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8.リュシアン



 クラルテ伯は、おれの頬を手で撫ぜた。
「…怯えているのかい?」
 ゆったりと笑み、問い掛ける。
「離れろ…おれに触るな」
 おれがそう言うと、クラルテ伯は声を立てて笑った。そして、一瞬の内にして表情を変える。
「誰に向かって口を聞いている」
 平手打ちされ、おれは歯を食いしばった。
「私は優しいだろう? 本当なら、今の失言で死刑だ。なあ、ウスタッシュ」
「はい」
 後ろから、感情のない返事がする。
「悪いようにはしない。私の大切なゲストだ」
 クラルテ伯が顔を近付けると、おれは思いっ切り睨み付けてやった。しかしクラルテ伯は気にした様子もなく、おれに問い掛ける。
「ジルが恋しいか?」
「黙れ。何でお前、おれやジルのこと知ってるんだ…」
「何故だろうな? 後で教えてやろう」
 クラルテ伯は立ち上がり、もう一度椅子に座っておれを見下ろして来た。傍らに控えている兵士はにやにや笑い、彼の耳に耳打ちする。クラルテ伯は、おかしくて堪らないといった様子で笑った。
「いたぶるのは…ジルの前でだ」
 途端に、皮膚が粟立つ。こいつ、本気だ…。おれをジルの前で痛めつけるつもりなんだ。
「それまでは、丁重に扱え」
 命令に、兵士達が頭を下げる。そこへ、ノックの音がして扉が開いた。
「ギイ様。外は異常、ありませんでした」
「ああ。ちょうど良かった、リュシアン。こいつを牢にぶち込め」
 伯爵は、ちょうど今入って来た青年に向かって命令した。
 牢に入れるだと? どこが丁重に扱え、だよ。
「はい」
 癖っ毛のプラチナブロンドを肩まで伸ばしたその青年は、まだ若かった。せいぜい20歳くらいだろう。命令に対する返事にあまりに覇気がなかったので、おれは眉をひそめてそいつの飴色の目を見上げる。
「リュシアン! そいつは暴れ馬だから、気を付けろよ」
「伯爵の命令だ。手は出すなよ」
 周りに野次を飛ばされたが、気にせずリュシアンというらしい青年はおれを肩に担ぎ上げた。
 暴れたかったが、弱っていた上に縛られた手足ではどうにも出来ず、おれはなすがまま運ばれることになった。
 部屋から出て廊下を歩く最中、リュシアンは小さく呟いた。
「…下衆共が」
 一瞬おれのことかと思ったが、多分さっき野次を飛ばした奴らのことを言っているのだと気付いた。
 こいつ、もしやクラルテ伯のこと嫌いなのか?
 ジルが言っていたことを思い出す。嫌々ながらも、伯爵の下で働いている奴も居るのだと。
 暗い牢屋に押し込まれ、おれはリュシアンとやらを見上げた。
「…助けてくれ」
「――何をやったか知らないが、諦めろ。伯爵の気を害した者に、命はない」
 そこで気付く。こいつは、おれのことを誰だか知らないんだ。牢屋の鍵を閉め、背を向けたリュシアンに向かっておれは叫んだ。
「待ってくれ!」
 これ以上、悪い事態が起こるとは思えない。だめで元々だ。
「おれは、聖女だ。クラルテ伯の姉であるヴァランティーヌの息子、ジル・ド・ネージュと共にこの島を救いに来た!」
 リュシアンの足が止まる。
「…お前、女だったのか」
 そこに反応しないでくれ。
「どうだって良いだろ、んなこと。それより――あんた、この島の現状何とかしようとは思わねえのか? みんな苦しんで、希望もなくて! ジルやグザヴィエに協力してやろうとは、思わねえのか?」
 しかしリュシアンは、答えずに足を進めた。
「待てよ!」
 去って行くそいつを止められもせず、おれは膝を引き寄せて顔を膝に埋めた。
 信用してくれなかったのか、それとも現状に満足しているのか――。
「ジル…」
 おれはジルの名前を呟いた。
 どうして、おれはこの島に来てしまったんだろう。どうしてあの時、ジルの言うことを聞かなかったんだろう。聖女堂で待っていれば良かった。それなら、足を引っ張ることもなかった。
 罪悪感で胸が苦しくて、死にそうだ。
『…後悔しても、知らないよ』
 後悔なんてしないと請け負ったのに、おれは今…死ぬほど後悔していた。
 唇を噛んで涙を堪えると、涙の代わりに血が床に滑り落ちた。

