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4.マノン



 ジルはすぐ、おれから離れた。
「リャンヌ。僕はまだちょっとキャロラインとグザヴィエと話があるから、行かなくちゃ。――もう大丈夫?」
「おれが大丈夫じゃないわけないだろ」
 大丈夫じゃないのは、お前だろ。
 と言い掛けて、おれは口をつぐむ。
「話があるなら、行って来いよ」
「うん。ねえ、リャンヌ。僕のことは心配しないでくれる?」
 ジルの一言に、おれは眉をひそめながらも顔を上げる。
「迷惑ってことか?」
「…迷惑じゃないよ。そういうリャンヌの気持ちは、嬉しいよ。傷付いてる人を放っておけないんだね。リャンヌは優しいね」
 だけど、とジルは無表情に戻る。
「僕に深入りしないで。きっと君は後悔する」
「意味が、わからない」
「わからなくて良いんだよ」
「何でだよっ!」
 思わず怒鳴ってしまい、おれは口を片手で覆った。
「じゃあ、もう僕は行くよ」
「ずるい!」
 おれは背を向けたジルに叫んだ。
「お前はおれをずるいって言ったけど、お前の方がずるい! 何も、見せてくれねえじゃねえか!」
「リャンヌ。聞き分けてくれないと」
 ジルは一呼吸置いてから告げた。
「一人で聖女堂に帰ってもらうよ」
 静かに閉じられた扉を前に、おれは立ちすくんでいた。部屋の主が去ったせいか、中の空気はよそよそしくて。
 おれは唇を噛んで、やるせない気持ちを持て余すしかなかった。

 しばらくして肖像画の間に戻ったが、アントワーヌはもう居なかった。
 どこ行ったんだろ…。
 おれが考え込んでいると、屋敷の外から喚声が聞こえて来た。
「何だ?」
 思わず、窓に駆け寄って外を見下ろす。
 何と、アントワーヌとグザヴィエが剣を持って対峙していた。
 何事かと思って、おれは部屋から慌てて出て玄関まで走った。外に出ると、すぐ傍にマノンが立っていた。
「あ、ジェルヴェ」
「マノン。何事だ?」
「父様とアントワーヌさんが、勝負するんだって」
 それを聞いて、おれはずっこけそうになった。
「おい、アントワーヌ。お前、大口を叩いた後悔はしないだろうな」
「私の方が剣が強いかもしれないというのは、大口ではなく推測ですよ?」
 勝負に至った事情は、本人達のやり取りから察することが出来た。
「ええい、嫌味な奴だな。わしは、騎士団長を務めた男だぞ」
「私も若い頃は、そういう地位に居ましたよ」
 初耳だぜアントワーヌ。
「この減らず口…!」
 グザヴィエが剣を構え、アントワーヌも危険な笑みを浮かべて鞘から剣を抜く。
 相性の悪い二人だとは思っていたが、まさか決闘(?)を始めてしまうとは。
 二人を囲む野次馬は、興奮したように拳を突き上げている。二人をはやし立てているに違いない。クラルテ人って血の気多いのか? あ、そっか。グザヴィエの出身地か…。
 おれは思わず、飛び出した。
「ジェルヴェ! 危険だから止めた方が良いよ!」
 マノンの忠告も聞かず、おれは野次馬を押し退けて二人の間に立つ。
「おい、お前ら!」
 グザヴィエもアントワーヌも、戸惑った顔でおれを見た。
「おれにも勝負させろ!」
 おれの一言に、二人も野次馬達も一斉にずっこけそうになっていた。
「何を言ってるんですかリャ…ジェルヴェ様!」
「だっておれ、ケンカ好きなんだ。三人でケンカしようぜ」
 グザヴィエはおれを押し退けようとしたが、おれは踏ん張って持ち堪えた。
「全くもう…すっかり気が削がれましたよ…」
 アントワーヌは剣を仕舞い、おれの肩を叩いた。
「全くだ。止めだ止め」
 グザヴィエも勝負する気を失くしたらしく、剣を鞘に直していた。
 うっかり仲裁してしまった。おれも加わろうとしただけなのに。
「じゃあ今度は、三人で拳で勝負しようぜ」
「しません!」
 二人同時に断られてしまった。ちぇ。
「一体、何事?」
 そう大声でもないのによく通る声が響き、野次馬が道を開ける。ジルとキャロラインが、姿を現した。
「グザヴィエ、なかなか帰って来ないと思ったら…何をしてたの?」
 キャロラインに詰め寄られ、グザヴィエは渋い顔になった。
「アントワーヌと言い争いになったので剣で勝負付けようとしたのですが、ジェルヴェ様に仲裁されましてな」
「本当は、勝負に加わろうとなされたのですが。結局それで、お互い頭が冷えたのですよ」
 アントワーヌが苦笑気味に説明を付け加える。
 ジルは眉をひそめて、おれの肩に手を置いた。
「剣も持たずに、二人に加わろうとしたの?」
「ああ」
「そんな危険なことしちゃだめだよ。二人共真剣持ってるんだから、タイミングが悪かったら君が斬られたかもしれないんだよ?」
 心底心配そうに頬を撫でられたが、おれは豪快に笑った。
「大丈夫だって。おれ、反射神経には自信があるんだ」
「全くもう…」
 ジルが苦笑した時、キャロラインがジルの腕を引いた。
「ジル様、二人を叱って下さいまし。グザヴィエは、私の言うことなんて聞きやしないんです」
「いえ、そんなことは」
 グザヴィエは否定しようとしたが、キャロラインは有無を言わさずジルの腕を引っ張ってグザヴィエとアントワーヌに向き合わせた。ジルは呆れたように、腕を組む。
「アントワーヌ、グザヴィエ。仲間割れしてる場合じゃないだろう」
「申し訳ありません、ジル様。頭に血が上ってしまいました」
「私も大人気なかったです」
 グザヴィエもアントワーヌも、反省しているようだ。
「よーし。じゃあ、二人共お互い一発ずつ殴って仲直りしろよ」
 おれの提案は、キャロラインによって笑われてしまった。
「まあ…随分野蛮な方法ですね」
 う。貴族らしくねえってこと?
 何だか恥ずかしくなって、おれはジルの方を見る。ジルがおれに何か言おうとした時、キャロラインが声を張り上げた。
 隣国の言葉だったのでおれには聞き取れなかったんだが、皆が慌てて散って行ったところを見ると、"散りなさい!"とでも言ったのかもしれない。
「さあジル様、お話の続きを。グザヴィエ、付いて来なさい。アントワーヌさんはどうします?」
 キャロラインはすぐさま、ジルを見上げてグザヴィエに命令した。
「私は遠慮しておきますよ」
 アントワーヌはそう言って、ジルに目配せした。ジルも、何かを察したように頷く。
「では行きましょう」
 キャロラインはジルの腕に自分の腕を絡め、歩き出した。
 二人を呆然として見送るおれに、アントワーヌが囁いて来た。
「リャンヌ様。おやつでも食べませんか?」
「うん、食う」
 おれは途端に明るい顔になった。

