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9.クラルテとグリーム



 ジルに声を掛けられて足を踏み出した瞬間、足音が聞こえた。
「隠れて下さい!」
 アントワーヌに押されて、おれとジル(ついでにジョルジュ)は柱の影に済んでのところで隠れる。
 隠れる隙がなかったためか、もう来た奴に見付かってしまったのか…グザヴィエとアントワーヌは剣をすらりと抜いて構えた。
 足音は歩調を変えることもなく、近付いて来る。
 二人に逃げろと叫ぼうとしたおれの口をジルが素早く塞ぎ、耳に囁く。
「だめ、我慢して」
 でも、と見上げるとジルは更に囁く。
「様子を見よう」
 おれはようやく大人しくなり、緊張に強張るグザヴィエとアントワーヌの横顔を見る。
 一体誰が来たんだろう。あ、もしかしてリュシアンか?
 そうだったら良いのに、と思いながらも緊張は抜けなかった。
「…これはこれは」
 響いて来た声はリュシアンのものではなく、その父親のものだった。
「前騎士団長の、グザヴィエ殿。ここで何をしておられるのですかな?」
「――ウスタッシュ」
 グザヴィエは剣の柄を握り締めた。
「ギイ様から、今夜鼠が忍び込む予定だと聞いたが…まさかあなたが来るとは」
 剣を抜く音が聞こえた。ここからウスタッシュが見えないのが残念だ。
「こちらには二人居るぞ、ウスタッシュ。こいつもわしと同じくらい剣の腕は立つ。勝ち目は無いぞ」
 グザヴィエはアントワーヌを顎で示しながら、押し殺した声でウスタッシュを脅した。
「…別に勝たずとも良い。二人くらい、部下が来るまで少しは相手してやれる!」
 そのウスタッシュの一言で、おれは衝撃で叫びそうになった。ウスタッシュは時間稼ぎをして、仲間を待つつもりなんだ。
 仲間というのがおれ達の味方なら良いが、ウスタッシュが今夜の予定を知っていたことなどを考えるとその可能性は低そうだ。明らかに、計画の裏をかかれている。
 おれはその時、苛烈な怒りに駆られた。
 グザヴィエとアントワーヌに飛び掛かって来て、ちょうど視界に入ったウスタッシュ。おれはジルの腕を振り払い、飛び出した。
「リャンヌ!」
 ジルの叫び声で、ウスタッシュがこちらを見るが、遅かった。明らかに不意を付かれ、一瞬の隙が生じた。その一瞬だけでも、おれには十分だった。
 体の痛みを堪え、おれは跳躍して渾身の回し蹴りを見舞ったのだった。後頭部を強打され、ウスタッシュは剣を落として前に倒れる。すぐさま転がろうとしたウスタッシュを蹴って仰向けにさせ、おれは拳を鳩尾に沈めた。
「これでおあいこだぜ、ウスタッシュ!」
 奴が意識を失ったのは、誰の目にも明らかだった。
 高揚感で笑顔を浮かべ掛けたが、ジルに腕を引っ張られて我に返った。
「無茶ばっかりするんだから!」
「成功したんだから良いだろ」
「全くもう…。ともかくみんな、行こう」
 むっとするおれに構わずジルは盛大なため息をつき、走り出す。
「一体何考えてるんですか!」
「タイミングが悪かったら、どうなってたやら!」
 アントワーヌとグザヴィエもおれに説教して来たが、聞き流すことにした。
 おれ達は非常口から飛び降り、庭に降り立った。一同、中庭を全力疾走で駆ける。
「侵入者だー」
 というやる気のない声が聞こえたので振り返ると、とろとろ走っている騎士達が見えた。一人と目が合う。ウィンクしてくれた。
 笑いを堪えながら走っている内に、おれは自分の足がもつれていることを自覚した。まずい、さっきの回し蹴りがかなり負担だったようだ。
「リャンヌ、大丈夫? 抱えてあげようか?」
「余計なお世話だ」
 目ざといジルが申し出たが、おれは一蹴した。馬に乗るまでの辛抱だ。
 おれは歯を食いしばり、ひたすらに走り続けた。
 張り巡らされた塀に配置された小さな扉は、警備兵によって守られていたが、彼はおれ達を見るなり快く扉を開いて先導してくれた。
 そのまま順調に木につながれた馬のところに辿り着き、ジルと一緒に乗せてもらう。馬はジルが拍車を入れたため粟を食ったように全力で駆け出したが、おれは反対に全身の力を抜いて息を吐き出した。
 これで安全だ。クラルテ伯に計画が漏れてたことにはヒヤヒヤしたが、上手く行ったようで安心した。
