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6.グリーム伯爵



 歌が、聞こえた。あの哀しい歌が。
 クラルテ島に伝わる古歌は、哀しいメロディを奏で続ける。
 哀しい歌は、誰かの悲鳴に変わる。悲鳴に耳がつんざかれる心地がして、おれは耳を押さえる。
 どうしてこんなに苦しいんだ。全身が熱くてたまらない。
「リャンヌ」
 誰かがおれの名を呼ぶが、何故かそれが誰だかわからない。
 ――おれは、死ぬのか?
 あまりの熱さに耐えられなくなって、答えを期待せずに問いを暗闇に放つ。
「大丈夫だよ。きっと治るから」
 その言葉に安心した時、頬にひんやりしたものが当てられた。
 ああ、誰かが手を当ててくれてるんだ…。
 少しだけ落ち着いて、再びおれは泥のような眠りに身を委ねたのだった。

 おれは目を開け、呻いた。
「リャンヌ様」
 ベッドの傍らに座っていたアントワーヌが、泣き笑いのような表情を浮かべておれの顔を覗き込む。
「気分はいかがですか」
「…まあまあ」
 声がかすれ、咳が出る。アントワーヌはすぐに水差しからグラスに水を注ぎ、おれに渡してくれた。
「起きられますか?」
「ああ」
 のろのろ起き上がり、グラスを受け取る。少しずつ飲むと、冷たい水が喉を潤して行く感覚が心地良かった。
「おれ…どうなったんだ?」
「リャンヌ様の傷は、毒矢によるものだったのですよ。毒消しが効いて良かったです」
 アントワーヌが痛ましげに、おれの左腕に巻かれた包帯を見た。
「かすり傷とはいえ、仕込まれていた毒は猛毒だったようです。ジル様がとっさに毒を吸い出してくれなかったら、どうなったか…」
 おれは思わず息を呑んだ。
「どうしてあの時、ジルも捜しに来てくれたんだ?」
「私が頼みました。嫌な予感がしたからです」
 アントワーヌは、渋い表情になった。
「思えばキャロライン様がリャンヌ様に囁いた時から、リャンヌ様の様子は変でした。何かあれば相談してくれるだろうと思い、追求しなかった私の責任です」
「お前の責任じゃねえよ。どう考えても、おれのせいだろ…。お前に相談すりゃ良かったのに、一人で突っ走っちまった」
 それで、あんなことになってしまった。
 アントワーヌはそっと首を振り、話を続けた。
「…ともあれ、リャンヌ様が居なくなったので心配になり、探し回っていたのです。そこでジル様にも声を掛けたのですが、ジル様がキャロライン様も居なくなったと言ってたので――もしや、と思ったのです。キャロライン様を止められるとしたら、ジル様でしょうからね。事情を話し、共に捜しました」
 アントワーヌは、おれの目をひたと見据えた。
「リャンヌ様。念のため、お聞き致します。あなたを狙ったのは、誰でしたか」
「――キャロラインだ」
 アントワーヌは答えを知りながら聞いたらしく、驚きの表情は見せなかった。
「申し訳ありませんが、懐に入っていた手紙を私とジル様とグザヴィエで読ませていただきました」
「何だと!?」
 ということは、ジルもキャロラインが犯人だと知ったことになる。
「どうして!」
「最早、ジル様に隠しておける状況ではありませんでした」
 思わず怒鳴ってしまったが、アントワーヌは動じた様子もなく静かに続けた。
「敢えてジル様には隠していたことなど、全て打ち明けました」
「ジルは、何て言ってたんだ?」
「その時は、何も。ですが、内心は怒られていたはずです。私も判断を誤りました。ジル様に隠しておくべきではなかった…」
「で、でも」
 おれは何か言おうとしたが、アントワーヌに手で制された。
「クラルテ島の将来も、もちろん大切です。ですがあなたが死んでしまったら、どうするのですか」
 そこでおれは、気付いた。自分の命を粗末にしたつもりはないが、おれは知らない内に自信過剰になって身の危険も顧みず、クラルテを救うことだけを考えていた気がする。
