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旅立ちの朝、おれは大股で玄関から出た。 「…さて、と」 馬の手綱を引いてやって来たジルがおれに気付き、手を振る。 「準備出来た?」 ジルが微笑み尋ねて来たので、おれは頷く。 聖女堂までアントワーヌが一緒に行ってくれることになったんだが、港まではジルとグザヴィエも付き添うことになった。ジルは正体がばれたら大変だから止めろって言ったんだけど、ジルは港まで送ると断固言い張った。おれもあんな目に遭ったばかりだから強くは言えなくて、結局ジルの同行が決定した。 島の警備は日に日に強化され、今ではグリーム伯領から船を出すことは叶わないそうだ。船が泊められそうな岸には兵士が配置されていると聞いた。 クラルテ伯も、警戒してるんだな…。おそらく、グザヴィエが一度島から出たことを疑っているのだろう。 そんなこんなで、おれ達は港に辿り着くまで一瞬とはいえクラルテ伯領を通らなくてはならない。それが何とも恐ろしかった。 「悪いな、グザヴィエ」 「いえいえ。どちらにせよ、我らはクラルテ伯領の隠れ家に潜む者達と接触せねばなりません。ジル様直々に赴いた方が士気も増すでしょうし、良い機会をいただきました」 グザヴィエは気にした様子もなく、豪快に笑った。 隠れ家まで同行することになったマノンとイザベルは、おれと父親を見て微笑んでいた。 二人にはもう、おれが聖女だということを打ち明けていた(マノンはおれが女であることを知り、しきりに残念がっていた。でもおれはずっと男装しっぱなしなので、二人は半信半疑らしい) 皆を合わせても、六人。少ないかとも思ったが、目立つにはいかないのでこの人数となった。 「行くよ、リャンヌ」 一足先にジルは騎乗し、おれに手を伸ばした。おれは引っ張り上げられながら自分で鐙(あぶみ)に足を駆け、馬の上に乗った。ジルは片腕でおれを抱え、片腕で手綱を握る。 まだ体力が戻ってないので、ジルに乗せてもらうことにしたんだ。 「準備出来たか、イザベルにマノン!」 「はっ!」 二人はまるで上司に対するように、父親に向かって敬礼した。 「では行きましょう。先ほど申した通り、クラルテ伯領の隠れ家に一度立ち寄って港から上手く出航する手配を頼みます」 グザヴィエの説明に頷きながら、おれは視線を感じて上を見上げた。 窓から、キャロラインが見下ろしている。 もうジルとも和解し軟禁状態を解かれたキャロラインは、微笑んで手を振ってくれた。 おれも手を振り返し、叫んだ。 「じゃあな、キャロライン! また会おうぜーっ!」 彼女は頷き、最後まで見送ってくれた。 心地よい速さで馬が走っている内におれは眠気を覚え、こっくりこっくりと船を漕ぎ始めた。 「リャンヌ、眠いの?」 後ろからジルに問われ、渋々覚醒する。 「うー」 毒を受けて丸三日は経っているのに、体はまだ回復しない。だからといって、ぐずぐずして出発を遅らせていては戦争が始まるかもしれない。だから敢えて今日旅立つことになったんだが、どうにも眠くてたまらない。 「寝ても良いか?」 「良いけど、落っこちないようにね」 ジルはそう言って、おれの体に回した腕に力をこめた。 「無理そうだったらすぐ言うんだよ」 「へいへい」 前から心配性というか過保護気味だとは思っていたが、毒矢事件があってからジルは益々過保護になってしまった。 おれじゃなくて、キャロラインを構えば良いのになあ。 「ジル、緊張するか?」 「緊張? どうして」 後ろに居るせいでジルの表情は見えなかったが、声音に変化はなかった。 「クラルテ伯領に入るの、怖くねえの?」 「まあ、少しは緊張してるけどね」 「お前、屋敷に残ってりゃ良かったのに」 もし見つかっちまったらどうするんだよ。 「何回言わせるの? どうせ、あそこに行かなきゃならなかったんだよ。本当にリャンヌは何度も同じことを言うね」 嫌味にむっとして、おれは頬をふくらませた。 「大体、すぐに僕ってばれると思う? いくら母と似てるって言ったって、母は十数年も前にこの島を出たんだよ」 「まあ、そりゃそうだけど」 けれど、グザヴィエがジルを見るなり生き写しだと言ったことを思い出すと、そう楽観視出来ない気がする。 「リャンヌ、ちょっと口閉じて。舌噛むよ」 「へ?」 うつむいていたおれは、いきなり目の前に現れた生垣を見て思わず叫んだ。 