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7.エレーヌとイレーヌ



 何と、ベルトランを突き落としたのはオイディプスかもしれない、ということが発覚した。
 ベルトランを川べりに呼び出したのはオイディプスだったのだという。
 おれは直に見なかったが、やはりあいつも出席していたらしい。
「それ、本当かよ」
 おれは朝食の席でそれを聞き、大いに驚いた。
「ああ。いきなりパーティで『川べりに来い』って言われて」
「へええ。でも、お前を川に突き落としてオイディプスが得するか?」
 おれの発言に、ジルが苦笑した。
「親の…フューン伯爵の命令かもしれないよ」
「あ、そうか」
 おれは舌打ちした。
「お前、もうパーティとか出席すんなよ。毎度毎度狙われてたら、命がいくつあっても足んねえぞ」
 思い出したように、ベルトランに説教してやった。
 怒るかと思いきや、ベルトランは素直に頷いた。
「もう、母上がしばらく出なくて良いって言って来た」
「あの女侯爵が?」
 信じらんねえ。
「お前の言葉が、ショックだったらしい」
「本当か?」
 “戦慄の女侯爵”におれの言葉が効いたとは、にわかには信じ難かった。
「そんなこと、いつ言われたんですの?」
 今まで黙って聞いていたお嬢が我慢出来なくなったらしく、しゃしゃり出て来た。(こいつの沈黙は1分も持たない)
「川から助けられた後、言われた。お前らが去った後だな」
 微妙に、ベルトランの口が歪む。
 また女装のこと思い出して、笑いこらえてやがるな。
「姉上達は好きで外交をやっているけど、僕は嫌々してた。それを知りながら続けさせていて、すまなかったと言われた」
「凄いね、リャン。女侯爵をそこまで反省させるなんて」
 ジルが感心したところへ、お嬢がとんでもない茶々を入れて来た。
「ベルトランを救ったのは、お姉様だと聞きましたけど…? どうして、リャン様が説教なさったんですの?」
 おれは危うく、紅茶を噴くところだった。
 慌ててベルトランの足を踏みつつ、言いつくろう。
「おれも近くに居たからだ。姉貴が喉痛めてやがるから、代わりに説教してやったんだ」
 少々無理のある説明だが、お嬢は合点が行ったようだった。
「なるほどですわ。つくづく、その場に居なかったことが残念ですわねえ」
「全く全く」
 アン・ドゥ・トロワがうんうん頷く。
「じゃベルトラン、これからはちゃんと授業に出れるんだね。良かった良かった」
 ジルはにっこり笑った。
「ふん。授業は授業で、面倒臭いけどな。僕のレベルに合わないくらい簡単だから」
 ぶっ殺してやろうか、と全教科で苦しむおれは本気で考え、怒鳴った。
「てめえ、じゃあマルメロ公が誰だか知ってんのか!」
「そんな常識問題、知らない方がおかしいだろ。……お前、もしや知らないのか?」
 そう返され、おれは曖昧に笑った。
「知ってるに決まってんだろ! いや、サービス問題だ。これわからなかったら、お前の馬鹿が証明されると思ってな!」
 実際には、おれの馬鹿が証明されちまったんだが。
 くそ、今度こそ調べておこう…。

