桓武天皇の延暦八年、弘法大師の建立。大同二年(八○七)嵯峨天皇の勅を奉じて
再び登山し、本尊を彫刻して、仏舎利と毘慮那法印(仏法石)を山中に納め、霊場と
定められた。鎌倉時代には七堂伽藍が整備され、十二坊、末寺八ヶ寺を有し、阿波、
伊予、讃岐の関所でもあった。
四国高野とも云われる当霊場は海抜一千米の高所にあって、古来多くの学僧が勉学
に励んだ記録も残されている。
天正の頃、土佐の豪族長曾我部元親が当山に登り、眼下に横たわる讃岐平野・瀬戸
の島々、はるかに望まれる伊予・阿波の国々を大観して、四国平定の野望を抱いた所
時の住職俊崇坊に「お主の器量なら土佐一国で充分」と言われた話は有名。後に蜂須
賀家の祈願所となった。
現在は広い境内に本堂、護摩堂、大師堂が千古の杉に囲まれながら創建以来七十八
代の法灯を厳として護っている。