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4.リャン(追憶)



 おれの一番苦手な授業が、発覚した。
 それは古典でも暦学でもなく…音楽だった。
 二分音符、四分音符、八分音符――はっきり言って、オタマジャクシ以外の何物にも見えない。
 まあこれ自体嫌なんだが、もっと嫌なのは――…
「はいっ、では皆さん。合唱に入りますわよ!」
 ヒゲ面のオッサンのくせにナヨナヨした、この教師。
 おれはヒゲカマと呼んでいる。
「くっそ…こんな歌詞読めるか」
 おれの大大大嫌いなヒゲカマの出身国の古語で書かれた、賛美歌。
 音符も読めなきゃ歌詞も読めない。正にお手上げだ。
「あら、リーヴルさん。汚い言葉は、この授業では禁止って言ったでしょ?」
「うるせえ!」
「まーた言ったわね! 私をなめてるでしょう?」
 ばれたか。
「居残りで課題をしてもらいます!」
 いきなり言われ、さすがのおれも戸惑った。
「出来の悪いあなたにも、音符が読めるようにしてあげるわ」
 結構だ。
 だが、おれよりもっと怒ったのはお嬢だった。
「何ですのあの人! 私とリャン様が共に居られる時間が、減ってしまうではありませんか! リャン様…お淋しいでしょうから、私も一緒に残りますわ」
「やめとけ」
 ヒゲカマとお嬢…こんな二人と放課後まで一緒に居たら、こっちがおかしくなっちまう。
「まあ…私を残らせるのは不憫だと思って…?」
 また自分に、都合の良い解釈をしてやがる。
 おれは深々とため息をついた。

「じゃあ、これは何の音?」
「…ド?」
「違うわ、シのフラットよ! 一体、何回言ったらわかるの?」
 ヒゲカマを殴りたくて仕方ない。
 何がフラットだ! 意味わかるか! ぶっ殺す!
「――何、その目」
 ヒゲカマは剣呑なおれの目を見て、後ずさった。
「あのねえ。そんな野良犬みたいな目、やめてくれる? 私、粗野な人って嫌いなの」
 何だと。
「言わせておけば! おれだって、お前みたいなカマ野郎大嫌いだ!」
「何が気に入らないっていうの?」
 喚く奴のせいで、おれの神経はぶちぶちと切れ続けた。
「そのヒゲと顔と声とその仕草! 考え方に口調に教えている教科自体、気に入らねえ!」
「酷い! それって全否定じゃないの!」
「そうだ、全否定だ! 文句あるかこの野郎!」
 おれは思わず立ち上がった。
 その時、ドアの方から囁き声が聞こえて来た。
「止めるべきですか?」
「面白そうだし、良いんじゃない?」
 あの声は…
 おれはドアまで行き、勢い良く開けてやった。
 案の定、ドアの外に立っていたのはジルとお嬢。
「何やってんだ、お前ら」
「リャン様のことが心配で心配で…」
 お嬢は涙ながらに語った。
「僕も心配で心配で…」
 ジルもお嬢にならう。
 心配したと言っている割に、こいつは笑いを堪えている。
「ふん。おい、ヒゲカマ。おれ心配されてるらしいから、帰っていいだろ」
 何気なく出て行こうとしたおれの首を、ヒゲカマが掴んだ。
「騙されないわよ。あなた達、この暴れん坊が心配なら教室の中で見物していると良いわ」
 くそ、だめだったか。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 お嬢がヒゲカマを睨みつつ、入って来た。
 恨みは深そうだ。
「失礼します」
 ジルはまだ、笑いをこらえてやがる。
「まあ…。せっかくですから、私のチェンバロでも披露しようかしら」
 大物二人(?)が来たせいで、気を良くしたなヒゲカマめ。
「良いですね」
 ジルが無難に答えると、ヒゲカマは嬉しそうに部屋の中央に置かれたチェンバロへと近付いて行った。
 何でこいつのチェンバロなんて、聴かなきゃいけないんだ。
「別に、聴きたいなんて言ってませんのに…」
 ぼそっと、お嬢が呟く。実に同感だ。
「じゃあ、適当な所に座って」
 ヒゲカマに指示され、おれ達は椅子に座った。
「曲は何が良いかしら」
 知るか。
「…じゃあ、皆さんにお馴染みの曲にしましょう」
 そう言って、ヒゲカマは弾き始めた。
 ジルとお嬢はこの曲を知っていたらしく、頷いている。
 ところが貴族にはお馴染みでも、おれはとんと聴いたことのない曲だった。
 またこれが、静かで単調なメロディなので、おれはうっかりぐーすか寝てしまった。
 最後の“ジャン!”という音で目を覚ましたおれは、ヒゲカマの満足そうな顔を見ることが出来た。
「リーヴルさん。静かに、真剣に聴いていましたね」
 いや、寝てただけなんだが。
「じゃあ、今日はもう帰ってよろしい」
「おっしゃあ!」
 おれは万歳した。
 そんなおれに、ジルが思い出したように言った。
「手紙の返事が、返って来てたよ」
「…本当か?」
 おれは万歳の姿勢のまま、真顔で尋ねた。