「ぎゃああ!」 よく訓練されているらしい馬は動揺することもなく、生垣を飛び越えた。 …馬に負けた。 おれの叫びが面白かったのか、ジルが声を立てて弾けるように笑った。 「笑うんじゃねえ!」 おれは首を後ろに向けたが 「もう一回あるよ?」 予告された時にはもう馬が跳躍していたので、また無様な悲鳴をあげてしまったのだった。 眠ろうとしてもゆっくり眠れないので、おれは話をして眠気を払うことに決めた。 「なあ、ジル。お前ってキャロラインのことどう思ってるんだ?」 「…はあ?」 キャロラインに協力すると誓ったことを、今更思い出したのだった。 「ああ、もう怒ってはいないよ。リャンヌがああ言ったし」 「そういうことじゃなくってだな。美人だなー、とか思わないのか? ていうか美人だろ。色っぽいだろ」 「まあ、美人だとは思うけど…。何でそんなこと聞くの?」 「気にすんな」 墓穴を掘りそうだったので、おれは質問を変えることにした。 「じゃあ、お前の好きなタイプはどんなんだ」 「…リャンヌ、どうしちゃったの」 「良いから、答えろ!」 実はこの質問、キャロラインから聞いておくように頼まれたものだった。 「好きなタイプねえ…いきなり聞かれても…」 ええい、歯切れの悪い奴。 「うーん、敢えて言うなら黒髪かな」 「へえー」 ヴィルジニーとかか? 他に黒髪の知り合いいたっけ――あ、リャンが黒髪だ(あいつ男だけど) 「じゃ、グラマーかスレンダーどっちが好きなんだ」 「…スレンダー」 「ほうほう」 感心しつつ、おれは焦っていた。 まずいなあ。キャロラインは黒髪じゃねえし、どっちかっていうとグラマー系だし。ま、大丈夫か。おれのお袋が、優男は大嫌いだと豪語してたのに村一番の優男だった親父と結婚したって例がある(もっとも、二人は見合いだったらしいが)好みと現実とは違うだろう。 「そういうリャンヌは?」 「おれか? おれは最近気付いたんだが、かよわくてかわいい感じの女に弱いことが発覚した。具体例を挙げるとジョゼット」 本当にジョゼットは、おれの好みだった。ジルは本当に惜しいことをしたと思う。再婚したら良いのに、と未だにこっそり思ってることは内緒だった(二人が結婚したら毎日遊びに行くぜ。娘が生まれたら、もらっちまおうか…なんつって。うお、ごめんキャロライン。妄想してる場合じゃなかった) 「聞かれて何のためらいもなく好きな“女性の”タイプを答えるのがリャンヌらしいよね」 ジルが“女性の”を強調しつつ指摘したので、おれは驚愕した。マジだ。おれ、どれだけ男気分なんだ。 ジルは、堪え切れないように笑い出した。いつまで経っても笑い続けるので、おれは腹を立てて話題をがらりと変えることにした。 「ジル、聞いても良いか?」 「何を?」 「キャロラインやグザヴィエと、よく真剣に話し込んでたじゃん? あれって、何話してたんだ?」 「ああ…あれか。戦の計画だよ」 ジルは拍子抜けしたような声を出した。何を聞かれると思ってたんだ? 「計画…どうやって攻めるか、とかか?」 「それよりも前の段階。どうやって、戦士を掻き集めるかだよ」 おれはそれを聞いて、首を傾げた。 「まだ、足りねえの?」 「うん。グリーム伯側は全面的に協力してくれるとしても、クラルテ伯側が足りないんだよ。クラルテ伯側の協力者は、民間人が多い。騎士団とぶつかるには不利だ。城を攻めるなら、相手側の人数を上回る必要もあるしね」 「不思議だなあ。クラルテ伯って、すっげえ悪い奴なんだろ? どうしてそんな奴のところに、兵士は留まるんだ? みんなどうして、グザヴィエに付いて行かなかったんだ?」 おれの疑問に、ジルは少し間を空けてから答えた。 「――リャンヌ。人が逃げ出さない統治方法は、善政だけじゃないよ」 「悪政でも人は集まるってのか?」 「恐怖政治ならね。集まるのではなく、逃げられないんだ。反抗したり逃げ出したりすれば殺される――そんな恐怖の中じゃ、逃げ出したくても逃げ出せないんだよ」 ジルは淡々と言ったが、それ故にクラルテの人々が味わう恐怖が伝わって来るように思えた。 「クラルテ伯爵は、残酷な人物だよ。クラルテ島は島の面積に対して人口が多いのは、知ってる?」 ジルに問われ、おれは素直に首を横に振った。 それはやっぱり、異教徒が他の地で暮らせないからなのだろうか――。 「そのせいで、食糧難が何度も起こった。