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10.リャンヌ




 おれは誰かの呼ぶ声で、目を覚ました。
「リャン様! お起きになりましたのね!」
「頑丈な奴だな」
 おれの顔を覗き込んでいるのは…お嬢とベルトランだった。
「お前ら…」
 おれは混乱しつつ、身を起こした。
 どうやら、ここは馬車の中のようだ。
 そして、隅っこに居るのは…
「…リャン」
「姉さん」
 リャンはおずおずと、お嬢とベルトランに遠慮しながら近寄って来た。
「良かったです、無事で」
「こっちの台詞だ、馬鹿野郎」
 おれはリャンの首に両腕を回した。
 懐かしい、弟。
 何も変わっていない。
「リャン様…じゃなかった、リャンヌ様。あなたは女性だったのですね」
 お嬢の言葉に、おれは思わずお嬢を振り向く。
 お嬢は泣いていた。
「わ、悪い。騙してて…」
「良いのです。事情は、オイディプスから聞きましたわ。仕方ないことだったのですね」
 オイディプス。
 おれはその名に、反応せずにいられなかった。
「ジルはどうなった!? 何でおれやお前らは、ここに!?」
「…リャンヌ様、いちからお話いたしますわ。だから落ち着いて下さいまし」
 お嬢はベルトランに頷き掛けた後、ゆっくりと話し始めた。

 私は別荘に、ベルトランは実家にそれぞれ帰っておりました。
 そこへ、教皇庁から使者がやって来たのです。私の所に来た使者は、オイディプスでした。
 あなたが本当は女性でしかも聖女だったこと、ネージュ公爵の計画、そしてリャンヌ様がさらわれたということを全て聞きました。
 更に、彼らは私達に頼みました。学校であなたの最も近くに居たのが、私達だったから。
 ネージュ公爵がいかに邪悪に聖女に接していたか、宗教裁判で証言してくれと。
 その代わり、聖女の救出に同行させると。
 私はあなたが心配でたまらなかったし、あなたの口から真実を聞きとうございました。
 だから…承諾したのです。
 ベルトランは、女侯爵に行くように強要されたからですって。
 ネージュ公領へ向かう馬車の中に、リャン様…あなたの弟様も乗っておりました。ラフォンヌ伯爵が、告発と共に教皇庁へリャン様を引き渡したというのです。
 私共は共にネージュ公領へ向かいました。
 役人達がネージュ公爵を捕まえに行っている間、少し離れた所で待っていました。
 そして、先ほどリャンヌ様が運び込まれたということです…。
 今、この馬車はこの国の教会本部へ向かっています。
 ネージュ公爵を乗せた馬車もそこへ向かっていますが、その馬車は早馬を使い更に馬を変え続けると言ってましたから…もう大分離されたでしょうね。
 もしかすると、もう着いているかもしれません。

 お嬢の話が終わると、しばらく沈黙が続いた。
「ネージュ公爵…ジル様が敵だなんて、思いもしなかったですわ」
 沈黙を破ったお嬢は、憂鬱そうにため息をついた。
「リャンヌ様、あなたは悪くありませんわ。全ては、企んだ者が…」
「ジルだって悪くない!」
 おれはつい怒鳴ってしまった。
 呆気に取られる三人を見て、気まずくなる。
「あいつだって、利用されたんだ。頼むから聞いてくれ。おれはこのままで、終わらせたくない」
 おれはジルの事情と、ラフォンヌ伯爵やガルヴァランツ公爵があっさりジルを捨て駒にしたことを、一気に話した。
 もしおれに協力してくれる奴が居るとすれば、こいつらしか居ないと思ったから。
 話を聞き終えて、リャンは涙を浮かべていた。
 巻き込まれて理不尽な目に遭ったってのに、ジルに同情している。全く、おれの上を行くお人好しだ。
 お嬢は…号泣していた。
「そんな理不尽なことありませんわーっ!」
 背後のアン・ドゥ・トロワも、すすり泣いている(すまんが場違いだ)
「何と!」
「不憫な!」
「悲劇の公爵!」
 何の劇だよ。シリアスが台無しじゃねえか。
 ベルトランは泣いていなかったけど、真剣な目をしていた。
「お前は公爵を助けたいんだな?」
「ああ。このままじゃ、あんまりだろ?」
「そうか。手がないことはないぞ」
 ベルトランの言葉に、皆が目を見開く。
「お前は聖女なんだろう? どれだけ教会に、影響力があると思っている」
「でも、ジルはおれが否定しても誘拐の事実がある限り無駄だって…」
 ベルトランはにやりと笑った。
「否定じゃなく、もっと良い方法がある」
「あ、そうですね」
 リャンがぽん、と手を打つ。
 馬鹿なおれとお嬢は、まだよくわからなかった。
「姉さん、あなたは聖女なんですよ」
 リャンは笑み、首を傾げた。
 そこで、おれもようやっと合点が行った――…。