 優雅にクッキーと紅茶を楽しみながら、おれはアントワーヌと話をしていた。
「どこ行ったのかと思ったぜ」
「すみません。リャンヌ様を捜していたらグザヴィエに廊下で会い、ジル様がリャンヌ様を連れて行ったと聞きまして」
「んで、口論に?」
「どうも、いけませんね。お互い、売り言葉に買い言葉で」
 アントワーヌは照れ臭そうに笑った。
「ジル様と、話されたんですか?」
「うん。でも――ジルは、おれに過去に触れて欲しくなさそうだった」
 おれは紅茶に視線を落とした。赤茶色の水面に、自分のふてくされた顔が映る。
「そうですか…」
 アントワーヌの顔も曇った。
「でも、おれは諦めたくねえ。今のまま、一人で抱え込んでたって辛いだけじゃねえか。ジルは怒るかもしれないけど、恨まれたって憎まれたって…おれは諦めねえぞ」
 おれの言葉を聞いて、アントワーヌはやわらかに微笑んだ。
「今のを、ジル様に言ったのですか?」
「言ってねえよ。あの時は、何言って良いかわからなくて」
 ああ、そうか。おれは拒絶されたことがショックだったんだ。ジルはおれのためと言ったけれど、拒絶には変わりない――。
「では、今のを言ってごらんなさい。ジル様はきっと、嬉しいはずですよ」
「怒るかもしれねえじゃん」
 おれは自棄になって、紅茶をがぶ飲みした。
「たとえ怒られても、心の奥底では嬉しいと思いますよ。あなたが勇気を出してくれることが」
「勇気?」
「はい。私に足りなかったものです」
 アントワーヌの表情に、哀しみが満ちる。
「何か、あったのか?」
「――これも、昔の話ですが。聞きたいですか?」
「ああ…」
 迷ったが、おれは頷いた。

