福田官房長官の核発言をめぐる馬鹿騒ぎ
またしてもマスコミ主導の馬鹿げた騒動に乗った馬鹿野党が国会を混乱させている。先日、政府首脳(3日、この”政府首脳”が自分であることを福田康夫官房長官が明らかにした)が発言した「(核兵器を持たないとする)非核三原則は、将来の国民的な話し合いの中で撤廃する可能性もあり得る」とした内容についてである。
この発言自体に、何の問題もないのは言うまでもない。「非核三原則」などは成文法でも何でもなく、ただの慣習であり、日本が核武装することになんら「法的」問題はない。それを明言しただけであり、事実を述べたものである。その上で、「政治的な選択として、現内閣が非核三原則を転換することはあり得ない」と断言しているのである。むしろ、これまでの非核方針の強力な確認にすぎない。私自身も全く別の理由から日本の核武装には反対であるが、日本が核兵器を持つことが可能であること(何の問題もないこと)は否定しようがない。訳の分からぬ文句をつけている連中は「法的」と「政治的」の単語の区別もつかぬ愚か者に相違ない。あるいは「非核三原則」を否定することがすなわち核を持つことになるという短絡的な思考しかできない連中か。「持てる」「持てない」と「持つべき」「持つべきでない」は明確に区別されなければならない。「持てない」を否定したことがすぐに「持つべき」と主張した、と拡大解釈して捏造報道するのは犯罪的行為だ。むしろ、故意にあおり立てることによって、別の目的を遂行しようとする者の陰謀の香りすら感じる。
言うまでもなく、有事法制絶対反対の平和ボケ野党とマスコミが仕組んだ陰謀である。故意にこの問題を現在国会で審議中の有事法制関連法案と結びつけ、視聴者に訴えることによって廃案に持っていこうとする、非民主的な暴動と言ってよい。真に民主的な手法は国会内での論議である。そこで勝てないとあきらめた野党とマスコミが癒着して非民主的にもメディアを通じて、マイナスイメージを植え付け、視聴者に訴えるという暴挙に出たものでしかない。ことさらに「有事関連法案が国会で審議中にこういった発言をすること自体が問題だ」などという自称「有識者」のコメントを引いて批判していることからもそれは伺える。また某泡沫政党党首が主張する「戦争を論議すること自体が戦争を招く」というアホ丸出しの意見と「非核三原則見直し」=即「核保有」と短絡する思考法は全く合同であることからも明かだ。
時を同じくして起きた防衛庁の事件〜防衛庁が資料公開を求めた人物の個人情報を収集していたという全くつまらぬ事件〜の報道もさらに悪質である。資料公開を求めた人物がどんな人間か興味を持つこと自体はどのような組織でも自然な感情であり何の不思議もない。しかも、資料請求した人間を興信所や私立探偵の如く尾行し、素行調査したわけでもなく、インターネットで情報を検索した程度、この程度なら民間企業でも一般人でも普通にできる/やっている(あまり誉められたことでもないし、法的に問題があるのは確かだが)。まして、万一の時に治安を担当する可能性もある防衛庁・自衛隊が不穏分子を警戒するのは当然ですらある。この問題は自衛隊の治安出動をあくまで拒否したい(あるいは自衛隊の存在そのものに否定的な)反戦平和左翼のヒステリーであると同時に、これも国会で現在審議されている個人情報保護法案を無理矢理関連させてつぶそうとしているマスコミの世論誘導である。彼らはこの法案をつぶすためには手段を選ばないことはすでに小欄で再三触れたとおりである。(そしてもちろんこの事件が個人情報保護法案に反対する理由にならないのは言うまでもない。むしろ同法の必要性がさらに増しただけである。しかしマスコミはむしろ反撃材料にしている。滅茶苦茶である。)
尻馬に乗った無責任野党の狂乱ぶりも噴飯ものである。2日、韓国の主要紙・朝鮮日報は上記の福田官房長官にヒステリックに反応し、「小泉首相は福田官房長官を更迭すべきである」という厚顔無恥な内政干渉的発言を行った。これだけでも大問題であるにもかかわらず、野党4党はそれに乗じるかのように福田官房長官の罷免を求めると発表した。奉天(瀋陽)亡命事件でも、政府の足を引っ張り相手政府の言いなりになった野党が、こんどは隣国のマスコミの下僕となっている。もはや無責任を通り越して「馬鹿」としかいいようがない。
さらに問題なのは、元々この空虚な騒動のきっかけとなった福田官房長官の発言が記者懇談会で匿名を条件にコメントされたオフレコの発言だったことである。これまでも、新聞・テレビ記者は「報道の自由」「国民の知る権利」を盾に(勝手に国民を代表してこれらを行使し)、あるいは「説明責任」という便利な言葉を駆使して、幾多の政治家の”オフレコ”(この場以外には公表しない)と約束した発言を暴露してきた。信頼もへったくれもない。彼らはそれにも関わらず、「政治家と報道の信頼」が失われている、と平気でうそぶいているのだ。彼らにとって「信頼」とは、政治家の側が報道に一方的無条件に情報を提供し続けることであり、報道側が政治家との約束を破ることは何の罪悪感も感じないのである。なぜなら我々は「報道の自由」「国民の知る権利」に沿って行動しているからだ………………………………
そもそも記者懇談会とは、記者側の要請によって、政治家が「善意で」マスコミ各社につきあい、話したくもないのにいろいろしゃべって、マスコミ側に答えようとする「サービス」である。それにもかかわらず、人間の尊厳を傷つけ、約束など無かったかのように、暴露をする連中が「公正中立」を名乗って報道に関わる現状はどうか。(中には「どうせオフレコと言ったって外部に漏れるのだから問題発言自体をすべきでない」などというトンデモない主張をする者さえいる) マスコミ側から要請されて匿名でしゃべったことを一方的に約束を破られ、暴露された政治家側に、マスコミへの信頼感などあるはずがない。森前首相とマスコミの関係はまさにこの連続であった。
そして、このような連中が、いわゆる「メディア規制法案」に反対しているのだ。「国民の知る権利」を代表する我々マスコミは、どのような取材を行っても許され、嘘をついてでも暴露してもよく、そしてそういう我々保護されるべきである。我々マスコミの既得権益を毫でも侵す「メディア規制法案」はつぶすべきである……………………賢明なる国民諸兄はこれらマスコミの馬鹿げた戯言に耳を貸してはならない。(02/06/04)
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