「ジル様を呼んで参ります」
「え」
 思わずおれは、嫌そうな声をあげてしまった。いやだって、気まずいし怒られるだろうし。
「リャンヌ様」
 アントワーヌは厳しく、おれを睨む。
「ジル様は、さっきまであなたにずっと付いておられたのです。私がうるさく言って、やっと仮眠を取りに行ったのですよ?」
「ご、ごめん…」
「その言葉は、ジル様に。では、行って参ります。グザヴィエ、リャンヌ様を頼みましたよ」
 アントワーヌに揺さぶられ、ソファで眠っていたグザヴィエが目を開けた。ってかグザヴィエ、居たのか。
「あ? ふああ」
 欠伸と共に返事している。
「リャンヌ様! お目覚めになりましたか!」
「おう、心配掛けたな」
 おれとグザヴィエが会話している間に、アントワーヌはジルを呼びに行ってしまった。
「体は大丈夫ですか?」
「へっちゃらだ、と言いたいところだけど…正直しんどいぜ」
 おれは力なく笑った。まだ体は重く、だるさを覚えていた。
「なあお前、歌歌ってたか?」
「は?」
「夢の中で、誰かが歌ってるのを聞いたんだよ。ほら、クラルテ女伯に惚れちまって…って歌あっただろ」
 おれの説明に、グザヴィエは笑った。
「ああ、あの歌ですか。いえ、私は歌ってませんが。誰かが外で、歌ってたのかもしれませんね」
「そっか…タイトル、何て言うんだ?」
「タイトルは、"L'île de Clarté"(光の島)ですよ」
 知らなかった。
「グザヴィエ、歌ってくれよ。歌詞知りたいんだ」
「え? 私がですか?」
「頼む! 怒ったジルに会う恐怖をやわらげる意味でも!」
 おれに同情してくれたのか、グザヴィエはかなり渋った後に歌ってくれた。

   輝く島 北の海 私はあの人に出会った
   緑の島 光の海 微笑まれ 心が揺れた
   だけど道行く人が教えてくれた
   彼女は島の主だと
   もしあなたをさらっても あなたの心は手に入らない 
   あなたの心は麗しき島のもの 
   だから私はこの歌を置いていく
                                         』
「グザヴィエ上手いじゃん。でも何か、お前が歌うと明るいなあ」
 メロディは同じなのに、おれが前に聞いたのとは雰囲気が違う。早い拍子で歌われたからか、グザヴィエが歌ったからなのか…。
「歌い方によって、色々変わるんです。古い歌ですから、色々なバージョンがあるんですよ。歌詞も、私達の言葉と隣国の言葉両方ありますし」
「お前が歌ったのは、オッサンバージョンなのか?」
「オッサン…」
 グザヴィエは苦笑していた。
「というよりは、このバージョンは戦士がよく歌いますね。これはクラルテ伯を讃える歌でもありますから。酒場なんかでも、よく聞きますが」
「なるほどなあ」
 確かに、この歌を聴くとクラルテ伯が高貴な存在なんだとわかる。手が届かない、遠い存在に思える。
 そうして、キャロラインの発言を思い出してしまった。
『本当はあんたなんか、話すことも許されないのよ!』 
 確かにおれは庶民で、ジルは貴族だ。本当なら、友達になることもなかっただろう。
 おれはジルを、堕としてしまったんだろうか――。
「リャンヌ様? 大丈夫ですか?」
「あ、ああ。なあ、グザヴィエ。キャロラインって聖女や教会を恨んでるのか?」
 話題を変えると共に、おれは気になっていたことを尋ねた。
「――そうですね。聞いた話ですが、昔キャロライン様の友人が家族で大陸に移住し――宗教裁判で殺されたと聞きました」
 やっぱり、恨む理由があったのか…。
 その時、ドアをノックする音がしてアントワーヌが入って来た。後ろには、案の定ジルが立っている。どことなく、顔が不機嫌そうだ。やべえ。
「では私達は外に出ておきますので、お二人でゆっくりお話し下さい。グザヴィエ、行きますよ」
 アントワーヌ、そんな殺生な!
