弘仁6年、弘法大師がこの地を巡錫したのが丁度梅雨の頃、長雨は蒼社川に集まり
氾濫、農民たちのはひどく苦しめられていました。その様を見た大師は、早速河原に
壇を築き「土砂加持」の秘法を七座厳修、満願の日に御本尊地蔵菩薩を感得、祈願成
就したので土砂加持修法の地に「不忘松」をお手植え、堂宇を建立して御本尊を安置
されました。
寺名は延命地蔵経十大願の第一「女人泰産」からをとられ、泰山寺と名づけられた
ものです。
後の天長元年(824)、寺は淳和天皇の勅願所となり七堂伽藍も完備、塔中十坊
を有する大寺となりました。しかし、度々の兵火により規模は縮小し、裏山の金輪山
から麓の現在地に移されたということです。