伊予の太守、越智玉澄は文武天皇の勅願により今治沖の大三島に大山祇明神を勧請
法楽所として24坊を建立。和銅5年(712)、その別宮を越智郡日吉村に移した
とき、24坊のうちの8坊を別当寺として共に移しました。
弘法大師は四国巡錫のおり別宮に参拝、坊で法楽をあげて霊場に定めました。その
後、天正年間の長曽我部の兵火に遭い8坊は焼失、ここ南光坊だけが再建され、別宮
の法楽所として存続されました。
明治の廃仏毀釈令で、御本地仏として社殿に奉安してあった大通智勝如来,二大脇
士,十六大王子を薬師堂に遷し寺として独立しましたが、昭和20年の空襲で大師堂
と護摩堂を残し他の堂塔は焼失しました。