き今、現グリーム伯…と言ってよろしいでしょうかね」 キャロラインは一見繊細そうだが、目の力は驚くほど強かった。珍しい、ヴァイオレット・アイズだ。 「ジル様ですね?」 「はい。ジル・ド・ネージュです。彼女は聖女のリャンヌ・リーヴル。そして彼は僕の家臣、アントワーヌ・ド・ポルトゥです」 ジルは一気に、おれ達の紹介も済ませてしまった。グザヴィエから、キャロラインだけにはおれが聖女であることを言っておいた方が良いと言われていたので、おれの正体もばらしてしまったというわけだ。 おれとアントワーヌは頭を下げたが、ジルはそのままだった。 「グザヴィエからあなたのことを聞いた時は、正に希望だと思いました」 ジルはキャロラインの感極まったような台詞に曖昧に微笑んでから、話題を変えた。 「ところで、グザヴィエは?」 「まだこちらには着いておりませんが、心配はございません。悪い知らせは聞いておりませんので」 キャロラインは、ジルに嬉しそうに近寄る。 「ヴァランティーヌ様の肖像画を拝見したことがあります。本当に似てらっしゃるわ」 思わず、おれはアントワーヌと顔を見合わせた。 よりによって、ジルが怒るポイントだ。まあ、会ったばかりだし仕方ないんだろうが。 「色々話したいことがありますの」 キャロラインはちらりと、おれに視線を向けた。 邪魔ってことかな。 「じゃ、おれは出とくぜ」 おれは頭を掻いて、扉の方に向かった。 気を遣うなんて、おれって良い奴。 自分で自分を褒めつつ部屋の外に出ると、ホッとした。 何でだろう。キャロラインは、俺を歓迎してない気がした…。聖女って言わない方が良かったんじゃねえかな。 ため息をつくおれは、目の前にマノンが居ることに気付いてぶっ飛びそうになるくらい驚いた。 「何だてめえ、びっくりするだろ!」 「あなたの名前、聞いてなかったなーと思って」 マノンは大きな緑の瞳で、おれをじーっと見つめて来た。顔が近い。顔が近い。 「おれは、ジェルヴェだ」 マノンはグザヴィエの娘でキャロラインの護衛とはいえ、聖女なことは伏せておくことにした。 「ふーん、ジェルヴェ。よろしく!」 笑って目を細めると、グザヴィエによく似て見えた。 「父様、帰って来たみたいだよ」 マノンはそれだけ言って、玄関に走って行ってしまった。どうもマイペースすぎて調子の狂う女だ。 マノンを追って玄関まで行くと、グザヴィエがイザベルに付き添われて入って来たところだった。 「グザヴィエ! その顔、どうしたんだ!」 グザヴィエの額が割れて、血が流れていた。 「騎士団長にやられました。何、見た目ほど大した傷ではないです。イザベル、手当てを頼めるか」 「もちろんです、父上。こちらへ」 グザヴィエとイザベルが小部屋と入って行ったので、おれとマノンも二人に続いた。 「リャン…ジェルヴェ様は、ご無事ですか」 「ああ、この通り。ジルもアントワーヌも、ピンピンしてるぜ。二人は今、キャロラインに会ってる」 「そうですか」 ホッとした様子のグザヴィエの額を、イザベルが手早く手当てした。 「一体、何があったんだ?」 「騎士団長に、何をしに行ってたかと問われましてな。旧友を訪ねていただけだと言い張ると、殴られまして」 グザヴィエは悔しそうに、唇を噛み締めた。 「父様、強いのに! 何でやり返さなかったの?」 マノンが強い口調で、父親に詰め寄る。 「多勢に無勢だ。それに、あそこで反抗してジル様の存在が気取られては元も子もない」 「むー」 マノンは、まだ唇を尖らせている。 「あたし騎士団長、嫌いっ。父様の部下だったくせに!」 「え?」 その発言が気になって眉をひそめると、グザヴィエが苦笑して説明してくれた。 「私は以前、クラルテ伯が抱える騎士団の騎士団長だったのです。しかし伯爵に歯向かったので疎まれ、前グリーム伯の元に身を寄せたというわけです」 「へえ…」 強そうだとは思っていたが、騎士団長を務めたほどの剣士だとは驚きだ。 