推古天皇の33年(西暦625年)に開創され、本尊・十一面観音、脇士・不動明
王・毘沙門天(それぞれ重文)がまつられ、1369年前の往古より、人々に親しま
れてきた。
「梁塵秘抄」によると、所願成就をかなえてくださる観音霊験の聖地として、日本
全国から信仰憧憬をよせられていたことが知られています。
天武天皇の10年(西暦681年)には、藤原不比等公が妻の「海女の墓」を建立
して、「死渡道場」と名付け、堂宇を拡張し、僧侶の学校、信者の修行の道場となっ
た。
持統天皇の7年(西暦693年)に藤原北家の始祖房前公が、僧・行基とともに参
詣して母親の追善をとむらい、父母の慈愛に感謝して千基の石塔群を造立した。 「
続日本紀」によると、このときに、藤原家が海人<海士とも>族の海部直の娘と縁を結
び海人一族に助けられて、海洋の支配権を獲得したことが知られている。
補陀落山・志度寺は、一万坪の広大な寺域を有し潮騒が聞こえ、塩の香りが漂う海
辺にまじかに接して、白装束の人々が金の音を打ち鳴らしながら、一年中往来してい
きます。