「…リャンヌ様、しっかり」
 グザヴィエはおれを励ましてから、アントワーヌと共に出て行ってしまった。入れ替わるようにして入って来たジルは、真っ直ぐにおれの傍にやって来る。
「気分は?」
「悪くはないけど」
「そう。僕は、滅茶苦茶気分が悪いんだけど。どうしてくれるの?」
 ジルはベッドの傍の椅子に座り、笑顔を浮かべた。出た、天使の笑顔(死ぬほど怒ってる時仕様)
「そ、それは…」
「何故?」
 ジルはおれの言葉を遮り、問う。いきなり顎を掴まれ、おれはまともにジルのアイスブルーの目を見せられることとなった。
「何故僕に言わなかったんだ…」
 その目が、何より激しい怒りを物語る。
「――犯人がキャロラインだと確定するまでは、言ったら危険だと思ったからだ」
「危険? どうして」
「お前が、怒るかもしれないって…それで仲間割れになるかと思った」
「まあ、そうだよね。実際、何でリャンヌを狙った女になんか強力しなきゃいけないわけ?」
「ジル!」
 おれは思わず、叱責の声をあげた。
「おれを狙った件と、クラルテ伯との戦いはまた別だ! キャロラインは、お前の味方だ。たとえ、おれの敵であっても」
「リャンヌの敵なら、僕の敵だよ」
「違う!」
 おれはジルの手を振り払い、怒鳴った。
「おれの敵は、お前の敵じゃない。おれとお前は、別の人間だ!」
「そんなことわかってる」
「わかってねえだろがっ!」
 おれはジルの胸倉を掴む。
「冷静に考えろ。お前がここですべきことは何だ? おれのためにキャロラインを怒ることじゃねえだろ。おれは、危険と知って勝手に付いて来たんだ。おれを切り捨てる勢いで、クラルテ伯を倒すことだけ考えやがれ」
「――うるさいな!」
 珍しく、ジルが大声を出した。
「わかってないのは君の方だよ! 僕に説教してどうするわけ? 君は死に掛けたんじゃないの? 死んでも良かったって言いたいの!?」
「確かにあれは、おれの不注意だった! いくらでも詫びてやる! だけど、だからってクラルテ島を見捨てるようなことするんじゃねえって言ってるんだ!」
「そういう問題じゃないだろう? 言っとくけど、僕らが駆け付けるの遅かったら君は死んでたんだよ。不注意だった、で済まされることなの? 本当に、頭足りないんじゃないの!」
 おれはその一言にぶち切れた。
「リャンヌは、何にも考えてないんだね!」
「お前、もういっぺん言ってみろ――!」
 ジルが立ち上がり、おれがベッドから飛び降り拳を振り上げた時、ドアが突然開いてアントワーヌとグザヴィエが入って来た。
「二人共、そこまでです!」
 グザヴィエがおれを羽交い絞めにし、アントワーヌはジルの前に立った。
「リャンヌ様、落ち着いて下さいっ!」
「落ち着いてられっか! こんのわからず屋!」
 グザヴィエの静止を無視して喚き叫ぶと、ジルは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「少しは黙れないの? うるさいんだけど」
「何だとおお!」
「ジル様お止め下さい! 冷静に話し合うという約束でしょう!」
 アントワーヌの注意にも、ジルは応えた様子はなかった。
「リャンヌが、あんまり馬鹿なこと言うからだよ。それより何で二人共、タイミングよく入って来たわけ?」
「申し訳ありませんが、廊下で様子を伺っていました。怒鳴り声が聞こえたので、思わず…」
 アントワーヌは、大きなため息をついた。
「おれは馬鹿なこと言ってねえぞ!」
「うるさいって言ってるだろう!」
 おれとジルがまた睨み合った時、アントワーヌが抜剣して剣を床に思いっ切り突き立てた。
「お二人共、いい加減になさい!」
 おれもジルもグザヴィエも、驚いた表情でアントワーヌを見る。
「整理致しましょう。まず、ジル様に言わなかったのは私共のミスです。そしてリャンヌ様をキャロライン様に呼び出されてしまったのは、本人と私のミスです。しかし、私達がジル様に言わなかった件については理由があります。それは、仲間割れの可能性を失くすこと。ここまでよろしいですか!」
 問われ、三人共こっくり頷く。
「今からすべきことは、こちらの出方を考えることです。グザヴィエ、キャロライン様の背後に誰かが居る可能性は」
「…おそらく、ないだろう。あれはどう考えても私怨だ。手紙を残したりと計画もずさんだし、リャンヌ様を狙うことを思いついて狂信者に話を持ち掛けたんだろう」
 グザヴィエの説明に、アントワーヌは首を縦に振った。
「ジル様。いくらでも勝手な判断をした私を怒ってくれて構いません。ですが、リャンヌ様と喧嘩するのではなく話し合って下さい。これから、どうするのかを。そうして私達に結果を聞かせて下さい。よろしいですか?」
 アントワーヌに尋ねられ、ジルは肩をすくめた。
「わかったよ。ごめん…ちょっと、頭に血が上ってたみたいだ」
「いえ、こちらこそ出すぎた真似をして申し訳ありません。ではグザヴィエ、行きましょう」
 アントワーヌは何事もなかったように剣を床から引き抜き、鞘に収めた。
「ああ」
 グザヴィエは返事をして、おれから手を離す。そうして再び二人は、あっという間に部屋から出て行ってしまった。

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