「さて、私もキャロライン様に報告して参ります」 グザヴィエは包帯を巻いた額を気にしつつも、立ち上がった。 しばらくしてジルとアントワーヌが、部屋に入って来た。 「ジル。話、終わったのか?」 「うん。部屋に案内してくれるらしいから、君も行こう」 ジルの後ろには、メイドが控えていた。 「わかった。じゃな、マノン。イザベル」 一応マノンとイザベルに挨拶してから、おれはジルとアントワーヌと並んで歩き出した。 「グザヴィエの額、見たか?」 「うん。酷いね」 ジルはため息をついた。 「そういう暴力が横行してる状況らしいよ」 こんな悪政を行うなんて、一体クラルテ伯ってどんな奴なんだろう…。ジルの母の弟であり、ジルの叔父であるクラルテ伯は――。 あてがわれた自分の部屋に荷物を投げ入れ、おれはすぐにジルの部屋を訪ねた。 「ジル、ジル」 ノックと呼ぶには大きな音で扉を叩くと、扉はすぐに開いた。 「何?」 「入れてくれ。話がある」 「はいはい」 ジルがドアを開いてくれたので、おれは素早く部屋の中に入って行った。む、おれの部屋より広いじゃねえか。 「話って何?」 ジルは椅子に腰掛けながら、尋ねて来た。 「キャロライン、おれのこと何か言ってたか?」 「キャロライン? いいや、一言も。君のことは僕から、説明しておいたけどね。どうしてそんなこと聞くの?」 不思議そうに、ジルは眉を上げる。 「もしかしたらキャロライン、おれが聖女だから気に食わないのかと思って」 「――まさか、何かされた?」 「いや、何ていうかさあ。視線って言うのかな。それに、ちょっと敵意があった気がして」 おれはキャロラインの目を思い出しながら、ベッドに腰掛けた。 ここは異教の島。おれが聖女であることを、誰にも言わない方が良かったのかもしれない。 「クラルテ人って、聖女のこと恨んでたりするのか?」 「僕もここで育ったわけじゃないから、正確なことは言えないけど」 ジルは椅子から立ち上がり、おれの隣に腰掛ける。 「教会を恨んでいる人は、居ると思う。そもそもクラルテ人は教会に追われたから、大陸を出てこの島に住み着いたらしい」 「異教徒だから、追われたのか…」 教会は異教徒を許さない。おれは教会のその方針が、好きじゃなかった。汝の隣人を愛せ、敵を愛せ、と神は説いているのに。自分が抱く神が決まってるなら、それで良いと思うのに。 「だけど信仰を守るため、異教を崇拝していることはずっと隠している。表向きはクラルテ伯領は旧教、グリーム伯領は隣国の国教を信じていることになってるはずだよ」 「そっか」 そういうことなら、キャロラインが聖女に対して良い顔をしなくても不思議じゃないのかもしれない。聖女が教会の傀儡だと思ってる人は多いから。 おれはそこで、ジルが心配そうな顔をしていることに気付いた。 「勘違いするなよ? 怖気付いたわけじゃねえぞ。ちょっとキャロラインの反応が、気になっただけで…」 「そう。なら、僕からキャロラインに言っておくよ」 ジルは優しく笑って、おれの頬に手を当てる。その時いきなりドアが開く音がして、おれもジルもドアの方を見やった。 キャロラインが立っていた。 「ノックしたのですが…すみません、ジル様。挨拶をしたいという者が。来て下さいますか?」 「ああ、わかった」 ジルが立ち上がると、キャロラインはテーブルに布を被せた皿を置いた。 「聖女様、マドレーヌが好物なんですってね。ちょうど焼き立てがあったので、持って来ましたわ」 「マジ!? ありがとよキャロライン!」 「いいえ。ではジル様、参りましょう」 「リャンヌ、食べすぎちゃだめだよ」 ジルの忠告は聞いてない振りをして、おれは二人を笑顔で見送った。 ジルとキャロラインが行ってしまった後、おれは早速マドレーヌをもぐもぐ食べ始める。 