 薄闇の中でまどろんでいると、足音が近付いて来た。目を開けると、松明を持ったリュシアンが牢屋越しに見下ろしていた。
「…お前」
「静かに。先ほど人払いをしたが、誰か来ないとも限らない」
 リュシアンは警戒したように周りを見回した後、そっと床に膝を付いた。
「お前の名は?」
「リャンヌ…」
「リャンヌ。聖女だというのは本当か?」
「あ、ああ」
 おれは戸惑いつつ、肯定した。今思ったら、自分が聖女だと名乗るなんて危険だった。
 こいつが狂信者だったら、どうするんだよ――。
 だがリュシアンは動揺した様子もなく、静かに続けた。
「ジル様が来たというのは、本当か」
「ああ…知らないのか?」
 あんなに派手に名乗ったんだし、クラルテ伯はジルがここに来ていることを知っていた。だから、どうしてこいつが知らないのか不思議でならなかった。
「私達には、知らされていない。おそらく、伯爵と一握りの者だけが知っているのだろう」
「へえ…」
「町で戦闘があったと聞いたが、伯爵側の騎士は殺されたか叛乱分子に捕らえられたようだ。帰って来た者も、居るには居るが…私達に対してそういう報告はなかった」
 それでジルの存在が認識されてないんだな。
「あんた、ジルのことは知ってるんだ?」
「ヴァランティーヌ様の令息だろう。クラルテで、知らぬ者は居ない」
 リュシアンは、優しく笑った。
 意外に有名人なんだな、ジルって。
「じゃあ、ジルに協力してくれるんだな!?」
「静かにしろ」
 リュシアンがおれを鋭い声でたしなめたので、おれは慌てて口を塞いだ。
「同志に呼び掛けてみる。協力者の数次第では、お前は逃げられるだろう」
「本当、か…?」
「ああ。伯爵に心から仕えていない者は多い。そいつ達がジル様の存在を知れば、一気に状況が変わるだろう。だが、あまり期待はするな」
 リュシアンは、深いため息をついた。
「家族を人質に取られている者が大勢居る。だから、こちらに付いてくれるとは限らない」
「そうか…」
 おれは諦め掛けたが、すぐに顔を上げた。
「その家族達も、逃がせねえの?」
「数が多すぎるし、色々な場所で捕らえられている。無理だ」
「じゃ、あんまり期待しないでおくぜ」
 家族を捨てろとは言えない。おれは無理に笑ってみせた。
「――また来る」
 リュシアンは微笑みを残し、去った。

 リュシアンが行ってしばらく経った時、笑い声と共に灯りが近付いて来た。
 笑い声の主は、クラルテ伯爵と隻眼の男だった。
「大人しくしていたか?」
 おれは何も答えなかった。
「ギイ様の問いに答えろ」
「良い、ウスタッシュ」
 伯爵はウスタッシュを手で制し、奥へと下がったおれをまじまじと見つめた。
「こんなところで、すまないね。代わりに、夕食に招待してあげよう」
 とろけるように、優しい微笑。でも、おれはそれでもこいつが怖かった。だって――目が笑っていない。
 ジルが怒った時に浮かべる笑顔だって怖いけど、それはあいつが怒っていることがわかるから。怒らせてしまったとわかって、罪悪感が疼くから。それだけだ。目の前の、仮面のような微笑とは全然違う。
「後で、迎えに行かせよう。綺麗に着飾らせて、共に夕食を取ろう」
 おれは、ただ首を振った。
 嫌だ。てめえの前で飯を食うくらいなら、ここでパンでもかじってた方がましだ。
 そう言いたいのに、渇き切った喉は言葉を吐いてくれない。啖呵も切れないくらい弱ってるのか、おれは。
 嫌だ。絶対に嫌だ。ジルの前でおれをいたぶるとか殺すとか言う奴の顔なんか、見たくないんだ。ヴァランティーヌやジルの面影を持っていながらそんなこと言うこいつが、嫌でたまらないんだ。
 おれの答えを待つつもりもないらしく、伯爵は満足そうに笑ってウスタッシュを従えて去った。