 オイディプスに問い質すのはボディガードであるおれの役目だと思い、おれは放課後誰にも言わずオイディプスの部屋まで赴いた。
「おう、オイディプス。ちょっと面貸せ」
 いきなり現れた下級生に、オイディプスのルームメイトは唖然としていた。
 当の本人は至って、涼しい顔をしている。
「何の用だ?」
「ベルトランのことで、聞きたいことがある」
「…わかった。ここじゃ何だ。庭に行こう」
 オイディプスは怯む様子もなく、部屋から出て来た。
 というわけで、おれとオイディプスは庭で話すことになったわけだが…
「ベルトランを川べりに呼び出し、突き落としたのはお前か」
 おれは単刀直入に尋ねた。
 オイディプスは、鼻で笑った。
「呼び出したのは俺だが、突き落とした奴は知らんな」
「ふん、口では何とでも言えるぜ。どうして呼び出したんだ?」
「奴が、どのくらい関わっているのか知りたくてな…」
 オイディプスの口ぶりに、おれは眉をひそめる。
「何に関わってるって?」
「それは言えん」
 黒い瞳は、どこか遠くを見つめていた。
「話はそれだけか?」
「お、おお」
「じゃあ、もう行くぞ」
 オイディプスの背を、おれは何となしに見送る。
 確証はないが、本当にあいつは犯人じゃないようだな…。
 部屋に帰り、ちょうど机に向かっているジルに結果報告した。
「あいつ、犯人じゃないっぽいぞ」
「ふうん」
 ジルは大して興味がなさそうに返事し、またノートに目を落とした。
「おいおいジル、もうちょっと何とか言ってくれねえ?」
「だってリャンヌ、考えたらわかるじゃない。オイディプスが犯人なら、人を雇うまでもなく自分で学校に居るところのベルトランを始末するさ」
「そういえばそうか」
 おれはがっくり頭を垂れた。
「でも、お前もさっきはオイディプス犯人説を否定しなかったじゃねえか」
「うん。僕もちょっと、考えたんだよ。リャンヌのこと言えないね」
 けっ。
「勉強の邪魔して悪かったな。何だこれ…勉強じゃねえじゃん。表か?」
「うん? これ、剣術大会の組み合わせ表」
「剣術大会?」
 おれは素っ頓狂な声を上げた。
「何だそれ」
「文字通り、剣の腕を競い合うのさ。学年別に、それぞれ優勝を狙うんだ」
「それって、絶対出なきゃいけないのか?」
 おれは空恐ろしくなって、尋ねた。
 いくらお転婆とはいえ、真剣を振り回したことはない。
 そんなおれが出たら、コテンパンに負けちまうだろう。
「強制じゃないよ。希望者だけ、応募用紙を提出するんだ」
 ホッとしたのも束の間…
「でも君は出ることになってるよ」
 ジルがとんでもないこと言い出しやがった。
「はあ!?」
「僕が代わりに申し込んだからね」
 おれは思わず、ジルの胸倉を掴んだ。
「何だとぉ!? おれ、そんなの聞いてねえぞ!」
「まあまあ、リャンヌ…これに優勝すれば良いことがあるんだよ。セルン神学校のスポンサーの一人である、ダルブル男爵から優勝の記念品をもらえるんだ。ダルブル男爵ってのは、リャンを誘拐している疑いのある、一人だよ」
 ジルは唇の片端を吊り上げる。
「リャンを…誘拐している奴?」
 急に、体の奥が熱くなった。
「…そういうことなら、やってやる」
 リャンの哀しそうな瞳を思い出しながら、おれは闘志を燃やし始めた。
「おーしっ! 記念品もらうついでに、リャンも帰してもらうぜ!」
 おれは天井に向かって指を突きつけ、高らかに宣言した。

 宣言したは良いが、どうも優勝はそう簡単に行かないようだった。
 何たって、剣を持つのが初めてのおれ。
 ジルにフルーレ(切っ先にたんぽが付いた練習用の剣)で特訓してもらっているが、なかなか難しいものがあった。
 おれ達は部屋の間のカーテンを取り払って、部屋で練習していた。
「ほら、リャンヌ。注意散漫」
 気付けば、ジルのフルーレが喉元にあった。
「ちっ! もう嫌だ! おれ、出ねえぞ!」
 おれは仰向けに倒れ、喚いた。
 大体、この剣術大会のルール(セルン神学校オリジナル)が気に食わない。
 相手を怪我させたら負け、ってどういうことなんだよ。
「おれはさあ、相手をぶん殴って怯んだところをトドメ刺す、ってケンカ形式に慣れてるわけ。相手の体に触れず、喉元に剣を持って行くなんて芸当無理なわけ」
「ふうん。上品な貴族のスポーツは、向いてないってこと?」
「そういうことだ。悪いけど、おれの出場取り消してくれ。他の奴が優勝して、ダルブル男爵が出て来たらおれは脇から飛び出してそいつをぶん殴って、問い質すことにする。一件落着!」
 おれはすっかり拗ねて、フルーレを放り出した。
「リャンヌ、大丈夫だよ。君の運動神経ならすぐにものになるさ」
「けっ、そんな慰めいらねえぜ」
 ふん、と天井を見上げるおれの横に、ジルが跪いた。
「本当に、諦めるんだね?」
「…だってよ」
「これは、ダルブル男爵に会うだけのためじゃないんだよ。これから、君はリャンを助けるために貴族と対峙しなくちゃいけないかもしれない。その時、相手が剣を出したらどうする? いくら君がケンカ慣れしているからといって、剣と素手で渡り合えると思う?」
 ジルの声は穏やかだったが、目は笑っていなかった。
「…思わねえ」
「じゃあ、どうする?」
「わかったよ! やってやらあ!」
 おれは喚き、起き上がった。

