寺はもともと現在地から3km奥の十楽寺谷の堂ヶ原にあったと推定され、阿波
の北方切っての広大な大伽藍を誇っていたといわれます。
四国霊場開創の行脚中の大師は、十楽寺谷において阿弥陀如来を感得した。大師
はその地に堂宇を建立し、感得の尊像を刻んで本尊として開基したさらに大師は、
山号、寺号、を命名するにあたり、人間の持っている八つの苦しみを早く離れ、
そして十の光明に輝く楽しみが得られるように願ったといわれる。
天正年間、長宗我部の兵火にあって全てを焼失したが、本尊、宝経等は十楽寺谷
の奥へ奉安して事無きを得ている。寛永年間に再建が始まり、天保年間(1830〜44)
にと逐次造営され、明治以降に現様となった。
今尚付近に大門原、法教田堂ヶ原などの地名があり、当時の名残りをとどめてい
ます。昔から盲目に霊験ある寺としてしられている。
寺宝に、真田幸村の茶釜がある。