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おれが起きたのはもう、日が大分高くなってからだった。 「うあー寝すぎたぜ」 おれはベッドの上で伸びをした。 こんなに寝たのは、昨夜考え事をしていて遅くまで眠れなかったせいだ。 おれがベッドの中でぐずぐずしていると、ノックがあった。 「リャンヌ様、お起きになりましたか?」 アントワーヌの声だ。 「おう」 「では失礼しても?」 「もちろん」 アントワーヌは苦笑を浮かべ、入って来た。 「朝食を持って来ました。すっかり冷えてしまっていますが」 「問題ねえよ」 おれはベッドから降りようとして、アントワーヌに止められた。 「その前にお着替えですね。メイドを呼びます」 「なあ、着替えってやっぱドレスか?」 うんざりして聞くと、アントワーヌは不思議そうな顔をした。 「もちろんでございますが」 勘弁してくれよ。 着替えて部屋で朝食を食っていると、またドアがノックされた。 「リャンヌ様、よろしいですか?」 またもアントワーヌ。 「おう」 「失礼します。ジル様から、伝言を預って参りました」 アントワーヌはおれの前で、一礼した。 「暇だろうから、この城内を散策しても良いと仰っています。もちろん、この城から出られては困りますが」 「あっそ。そういや、ジルはどこに居るんだよ」 「お仕事ですので、書斎です」 領主って、そんなに忙しいのか? 「…オッサン、おれ…ジルから両親のこと聞いたんだ」 「そうですか」 アントワーヌは困ったように、首を傾げた。 「何て言ったら良いか、わかんなくなった…」 おれはフォークを置き、ため息をつく。 「リャンヌ様、お食事が終わったなら散策に出掛けましょう」 「ん、おう」 おれは何かを吹っ切るかのように、勢い良く立ち上がった。 アントワーヌの案内で、おれは城内を巡った。 さすがに広くて、高級そうな装飾品が到る所にある。 「ここが肖像画の間です」 アントワーヌに案内された先は、だだっ広い広間。 たくさんの絵が、壁に掛けられている。 「うへえ。夜中にゃ来たくねえな」 「代々のネージュ家当主です。配偶者と共に描かれている場合もありますが」 おれ達は、一つ一つの絵を見て回った。 北方だからかなのかそれとも血筋のせいなのか、金髪碧眼が圧倒的に多かった。 女の当主も居る。 ネージュ家の跡継ぎは、男女どちらでも良いのだろう。(たまにどちらかに決められてる場合がある。その場合男系が多いが、クドリエ家などは女限定の女系だ) 「これが、先代と奥様です」 アントワーヌの声で、我に返る。 描かれていたのは、長い金髪の男とこれまた金髪の女だった。 男の方…前ネージュ公爵は厳しそうな顔に、ゆったりとした笑みを浮かべている。 一方の公爵夫人は穏やかな笑みと、アイスブルーの瞳が儚げだった。 ジル…というか現ネージュ公爵のアイスブルーの瞳は冷たさを感じさせるのに、彼女の瞳は儚さが勝っている。 「ジルはお袋似だな」 正体を現す前の、優しかったジル…ジル・ド・ガルヴァランツを思い出させる。 「そうですね。お懐かしや」 アントワーヌが目を細める。 そこでおれは気付く。 おれは今日水色のドレスを着せられていたのだが、それが肖像画の中の公爵夫人が着ているドレスにそっくりだったのだ。 「なあ、オッサン。もしやこれって、ジルのお袋のドレスか?」 「そうですよ」 「おいおい!」 あっさりした返事に、おれは頭が痛くなった。 「赤の他人に、そんなん着せて良いのかよ」 「と言いましても…。ここには、ドレスはジル様のお母様・ヴァランティーヌ様の物しかありませんので。ジル様の奥様の物はまだありませんし」 おれはコケそうになった。 「ジルって、結婚してんのか?」 「ええ。早くに跡を継ぐ時は跡を継いだ時に結婚をするのが、一般的ですからね。まだジル様も奥様も幼かったので、名目だけの結婚ですが。もう数年したら、奥様がこちらに来られることでしょう」 「マジかよ」 びっくりすることだらけだ。 