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3.オイディプス



 ジルは腹を抱えて笑った。
「笑い事じゃねえだろ!」
 部屋に帰って来てすぐ報告したら大笑いされ、腹が立った。
「ごめんごめん。あんまりにも、予想通りだったんで」
 目に浮かんだ涙を拭い、ジルは言った。
「何で予想出来てんだよ。…それにしても、これってやばくねえ? ばれやすくなるんじゃ…」
「うーん。まあ、大丈夫だと思うよ。レイチェルは結構、何かと抜けてるからね」
 かなり失礼なコメントだ。
「で、君。その後どうしたの?」
「ふざけんな! って言ってやった。めげてなかったけどな、あいつ」
 もうすぐ夕食のために食堂に行かなくてはならないが、正直言って死ぬほど憂鬱だ。
「もしレイチェルと結婚したら、王族になれるよ」
「阿呆か」
 確かにそれだったら大人物になるという目的は達成出来る…が、どう考えても不可能だ。
 大体、おれが本当に男だったとしても、お嬢の夫になるなんて御免だ。
「でもお嬢って、王の姪だろ? 直系じゃないんだったら、跡継ぎじゃないよな」
「現在の王には、子がない。その上、一番血が近い跡継ぎ候補はレイチェルなんだよ」
 つまり、お嬢は時期女王となる確率が高いってことか。
 そんな奴に惚れられるとは、びっくりだ。
「まあその内、熱も冷めるだろ。王族と庶民が結婚出来るわけねえし」
「この国ではね」
 ジルは意味あり気に微笑んでみせた。
「レイチェルの国では、庶民が王族と結婚した前例があるんだよ」
「は!?」
 どういうことだそれ。
「数代前の王は、残虐非道な暴君だった。家臣の言は無視し、掟は平気で破った。その破られた掟の一つが、“王族は平民と婚姻してはならない”というものだったんだ」
「へえ。じゃあお嬢も、暴君になるってことか?」
「そうじゃない。続きがあるんだよ」
 もったいぶらず、早く言えっつの。
「王と結婚させられたその平民の娘は、才知に長けた人だった。結婚してすぐ、王が急死したんだけど…」
 ん、話が読めてきたぞ。
「その奥さんが、女王になったってことか?」
「そう。子供がまだ小さすぎて、そっちはまだ王の代わりを務めることが出来なかったからね。彼女の才は素晴らしいもので、先王によって荒れた国を立派に立て直したらしい。前例の結果がハッピーエンドだから、禁忌ではなくなったんじゃないかな」
「なーるほど」
 結婚する気はさらさらないが(あった方がやばいだろ)、素直に納得してしまった。
「さ、もう夕食の時間だ。行こうか」
「はいよ」
 正直嫌だったが、おれは渋々立ち上がった。
 お嬢に見付かりませんように。

 おれとジルが席に座った瞬間、お嬢の声がした。
「リーヴル様!」
 リーヴル? 誰だそれ。あ、おれの名字か。
 考え込むおれの目の前に、お嬢が座った。
「向かい側、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
 愛想良く、ジルが答えた。勝手に答えてんじゃねえよ!
「おいお嬢。リーヴル様、ってのは止めろ。誰のこと呼んでるのか、わからんくなる」
 “様”付けされたことなんて、生まれてこの方初めてな気もするし。
「じゃあ、ファースト・ネームで呼んでよろしいのですね?」
 妙に嬉しそうなお嬢。勝手に呼んでろ。
「リャンから聞いたよ。リャンに、心を盗まれてしまったんだって?」
 ジルが貴族らしく、うっとうしい言い方をした。ええい、歯が浮く。
「その通りですわ。結婚式はきっと、壮大なセレモニーにしてみせますわ」
 話、進みすぎだろ。
「ふざけんな」
「私、真面目ですわよ」
 食欲、失くして来たぞ…。