 部屋までの帰り道、おれは無口だった。
 お嬢のキンキン声も気にせず、考えに没頭していた。
 手紙にどんな返事が返って来たのか、気になって仕方なかったからだ。
 実はおれは、お袋には黙ってここに来た。
 止められることがわかっていたから、言わなかった。
『おい、親父。おれ…リャンの代わりになってやろうか?』
 おれがそう言った時、親父は目を見開いて呻いた。
『本気なのか…良いのか…』
 その声にこもっていたのは、明らかに期待。
『しっ』
 そこはリャンの――元・リャンの部屋だったが、いかんせん壁の薄い我が家。
 居間のお袋に聞かれることを恐れ、おれは親父を黙らせた。
『お袋には、言うんじゃねえぞ』
『ああ――…誰にも、言わない』
『出発は明日だったよな?時に親父。リャンの死を、何人に言った?』
 あまりにタイミングの悪い死だったため、リャンの葬儀はごくごく身内でひっそりと行われた。
『葬儀に来た…シュクル一家と村長だけだ』
『おっしゃ。そいつらには、口止めしてあるよな?』
『一応な』
 いける、と思っておれは腹を決めた。
『いいか、親父。死んだのは、“リャンヌ”ってことにしろ。他の奴にはな。おれ、今日の夜中に家を出て、ラフォンヌ伯爵との待ち合わせ場所に行く。“リャン”として…。頼むから、誰にも言うなよ』
 熱のせいか空腹のせいか…親父はふらふらと頷いた。
 おれはいつもと変わらぬ風を装い…夜を待った。
 そろそろ午前一時という頃、おれはベッドから抜け出してリャンの部屋に行った。
 吊るしてあった真新しい制服を手に取り、寝巻きからそれに着替えた。
 そして、ナイフを取り出して机上の鏡を見据える。
 ためらいもなく、ゆるく三つ編みにした髪の房を、根元からばっさり切ってやった。
 短いとリャンと区別が付かないから、と言われて仕方なしに伸ばしていた髪だった。
 あの言葉がいかに正しいか、その時知った。
 鏡に映っていたのは、“リャン”としか思えなかった。
『へっ。似てんじゃねえか』
 言わずにはいられないほどだった。
 おれはリャンが荷造りした荷物を手に、窓から外へ出た。
『じゃあな』
 一度だけ振り返り、おれは村の入り口へと向かった。
 そこに着いた時間もまだまだ朝には遠く、おれは座り込んで何時間も待った。
 朝が来るのを…迎えが来るのを…。
「リャンヌ?」
 ジルに声を掛けられ、おれは我に返った。
 いつの間にか、部屋の中に入っていた。
「ほら、これだよ」
 ジルが、手紙を差し出す。
「悪いな」
 おれはこらえ切れず、立ったまま手紙の封を切った。
 そこに書かれていた文字の筆跡は、親父のものともお袋のものとも違っていた。
“こら、リャンヌ!”
「ルネ…」
 思わず、おれは呟いた。
「ルネって誰?」
 ジルが横槍を入れて来たので、おれは教えてやった。
「幼馴染。リャンとも仲が良かったから、よく三人で遊んだりしたんだ。何でルネが手紙を書いたのか、いまいちわかんねえけど」
 ルネはルネ・シュクルと言い、リーヴル家とシュクル家は家族ぐるみの付き合いをしている。
“あんた、何であたしがこれ書いてるのかって思ったでしょ?”
 読み進めたおれは、図星を指されてぎくりとした。
“あんたの父さんは病気が酷くなって、もう文字を書くことすら危うくなったの。おばさんの方も、看病で大変だし…ってことで、あたしに白羽の矢が立ったってわけ。リーヴル家以外で文字が書けるのはあたしだけだから、当然の成り行きよね”
 親父は、そんなに悪くなってるのか…。
“ま、それはともかくとして…あんたねえ。あたしに一言ぐらい、どうして言って行ってくれなかったの? どうせ『止められるから』ってあんたは言い訳するんでしょうね。確かに、あたしは言われたら止めたと思う。それはおばさんもでしょね。だって、無謀すぎるもの。いくらあんたがリャンにそっくりだからって言っても、限界があるわよ。あたしとおばさんは、あんたがいつ学校から追い出されて帰って来るかってドキドキしてたのよ!?”
 読んでる内に、色々と反省して来た。
“そしたら、いきなり手紙が来て…しかもガルヴァランツの家紋付き! そりゃびっくりしたわよ。――何とか、上手くやってるみたいね。でも、油断しちゃだめよ。おばさんが、『早く帰って来て欲しい』って言ってたわよ。確か、長期休暇があるのよね? その時に、絶対帰って来ること! 約束よ!
                                      ルネ
 追伸:ガルヴァランツの令息に、よろしく言っておいて。
 追伸2:なに女に惚れられてんのよ。
 追伸3:もっと長くて愛想のある手紙にしなさい。”
 追伸多すぎ。
「どうかした?」
 ジルは、引きつったおれの顔に気付いた。
「何でもねえ」
 どうしようもなく、泣きたくなったとは言えない。
「ルネが、お前によろしくだとさ」
「はいはい。…幼馴染、羨ましいね。幼馴染って、きょうだいみたいな感じ?」
 ジルが興味深そうに、聞いて来た。
「うーん、そうだな…わりかし…」
「よければ、リャンヌが村でどんなだったか聞きたいな」
 庶民の生活にでも、興味があるのか?
 おれはちょうど懐かしい気持ちになっていたので、語ってやることにした。
「大体、同じ毎日の繰り返しだった…」

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