越後・会津・那須探訪録

・前書き
2008年お盆休み、遠征しよう。
5・6月にだいぶ金を使ったので今回はお金をかけないようにしたい。
暑いので北へ行こう。
何度か計画して行けなかった上越市の宮口古墳群、水科古墳群を抑え周辺の古墳を探す。
ついでなので新潟県内を廻ってと考えている磐越自動車があるので喜多方らーめんを
食べて会津若松へより時間があれば栃木県も寄ってみたい。

いざ、出発!
今回はmyCarです。
予算削減のため夜中に出発して下道を行く。
長野県上田市に入るころには明るくなってきた。
折角なので寄り道していこう。

1発目:信濃国分寺、国分尼寺跡
まず、国分寺跡
公園として整備されていていつでも入る事ができる。

まだ6時前なのに散歩している人がいるぞ。
現在の国分寺もすぐそばにあるので寄ってみた。
  
右写真の三重塔は国の重要文化財
駐車場にもどり国分尼寺を見に行く。
線路で分断されていてメインは線路の向こう側だ。



2発目:上田城
さらに寄り道。
案内標識に従い駐車場を探す。

現状ではそれほど、堅牢には思えないが真田 昌幸の時代はすごかったのだろう。
写真左側の櫓の横から登る。
そうすると本丸の隅にです。

東虎口櫓門
ここの前にも駐車場があった。
ここを探訪しているときはまだ6時前後だったが結構人がいたな。

3発目:万五朗古墳
ここからが本題。
まず斐太歴史民族資料館へ行き観音平・天神堂古墳群の資料集めするつもりだったが
到着が早すぎた、まだ開いていない。
近くの万五郎古墳を探す。
歴史民俗資料館から西に向かい国道18号線にでるまでの間にあるようなので田んぼの中を走りまわる。
あったあった。
 
説明版が見えたので助かった。
でなければ分からなかったよ。
新潟県内では数少ない横穴石室が見れるのですが右写真の通り。
底部が残っているが雑草に埋まってしまっている。
奥に石材が山積みになっているが石室の石材だろうか?



4発目:天神堂・観音平古墳群
斐太歴史民族資料館へ戻ったがまだ開いていない。
しょうがない観音平・天神堂古墳群へ行ってみるか。
どうせ今回は草だらけでまともに見ることはできないだろうから、場所の確認程度のつもりだし
探してみよう。
まずは天神堂地区へ歴史民族資料館から北西に進み国道18号線を横切り山裾を探す。
あったよ。
狭いが車を置けるところあった。
説明版は腐りかけていて、説明文が脱落しているが、分布図は残っている。
手持ちの資料では円墳、方墳が106基あるようです。
さてみてみよう。
 
案の定草だらけ、いくつかマウンドを確認できたが上に上る気にはならないので撤収。

北側の谷を挟んで斐太遺跡が分布している。
寄るつもりは無かったが鮫ヶ尾城跡・遺跡公園の案内版があったのいくとこにした。
それと天地人の旗が気になった。
そういえば来年の大河ドラマが直江兼続だったな、その関係か、城跡も見てみるか。
斐太神社の裏に車を置き、歩いていく。
しばらく行くと斐太遺跡の説明版があった。
弥生時代の環濠集落遺跡で71軒の竪穴式住居跡が埋没せずに浅い窪みとなっていて場所が確認でき、
埋没したものを含めると100軒以上あったと思われる。
一部が整備されていてみることが出来る。
 
写真のへこんでいるところが住居跡だが、右写真の方は杭が無ければ分からない。
 
左写真:環濠跡、右写真は気になるマウンド。ただの盛土か気になるな。

近くの展示室のような売店のようなところへ行き、城と遺跡の出土品を見ていると管理人さんが
話しかけてきた、やばい!つかまってしまう、お茶を勧めてきたのでことわろとしたがことわりきれない
はまりそうだ、ちょうど他の客がきたのでお礼を言って退散。
ここで歴史民族資料館の開館時間は9:30からであることが分かった。
鮫ヶ尾城跡はここから登っていくようだ。
山城なので登るとかなりの時間を食うので今回はパス。
 

車に戻り、山裾を北上すると、駐車場のようなところに観音平古墳群の石碑があった。
石碑は最近設置された感じ、説明版の為と思われる枠も建っていた。
まだ、整備中のうようですね。

山に入っていくとマウンドが見える。
こちらは天神堂より見やすい。
 
いくつかのマウンドを確認して撤収。
歴史民族資料館に戻ると9:30にはちょっと早かったが、開いていた。
ちょうど開けたばかりのようだった。
いつものように貸切状態で見学。
管理人さんに観音平・天神堂古墳群の資料がないか聞きたいが、そんな雰囲気の方ではないので撤収。
上越市へ向かう。




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