「それはどうでも良いとして、おれに死んだ母親のドレスを着せてジルは何とも思わないのか?」 「さあ…。別に何も仰っていませんでしたし。そんなにこだわりはないのでしょう」 適当だな。 「そういや、ジルに話したいことがあるんだ。仕事の邪魔して構わねえかな」 何でおれは、誘拐犯に向かって気を遣っているんだ? いざ考えてみると、謎だ。 「はあ…それは何とも。私では力不足ですか?」 「ああ。おれはリャンのことについて、聞きたいんだ」 あいつは果たして、無事なのか。 昨晩ジルのことも考えていたが、もちろんリャンのことだって考えていた。 「リャン…弟様のことですね。ご安心下さい。ラフォンヌ伯の元で、丁重に扱われていると聞きました」 「聞きました、じゃだめなんだよな。おれは主謀者に聞きたいんだ」 アントワーヌが、悲しそうに眉をひそめる。 我ながら、意地悪な言い方をしてしまった。 「悪い。でも、わかってくれよ…おれだって不安なんだ」 「存じております。気になさらないで下さい。…どうぞ、ジル様に聞いて来て下さい」 アントワーヌが頭を下げる。 おれは一つ頷き、肖像画の間を出た。 ジルは書斎に居なかった。 「ジル?」 何となしに窓の向こうを見ると、ジルが雪の積もった庭を歩いていた。 「サボりかよ!」 おれは窓を開け、飛び降りようとした。 ここ、何階だっけ…まあいけるか。下、雪だし。 おれは深く考えず、飛び降りた。 ぼすっ、という音と共にナイス着地。 物音に、ジルが振り返る。 「リャンヌ…」 「おい、サボりかよ」 「休憩だよ」 似たようなもんだぜ。 「しっかしここ、雪が多いな。ネージュ公領ってのは寒いんだな」 言いながらも、くしゃみが出た。 おれの村やセルン神学校は南方にあって、結構温かかった。だから、あんまり寒いのは得意じゃない。 「寒い!」 「そんな薄着で外に出るからだよ」 「お、お前だってそんな厚着じゃねえだろ。ひくしっ! 畜生!」 親父のようなくしゃみをするおれに、ジルは冷たい視線を寄越した。 「てめえ、黙って見てんじゃねえぞ。普通の紳士なら、寒がってる奴に自分の上着をくれるもんじゃねえか?」 「僕がそんなに優しいと思う?」 無表情で言われ、思わず怯む。 「思わねえよ。…あれは演技だったんだもんな」 お前の優しさは、全部演技だったんだな。 信じたおれが馬鹿だったよ。 そんな意味を含めた台詞に、ジルが唇を歪める。 「仕方ない。風邪をひかれても困る」 ジルはコートを脱ぎ、正面からおれの肩に掛けた。 「あり、お前寒くないのか」 「要求しといてよく言うね。僕はここで生まれ育った。寒さには慣れてる」 なるほどな。 ジルはおれに顔を近付けた。 「ところで、何か用?」 「あ、そうだった。おい、ジル。リャンはどこに居るんだ? 無事なのか?」 「無事だよ。ラフォンヌ伯爵が預っている」 アントワーヌの言った通りだった。 「リャンは、本当に利口だね。彼は僕らの狙いが君だってこと、気付いてたみたいだ」 「何だと?」 …そういえば。 パーティの時、『関わらないで』って言われたっけ。 あれはおれを心配していたから、だったのか? 「リャンは…これからどうなるんだ?」 「さあね。君のこれからと同じく、ラフォンヌ伯爵やガルヴァランツ公爵と話し合うさ」 おれのこれから…。 おれはぎくりとした。 「お前、おれを殺すのか」 「だから、話し合うって言ってるじゃないか」 ジルが苛立った表情を浮かべる。 「ふん…。意外にずさんな計画だな。何で失敗した時のことを考えなかった?」 「――リスクの多い賭けだと、承知でやった。失敗の時まで、考えていられないよ」 おれ達は真っ向から睨み合った。 「賭け?」 「ああ。ネージュ公の名誉が復活するか、地に堕ちるかのどちらだかと知っていた。それでも、このままは嫌だったんだ」 ジルはうんざりしたように、白い空を仰いだ。 「貴族にとって、名誉とは命のようなもの。今のままじゃ、ネージュ家は死んでるも同然なんだよ。