 ミシェル様の処刑が決まったと聞いた時、正直気が遠くなりました。
「何故、あなたが死ななければならないのです…!」
「仕方あるまい」
 ミシェル様は窓辺を見やり、大きなため息をつきました。
「アントワーヌ。ジルを頼んだぞ」
 ミシェル様はご子息の顔を思い出したのか、哀しそうに笑いました。
「図々しい願いだとは思うが、支えてやってくれ…」
「出来る限り、お支え致します」
 あんなに強く約束したのに、私は早速失敗してしまいました。
 言いましたね。ジル様は、処刑を見せられたと。私はあの時、ジル様を怪我させてでも止めるべきだったのです。
 それで私が教皇庁に罰を受けようが、あの方にあの場面を見せてはならなかったのです。
 処刑式が終わった後、私は書斎を訪れました。ジル様はお父様が使っていた机に着き、書類を眺めているところでした。
「ジル様」
 私が呼び掛けると、ジル様は冷たい目で私を見やりました。
 そこで私は凍り付きました。親とはいかなくても、せめて頼れる存在になりたかった。しかし――
「アントワーヌ、言っておこう。父上に何と言われたか知らないが、お前は家臣だ。出過ぎるな」
「ジル様――」
「僕は一人で立てる。支えなど要らない。必要以上の役割を演じようとするな。ただ、僕に従え。父亡き今、僕がネージュ公爵だ」
 僅か10歳にも関わらず、ジル様の言葉は威厳に満ちていました。
「僕は公爵で、お前は家臣だ。良いな?」
「――はい」
 その時、悟ったのです。ジル様は心を閉ざしてしまったのだと。あまりに辛くて、誰にも心を見せたくないのだと。
 だから、ジル様は私を拒絶された。私はその拒絶を受け入れ、ただの家臣となった。ミシェル様の言葉に背くとわかっていながら。

「私は、無理してでも――ただの家臣としてではなく――ジル様を支えるべきだったのではないかと、今でも後悔するのですよ」
 アントワーヌの呟きは、あまりに淋しげだった。
「お前を、頼れば良かったのに」
 ジルの孤独が痛くて、おれはうつむいた。
「怖かったんでしょうね。リャンヌ様には、ミシェル様が異教に興味を持ったと説明したと思いますが…」
「それ、嘘だったんだろ? あれ、これってお前も知らない話だっけ」
 ジルが、父親ではなく母親が異教の神々を信じたということは、アントワーヌも知らないと言っていた。
「いいえ。私は知ってますよ」
 驚いたが、確かにアントワーヌがヴァランティーヌが異教徒だったことを知らないはずがないよな、と納得した。
「でも、ジルは」
「ジル様は、私にそう言い渡されたのです。忘れろ、と。だから私は真実を知らない振りをして、ジル様もそう振舞った。でなければ、クラルテ島が危なかったのです」
 そこであることに気付き、おれは青ざめた。
 どうしてジルの父は、妻を庇ったのか?
「まさか、クラルテ島を守るために?」
「それが一つの、結婚の条件だったのですよ。ヴァランティーヌ様が異教徒として認定されれば、クラルテ島も詮索されるでしょう。だからこそ、ミシェル様はヴァランティーヌ様とクラルテを守った」
「だけど、ヴァランティーヌは罪の意識を感じて一緒に死んだ…」
 しかし、それは"ミシェルの妻だったから"で、自分から頼んだからだ。異教徒として裁かれてはいない。
「ジル様がリャンヌ様に話していたとは知りませんでした。ですが真相は、そうなのです」
「今のを、丸ごと聞いたわけじゃねえ。おれが聞いたのは、一部だ」
 あの話を聞いた時に思った。どうして、どっちか残ってやらなかったのかと。しかし今のを聞いて、わかったことがあった。
 父親は妻とクラルテ島を守る義務があった。だから父親は残ってやることが出来なかった。しかし、母親の方は違う。
 居てやれたはずだ――ジルの傍に。なのに、置いて行ったんだ…。
 おれはぐっと、歯を食いしばった。
「おれ、散歩して来る」
「散歩ですか?」
「ああ。動かないと、考えすぎてどうにかなりそうだ」
 おれはクッキーの残りを頬張り、紅茶で流し込んだ。
「わかりました。お気を付けて」
「ああ。話してくれてありがとな、アントワーヌ」
「いいえ。もしジル様に怒られるならば、一緒に怒られましょう」
 アントワーヌの言葉に笑ってから、おれは立ち上がった。

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