 しばらくして、リュシアンともう一人同じ制服を着た男がやって来た。
 鍵を開けられたので期待して見上げたが、リュシアンは首を横に振った。
「今は逃がせない。大人しく、伯爵と夕食を取るんだ」
「…嫌だ」
 おれは子供のように、我儘を言う。
「少しの辛抱です。きっと、向こうへあなたを帰しますから」
 もう一人もリュシアンの仲間なのか、おれを安心させるように小さい声で請け負ってくれた。
「良いか、これから言うことをよく聞け」
 リュシアンは表情を引き締め、おれに忠告を始めた。
「ああ」
「決して、伯爵に逆らうようなことを言うな。無理そうなら、もう黙っていろ。あの人の機嫌は、恐ろしいほどよく変わる。人質の価値があるからお前を殺しはしないと思うが…機嫌を損ねれば、どうなるかわからない」
「…わかった」
 おれは深刻な顔で頷き、拳を握り締めた。
 体調が万全なら、と後悔してももう遅い。弱った体と、怯えた精神で挑むしかない。
 おれはそっと、神に祈った。

 湯浴みするため風呂場に案内され、おれは脱衣所で服を脱いだ。上半身をさらしたところで姿見の存在に気付き、おれはその前に立って薄汚れた自分を鏡に写した。
 左腕に巻かれた包帯と、腹と脇腹に刻まれた痣が目を惹いた。おれはそっと痣に触れ、顔をしかめる。
 今まで敢えて触れないようにしていたのは、痛みで気力が殺がれるのを避けるためだった。しかし怪我の具合を把握するためにも、おれはゆっくりと痣を押さえて行った。
 殴られた上に硬いブーツで蹴られたんだから当たり前かもしれないが、滅茶苦茶痛い。内臓がやられてないことを祈ろう。
 肋骨は折れていないようで、おれは安心の吐息をついた。
「湯浴みをお手伝い致します」
 メイドが断りを入れて脱衣所に入って来たので、おれは慌てて背を向けた。
「だ、大丈夫だ。一人で入れる」
「自殺しないかどうか、見張れと言われました」
 メイドは表情のない顔で、淡々と告げる。
「そんなこと、しねえって言っとけ! 良いな、入ってくんじゃねえぞ!」
 おれは言い捨て、慌てて風呂場へと入って行った。