 何だか視線を感じて、おれはふとジルの肩越しに振り返る。ちょうど灯りの点いた窓が見えて、その中には長髪の男が居た。
 それは、錯覚だったのだろうか。男が笑ったように見えたのは、気のせいだったのだろうか――。
「リャンヌ?」
 ジルが心配そうに、おれを見下ろしてくる。
「…何でもない」
 まさか、最初から逃がすつもりだったなんて言うなよ、クラルテ伯――。
 おれは得体の知れぬ恐怖を感じ、己の腕をさすった。

「リャンヌ、着いたよ」
 ジルに囁かれ、馬上でうとうとしていたおれは鈍く覚醒する。
「戻って…来たんだな」
「そうだね」
 ジルの声からは、怒りは読み取れなかった。それでもおれは、自分が情けなかった。
「おいで」
 一足先に降りたジルは、おれに手を伸ばす。体が言うことを聞かなくて、落ちるような形でジルに受け止められる。
「このまま部屋まで運んであげようか?」
 どうしようかと迷っている内に、玄関からキャロラインが出て来た。
「無事に帰られて何よりです! …あら」
 いきなりキャロラインの目が凄みを帯びる。しまった。キャロラインと、"ジルにあんまりくっつかない"約束を交わしたんだっけ。
「おれ、降りる」
「はいはい。わかったから暴れないで」
 じたばたし出したおれを降ろし、ジルはキャロラインを振り返った。
「出迎えありがとう。そっちに何か変わりは?」
「いいえ、特には。随分たくさんの騎士が来たので、慌てて出て来たのですが…その様子では味方のようですね」
 キャロラインが進み出ると、騎士達は馬から降りて一礼した。
 二人で並んで騎士の前に立つジルとキャロラインは、正にこの島の支配者にふさわしく見えた。おれが元気なら、"よっ、ご両人"と冷やかすところなんだが。
「リャンヌ様、大丈夫ですか?」
「この場はジル様とキャロライン様に任せて、お休みになって下さい」
 アントワーヌとグザヴィエが心配そうに顔を覗き込んで来たので、おれは素直に頷いた。死ぬほど眠い。
「さ、こちらへ」
 アントワーヌに手を引かれ、おれは歩き出した。

 おれはベッドに入るなり、眠りに落ちた。心配することもやるべきこともたくさんあったけど、今は全て忘れて眠りたかった。
 怖い夢を見た。
 クラルテ伯・ギイがおれの肩に後ろから触れ、こう囁くのだ。
『ジルの前でいたぶってやろう』と。
 勇気を振り絞って振り返ると、ギイはリュシアンに変わっていた。…良かった。リュシアンだ。しかし、リュシアンは苦しそうに顔をしかめていた。見れば、背中に剣が突き立っている。
 血に濡れた剣を引き抜いたのは――ジルだった。
「リュシアン!」
 名を叫んだ拍子に、目が覚める。
「リャンヌ、大丈夫?」
 当のジルに見下ろされ、おれは目をぱちくりさせる。
「ジル…。あ、ああ…大丈夫だ」
 ジルには失礼な夢を見てしまった。ナンセンスにも程がある。
「今、何時?」
「お昼過ぎ。よく眠れた?」
 ジルはおれの心中なんていざ知らず、汗で額に張り付いた髪をそっと払ってくれた。
「まあな。騎士達はどうなったんだ?」
「この屋敷に全員は入り切らないから、他の隠れ家にも行ってもらったよ。全て、グリーム伯領の隠れ家だけどね」
「そっか」
 ホッとして、おれは今更自分が良いことをしたように思う。
「おれってお手柄だったんじゃね? 結果的に騎士達を集めたぜ」
 得意気に言ってみせると、ジルは大袈裟なため息をついた。
「それ、本気で言ってる?」
 冷ややかな声に、おれは笑顔を凍り付かせる。
「僕らがどれだけ心配したか、わかってる?」
「……ごめん」
 いつかの繰り返しのようだった。
「頼むから、怒らせないでよ」
 静かに請われ、おれはこっくり頷く。
「おれ、まさか…その騙されると思ってなくて。まあ、どんだけ騙されるんだよって自分でも思うんだけど」
「どうやって騙されたか、教えてくれる? アントワーヌの話では、子供を追い掛けて行ったって」
「ああ、その通りだ。子供が、"父親が怪我してるから来てくれ"って訴えて来て。それで追い掛けたら、父親なんか居なくて…騎士団長が待ち構えてた」
 おれの説明に、ジルは考え込むように顎に手を当てた。
「そして、連れ去られたんだね」
「ああ。おれ、調子出せなくて。あっさり気絶させられちまって」
