弘仁6年(815)、弘法大師は、かつて修行の霊地を求め投げていた明王鈴の音
を頼りに、この地を訪れました。当時この山に住んでいた法華仙人は大師に帰依、一
山を献じて大往生を遂げたそうです。そこで大師は不動明王の木像と石像のニ体を刻
み、木像は本堂へ、石像は山に封じ込め、山そのものをご本尊として護摩修法されま
した。
この寺の本堂は大師堂から少し下がったところにあり、大師堂より小さいのですが、
この、本堂が小さい理由も、お山全体がご本尊ということからだそうです。
山号は、大師の詠み歌「山高き谷の朝霧海に似て 松吹く風を波にたとえむ」から
とって名付けられました。
この寺は何時の頃からか44番の奥の院とされていましたが、明治7年に独立、4
5番札所になりました。独立後の31年には火災で僅かな史料を残し全山焼失しまし
たが、大正9年に再建されています。
本堂は200M程の垂直の大岩壁に抱かれて建っています。本堂右側の嶽は金剛界
峰、左側を胎蔵界峰といいます。岩は凝灰岩で、独特の雰囲気で空にそびえている様
は一種異様とも言えるでしょうか。国の名勝地に指定されています。