 おれは教会本部に着いてすぐ、特別な部屋に入れられた。
 聖女の部屋というらしく、小綺麗な部屋だった。
 リャン、お嬢、それにベルトランとは一旦離されてしまったが、淋しくはなかった。
 煮えたぎる思いが、それを凌駕していたからだ。
「入るぞ」
 オイディプスが、唐突に入って来た。
「オイディプス…てめえ」
「何故怒っている、聖女」
「聖女って呼ぶんじゃねえ」
 おれは冷たく一蹴した。
 怒鳴りたい衝動を抑え、冷静になろうとする。
「…お前、ずっとジルのこと知ってたんだな」
「ずっと、じゃない。ガルヴァランツ公爵の息子の急激な回復とネージュ公爵の留守に気付いた教会が、セルン神学校に俺というスパイを送り込んだだけのこと。ネージュ公爵は、教会にとって危険人物だ。監視する義務があった」
「おれのことに気付いたのは、いつだ?」
 オイディプスの唇が歪んだ。
「上手く化けていたが、俺にはすぐわかった。お前が女だってことはな。しかも、怪しいジル・ド・ガルヴァランツと同室。これは何かあるなと思い、俺は教会に報告したのさ」
 オイディプスはおれの肩に手を置き、目をつむってみせた。
「お前は役人だったのか」
「まあな。スパイという名の役人だ。…お前、何を怒っている?」
「怒っているように見えるか」
「ああ」
 オイディプスは、声を立てて笑った。
「ジルに同情してるのか。お前をとことん利用しようとした奴に、どうして同情する」
「お前にはわからねえよ! ジルは処刑されるのか?」
「ああ。裁判を開いても無駄だから、宗教裁判と共に処刑式も行われるそうだ」
 大して興味もなさそうに、オイディプスは頷く。
「いつだ?」
「まだわからない」
 おれは、きりりと唇を噛む。
 今、あのことをこいつに言ってはならない。
 言えば、勘付かれる。
「そうか。ってかお前、何しに来たんだよ。もう帰れよ」
「ご挨拶だな。言われなくとも帰るさ」
 オイディプスが出て行こうとするところを、おれは慌てて呼び止めた。
「リャンやお嬢やベルトランに会わせろ」
「ふん…? まあ良い。連れて来てやろう」
 そうして今度こそ、奴は部屋を後にした。

 三人(とアン・ドゥ・トロワ)はしばらくして、おれの部屋にやって来た。
「よく来たな。誰も付いて来てねえだろな?」
「ああ。教会は、僕達の監視には無関心らしいな」
 ベルトランが、ずかずか入って来る。
 ドアが閉められたと同時に、おれは口を開いた。
「処刑日は未定だそうだ。どうにかして、あの日に合わせてえんだが…」
「リャンヌ様、私本国の教会に働きかけてみますわ。そこを通して、日程を調整出来るかも…」
 お嬢の申し出に首を振ったのは、ベルトランだった。
「それじゃ遅い。僕の母上は、教会に貸しがある。頼んでみるか?」
 クドリエ女侯爵を頼るのは、正直嫌だった。
 だって、あいつのせいでジルの計画は壊れちまった。
 ダルブル男爵の買収…そしておれへの暴露。
 実を言うと、おれはジルの計画が上手く行けば良かったと思っていた。
 聖女がインチキなら、否定されれば良い。
 それで満足する奴も居れば、神の不在を嘆く奴も居るだろう。
 だが、おれは信仰ってのはそんなもんじゃねえと思ってる。
 だから、聖女が否定されても影響されない奴はされないだろう。
 ならば…
「姉さん?」
 リャンの声で、おれは我に返った。
「おっと…すまねえ。おれ、クドリエ女侯爵が快く引き受けるかどうか、わかんねえよ」
「そこは心配ないと思う。“貸し”を作るのは好きらしいから」
 とことん嫌な女だぜ。
 おれは迷う心を、叱咤した。
 このチャンスを逃すわけにはいかない。
「じゃあベルトラン、頼む。ここから抜けられるか?」
「ああ。明日までに帰れと言われてた、とでも言って一度帰るさ」
 早速、と言わんばかりにベルトランはドアの方へ向かった。
「頼むぜ!」
「ふん。あの日までには戻る」
 ドアは閉じられた。