 手当ての後にドレスを着せられ、化粧までされた。
 鏡の中に、薄緑色の簡素なドレスに身を包まれた自分を見る。
 ああ、何が哀しくてドレス着なきゃならないんだ。しかも、クラルテ伯なんかのために――。
 思うだけで怒りが湧いて来るが、おれは拳を握り締めて怒りを堪えた。
 リュシアンの忠告通り、黙っていよう。口を開けば、罵倒の言葉しか出ないだろうから。
 そういえば、これは誰のドレスなんだろう?
「なあ」
 話し掛けると、おれの髪を結っていたメイドが首を傾げた。
「何か」
「クラルテ伯に、妻は居るのか?」
「いらっしゃいますが、発狂して…今はどこに居るやら」
 おれはその話に、息を呑んだ。
「発狂? どうして」
「ようやく生まれた赤子を、ギイ様が奥様の目の前で殺したのです」
 思わず、絶句した。
「ギイ様は、自分の跡継ぎは要らないと。クラルテの血は絶やすべきだと、主張しておいでです」
 おれが何も言えないでいると、メイドは髪を結い終えて一礼した。
「こちらへ。ギイ様がお待ちです」
 メイドに従い、おれはだだっ広い廊下を歩く。
 おれは何となく、いつか行ったネージュの城を思い出していた。あそこは、使用人が少ないせいもあってどこか淋しげな雰囲気があった。それに対し、ここは使用人や兵士が多いから淋しい空気はないけれど、言い様もない暗い緊張感が漂っている。
 城の空気は、主の空気を写すのだろうか…。
 そうこうしている内に食堂に辿り着き、クラルテ伯がこちらに近付いて来た。
「ようこそ、マドモワゼル」
 手に口付けられ、おれは思わず顔をしかめた。
「ふん、悪くはないな」
 伯爵はおれを、じろじろと見て来た。見るな馬鹿と叫びたかったけれど、おれは我慢してただ伯爵を睨み付ける。
 おれは伯爵にエスコートされて食卓に着き、ゆううつな顔でグラスを取った。
 毒とか入ってねえだろな。
「まあ、マナーは気にせず食べたまえ」
 おれの躊躇を遠慮だと判断した伯爵に促され、おれはワインを飲み干した。よほど喉が渇いていたらしく、一気に飲んでしまった。
 間を置かず、パンを千切って食べる。そこで、悔しくてたまらなくなった。
 何でおれ、こんなところで…こいつと一緒に食事してるんだよ…。
 だが、ここで自暴自棄になるわけにはいかない。リュシアンのくれた希望にすがり、この食事を無事に終わらせよう。
 正面に座る伯爵はのんびりワインを飲みながら、おれを見物していた。
「話をしよう、リャンヌ・リーヴル」
 おれは黙って、食事を進め続けた。
「私は、愛しい甥の話を聞きたいんだ。ジルは今、どうしてる?」
 隠れ家を聞き出そうって魂胆だな。絶対に口を割らない覚悟で、おれは鶏肉を思いっ切り噛み千切る。
「ああ、もしかして隠れ家の場所を聞き出すかどうか心配してるのかい? それはないよ。ただ、ジルのことを聞きたいんだ。ジルは、元気なのか?」
 本当に甥を心配している口調だったので、おれは顔を上げなければ騙されていたかもしれない。
 伯爵の目は、異様な鋭さをたたえていた。どこかに居るジルを、射殺すかごとく。
「私は、二度しかジルに会ったことがない。聡明な子だが、哀れだ。そう思わないか?」
 沈黙するおれを無視して、伯爵は話を続ける。
「何といっても、母親が悪い。あんな女を母に持って、かわいそうに…。処刑式の時は、見ていられなかったよ」
「お前、処刑式に立ち会ったのか…」
 うっかり、反応してしまった。
「ああ。あんな女でも姉だ。立ち会いを求められてね。もう父は年だったから、代わりに私が行ったんだ。ジルは本当に、かわいそうな子だ」
 かわいそうだと口にしているのに、その目には一切の慈悲も同情も見受けられなかった。
 こいつは、ジルに同情なんかしていない。
「ジルは君の従者になって、どうしていた? クラルテとネージュの血を引く者が従者など…私は、本当に同情するよ」
「…ジルは」
 その後が続かなかった。
 ジルは、おれの従者になったことを屈辱だと思っているのだろうか。
 考えていると、気分が悪くなって来た。
「もう結構! 腹いっぱいだ!」
 半分くらいは食べた。もうこれ以上、ここに座っていたくなかった。
 おれは立ち上がって、扉まで駆け寄る。
「ウスタッシュ」
 伯爵が指を鳴らすと、どこからかあの隻眼の男が出て来た。
「そういえば、彼の紹介はしたかな? 彼はウスタッシュ・ド・フジェール。クラルテの騎士団長だ」
 伯爵の紹介で、おれは納得が行った。
 伯爵に心酔した、かつてグザヴィエの部下であった騎士団長。そして、おれをのしてここに連れて来た野郎だ。
「こちらへ」
 硬い声音で告げられ、おれはそいつの背中を追った。
「リャンヌ。牢屋が嫌なら、私と一緒に温かいベッドで寝ようか。どうだ?」
 伯爵の声が、後ろから飛んで来る。
 おれは振り返り、薄笑いをするギイ・ド・クラルテを睨む。
「その話を聞いたら、牢屋が最高級の宿屋に思えるぜ!」
 クラルテ伯爵は、大笑いしていた。
 

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