その解決策として、クラルテ伯はどうしたと思う? ある区画の人々を、無差別に殺させたんだよ」 「…嘘だろ?」 おれが凍り付くと、ジルはおれを支える片腕に力をこめた。 「嘘じゃないよ」 信じられない。人間はそこまで残酷になれるものなのか。 「もちろん、クラルテ伯爵に心酔して仕えている人も居るんだろうけどね。今の騎士団長は、そういうタイプだってグザヴィエが言ってた」 「ジルは、叔父に会ったこと…あんのか?」 気になって、おれはためらいがちに尋ねる。 「あるよ。二回くらいかな」 ジルはためらいもなく、肯定した。 「その時の印象は?」 「…そうだね。姉弟だけあって容姿に似たところはあったけど、性格は全く母に似てないと思った。でも、一言では言い表せないな。リャンヌも、会ったらわかると思うよ」 「会いたくねえよ」 「確かに」 おれが首を振ると、ジルはくすくす笑った。 「そんな状況で、叛乱成功するのか?」 おれは急に心配になって来た。 「クラルテ伯には知られず、クラルテ伯側の人達に僕の存在を伝えられたら、希望は在るだろうね。今日行く隠れ家は、その手始めさ」 「…そっか」 戦争なんて、自分にとっては遠いものだと思っていた。けれどこの島では、今にも始まろうとしているんだ。 「無事で居ろよな」 「わかってるよ」 当の本人は特に心配した素振りも見せず、ひたすらに馬を走らせ続けた。 隠れ家があるのは、グリーム伯側とは違って町中だった。 しかし町に足を踏み入れた途端、おれは酷い光景に息を呑んだ。馬がゆっくりと歩く度、広がる凄惨な光景。 たくさんの人々が倒れていて、血臭が酷い。 「死んでるのか…?」 「おそらくね」 囁きに似たおれの疑問に静かに答え、ジルはおれを片腕でぎゅっと抱き締めた。震えを、感じ取ったのだろうか。 おれは苦労して振り向き、フードで隠された顔を覗き込む。ジルは、深刻そうな顔をしていた。 「グザヴィエ」 「はい」 ジルが声を掛けると、グザヴィエがすぐに馬を並べて来た。 「どういうこと?」 「…襲撃されたのかもしれません」 「隠れ家を潰されたと?」 「わかりません…」 グザヴィエは悔しげに唇を噛み締めた。 「どこからか叛乱分子の噂が漏れて、襲撃されたのかもしれません」 「クラルテ伯領に、隠れ家は他にもあるんだよね?」 ジルは舌打ちして、懐から地図を出した。 「はい。しかし前に言った通り、港からは遠い。今、唯一開かれている南港からは、遠ざかることになります」 「――参ったな」 グザヴィエの説明に、ジルは大きなため息をつく。 アントワーヌもマノンやイザベルも、おれ達を心配そうに見ていることに気付いた。 「ジル。おれなら、帰るの遅れても良いぜ。だから、他の隠れ家がどうなったか見に行く方が良いんじゃね?」 おれの言葉に、ジルとグザヴィエは顔を見合わせる。 「リャンヌ様の言う通りです。もし騎士団が他の隠れ家に向かっているなら、早急に知らせなくては」 「…そうだね」 ジルは迷っている様子だったが、頷いてくれた。 「でも、この町の様子も知らなくては」 ためらうグザヴィエに、アントワーヌが提案した。 「では、二手に分かれましょう。片方はこの町に潜む叛乱軍や人々の安否を確かめ、もう片方は他所に知らせに走る」 皆はアントワーヌの意見に、一斉に頷いた。 「それでは、この町に留まるのは私とイザベルということに。マノン、ジル様を無事送り届けるんだぞ」 「はいっ」 さすがのマノンも、緊張したように敬礼した。 「本当なら、リャンヌ様をグリーム伯領に一旦帰すのが安全とは思いますが――遠すぎますね」 グザヴィエの言う通り、おれを送っていたら助かるものも助からないだろう。 「私がリャンヌ様と共に帰りましょうか?」 アントワーヌが申し出たが、グザヴィエは首を振った。 「それは危険だ。敵が近くでうろついている可能性が高い。お前とリャンヌ様だけで切り抜けるのは難しいだろうから、固まっていた方が良い」 「おれは大丈夫だから、みんなで行こうぜ。何かあったら、拳で切り抜けてやる」 二人の間に入って豪語したものの、まだ体が本調子ではないので不安があることも確かだった。 「申し訳ありません、ジル様。予定が狂ってしまって」 「仕方ないよ。じゃあグザヴィエ、幸運を祈るよ」 「はっ! そちらも!」 そこで、おれ達はグザヴィエとイザベルに別れを告げたのだった。 |