「リャンヌの性格を知って仕組んだとしか思えない。…やっぱり、こちらの情報が漏れてるみたいだね」
 ジルの一言で、その場の空気が緊張感を帯びる。
「内通者か?」
「そう。リャンヌが旅立つ日が、あちらに知られていたみたいだ。偶然にしては、タイミングが良すぎた。おそらく、元からリャンヌをさらうつもりだったんだろうね。屋敷内では手が出せないから、戦の混乱に乗じたんだ。もちろん、あの襲撃で町に潜む叛乱分子を炙り出す意味もあっただろうけど」
 背中に戦慄が走る。こちらに内通者が居るなんて、想像したくもなかった。
「どうして、おれを…?」
 返事を期待はせずにぽつりと呟いたが、ジルは優しく目を細めた。
「それだけ内通者は僕のことを、わかってるんだ」
「どういう意味だ?」
「リャンヌを人質に取られたら、僕は何も出来ない」
 ジルの微笑は透明だったけれど哀しみを含んでいて、胸が締め付けられた。
 おれが聖女でジルは聖女の従者だから、おれを見捨てることは出来ないんだ…。
「だから、この戦いの決着が着くまでは――大人しくしてて」
「ああ…」
 本当におれは、この島ではとんでもない足手まといだ。
 落ち込み掛けたが、おれは一つ思い出したことがあって顔を上げた。
「あの脱出も…伯爵知ってたかも」
 ジルは驚かずに、眉をひそめた。
「ウスタッシュの言ったことを考えると、知ってた可能性は高いね。他に確証は?」
「夕食の際に、"月との逢瀬を楽しんで"って言われたんだ。お前の暗号文を知ってて言ったとしか…」
 おれが言い募ると、ジルは難しい顔で黙り込んだ。
「内通者が、僕の手紙を読んで伯爵に報告したって言いたいんだね」
「ああ。それに、何で月がお前のことを表してるってわかるんだよ?」
「それは難しくないよ。僕が書いてジョルジュに託した時点で、推理出来るはずだ」
 あ、それもそうか。
「ただ…どうやって手紙を読んだか、が問題だね。ジョルジュが途中で読んだならともかく、他には…アントワーヌとグザヴィエしか見てないと思う」
 ジルはうつむいて考え込み掛けたが、すぐに首を振った。
「…犯人捜しは後にしよう。それより、伯爵は知ってて僕らを逃がしたことになるよね? ――ああ、そうか。内部の掃除をしたんだ」
 舌打ちするジルを、おれは不思議そうに見上げる。
「内部の掃除?」
「少しでも伯爵に反抗の意志がある者はもう、こちらに来たはず。戦争で一番怖いのは、内部の叛乱なんだよ。伯爵は数を失うことを承知で、忠実な者だけを傘下に置いたんだ」
「じゃあ、伯爵はリュシアンのことも知ってるのか?」
「リュシアン? それ、誰?」
 ジルは本当に知らないようだった。
「ああ、まだ言ってなかったっけ。リュシアンっていう、滅茶苦茶頼りになる奴が居てな」
 おれは、リュシアンに出会った時のことから説明を始めた。
「誰もその名前は言ってなかったから、よっぽど硬く口止めされたんだね。じゃあ、伯爵も知らないかもしれない」
「良かった。そいつ、騎士団長の息子なんだって。だから信用されてるのかも」
「なるほどね」
 納得したように、ジルは一つ頷いた。
「本当にリュシアンって、すごいんだぜ。若いのに指導力もあるし、行動力も抜群で。漢気があるっつうか、何というか」
 おれが手放しでリュシアンを褒めると、ジルは表情を消しておれをまじまじと見た。
「珍しいね。リャンヌが男を褒めるなんて」
「…そうだっけ?」
 常々、隣のオッサンのお人好しさと親切さは褒めてるような気がするが。
「まあ、他人に厳しいのがおれの特徴だぜ。おれ、お前も褒めたことないっけ?」
「ないよ。僕は褒めるとこ、ないってこと?」
 ジルは意地悪そうな笑みを浮かべて、おれに顔を近付けて来た。何だ、褒めろって言ってるのか?
「えーっとお前は…」
「うん」
「美人だ」
 ジルは複雑そうな表情を浮かべて腕を組んだ。もっと喜べよ。
「それよりジル、腹減った」
 屋敷に帰ってから手当てしてもらい、破れドレスからも着替えたが、睡眠を優先してしまったので食事はまだだった。
「ああ、それもそうだね。持って来てあげるから、ここで食べなよ」
 ジルは快く言ってくれて、立ち上がって行ってしまった。

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