だから、荒療治をする必要があった。計画に乗ったのは、そういう理由さ」 「なあ、ガルヴァランツとラフォンヌのオッサンは、お前がガルヴァランツの息子と同い年だから話を持ち掛けて来たのか?」 おれは我慢出来なくなって、気になっていたことを尋ねた。 「そうだね。僕はこう見えて、名前だけは有名人なんだよ。何せ、10歳で跡を継いだからね。ガルヴァランツ公爵は自分の病弱な息子と、神を恨んでいるであろう僕の年が同じことに気付いた。そして、計画を少しずつ練って行ったというわけさ。話を聞いた時は驚いたけど…」 「本当のジル・ド・ガルヴァランツもジルって名前なんだろ?」 「そうだけど、ジルなんて珍しい名前じゃないだろう?」 それもそうか。 「ジル、お前ずっとこの学校で学んでるみたいなこと言っといて、お前は二年しか居なかったんだな」 「誰も、最初から入ってたなんて言ってないよ」 「てめえ!」 おれが拳を振り上げると、ジルは肩をすくめた。 「リャンヌ、君の欠点を教えてあげようか」 「…あ?」 静止状態のまま、問い返す。 「君は強いけど、一度心を許した人のことは殴れないんだ」 「はっ、ふざけんな」 と言いつつも、確かに殴る気がしなかった。 「変だよな…おれは、お前を恨むべきなのに」 拳を下ろし、呟く。 ジルは何も言わなかった。 「あんな話聞いたから、お前に同情しちまってるんだな、きっと」 まるで自分に言い聞かせるように、おれは呟き続けた。 ジルはおれの言ったことがどうでもいいとばかりに、話題をがらりと変えた。 「そのドレス、母上のだね」 「気付いてたのか?」 「気付くも何も、ここには母のドレスしかないし」 おれはドレスを見下ろした。 「お前、他人に着られて嫌じゃねえのか?」 「別に。そのまま置いておいても、宝の持ち腐れだ。その内、妻が着るようになるかもしれないけどね」 そういや、こいつ結婚してるんだった。 「アントワーヌに聞いたけど…女房が居るなんて、驚きだよな」 「形だけの結婚だから、会ったことは一度しかないけどね」 面白くもなさそうに、ジルは言う。 「へえ」 「君にとっても、遠い未来の話じゃないはずだ。庶民でも、16くらいになれば結婚だろう?」 げっ。嫌なこと思い出させやがった。 「そういや、お袋がおれが今のまんまじゃ結婚出来ねえって言ってたな」 ドメスティックバイオレンスに耐えられる夫でもなきゃ、おれはやって行けねえだろう。 「納得」 「かーっ、てっめいちいちむかつくな! お前、実はベルトランより性格悪いだろ! 嫁さんに言い付けてやるぞ!」 怒るおれに対し、ジルは笑った。 やっぱり冷たい感じはしたが、本性を表してから初めて聞いた笑い声。 「そうかもね。でも、妻に言い付けても意味はないよ」 「はあ?」 「さあ、戻ろう」 疑問の声を無視し、ジルは方向転換した。 「ふん、このまま逃げ出すって言ったらどうすんだ?」 おれは挑発的に、腕を組んだ。 「…馬鹿だね。ここはネージュ公領だ。僕の権限が絶対なんだよ。それに」 ジルは、おれの肩から自分のコートを取ってしまった。 「そんな格好で逃げ出せば、凍死するのが落ちだとおもうけど?」 「てめえっ……へくしっ! こん畜生!」 おれがくしゃみをしている間に、ジルはさっさと城の中に入ろうとした。 「こら待てこの野郎! はくしっ! この野郎!」 おれは決死の思いで、ジルを追い掛けたのだった…。 おれは部屋に帰って、ベッドで引っくり返っていた。 「あー暇だ」 アントワーヌを捜して、もう一回散策するのもなあ…。 ジルには悪いが、おれはあんまりこの城が好きになれなかった。 何でかっていうと、どうも物寂しいからだ。 使用人の数が城の大きさの割に少ないせいで、がらんとした印象を与えているんだろう。 「へくしっ、畜生!」 まだ寒い。 風邪ひいたらあいつのせいだ。 ドアをノックする音がした。 「リャンヌ様、入ってよろしいですか?」 アントワーヌ、三度目だ。 「おうよー」 「失礼します。