 おれは“何とかなった”ということを親に伝えておこうと思い、寝る前に手紙を書くことにした。
 便箋はジルにもらったんだが、何と奴はガルヴァランツの紋章付きのものしか持っていなかった。
 この手紙を受け取る時、親父もお袋もぶっ飛ぶに違いない。
 机に向かい、おれは書き始めた。
「えーっ、拝啓親父・お袋…」
 リャン、と続けそうになっておれは止まる。
 どうやら、完全に弟の死を自覚出来ていないようだ。
 頭を振り、意識を手紙の上に戻す。
「えーっと、元気か…」
 実は、こうやって考えて文字を書かなきゃいけない時、読みながらじゃないと書けないという癖がある。
 カーテン閉めてるとはいえ、確実にジルには聞こえるだろうが…まあいいか。
「あーっと…」
 面倒くせえ。簡潔にまとめてやろう。
「ガルヴァランツ公爵の息子を味方に着けた。隣国の、次期女王かもしれない奴に惚れられた。こんな感じで何とかなりそうだ」
 これじゃ、あんまりか?
 カーテンの向こうで、ジルの笑い声が聞こえた。
 やっぱり、まだ起きていやがったか。
「笑ってんじゃねえよ」
「ごめんごめん。でも、それじゃ短過ぎるんじゃない?」
「うっせえ」
 手紙は苦手だ(そもそも、文字を書くのが好きじゃない)。
「じゃあ、“おれは元気だ”とでも付け加えておくか」
「それだけ!?」
 ジルのツッコミも気にせず、おれはペンを置いた。

 一週間くらい経って…
 おれは何とか学校に慣れて来た。
 授業もジルに教えてもらって何とか…なりそうな気もして来たし、お嬢の猛烈アプローチにも慣れた(しかし、うっとうしいことに変わりはない)。
「リャン様! お昼休みですわよ!」
 来た。
「わかってるって」
「じゃあ、一緒に行きましょう」
「一人で行く」
 おれが頑として言うと、お嬢は顔を真っ赤にした。
「リャン様! 孤食はいけませんのよ!」
 何の話だ。
「わかったわかった」
 血管切れられても困るので、おれはここら辺で妥協しておいた。

 お嬢と共に(不本意ながら)飯を食っていると、ジルが入って来るところが見えた。
 そういえば、ジルは今も隣に居る、悪人面の奴と大体一緒に歩いている気がする。
 悪人面と称するのは失礼かもしれないが、そう見えるんだから仕方ない。
 彫りの深い顔は、一発で異国の者だとわかる。
 あれ、東方にあるあの国。かつて繁栄を貪り、今では遺跡がごろごろ転がっているだけという、オリーブの木と青い海が有名な国。
 あそこで発掘されたという彫像に、いかにも似た顔だ。(近くの町で遺跡の展示会があったので、家族で行ったことがある)
 ぼんやりそんなことを考えていると、お嬢が囁いて来た。
「ちょっとリャン様! あんな悪人をじっと見つめていたら、因縁付けられますわよ」
「悪人? 確かに、悪そうに見えるけど…そんなに評判の悪い奴なのか?」
 おれも、一応声をひそめておいた。
「そりゃーもう。あの人の一族は代々続く商人なんですけど、商売のやり方がびっくりするほど汚いんですのよ。泣かされた人が、どれだけいると思います?」
「商人なのに、この学園に通っているのか?」
「最近、フューン伯爵から土地と爵位を買ったらしいですわ」
「へえ…。爵位を買ったってか」
 そいつの親父かお袋(もしくは親戚)がそういうことをしてても、そいつ本人が悪人かどうか判断決められない気もするが、“家=本人”と見るのは貴族や王族の間では普通らしい。
「東国の人っぽい顔立ちだよな」
「色んな国の血が混じってる、って噂ですわ」
 お嬢は不快そうだ。
 上の奴らは、純血を重んじるとか誰かが言ってたっけ。
「じゃあ、何でそんな奴とジルがつるんでるんだ?」
「ガルヴァランツの若君のことですの? さあ…馬が合うとか?」
 ってことは、ジルも意外に悪かもしれない。
「あの人、賭け事とか平気でやっているらしいので、そのことを寮長として注意してるのかもしれませんわ」
「賭け、ねえ」
 ちょっとやってみたいかもしれない。
 肩をすくめ、おれは食事を再開した。
 視線を感じ、顔を上げるとジルが手を振っていた。
 しかし、この強烈な視線の主はジルじゃない。その隣だ。
 神秘を感じさせる黒い瞳が、おれをねめつけている。
 思わず、ぞっとした。
 何となく…あいつは、おれが女であることを見抜いているかもしれない、と思ってしまった。