 特訓、特訓、また特訓…。
 たまにお嬢やベルトランが、おれの特訓を見に来た。
「リャン様、素敵ですわ〜」
 お嬢は、フルーレを振り回すおれの姿を見て、うっとりしていた。
「でも、どうして外でやらないんだ?」
 ベルトランが面白くもなさそうに(じゃあ見に来んなと言いたい)、おれの相手をしているジルに問う。
「外だと、野次がうるさくてね…」
「そういうことだ!」
 おれは怒りを込めてジルに打ちかかったが、またも難なくかわされた。
 一度外でやったんだが、野次がうるさくて全く集中出来なかったんだ。
「なるほどな」
「ベルトラン、レイチェル。君達は練習してるの?」
 ジルの問い掛けに、お嬢だけが頷いた。
「僕は出ない。面倒臭いし」
 何ともベルトランらしい理由だ。
「じゃ、お嬢は出るのかよ?」
「レイチェルは、去年優勝したんだよ。もちろん、今年も優勝が期待されてる」
 片目をつむって、ジルがとんでもないことを教えてくれた。
 剣術大会は、学年ごとに優勝を競う。そして、男女は分かれない。
 つまり、おれはお嬢と戦う可能性が高いってことだ。
「嫌ですわ、ジル様」
 余裕たっぷりに、お嬢が笑っている。
 やべえ。こいつ、めちゃくちゃ強そうだ。
 こんな身近なところに、ライバルが居るなんてな。
「ジル様こそ、去年優勝なさったでしょう」
「いやいや。それを言うならベルトランだって去年準優勝だよ」
 おいおいおいおい。
「ジル、ちょっとストップ! 集中出来やしねえ」
 おれの言葉に従い、ジルはフルーレを下ろした。
 おれも剣を下ろし、ベルトランを見据える。
「…まさかお前、お嬢に負けたのが悔しくて今年出なかったりするのか?」
「ふん。そんな単純じゃない。単に面倒だから、今年は出ないだけだ」
 ベルトランは機嫌を損ねたように、腕を組んだ。
 図星な気がした…。

 自分で言うのも何だが、山を越えると上達はあっという間だった。
「すごいねえ、リャンヌ。予想以上の出来だよ」
 ジルが手放しで褒めるほど、おれの剣は素早く的確に動くようになった。
「本当か? おっしゃあ!」
 おれも、素直に嬉しい。
 何だかんだ言って、何かを身に付けるのは嬉しいもんだ。
「これじゃ、優勝も軽いか?」
 調子に乗ってわはは、と笑うおれを見てジルは目を細めた。
「頑張ってね。賭けてるんだから」
 …は?
 ぽかんとしたおれに気付き、ジルは説明を加える。
「君の優勝に、賭けたんだよ」
「おいおいおいおい! 寮長が、賭けなんてやって良いのかよ!」
 こいつ、やっぱり結構ワルか?
「まあまあ。剣術大会における賭けは、先生も黙認しているんだ。むしろ、先生達も賭けてるし」
 ますます、“おいおい”だ。
「賭け金、ぶっ飛んでも知らねえぞ」
 おれは頭を抱え、呟いた。
「大丈夫大丈夫。リャンヌ、優勝してくれるんでしょう?」
 にっこり、ジルは笑む。
 無責任というか、何と言うか…。
「いよいよ、来週か」
 おれは、とっぷり日の暮れた窓の外を見やって息をついた。

