聖武天皇の勅願により伊予一宮の法楽所として中山川下流の白坪に建立されました
その後数度の洪水で堂塔に被害を受け荒れ果てていましたが、天養2年(1144)
に修復され、その年の年号に因んで天養山と改号されました。後、来錫した弘法大師
が光明皇后のお姿を象って十一面観世音菩薩を刻み本尊とし、62番札所と定められ
寺号を宝寿寺とされました。
国司、越智公の婦人に難産で祈念を乞われた時、大師は境内の玉ノ井の水を加持、
婦人に与えました。婦人は若君を安産、玉澄と命名し、「さみだれのあとに出でたる
玉ノ井は、白坪なるや一ノ宮かは」と詠じ献納されたということです。以来、安産の
観世音として信仰をあつめています。
それから年代を経た天正13年には兵火により堂塔を焼失、寛永13年、宥信上人
が再興されました。さらに明治の廃仏棄釈で廃寺となりましたが、同10年に再建、
大正10年に国鉄予讃線の開通で現在地に移転しています。