 気に食わねえ。
 おれはぎりり、と歯を食いしばった。
「ちょっと、リャン様!」
 お嬢の悲鳴で我に返ったおれは、自分がお嬢の首を絞めていることに気付いた。
「おっと、悪い悪い」
「もう、何てことなさるのですか!」
 お嬢は大袈裟に息をついてみせたが、ピンピンしていた。(まあ、こいつは殺したって死ぬまい)
 “気に食わない”ことを考えている時に“気に食わない”奴が居たものだから…ついつい。もっとも、今考えていた“気に食わない奴”はお嬢じゃないが。
「ああ、あと一時間で授業も終わってしまいますのね」
「結構なことだろ」
「何を言ってらっしゃるんですか。退屈な授業も、私にとってはあなたと空間を共有出来る貴重な時間なのです」
 ……こいつ、危ないぞ。
「何でそんな嫌そうな顔、なさいますの?」
 嫌だからに決まってんだろが!
 怒鳴りたい衝動を抑え、大きくため息をつく。
「まあ、男らしくて凛々しく見えるのでよろしいですけど」
 おちおち、しかめっ面もしてられない。
「男らしい…ねえ?」
「ええ。リャン様ほど男らしい方、私見たことありませんわ」
 男らしい…そう、そう簡単にバレやしないだろう。
 なのに、こんなにも不安なのは何故だ?

 夕食後、おれはジルから暦学を教わっていた。
「で、暦学は天文学と深い関係にあるから…ってリャンヌ、聞いてる?」
「うーん。聞いてるぞ」
「何か考え事?」
 指摘され、おれは素直に頷いた。
「お前さ、悪人面の奴とよく一緒にいるじゃん?」
「…悪人面?」
 ジルは戸惑った後、急に手を打った。
「オイディプスのこと?」
「オイディ…プスか何か知らねえけど」
 おれは一つ、咳払いをした。
「あいつに昼、睨まれたんだけど…まるでおれが女だってこと見抜いているような目だった」
 ジルが肩をすくめる。
「気のせいじゃない? おいそれと、気付かれるものじゃないよ」
 一瞬で気付いた奴が、よく言うもんだ。
「だってあいつ、噂によれば悪なんだろ? 賭け事もしてるっていうし、勘とか鋭かったり…」
「うーん。確かに、素行は褒められたものじゃないけどね。遠目で、君の正体を見抜いたとは思えない」
「そうかよ」
 おれは一旦引き下がった。もちろん、納得したわけじゃない。
「何でお前、そんな素行の悪い奴と仲良いんだ?」
「え、仲良く見える?」
 違うのかよ。
「まあ、結構話が合うんだけど」
「そういうのを、仲良いって言うんだよ」
 ジルはやっぱり、見かけによらず悪に違いない。
 その時、ドアがノックされた。
「誰?」
「俺だ」
「噂をすれば影、だね」
 ジルがドアを開けると、話題の主・オイディプスが立っていた。
「風呂貸して欲しいんだが」
「風呂? どうぞ」
 ジルが招き入れたので、オイディプスはずかずか中に入って来た。
 奴は、おれを傲然と見下ろした。
 むか。ちょっとでかいからって、何だその態度。
「何見てんだよ。文句あんのか?」
「元気が良いな」
 黒い瞳が、怪しく光った気がした。
「何なんだよお前!」
「はいはいリャン、どうどう」
 ジルがまるで馬に対するように、おれをなだめた。
「大体てめー、共同風呂に入りゃいいだろ」
 すごむおれを、奴は笑った。
「たまには良いだろう? 広い風呂を、ジルとお前だけに使わせるのは、勿体無い」
「そういう問題? オイディプスも、親に頼んだら圧力掛けて色々作ってもらえるよ。僕の場合、頼んでないのにしてくれたけどね」
「あいにくと、俺の親はガルヴァランツ公爵のような親馬鹿じゃない」
 冷たい一言に、ジルはケラケラ笑った。
 おいおい。
 おれはオイディプスが、じっとこっちを見ていることに気付いた。
「…いつまで続くんだか」
 油断すれば、聞き取れないほど小さな囁き。
 だが、おれはしっかりと聞き取った。
「今、何て言った?」
「別に」
 オイディプスは風呂に向かうため、おれの視界から消えた。
「リャンヌ?」
「…何でもねえ」
 何故かジルに言う気が起こらず、おれは嘘をついた。

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