用命天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が堂塔を創建したところ、金衣白髪の老翁
が出現して本尊の大日如来を安置したといわれています。それらのことから、天皇よ
り教王院の勅号を賜っています。天平年間には行基菩薩も留錫、大同年間には弘法大
師が来錫されました。
ある時、身重の婦人が苦しんでいるのを見た大師は加持を施され、婦人は玉のよう
な男子を安産しました。この勝縁により、大師は唐から持ち帰った大日如来の金像を
御本尊の胎内に納め、栴檀の香を焚いて護摩修法、これに因み、栴檀山香園寺と号さ
れるようになりました。そして大師は、安産,子育て,身代わり,女人成仏、の四誓
願を遺され、霊場と定められました。
その後、天正の長曽我部の兵火に遭い七堂伽藍はことごとく焼失、寺運は衰退の一
途とたどりました。
明治36年、住職となった山岡瑞園師は、大正はじめ子安講を創始し、昭和23年
に亡くなるまでに全国に(世界に)20万の信者を獲得されました。