何て良い子なんだキャロライン。きっと最初は、聖女が居ることに戸惑っただけなんだな。 マドレーヌの甘さに感動しながら、おれはつらつらとそんなことを思った。 そのまま眠ってしまったおれは、物音で目を覚ました。 ジルがびっくりした様子で、おれを見る。今、帰って来たところなんだろう。 「ふあー、おれ寝てた?」 「寝てたよ。人のベッドで。しかも大口開けて」 「腹がいっぱいになったら、眠くなっちまってさ」 おれは大欠伸して、空になった皿を見やった。 「僕の分を残してあげようとか思わなかったの?」 ジルは渋い顔をしている。 「あれ、一つ残してやったのに…どこ行ったかな」 捜すと、自分の腕の下でぺっちゃんこになっていた。 「これ…」 「要らないよ、そんなの」 さすがのおれも遠慮がちに差し出したが、案の定ジルに一蹴されてしまった。 「しゃあねえなあ。勿体ねえから、おれが食うか」 ぺっちゃんこのマドレーヌを食べ始めると、ジルは呆れたようなため息をついた。 「リャンヌ、自分の部屋に戻ってくれる?」 「何で?」 「着替えるから」 「何で着替えるんだ?」 おれは首を傾げた。 「貴族の服に着替えてくれって、キャロラインに服を渡されたんだよ」 「ふーん」 やっぱり、その方が反乱の指導者らしく見えるんだろうか。 「出て行かなきゃだめなのか?」 「…僕の着替え、見たいの?」 ジルは肩をすくめる。 「ちげえよ。ただ、まだ話があったから」 「じゃあ、あっち向いて」 「へいへい。ったく、男のくせに恥ずかしがってんじゃねえよ」 「リャンヌはもうちょっと、恥じらい持った方が良いよ」 ジルの嫌味は聞き流すことにして、おれは窓の方を向いた。背後で衣擦れの音が聞こえ始める。 窓から見下ろすと、子供たちが遊んでいる光景が見えた。もう昼頃なのか、太陽の位置は高い。 そんなに長い間、寝てたのか。 その時、歌が聞こえて来た。誰が歌っているのか、綺麗な女の声で――。 哀しそうな旋律と美しい声があいまって、泣きながら歌っているようにも聞こえる。 『 もしあなたをさらっても あなたの心は手に入らない あなたの心は麗しき島のもの だから私はこの歌を置いていく 』 聞こえにくかったので歌詞が上手く聞き取れなかったが、集中してやっと歌詞の一部を聞き取ることが出来た。 「なあ、ジル。この歌何だ?」 「ここの民謡だよ」 後ろから、すぐに答えが返って来た。 「知ってるのか?」 「母がよく歌っていたからね」 おれはジルの答えに驚いた。 「有名な歌なのか?」 「ここの人は、みんな知ってるんじゃない?」 ジルは着替え終えたらしく、おれの隣に腰掛けた。その横顔は郷愁に浸っている様子もなく、静かだった。 「哀しそうな歌だな。何の歌なんだ?」 「――悲恋の歌。かつてここを訪れた吟遊詩人が当時のクラルテ女伯に恋をしたけど、身分違いの恋は叶わないと知っていたから、歌を作り…それを置いて去ったという話だよ。本当の話なのか作り話なのか、わからないけど」 「へえ…」 なるほど、それで『 あなたの心は麗しき島のもの だから私はこの歌を置いていく 』か。 「女々しい歌――僕は嫌いだよ」 ジルは珍しく、まるで吐き捨てるような乱暴な口調で言った。 「そうかあ? なかなか綺麗な歌だと思うけどな」 そう呟いてから、おれは気付く。ジルは母が嫌いだから、この歌も嫌いなんじゃないかって。 「ところでリャンヌ、話って何なの?」 「ええっと…何だっけ。あ、そうそう。キャロラインのことは、おれの考えすぎだと思うから何も言わないでくれ、って言おうと思って」 「わかったよ」 ジルは肩をすくめ、立ち上がった。 「もうそろそろ昼食だよ。行く? それとも、マドレーヌ食べたから満腹?」 「んなわけあるか! もうとっくに消化しちまってるぜ!」 昼食と聞いて、おれは部屋から飛び出した。 |