 剣術大会の日は、実に良く晴れた。
 15歳以上の上級生も、剣術大会の前日だけは学校に泊まることにして、夜から朝っぱらまで準備にいそしんでいた。
 ちなみにこの学校は15歳までは全寮制だが、それ以降は寮に入れない。
 わざわざ別荘を買い、そこで一人暮らししなきゃならん。そのせいで、別荘タウンなるものまで在る。
 何でこんな制度があるのか謎だが、先公いわく「自立心を養うため」だそうだ。
 おっと、こんな余計な説明している場合じゃなかった。
 おれはきちんと設備の整えられた円形劇場を見て、ため息をついた。
「リャンヌ、心配なの?」
 ジルが、おれの顔を覗き込む。
「いいや…心配ってよりは、緊張だな」
 正直なところだった。
「大丈夫だよ」
 ジルは自信あり気に、笑ってみせた。
 賭けは自分の勝ちだと、言わんばかりに。
「なかなか、剣士服も似合ってるよ」
「けっ。これ、むしろ動きにくいんだけどよ」
 “剣士服”というのは、この剣術大会用の制服みたいなもんだ。
 随分と派手なデザインで、それというのも王の近衛兵の制服を元に作り上げたものだからという。
「ええ、とおっても似合ってますわ」
 聞き慣れた声に振り返ると、案の定お嬢が。
「ご機嫌麗しゅう、お二方」
 お嬢は優雅に一礼した。
 青い剣士服を身にまとったお嬢は、本物の王族らしく見えた。(いや、本物なんだが)
「おう、お嬢。お前、なかなか気合入ってんな」
「うふふ、そう見えますか? さあさ、リャン様にジル様! 特等席に参りましょう」
「特等席?」
 おれはお嬢の指す方向を見て、絶句した。
 最前列でどっかり場所取りしているのは、何を隠そうアン・ドゥ・トロワだったのだ…。
「ごめん、レイチェル。せっかくだけど、僕は司会しなきゃいけないから…」
「あら、そうでしたの。初耳ですわ」
 おれも初耳だ。
「じゃ、一足先に座っとくか。俺らの出番まだまだだもんな。ベルトランの野郎はどこだ?」
「その内来るんじゃない? じゃ、僕は司会の打ち合わせがあるから…。二人とも、健闘を祈るよ」
 そう言い残して、ジルは行ってしまった。

 剣術大会は、華々しいファンファーレと共に始まった。
 いきなり金管楽器の一団(ナントカ部らしい)がやかましく演奏し出したので、おれはひっくり返りそうになった。
「ったく、びっくりさせんなよ…」
 毒づくと、隣のベルトランが唇を歪めた。
「こんな時くらいしか、演奏を披露出来ないから気合入ってるんだろ」
 なるほど。
 ファンファーレがこれまたやかましく終わって、円形劇場の中央に二人の少年が進み出た。
「さあ、記念すべき第83回剣術大会の始まりです!」
 ジルと…何と、オイディプスだ。まさか、あいつも司会っていうんじゃないだろうな?
「司会は僕、ジル・ド・ガルヴァランツと彼、オイディプス・ド・フューンです」
 マジかよ。
「オイディプス、何か一言」
「…早く終わると良いな」
 やる気ねえっ!
「まあ、ともかく…」
 さすがのジルも、やり辛そうだ。
「改めて、大会の仕組みを説明しておきましょう。まず、出場するのは5年生から12年生までの希望者。これは事前に申請した者のみで、飛び入りは許されません。ちなみに、副審は彼ら! はい、拍手!」
 と言って、ジルは背後の奴らを紹介した。
 お愛想の拍手が起こる。
「忘れてはいけないのが、まばらに特別席に座る我らが先生方。先生方が、もちろん主審となってくれます」
 先公共は、各々離れて最前列に座っていた。
「あらやだ、遅れちゃったわ!」
 と言って、今更ベルトランの隣(ということはおれの隣の隣)に座ったのは…
「ヒゲカマ! お前、何でそこに座るんだよ!」
「あらやだ、野蛮人と近い席だなんて! 仕方ないでしょ、ここが教師専用席なんだから。ふん、あんたと隣じゃなくて良かったわ。クドリエくん、仲良くしましょうね〜」
 ヒゲカマに微笑みかけられ、ベルトランは引きつった笑みを浮かべた。
「けっ、静かに見ろよ」
「あらやだ、こっちの台詞よ」
「人を挟んで喧嘩するな」
「何がありましたの? リャン様大丈夫ですの?」
 わーわーうるさいおれ達に、司会・ジルが気付いた。
「そこ、静かに! 今度うるさかったら退場ね」
 何気に厳しい司会だ…。

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