大丈夫ですか?」 「何がだ?」 おれはきょとんとする。 「ジル様から、薄着で雪の中に出たと聞きましたので。風邪をお召しでないかと」 「ん? 馬鹿は風邪ひかないから大丈夫だろ」 「…そういう問題ではありません」 アントワーヌは、手に盆を持っていた。 盆の上には、ポットとカップが置かれている。 「奥様秘伝のハーブティでございます。風邪のひき始めによろしいですよ」 「心配ないってのに。ひーくしっ! この野郎!」 「ほら、くしゃみしてるじゃありませんか。大人しくお飲みなさい」 アントワーヌは有無を言わさず、カップにハーブティを注いだ。 確かに、ちょっと熱っぽい。 おれはカップを受け取り、ゆっくり飲んだ。 「まっじい…」 「良薬口に苦し、です」 おいしくてもバチは当たらないだろうに。 「今、奥様秘伝って言ってたけど、それってジルの嫁さんのこと? それともお袋の方?」 「おっと…ついつい昔の癖で“奥様”と。ジル様のお母様…ヴァランティーヌ様のことです。薬草の達人だったのですよ」 「へーえ」 達人ねえ。 まあ、見た限り植物の似合いそうな女だった。 「ジル様のお父様が、古代の神々に興味を持ったのは奥様のためでもあるんですよ」 「何だって?」 「ヴァランティーヌ様は、まじない等をよく信じていらっしゃいました。それは古代宗教の名残だったのです。それで、前公爵様は調べ始めたのです」 ジルは“母は何もしていないのに”と言っていたが…。 アントワーヌはおれの表情で察したのか、少し困ったような顔をした。 「もちろん、ヴァランティーヌ様のせいではありません。前公爵様の好奇心、知識欲が大いに影響してしまったのです」 「なあ、ジルのお袋は旦那を止めなかったのか?」 「ヴァランティーヌ様は、お優しい方でした。ただ優しすぎて、夫に何も言えなかったのです」 エスカレートする夫の信仰を、彼女は畏れながら見ていたのだろうか。 自分のせいだと思いながら…。 「ふうん。でも、ジルのことを考えてやるべきだったよな。両方共」 「――あなたはお優しいのですね、リャンヌ様。ジル様に裏切られたというのに、まだ心配して下さっている」 アントワーヌの嬉しそうな一言に、おれは顔をしかめた。 「そんなんじゃねえよ。ただおれは…」 ジルの立場が、どうしようもなく哀しいと思うだけ。 悪魔の公爵だ悪魔の息子だと呼ばれ、どれだけ苦しかったかくらいはわかるつもりだ。 「オッサン…おれ、思うんだ。ジルがあの計画に乗ったのって、ここから逃げたかったからってのもあるんじゃないかって。ジル・ド・ネージュという自分を捨てて、ジル・ド・ガルヴァランツになりたかったんじゃないかって」 両親に溺愛されて育ち、何の歪みもなく育ったジル・ド・ガルヴァランツになりたかったんじゃないかって…。 「…そうかもしれませんね。学校のジル様は、どんな風でしたか?」 「優しかったな。それでいて、楽しそうだった」 あの優しい笑顔が作り物だったとしても…。 「きっとそれは正解ですね。――実を申しますと、ジル様は悪魔の息子ということで、領民に慕われていません」 …察しは付いた。 だからこそ、こんなにも使用人が少ないんだろうし。 「悪魔だと罵られながらも、ジル様はこの領地を懸命に治めようとなさっていました。もしも暴君になれば、それこそ自分が悪魔だと証明することになるからと言って」 アントワーヌは目頭を押さえた。 「オッサン…」 「申し訳ありません。年を取ると、どうも涙もろくなってしまって…。リャンヌ様、あなたが聖女で良かったと心から思います」 「へっ。こんなガサツでもか?」 おれがそうやって照れた時、急にふらついた。 「大丈夫ですか!?」 アントワーヌが慌てておれを支え、額に手を当てる。 「熱いですね。さあ、ベッドに入って下さい。メイドに看病させましょう」 アントワーヌはおれをベッドに横たわらせると、足早に部屋を出て行った。 くっそう…風邪なんて何年ぶりだ? おれは痛む頭を押さえ、布団に包まった。 |
