天平年間、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩は、七難即滅,七福即生を祈念して仁井
田に天の七星を象って七ヶ寺を建立、その根本寺として福円満寺と名付けました。
その後の弘仁年間に巡錫した弘法大師は五社,五ヶ寺を増建し、自ら星供曼荼羅を
書写、三国相承の星供秘法を修し、札所と定められました。
後、天正の兵火に遭い全焼しましたが、足摺岬にある金剛福寺の山主尊海法親王の
助力により再興され、そのときに寺名を現在のものに改めました。
本堂には五躰の御本尊が安置されています。なかでも、観世音菩薩は、昔貧しい狩
人の願いを聞きいれて長者にさせたことから「福観音」と呼ばれ、その時狩人の身代
わりになった地蔵菩薩を「矢負の地蔵」と呼んで信仰されています。
また、このお寺には、子安桜,三度栗,口なし蛭,桜貝,筆草,尻なし貝,戸たて
ずの庄屋などの七不思議の伝説があります。