 ベルトランが出発してからの日々は、何とも退屈だった。
 教会が用意する服を着て、食事を食って、寝て。
 毎日お嬢とリャンが訪ねて来たが、三人共心は始終上の空だった。
 ある日、お嬢がおれに向かって言いにくそうに頼んで来た。
「リャ、リャンヌ様。もし良かったら、二人で庭を散歩しませんこと? 警備の方に聞いたら、中庭なら出歩いても良いということで…」
「は? 二人で?」
 リャンは何でだめなんだ、と聞きかけて止まる。
 お嬢はまだ、おれが女だということを完璧に理解したわけじゃないのかもしれない。
 おそらく、頭でわかっていても心が付いて行かないんだろう。
 今おれは聖女らしく白い女の服を着けているが、行動や口調はそのままだからお嬢は納得が行かないのだろう。
 …お嬢なりに、ケジメを付けてえのか。
「わかった。ちょっとやることがあるから、先に行っててくれねえか?」
「わかりました」
 ぴょこんと一礼して、お嬢はいそいそと出て行った。アン・ドゥ・トロワも、ぞろぞろ付いて行く。
 きょとんとしているリャンに、おれは説明してやった。
「あいつ、リャンに化けてたおれに惚れてたんだよ。まだ気持ちの整理が付かないから、おれと二人きりで話したいんだろう」
「なるほど。姉さん男前ですから、仕方ありませんね」
「嬉しくねえよ。…そこでだ、リャン。一瞬、服を替えてくれねえか?」
 おれの頼みに、リャンはぎょっとする。
「頼む。あいつの惚れてた“リャン”で、最後くらい会ってやりたいんだ」
「わ、わかりました。でもそれ、僕が姉さんの服着なきゃいけないってことですよね」
「一瞬だから、我慢しろ」
「…はい」
 リャンは観念した。

 庭に佇むお嬢に、おれは背後から声を掛けた。
 アン・ドゥ・トロワは姿が見えないが、どっかに居るんだろう。
「お嬢」
「…リャン様? いえ、リャンヌ様?」
「男装、懐かしいだろ」
「男装ということはリャンヌ様ですのね」
 お嬢はふわりと笑った。
「今はリャン、って呼んで良いぜ。お前の惚れてたおれだ」
「…リャン様…」
 みるみる内に、お嬢の瞳から涙が滑り落ちる。
「私、まだ信じられませんの…。全然、女性だなんて、思わなくてっ」
 しゃくりあげながら、お嬢は泣き続ける。
「悪かったよ。もっと、突き放してやるべきだったな」
「私っ、本気でしたのっ。あなたの全てに惹かれてっ、迷惑とわかっててもどうしようもなかったんですの!」
 迷惑って思ってたのかよ。
「迷惑じゃあ、なかったぜ。まあ、ちょっと行き過ぎなところはあったけどな」
 おれのフォローに、お嬢は動きを止める。
「リャン様…もしあなたが本当に男性だったら、私の気持に応えてくれましたか?」
 すげえ質問して来やがった。
 おれは思わず噴き出す。
「真剣ですのよ!」
「わかってるって」
 おれはしばらく、考える素振りを見せてから答えた。
「そうだな。――考えたかもしれねえな!」
 我慢し切れず、お嬢が泣き出す。
 最後に大サービス、ってことでおれは腕を広げてやった。
 胸に飛び込んで来たお嬢の勢いが良すぎて、思わずコケそうになったが。
「お嬢、これでおれ演じるリャンのことは忘れるんだぞ」
「無茶言いますのね…。私、あなたより男前な方見たことありませんのよっ!」
 おれは声を立てて笑った。
 腕の中のお嬢は、存外にかわいらしく見えた。
「おれは女だから、お前の気持に応えてやることは出来ねえけど…。まあ、これからはダチとしてやって行こうぜ。おれより男前な奴が現れなくても、おれを恨むなよ」
「まあ」
 お嬢はようやっと、笑顔を浮かべた。
「か、感動的過ぎです」
「り、リャンヌ様優しすぎです」
「ひ、姫様切な過ぎます」
 いきなり芝生から号泣しているアン・ドゥ・トロワが出て来て、こう言った。
「てめえら、出て来んじゃねえよ! 感動シーンが台無しだろ!」
 全くもって、こいつらはシリアスをぶっ壊す名人だ。
 ま、これくらいがおれ達らしいのかもしれねえけどな。

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